鶏屋toriyaです。
今回の話題は、下のお寺が中心の話題です。クリックして下さればわかるのですが、天皇家にまつわるお寺です。というありきたりの説明しか出て来ません。
泉涌寺 仏殿(重要文化財) 所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27 位置 北緯34度58分41.59秒 東経135度46分52.76秒 山号 東山(とうざん)、泉山(せんざん) 宗派 真言宗泉涌寺派総本山 本尊 釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来 創建年 伝・斉衡3年(856年) 開基 伝・神修上人 別称 御寺(みてら) 札所等 真言宗十八本山8番洛陽三十三所観音霊場20番(楊貴妃観音堂)京都十三仏霊場6番 文化財 泉涌寺勧縁疏、附法状(国宝)大門、仏殿、木造観音菩薩坐像ほか(重要文化財)
天皇ゆかりの由緒正しきお寺。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※ところが、少し探って見ると 『 天皇家の菩提寺 』 だという事がわかって来ます。
あんた、頭がいかれてんじゃないの? 『 天皇家の宗教は 神道 』じゃないか! 『 昔から国家神道 』 で、 『 天皇は現神( 神様 ) 』で、戦時中の兵隊は、靖国で会おう! と言って天皇陛下バンザイ!と言って死んでいったんだぞ!と大声で怒鳴る中高年や、こいつ○○○だな、とバカにする一般人の皆様。
まあそう言わずに、次をクリック。( 笑 )
歴代天皇の位牌を祀る「皇室の菩提寺」とは All About
<一部抜粋>
泉涌寺が菩提寺となったきっかけは、1242年に四条天皇の葬儀がこの寺で行われたことから。それ以降、室町時代前期の後光厳天皇から孝明天皇にいたるまで、歴代天皇の葬儀は泉沸寺で行われることになります。
また裏手の墓所は月輪陵と呼ばれ、江戸時代は陵墓として土葬されていました。
明治維新以降、月輪陵は宮内庁の管轄になりましたが、歴代の天皇の位牌や尊像は今もなお泉沸寺に祀られています。
<引用終わり>
頭がふらふらしませんか?
聞いた事がありませんよね。歴史教科書のどこを見ても出て来ません。
でも、ちゃんと書かれてる。しかも、テキストの代名詞 All About に。なんでみんなに知らされてないの?と疑問がわくでしょう。
そりゃぁそうでしょう。みんなに知られると都合が悪いからです。
国家神道の代名詞が天皇で、天孫降臨に始まる日本書紀や古事記の記述、はたまた伊勢神宮や明治神宮・靖国神社との整合性が崩れるからです。
いつから崩れるのか? ピン!ときたあなた!するどい!
京都の菩提寺( 歴代天皇が眠る墓 )をそのままにして、あっさり遷都を実行し、王政復古の大号令を下し、敵対勢力の本拠地に住居を構えられた偉大な明治天皇陛下 からでありまするぞ!( ※ 彼の父の孝明天皇までの墓がある。それ以降は位牌や尊像のみ! )
月輪陵・月輪陵内には多くの皇族が眠っている
この菩提寺に関する疑問は、さまざまな不合理に行き当たる。『 北朝の流れを汲む天皇家 』であるが、皇居内に南朝の守護神である楠正成公の騎馬像が寄贈され威風堂々と構えているのである。私も以前取り上げたことがある、歴史教科書への提言、
天皇家の歴史ー 「 明治天皇替え玉論 」
http://blog.goo.ne.jp/toriya_2005/c/209a17eca9ee82d1ec397849c669b4b0
へとつながって行くのである。その他にもこの御仁や周辺 ( 明治天皇と周辺 )には不可思議なところがごまんと有るのだが、疲れたのでこの辺で。
また、気が向いたらほじくって報告します。 鶏屋toriya
今上陛下も、少年期キリスト教の家庭教育を受けています。
そもそも神道と他宗教を厳格に分ける理由は、神道の側にはそれほどありませんよね。釈迦であれイエスであれ誰であれ、普通の人間よりもレベルが高い人であれば八百万の神として受け入れますし。逆に言えばそれ以上にはなれないんですけどね。
仏教に関しては、一部の国家神道を崇拝する(つまり天皇崇拝)人達以外は、あまり気にしてないと思います。
キリスト教に関しては、もともと排他的な宗教ですから、日本人から敵視される危険を常に内包しています。
多くの日本人にとっては「和」が最上位概念ですから、二者択一的な態度は許されないでしょう。