「胴吹き桜(どうぶきざくら)」と云います。枝に咲く桜も満開だと壮観ですが、幹からちょっこりと、私も大きな組織に組み込まれるのが嫌いな逸れ者だからか、写し鏡の様に感じるのか、胴吹き桜が好きなんです。桜は根を大きく張り、地面に迫出していたりしますが、其処からも胴吹き桜が咲いていたりする事も。地面近くで枝分かれするのを孫生え(ひこばえ)と云いますから、孫生え桜と呼ぶべきなのでしょうかねぇ。ともあれ、甚く生命力の強さを感じるものです。
このBlogを読んで下さっている方々にはご承知かと思いますが、私は京都市生まれ。社寺仏閣の多い土地柄の京都では樹木も大事にしているやに思いますし、剪定も樹木を痛めない様にされていたと思います。京都を離れて長いので現在を知りませんが、時折見るネットの映像でも脈々と続いている様に思えます。私はプロではないですが、こちらでは剪定と呼べるものではなく、其処を切っちゃ駄目でしょうと心を痛める事多し。勿論、プロと呼ぶに相応しい仕事をされる業者さんもありますが、木を植える時から育った後の事すら想像出来ずに無造作に植え、育っては邪魔になるからばっさりと太い幹まで切る始末。剪定と伐採の間の言葉が無いのですが、樹木を殺す様な剪定は私は伐採だと言うほかありません。元来そう云う言葉も必要とせずして樹木との関わり方をして来たのが日本人だと思うのですが...。
奇跡の一本松を不自然な、人工的に保存するなんて私には理解出来ません。其処に埋め、その土地の土に帰してあげる上で、記念樹でも植えてあげれば良いのにと私は思います。「二代目一本松」と名が付けば、一代目の物語が後世に語り継がれる切っ掛けになったものを...。人工物じゃ廃れたら撤去してお終いとなりはしませんかねぇとも思います。
ユネスコの世界(文化)遺産にも登録された白川郷の合掌造りの家、山間(やまあい)の風を去(い)なす様に建屋の向きにも気を使い建てられています。更にあの重たそうな屋根は、地元の強風に依って曲がって育った「根曲がり」と呼ぶ木を使い、梁のくぼみに乗せているだけで固定していません。固定しない事で揺れ、強風も去なす構造です。只只、景色が良いだけではないのです。
震災の時には東京の高層ビルも大きく揺れ、YouTube動画に海外からも色々なコメントが寄せられて居り、「怖すぎる」から「日本の技術は凄い」まで捉え方も様々です。阪神・淡路の時は古いビルが倒壊しましたが、日本ならではの真似るだけでない創意工夫があるのです。
それに関して或る方のBlogで五重塔の免震構造を紹介されていました。京都と法隆寺を混同されていたと記せば、判る人には判るでしょう。ミスを論(あげつら)っているのではありませんよ、念の為に。私だって勘違いするし。さて、私の父親は仕事の関係で京都・東寺の五重塔の天辺に登っていて、幼い頃に聞かされ既に知っていました。五重塔の天辺には相輪(そうりん)と云う突起物があります。地上から伸びる心柱の先に相輪が装飾されていて、心柱と塔の建物とは接していませんから揺れるのです。釘を使わない木組み構造やら軒反り構造の屋根やら、全て相まって地震で倒壊しない様に適度に撓(しな)る、或は撓(たわ)む技術がてんこ盛りなのです。真似るだけでない創意工夫があると記しましたが、改修はあれども千年以上も現存するお手本を先祖が残して下さっているのです。
先述の白川郷の合掌造りも同じ考え方。自然の力を恐れ敬い、封じ込めようとせずに、「柳に雪折れなし」と去なすのが古来から日本人が受け継いでいるDNAなのではないでしょうか。
西洋かぶれらが「防ぐ」意味を履違えている気がするのは私だけでしょうか?
消波ブロック、否否、波を消してないし。防波堤・防潮堤、否否、津波は海が迫り上がるのだから乗り越えられるし。防犯課、なんのこっちゃ!?防震と云う言葉がなくて、せいぜい防振に留まっているのがせめてもの救いかな。
難攻不落のトロイが陥落したのも結局は人間の傲りだよ。
(´ー`)y━・~~
係員「貴方は毎日エッフェル塔に来てらっしゃる。よほど此処がお好きなんですね」
老人「わしはエッフェル塔など好きではない。寧ろ嫌いじゃ」
係員「何故嫌いなのに来ていらっしゃるんですか?」
老人「此処からはエッフェル塔が見えん」