インド仏教はなぜ衰退したのか
インドが衰退した理由としてよく知られているのが、ヒンドゥー教に攻められたということです。
4世紀にインドに定着したヒンドゥー教は、同じくインドで信仰されていた仏教を攻撃したため、インドにおける仏教は衰退した。
(引用:『経済・戦争・宗教から見る教養の世界史』)
「やられたらやり返す」という考えを持たず、戦争を好まなかった仏教は、
攻撃によって衰退したというのです。
もし自分が仏法者でなければ、仏教がインドで衰退した理由はそれでいいのですが、自分が仏法者である場合には、このような環境要因だけで流すことはできません。
なぜなら仏教では、すべての結果には必ず因と縁があるからです。
因とは直接的な原因で、自分の行いのこと、
縁とは間接的な要因で、他人の行いや環境要因です。
この因と縁が、どんなことにも必ず両方あります。
しかも、他人の行いは変えることはできませんが、自分の行いは変えられるので、未来を変えるには、自分の行いを反省することが大切です。
以下で詳しく解説します。
インド仏教の歴史
まず、衰退するには一度は興隆しなければなりません。
一度は仏教はインド中に広まっています。
仏教はどのように始まり、インドに広まったのでしょうか。
仏教は約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまが、
35歳で仏のさとりを開かれて、
80歳でお亡くなりになるまで説かれた教えです。
お釈迦さまには十大弟子をはじめ、悟りを開いたお弟子が千人以上あり、
わずか45年間で爆発的に仏教は広まりました。
インド仏教の興隆の経緯
お釈迦さまがお亡くなりになると、
十大弟子の一人、大迦葉(マハーカッサパ)が
仏教の教団を率いてお経をまとめます。
これが第1回の経典結集といわれます。
経典結集(仏典結集)についてはこちらをご覧ください。
➾大迦葉(摩訶迦葉・マハーカッサパ)の妻子は?阿難と果たした重要な役割
そして多くの人へ伝えていきました。
それから約200年後、紀元前3世紀にインド史上最大の国を築いたアショーカ王は、
仏教に深く帰依して、第3回の結集を行い、
インドの内外に仏教を広めます。
アショーカ王について詳しくは下記をお読みください。
➾アショーカ王とは?ダルマで統治し今も石柱の残るインド最強の王・仏典を結集し仏教を世界宗教に
1世紀から北インドから中央アジアまで治めたクシャーナ朝のカニシカ王も、
仏教を保護して第4回の結集を行い、多くの人に広めました。
中インドのサータヴァーハナ朝では2世紀頃、
龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が現れ王家の帰依を受けて、
大乗仏教を理論化し、多くの人に広めます。
中国や日本では、龍樹菩薩は八宗の祖師といわれ、
多くの宗派から祖師と尊敬されています。
西暦320年にグプタ朝が建国され、北インドの広い範囲を統一します。
ところが、グプタ王朝は、身分制度を固定化するために、
それまで衰退していたバラモン教を国教にします。
そして民衆の俗信だったヒンドゥー教がバラモン教と融合して勢力を増していきます。
だからといって、仏教が衰退したわけではありません。
仏教もグプタ朝の保護を受けて発展していきます。
中国の三蔵法師・法顕は、399年に長安を出発してグプタ朝を訪れ、416年に帰国しています。
無著菩薩や世親菩薩も小乗仏教から大乗仏教に転向すると
グプタ朝の後の首都のアヨーディヤーで活躍しました。
また、法隆寺の壁画に似ているアジャンター石窟の観音菩薩の壁画も、
グプタ朝の時代に描かれたもので、インドの文化が花開いています。
5世紀頃から世界最古の大学といわれるナーランダー大僧院を建立したのもグプタ朝の歴代の王たちです。
仏教の中心地として数千人の僧侶が集まり最後まで仏教を支えました。
6世紀にエフタルが侵入してグプタ王朝は分裂してしまいますが、
大体それまでがインド仏教の最盛期で、千年以上もインド文化が興隆し、
東洋の文化の発祥地となりました。
インド仏教の衰退の経緯
6世紀にグプタ朝に侵入したエフタルのミヒラクラは、シヴァを信仰しており、
仏教を徹底的に破壊します。
それによってガンダーラや、4世紀に、『法華経』や『阿弥陀経』を翻訳した三蔵法師・ 鳩摩羅什が仏教を学んだカシュミールの仏教は、壊滅的な打撃を受けてしまいました。
7世紀に、西遊記のモデルになった三蔵法師・玄奘が
中国からナーランダー大僧院に留学した時も、
カシュミール一帯の仏教は荒廃していたと記しています。
7世紀のインドはしばらく無政府状態で混乱しましたが、
その頃から仏教では急速に祈祷を行うようになります。
やがて8世紀に入るとインドの北東部にパーラ朝が起こります。
仏教の盛んな地域は狭くなりましたが、パーラ朝の歴代の王は仏教に帰依し、保護しました。
二代目のダルマパーラ王は、西暦800年頃、密教の中心になったヴィクラマシラー寺を建立しました。
やがて10世紀以降、イスラム教がインドに入って来て、
悪貨が良貨を駆逐するように仏教はインドで衰退し、
大体12世紀頃に仏教は壊滅的な打撃を受け、
1203年にヴィクラマシラー寺がイスラム教徒に破壊されて滅亡したといわれます。
この時、ほとんどの僧侶は殺され、あとはネパールやチベットに逃げました。
ですが、インドに僧侶がまったくいなくなったわけではありません。
ナーランダーに住んでいた僧侶は70人くらいに仏教を説いていたと伝えられていますし、その他にも細々とは続いていたようです。
仏教が衰退した後のインド
インドの仏教が衰退してしまったことは、インドの人々にとっても大いに不幸なことでした。
その後のインドは、お釈迦さまがお亡くなりになる時、
『涅槃経』にこう説かれた通りになっていきます。
一切外学の九十五種は、皆悪道に趣く。
(漢文:一切外學九十五種 皆趣惡道)(引用:『涅槃経』)
「一切外学の九十五種」とは、仏教以外の宗教のことです。
これを仏教では「外道」といいます。
「皆悪道に趣く」とは、人々を苦しみの世界に落とす
ということですから、お釈迦さまは、
仏教以外のすべての宗教は、人々を苦しみの世界へ落とすと
説かれていたのです。
実際、お釈迦さまの遺言通り、仏教がなくなり、
ヒンドゥー教やイスラム教ばかりになってしまったインドは、
外国に征服されるようになっていきます。
19世紀には、キリスト教のヨーロッパから侵略され、
イギリスの植民地とされて搾取され、進歩発展が妨げられてしまいました。
現在では世界の三大宗教の一つに数えられる仏教。
インドでもバラモン教をしのぎ、あれほど栄えた仏教がなぜ衰退してしまったのでしょうか?
この衰退の経緯を考えると、一見、イスラム教徒が侵入して、寺院を破壊したことに大きな原因があるように見えます。
ところがそれは、仏教では縁であって因ではありません。
仏教では、すべての結果には必ず因と縁があると教えられています。
一切法は因縁生なり。
(引用:『大乗入楞伽経』)
「一切法」というのは、すべてのもののことです。
すべてのものは「因縁生なり」というのは、因と縁がそろって生じるということです。
因だけでも結果は起きませんし、縁だけでも結果は起きません。
すべてのものは、因と縁がそろって初めて生じるのです。
ですから、インド仏教が衰退したという結果にも、因と縁があります。
では、因と縁とは何かというと、
「因」は自分の行い、
「縁」は環境や他人の行いのことです。
ですから、インド仏教が衰退したのはイスラム教徒の攻撃によるというのは縁のことです。
縁だけでは結果は起きませんので、仏教徒側にも何か因があります。
縁だけを問題にすると、縁によって結果がすべて決まってしまい、自分にはなす術がないことになります。
それでは縁に縛られているようなものです。
仏教では自業自得なので、自分のたねまきを反省しなければ、どんな縁によっても崩れない継続した発展は望めません。
インド仏教が衰退した仏教徒自らのたねまきは何だったのでしょうか?
それには2つ考えられます。
1.国の保護を受け民衆の支持を失った
1つは国王の帰依を受けて、国の保護で大寺院を建立し、僧侶が生活していたことです。
僧侶は民衆に仏教を伝えなくても生きていけるため、僧院で高度な教えの研究に打ち込むようになります。
そして一般の人々にはそれほど仏教を伝えず、自分たちで難しい教えを論じ合うことに力を入れていたために、人々の支持を失ってしまったのです。
国家の支援だけで運営するようになると、国家の保護がある間は存続することができますが、国が滅ぼされると、それと共に滅びてしまいます。
やはり楽なことをしていると、それなりの報いを受けるのです。
では同じように国家の保護を受けていたヒンドゥー教は、なぜ滅びなかったのでしょうか。
ヒンドゥー教の場合はというと、それほど大きな寺院を持たず、民衆に浸透していたために、イスラム教徒が入って来ても、民衆を皆殺しにでもしない限り、壊滅させることができなかったのです。
このようなことからすると、人々の支持を失えば、いずれは滅びてしまうということです。
江戸時代の日本でも、徳川幕府の保護を受けて、寺が現在でいう戸籍などを発行する市役所のような役割を果たしていました。
そのため、新しい人に仏教を伝えて自分の寺に所属させることは禁止され、幕府の役人のようになってしまったので、人々の心が離れていきました。
しかも態度が偉そうだったため、人々の不満が募り、明治時代に入った時に廃仏毀釈の大弾圧で、仏教は大きなダメージを受けています。
また、現在の日本の仏教でも、仏教は非常に深いということで、大学で専門的な難しい研究をしているだけでは、人々の支持は得られないため、危険な状況にあります。
2.祈祷を取り入れて仏教の強みを失った
もちろん、民衆の支持を取りもどそうという努力がなかったわけではありません。
仏教の僧侶でも、危機感を持って何とかしようとしました。
それが、民衆に浸透しているヒンドゥー教で行っている儀式や祈祷を取り入れることです。
仏教では初めは人々の関心を引くつかみとして、方便として行い始めました。
ところが、お釈迦さまは、祈祷をしたり、
現世利益を祈ったりすることは説かれていません。
仏教の教えは、商売を繁盛させて、
お金を儲けるためのものでもなければ、
病気を治したり、縁結びや、子宝に恵まれるための教えでもありません。
色々な苦しみの根本原因を抜いて、
あるがままで、変わらない幸せになる
底知れず深い教えです。
ところが、
「儲かりますよ、病気が治りますよ」
という単純で程度の低い教えのほうが、多くの人に分かりやすく、
「悪貨が良貨を駆逐する」
といわれるように、広まっていくのです。
しかし、それで苦しみがなくなるわけではありません。
病気が治っても一時的で、また次の病気になりますし、
やがてすべての人が死んでいきます。
また、健康でお金があるのに、
幸せではない人はたくさんあります。
その、次から次へとやってくる苦しみの根本を抜いて、変わらない幸せにするのが仏教です。
仏教は「仏の教え」と書くように、教えが命ですが、その教えを自ら変えて仏教独自の強みを失い、ヒンドゥー教とあまり変わらない状態になって、力を失ってしまったのです。
日本は仏教が花開く地
今回の記事では、インド仏教が衰退した理由について、
一般的には他宗教に攻められてインド仏教は衰退したと見られていますが、もし自分が仏法者であれば、そのような環境要因だけでなく、インド仏教の変化にも原因を求める必要があります。
上記では自分が仏法者であるとして、衰退の理由を2つ解説しました。
1つは、国の保護を受け民衆の支持を失ったこと、
もう1つは、祈祷を取り入れて仏教の強みを失ったことです。
特に2番目の理由は、現代の日本でも同じ現象が起きています。
仏教を教えるはずのお寺で、
お釈迦さまの説かれなかった葬式や法事、先祖供養ばかりが行われ、
祈祷や、おみくじなどの占いをするところもあります。
さまざまな迷信も横行しています。
一方、人類が到達した最も深い教えといわれる、本来の仏教の教えを聞くことができなくなって、独自の強みを失っています。
葬式なら葬式業者には負けますので、仏教は急速に衰退の一途をたどり、仏教は滅亡寸前の危機的な状況にあります。
現代では、中国も共産主義となって仏教は衰退し、
韓国でも、キリスト教ばかりになって仏教が衰退しています。
今日では、世界最大の仏教国となっているのが日本です。
昔から日本は、「大乗相応の地」といわれ、
まことの仏教が花開くにふさわしい土地である、
ともいわれています。
仏教には、苦しみの根本原因を知らせ、
それを断ち切って、どんな人でも未来永遠の幸せにする、
底知れない深い教えが説かれていますので、
日本人の私たちが、この尊い教えを学び、
未来へ伝えていきましょう。
その、どんな人も本当の幸せになれる仏教の教えは、
一言では述べられないので、メール講座と電子書籍で、
分かりやすく学べるようにまとめてあります。
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。
仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。
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