Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

百合の樹

2014-05-24 17:49:14 | 花木


ユリノキ - 百合の樹
・分類 モクレン科ユリノキ属の落葉高木
・学名 Magnoliaceae Liriodendron tulipfera
・原産 北アメリカ
・花期 5月~6月
・樹高 15m~50m
・ 雌雄同株
・同属 シナユリノキ
・別名 ハンテンボク(半纏木)、レンゲボク(蓮華木)、チューリップツリー

樹高が高いので私のコンデジで精一杯の写真。別名と学名の種にチューリップ似のとある様に、花はチューリップの様でオレンジの模様が可愛さを増してますが、大概の人は花が咲いているのに気付いていないのですよ。

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朝起きて腕を挙げ「あぁ~良く寝た。すっきり爽やか」風なCMが頭に残っているのですが、私はそう云う気分を味わった事がなく、睡眠も快眠と云う言葉がある様に、本来そう云う体験が出来るのでしょうとは思うものの「あぁ~、一度で良いからそう云う経験をしてみたい」と、寝ている時でなく起きている時に夢を見るのです。

今朝は天気も良く暑くもなくて散歩日和ですが、寝覚めた時には身体の疲労感と怠さと、筋肉の萎縮が原因だろうと思いますが筋肉痛とコリと、冴えない頭とで、きっと薬も抜けていなかったのでしょう惰眠を貪りましたが、それで和らぐ訳でもなく何処かで眠っている気力を起こして、絞り出して、寝床から這い出してくるのです。

端から見たらきっと自堕落だと思うでしょうし、正常な自分が見てもきっと眉を顰める有様だろうとは想像ができます。私は局所的な痛みは多分人様よりも我慢強い方だと自負しておりますが、全身症状はどうにもこうにもなりません。悟空の様にスーパーサイヤ人へと変化出来やしまいかと羨む事すらありますが、凡人ですからね。逆に達磨大師の様に何年も動かず居れば、或る時ふと何事も無かったかの如く治癒するんじゃないかしらと思いを馳せる事もあります。

時に症状に抗い、時に受け入れ、私の気分も安定していませんが、例えば登山も高い山ほど空気も薄くなり自然に抗うけれども、天候の変化に合わせビバークするのは至極当然ですから、気分が安定していないと記したものの、翻せば上手く立ち振舞っているのかもしれません。と、ポジティブに考えて於きましょう。

で、私には判りませんがCMの様に起きた時にすっきり爽やかって、あれって本当にそう云うシチュエーションがあるものなのですか?CM特有の誇大な妄想ですよね?

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大阪の准看護師の戸籍を奪ったとマスコミで報じている様ですが、俗には「背乗り(はいのり)」と呼ばれていて、コミンテルンが主に使っていた手法ですから、今更感がします。某大臣経験者もそうなのではないかとか、国会議員の中にも疑われている人が何人もいます。大韓航空機爆破事件の容疑者も拉致被害者である田口八重子さんを名乗って事件を起こしたのであって、そう云う工作は以前からありましたし、未だそう云う手法が途絶えていない左証でしかありません。通名も問題ですし、報道も恣意的なのか通名報道したりして日本人の犯罪と認識させたい様ですから、要注意です。

そう云う実態を見て見ぬ振りしてきたツケは相当払って来たやに思いますが、GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)にどっぷり浸かった世代の力が弱まって来たのか、日本を敵視しそう云う工作する力が弱まって来たのか、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の一環なのか、表に出る様になった事は半歩前進したとマスコミを褒めて於きましょう。一昔前だと、遺体が見つかったとだけ報じて核心部分は封印だったでしょう。週刊誌なら報じたかもしれませんがゴシップ扱いでしたからね。昨今、大手新聞よりも週刊誌の方が取材していて、信憑性が増していると感じるのは私だけでしょうか?

習近平は1953年生まれですから、戦後世代で戦争を生身で知っている訳ではなく、朴槿恵もまた1952年生まれで、物心付いた時には朝鮮戦争も休戦(1953年)でしたし、自分達が経験もしていない戦争の責任云々とは、リアリストとは思えず、儒教が影響しているのかもしれませんが、私世代には「ウザッタイ」との感想しか持ち得ません。何処が「未来思考」やねん、とな。

嘘をばらまき、それがバレて、大恥かいて、頭下げて謝るまで国交断絶すれば良いんです。そんな国に媚び諂い、国益を損ねても尚同じ道を邁進する文字通りの「売国奴」は其々贔屓の国に無償で差し上げて、その国に煮ようが焼こうが好きな様にして貰うのが、子々孫々に禍根を残さない道です。その際には、国籍剥奪して日本に工作員として舞い戻って来ない様にして欲しいものです。

日本共産党は、定義としてある共産主義とはちと趣(おもむき)が違いますから、一概には言えませんが、共産主義を信奉するのなら共産主義国へ帰化すれば良いのじゃないですか?私が近衛文麿を嫌いなのは、すっかりコミンテルンの罠にかかって敗戦の一翼を担ったからです。

日本社会党も名を変え社会民主党(社民党)となり、社会主義と民主主義の混在の社会民主主義を掲げていますが、北朝鮮が朝鮮民主主義人民共和国と名乗り、政治体制は朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法のもとですから、北朝鮮とシンパシーが合いそうですね。北朝鮮でご活躍なされば宜しいのに。

とは思うものの、日本が居心地良いのでしょう。もしそうなら、主義主張など絵空事を言っているのではないですか?こう云う事を書くと私が「右翼」扱いされそうで嫌なのですが、私はそう云うイデオロギーを持ち合わせておりません。

以前、彼の国の法律やら世界情勢の変化で日本でも犯罪が増えますから気をつけて下さいねと記したと思いますが、連続放火や詐欺や殺傷事件やらと、犯人が捕まった事件ですら物々しくなってきた気配がします。そう云う小物は逮捕されても、巨悪の権化はまだまだ潜んでいる様ですから、万が一と油断なさらぬ様お願いいたします。「平和憲法」なんてお題目唱えている間に足下の平和が揺らいでおります。

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其々の国で読まれているベストセラーとは?
アメリカ「新約聖書」
イスラエル「旧約聖書」
イスラム諸国「コーラン」
日本「漫画」
中国「毛沢東語録」

結論:世界で読まれているのはファンタジーばかりである。

斎墩果

2014-05-23 12:30:52 | 花木


エゴノキ - 斎墩果
・分類 エゴノキ科エゴノキ属の落葉小高木
・学名 Styracaceae Styrax japonica
・原産 東アジア
・花期 5月~6月
・樹高 5m~7m
・ 雌雄同株
・同属 ハクウンボク、アンソクコウノキ
・別名 チシャノキ(萵苣木)、チサノキ、ロクロギ(轆轤木)

新しいAGP植物分類体系では科より上位の「目」がカキノキ目からツツジ目に移されているそうです。漢字は元はオリーブの漢名だそうですがそう云う事例は沢山ありますし、分類も結構アバウトなのですから、誤用としても今更感があります。材は将棋の駒に使われる様ですよ。

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度量衡法(どりょうこうほう)も日本は尺貫法を国際標準に合わせメートル法に移行しましたが、未だメートル法を採用しないヤード・ポンド法を維持している大国があります。そうです、アメリカです。アメリカもメートル条約加盟国ですが慣習として堂々と反古にしており、航空機もフィート、自動車もマイル表示。民主主義・資本主義を戦争・紛争を起こしてまで押し売りする癖に自国の慣習は譲らないエゴイズムも相当頑固です。あぁいや、エゴノキと掛けている訳ではありません。

誤用としても今更感...と私が感じるのも、そんな思いもあり、別に誤用であろうと日本で通用するのならそれで良いじゃないですか。別に中国人相手に書いているのではないし、中国人と云っても多民族多言語ですから、中国全土で斎墩果をオリーブと認識しているとは到底思えません。日本だって地方によって呼び名が違ったり、魚もまた地方地方で違いますからね。

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【DECO*27】愛迷エレジー feat. marina【Music Video】




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大飯差し止め判決も賛否両論ありますが、事故前だったら有り得ない判決。厚木基地の夜間早朝飛行差し止め判決は、自衛隊機より五月蝿い米軍機は認めず(乱暴だけど、パトカーも救急車も夜間禁止にしないのは何故?)。書きたい事は山ほどありますけれど...。司法に一貫性も客観性もありませんなぁ。翻せば主観的判決としか言いようがない。シチュエーションは違えどもエレジーを想起させYouTube映像を張りました。

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「父ちゃんっ!酔っ払うってどう云う事?」
「ほぉ、そこにある2つのコップが4つに見えたら酔っ払ってるってこった」
「父ちゃんっ!コップは1つだよ」

銭葵

2014-05-22 15:50:06 | 花木


ゼニアオイ - 銭葵
・分類 アオイ科ゼニアオイ属の多年草
・学名 Malvaceae Malva
・原産 地中海沿岸
・花期 5月~8月
・草丈 60cm~1.5m
・同属 フユアオイ、ウサギアオイ、ウスベニアオイ

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昨日の鉄棒の逆上がりに関してちょっと判り辛いかなと追記します。鉄棒に乗かって、身体をくの字にして釣り合うのはお臍(へそ)辺りです。子供なので頭が重いから臍からみぞおち辺りとの間でしょう。そのバランスの取れた状態から上半身を乗り出せば前廻りします。腕を縮め下半身が重たくなれば逆に振れ逆回りしますが、それだと怖くて着地してしまいます。逆上がりさせるには腕の力で垂直に身体を保てるのなら、鉄棒を中心軸に少し反動を付けて足を前に振り上半身と下半身が90度以下になる時に膝を曲げれば比較的安全に逆回りが出来ます。逆回りが出来れば子供はコツを掴みます。鉄棒にお臍辺りを近づけないと逆上がりが出来ない事が判れば、子供也に自分で方法を見つけます。

私は小学校の頃には柔道をしていましたから、腕の筋肉も腹筋もそれなりに付いていたのでしょう。飛び上がらないと届かない高い鉄棒にぶら下がり、腕を伸ばしたままでも其処から足を上げて、逆さになる事が出来ました。後は腕を曲げ鉄棒を臍まで引き上げたらくるりと廻り、結構自由自在に廻る事が出来たものです。勿論、誰から教えられた訳でもありません。理論など教育課程で後から知っただけの事でしかありません。逆上がりは幼稚園に入る前から出来ていましたし、補助輪無しの自転車も幼稚園の頃からで、中学の頃は手放しで交差点もバランスだけで曲がれたものです。ブランコも大きく振って柵を飛び越えるなど普通に出来ました。

こう云う事を記すと、危ない事を勧めるのかと思う方も多いでしょう。私はそう云う、あれ駄目、これ駄目、危ない、やっちゃ駄目と子供の可能性を大人が潰しているのだろうと思っていまして、自分の責任逃れの為に子供に制限を掛けているのであって、昨日記した逆上がりの為のスロープだって、私達は熱心に教育していますよと云う大人側のアピールに過ぎないと感じてしまうのです。

運動神経が優れているのよと言われた事もありますが、私はそうは思っていません。どんな子でも何がコツなのか教える事が出来れば、子供は自分で考えそのコツをどう実現するのか試行錯誤する筈です。そのプロセスが大事なのであって、それをさせない、或は自分で諦めるから出来ないのであって、諦めないで出来た時の達成感と喜びを得る機会を与えるのが大人の努めだと思います。

運動神経が優れているもレッテル張りであって、其処で出来る子出来ない子と大人が壁を作っているのであって、私は褒められても嬉しくもありませんでした。何度も記しますが、逆上がりの為の補助具も出来ない方法を教えてどうしたいんだよ!と相成ります。

小学生の頃だったと思います。何処か忘れましたが運動公園に親と行った時の事でした。TBSがやっていた「サスケ」の子供用レク施設です。順番に色んな遊具をこなす物ですが、私にはツマラナイ物でした。先に進んで行くと途中で行列になって順番待ちをしていたのですが、2m程の木造で60度位の傾斜にロープが垂れ下がっているだけの物でした。が、ロープに掴まってジタバタしているから其処だけ行列になっていたのであって、私の順番になってロープを手繰り乍ら歩いて昇っただけですが、行列の親達が拍手するから恥ずかしくって、自分の親がどう云う心境でいるのか冷静に目を向ける気になれず、次の子もやはりジタバタしているので手を差し伸べましたが、目が手助け不要と睨んでいた様ですから、私は次へと。

昨日記しました様に私は小学校の頃は徒競走も早くなく、至って運動神経が優れているという訳ではありません。故に、廻りの見知らぬ親達が拍手するのが解せなく、私には奇異な感触しか残りませんでしたし、それで自分の親から褒められた記憶もありません。腕の力だけでロープを手繰り自分の体重に加え坂に身体を預けたら摩擦抵抗もありどう考えたって論理的ではなく、私の様に足も使う他ありますまい。そんな事は遊びの中から経験的に判っていた事であり、運動神経とは別でしょうが、だから拍手の意味が私には解せません。

物心ついた頃から母親は厳しく、負けるな負かして来いと云う気性の荒いタイプで、私とは相性が合いません。勝ち負けよりも皆が喜ぶ方が自分も嬉しいのは、責任感の強い父親に近いのかもしれません。前述、拍手も恥ずかしく、人に褒められても特段嬉しくなく、極々当たり前の事なのに何故に廻りが騒ぐのか理解出来なかったのを父親は良く観ていたのでしょう。振り返ってみると絵画で賞を取っても淡々と表彰状を貰うだけですが、父親は自分の絵が展示されている所を調べては私を連れて行き、褒めるでなく、何かを私に気付かせようとしていた様に思います。生憎、それは聞きそびれてしまいました。自分の絵よりも、他の子の絵を見る方に興味が行ってしまい、父親の思惑そっちのけでしたから、父親も少し残念だったかもしれません。それでも怒ったりはしませんから、優しい父でした。

そう云う父親も人里離れた山の中育ち、学校も1里は離れていたそうですから、雨でも雪でもそう云う山道を通って来た人ですから、前述、私への拍手も私同様怪訝に思った事でしょうとは想像がつきます。

そう云う事を総合して考えますと、やはり子供が逆上がりも出来ないとは、大人の責任ですね。大人が子供の可能性を制限しているのだろうと思います。

子供は叱るより褒めてあげて下さいな。

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先生が教室に入った時に、2人の少年が言い争いをしていた。

先生「何を言い争っているの?」
少年「俺達は10ドル札を見つけたんだ、それで、大ウソを付いた人がこの10ドル札を貰えることにしたんだ」
先生「君達は恥ずかしいと思わないのか?私が君達くらいの年頃には、嘘が一体何なのかも知らなかったぞ!」

10ドルを先生に渡した。

以呂波紅葉

2014-05-21 23:24:23 | 花木


イロハモミジ - 以呂波紅葉
・分類 カエデ科カエデ属の落葉高木
・学名 Aceraceae Acer palmatum
・原産 東アジア
・花期 4月~5月
・樹高 ~15m
・ 雌雄同株
・同属 ベニシダレ、アオシダレ、チリメンカエデ
・別名 イロハカエデ、タカオカエデ、コハモミジ

何時もは花を掲載しますが、今回は実です。実も翼果(よくか)と云い、風に乗って遠くへ飛ばされる様な構造をしています。風が強い日に撮ったので少しピンぼけですが、ご愛嬌。

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昨日は記した通りに気分も撃沈し、暫く休もうとは思ったのですが、思っていた程落ち込まずに...。

翼果若しくは翅果(しか)と云いますが、はてさて誰が考えたのでしょう...とは人為的、きっと永い永い年月を経てそう進化したのでしょうし、実る季節も風の吹く季節をも知っているかの様で、私はとてもとても、「物」として見る事は出来ません。時折記しますが、木も草も「生命」であり、木を擦ったりして生きている事を肌で感じたりします。

故に木を駄目に、殺す様な剪定は私は伐採と呼びますし、使う人の気持ちを考え乍ら作った物を軽々と破壊する様な映画はやはり眉を顰めて見てしまいます。そう云う心持ちからも、作り物の奇跡の一本松などくだらないと思いますし、提示した様に2代目一本松を植樹した方が1代目の物語が自然と残るのではないかと、それが3代目、4代目と代替わりしても物語は風化しない方法だと記しました。

それが、日本人が代々受け継いで来た「心」なのではないのかと熟熟思います。

そう云う日本人の受け継いで来た「心」も、段々と海外の方にも理解されて来ている様ですが、日本人が忘れかけている気がしてなりません。私が、思っていた程落ち込まなかったのは、そう云う日本人の「心」を忘れている世代に期待を寄せるよりも、若い世代に目を向けようと心変わりしたのかもしれません。

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何時だったか鉄棒の逆上がりも教えられないと記しました。腕を伸ばしたままじゃブランコが一周しないのと同じだとまで記しました。ヒントは記しましたがそれ以上記さなかったのは、自分で考え考え、考え抜いて理解出来た時の喜びを感じて欲しかったからですが、どうでしょう、そう云う喜びを感じた方はいらっしゃったでしょうか。

先日、その逆上がりも教えられないと私が嘆いた小学校、呆れた事に逆上がりの為の補助具を設置していました。鉄棒の側にスロープを設置したのですが、それも離れた位置に固定してあるから私は呆れました。Stupid !!!

見た時には頭を搔き毟りたくなりましたよ。情けない...。そこから連想出来るのは、片方が短いシーソー、釣り合わない程長い支点のやじろべえ。一体、どう云う教育がなされているのだろうかと、暗い気分になりました。

浅田真央ちゃんが活躍していたのでフィギュアスケートでスピンも見てるでしょう。手や足を伸ばして廻っていても、中心軸となる身体に寄せると早く廻る様になるじゃぁないですか。慣性モーメントなんて難しい理屈なんて必要無いんです。

鉄棒にへそを近づけなけりゃ逆上がりは出来ません。体操の選手じゃないんだから。腕を伸ばしてぶら下がっている時点でいくら弾みを付けても出来ませんし、前述スロープも腕を延ばさなきゃ使えない位置にスロープを固定するなど...Stupid !!!

腕の力があれば逆さにした体勢から腕を曲げるだけでくるりと廻ります。或は足を廻りたい方向へ曲げるだけ。腹筋の力があれば、鉄棒に腕を伸ばして乗っかって(前廻りする体勢)、足を90度以上に挙げるとくるりと廻ります。どちらもへそ(身体の重心)を鉄棒にくっ付け身体を丸めるだけです。

こんな事は誰から教えられた訳でもなく自然と出来たものですが、自分には出来ないと諦めるのか、(学校だけでなく親も含め)教育課程で出来ない子と烙印押されているからか、子供自身が壁・限界を作っちゃってるんだろうと察します。

初めてアイススケートをした時も、誰から教えられる訳でもなく数時間でスピンも出来る様になったものです。中学の時は陸上をしましたが、皆に踏切線を合わせると、幅跳びも着地の砂場を飛び越えて...、ハードルも先輩から奇麗なフォームとべた褒めされ、ツマラナイから、一番苦手で苦しい(肺活量が人の半分しかない)長距離を選びました。小学校では徒競走も全然早くなく、何時も中間でしたが、やる気になったらとことんやりますから1年の秋の体育祭の1,500mでは2番手を半周以上の差を付けてゴールし、自分のクラスに戻ったらクラスメイトが舞い上がり胴上げされちゃって。

でもね、その時その時は力振絞っても「これ以上は無理」と云う限界は感じた事がないんです。大学生向けの参考書を読み乍ら、色んな走法も試したりして、ピッチ走法で走ったら後輩が興奮しちゃってあんな早いの見た事ない!ってはしゃいでましたけど、足が短いから全然タイムが伸びないので、私はストライド走法の方が伸びるし、或はミックス出来やしないかと練習したものです。

そう云う経験もあって、為末大(400mハードル日本記録保持者)のと或る大会のインタビューで限界と云う壁を作らない人だと察し、まだまだ記録を伸ばすと思っていました。試合に挑むのに、例えば1位になると云う目標を設定したら記録は生まれません。記録もコンマ1秒でもと目標設定してしまうとそれが足枷となるのです。人に言わなくてもいいので、100m8秒で走ってやる位の気持ちがないと記録は抜けません。チーターに勝つくらいの気持ちがないと。末續慎吾や朝原宜治も同じく壁を作らないタイプだから結果がある訳で。

中一で父親を亡くし人生が大きく変わってしまいましたが、別段グレる訳もなく一応真面目に生きて来たつもりですし、どんな仕事でも自分に壁を作らない様には心掛けて来ました。

誰だって、自分で壁を作らず、作ってしまったのなら諦めず乗り越えれば、前へ進めますよ。

(´ー`)y━・~~

Hey,boy stand up stand up
never give up never never give up stand up
Hey,girl stand up stand up
never give up never never give up stand up

舞花「Never Never Never give up」を聴き乍ら...。