存在することに意義

2021年06月08日 04時29分37秒 | 創作欄
2015-06-28 07:17:00 | 創作欄
 
沼田一郎は27歳になっていた。
日本医学協会の会長で癌研究所長であった吉田富三先生の言葉が念頭から離れずにいた。
「あなたは医学部出身ですか?」
「いいえ、大学は国文学科で、卒論は夏目漱石でした」
「そうですか。それなら、国文学を続けなさい」
沼田は医療ジャーナリストとして一人前になりたいと願っていたので、吉田先生の言葉が心外であった。
「沼田君が医療ジャーナリストとして、これから頑張っていくなら、是非、吉田富三先生に会って師事しなさい。私が君のことを電話で伝えて置くからね」と武蔵野日赤病院の神崎三益院長が道を開いてくれたのが25歳の時であった。
沼田が吉田富三先生を訪ねて大塚の癌研究所の所長室を訪ねた日、先客が居たのだ。
それが日本経済新聞社の記者であった。
沼田は人見知りをする質であり、寡黙でもあった。
正確に言うなら勉強不足であり、問題意識も欠如していたのだ。
日本経済新聞社の記者の質問に感心するばかりであった。
「これがマスコミの人なのだな」と萎縮する思いがした。
後で知ったのであるが、その記者は東京大学を出ていた。
沼田は学歴にコンプレックスを抱いていたので、「なるほど、東大卒は違うものだ」と変に納得してしまった。
その日、吉田富三先生とは森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介などの文学談義となった。
「一高時代に読みましたが、やはり大きな衝撃を受けたのが、ドストエフスキーの『罪と罰』でした。作品はしばしば、作者より雄弁に作者自身のことを語るものです」吉田先生はパイプをくわえ、窓の外に目を転じた。
窓の外には銀杏の舞い散るのが見えた。
「日本医学協会の役割は?」沼田は質問してみた。
「そうですね。存在することに意義があります」
「存在することに意義ですか?」
「そうなのです」吉田先生は大きな瞳を見開いた。
「吉田先生に学んでいこう」沼田は決意を新たにする思いとなり所長室を出た。

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