Tosh!'s Blog

ただ生きるな善く生きよ(ソクラテス)

銭葵

2014-05-22 15:50:06 | 花木


ゼニアオイ - 銭葵
・分類 アオイ科ゼニアオイ属の多年草
・学名 Malvaceae Malva
・原産 地中海沿岸
・花期 5月~8月
・草丈 60cm~1.5m
・同属 フユアオイ、ウサギアオイ、ウスベニアオイ

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昨日の鉄棒の逆上がりに関してちょっと判り辛いかなと追記します。鉄棒に乗かって、身体をくの字にして釣り合うのはお臍(へそ)辺りです。子供なので頭が重いから臍からみぞおち辺りとの間でしょう。そのバランスの取れた状態から上半身を乗り出せば前廻りします。腕を縮め下半身が重たくなれば逆に振れ逆回りしますが、それだと怖くて着地してしまいます。逆上がりさせるには腕の力で垂直に身体を保てるのなら、鉄棒を中心軸に少し反動を付けて足を前に振り上半身と下半身が90度以下になる時に膝を曲げれば比較的安全に逆回りが出来ます。逆回りが出来れば子供はコツを掴みます。鉄棒にお臍辺りを近づけないと逆上がりが出来ない事が判れば、子供也に自分で方法を見つけます。

私は小学校の頃には柔道をしていましたから、腕の筋肉も腹筋もそれなりに付いていたのでしょう。飛び上がらないと届かない高い鉄棒にぶら下がり、腕を伸ばしたままでも其処から足を上げて、逆さになる事が出来ました。後は腕を曲げ鉄棒を臍まで引き上げたらくるりと廻り、結構自由自在に廻る事が出来たものです。勿論、誰から教えられた訳でもありません。理論など教育課程で後から知っただけの事でしかありません。逆上がりは幼稚園に入る前から出来ていましたし、補助輪無しの自転車も幼稚園の頃からで、中学の頃は手放しで交差点もバランスだけで曲がれたものです。ブランコも大きく振って柵を飛び越えるなど普通に出来ました。

こう云う事を記すと、危ない事を勧めるのかと思う方も多いでしょう。私はそう云う、あれ駄目、これ駄目、危ない、やっちゃ駄目と子供の可能性を大人が潰しているのだろうと思っていまして、自分の責任逃れの為に子供に制限を掛けているのであって、昨日記した逆上がりの為のスロープだって、私達は熱心に教育していますよと云う大人側のアピールに過ぎないと感じてしまうのです。

運動神経が優れているのよと言われた事もありますが、私はそうは思っていません。どんな子でも何がコツなのか教える事が出来れば、子供は自分で考えそのコツをどう実現するのか試行錯誤する筈です。そのプロセスが大事なのであって、それをさせない、或は自分で諦めるから出来ないのであって、諦めないで出来た時の達成感と喜びを得る機会を与えるのが大人の努めだと思います。

運動神経が優れているもレッテル張りであって、其処で出来る子出来ない子と大人が壁を作っているのであって、私は褒められても嬉しくもありませんでした。何度も記しますが、逆上がりの為の補助具も出来ない方法を教えてどうしたいんだよ!と相成ります。

小学生の頃だったと思います。何処か忘れましたが運動公園に親と行った時の事でした。TBSがやっていた「サスケ」の子供用レク施設です。順番に色んな遊具をこなす物ですが、私にはツマラナイ物でした。先に進んで行くと途中で行列になって順番待ちをしていたのですが、2m程の木造で60度位の傾斜にロープが垂れ下がっているだけの物でした。が、ロープに掴まってジタバタしているから其処だけ行列になっていたのであって、私の順番になってロープを手繰り乍ら歩いて昇っただけですが、行列の親達が拍手するから恥ずかしくって、自分の親がどう云う心境でいるのか冷静に目を向ける気になれず、次の子もやはりジタバタしているので手を差し伸べましたが、目が手助け不要と睨んでいた様ですから、私は次へと。

昨日記しました様に私は小学校の頃は徒競走も早くなく、至って運動神経が優れているという訳ではありません。故に、廻りの見知らぬ親達が拍手するのが解せなく、私には奇異な感触しか残りませんでしたし、それで自分の親から褒められた記憶もありません。腕の力だけでロープを手繰り自分の体重に加え坂に身体を預けたら摩擦抵抗もありどう考えたって論理的ではなく、私の様に足も使う他ありますまい。そんな事は遊びの中から経験的に判っていた事であり、運動神経とは別でしょうが、だから拍手の意味が私には解せません。

物心ついた頃から母親は厳しく、負けるな負かして来いと云う気性の荒いタイプで、私とは相性が合いません。勝ち負けよりも皆が喜ぶ方が自分も嬉しいのは、責任感の強い父親に近いのかもしれません。前述、拍手も恥ずかしく、人に褒められても特段嬉しくなく、極々当たり前の事なのに何故に廻りが騒ぐのか理解出来なかったのを父親は良く観ていたのでしょう。振り返ってみると絵画で賞を取っても淡々と表彰状を貰うだけですが、父親は自分の絵が展示されている所を調べては私を連れて行き、褒めるでなく、何かを私に気付かせようとしていた様に思います。生憎、それは聞きそびれてしまいました。自分の絵よりも、他の子の絵を見る方に興味が行ってしまい、父親の思惑そっちのけでしたから、父親も少し残念だったかもしれません。それでも怒ったりはしませんから、優しい父でした。

そう云う父親も人里離れた山の中育ち、学校も1里は離れていたそうですから、雨でも雪でもそう云う山道を通って来た人ですから、前述、私への拍手も私同様怪訝に思った事でしょうとは想像がつきます。

そう云う事を総合して考えますと、やはり子供が逆上がりも出来ないとは、大人の責任ですね。大人が子供の可能性を制限しているのだろうと思います。

子供は叱るより褒めてあげて下さいな。

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先生が教室に入った時に、2人の少年が言い争いをしていた。

先生「何を言い争っているの?」
少年「俺達は10ドル札を見つけたんだ、それで、大ウソを付いた人がこの10ドル札を貰えることにしたんだ」
先生「君達は恥ずかしいと思わないのか?私が君達くらいの年頃には、嘘が一体何なのかも知らなかったぞ!」

10ドルを先生に渡した。