人な何のために生きるの?

2021年06月08日 04時43分41秒 | 創作欄
2015-06-10 06:34:41 | 創作欄
 
梅雨入りの季節となった。
午前3時50分に家を出たが、雨模様に思われたので傘を持つかどうかと迷い玄関で立ちどまった。
だが、外へ出て空を見上げると三日月が輝いていたので安心した。
自転車が背後から来た。
始発電車に乗るのかもしれない。
轟音とともにダンプカーが2台行き過ぎる。
風圧で帽子が飛ばされる。
午前4時20分、月が頭上に輝いているのに、濃霧となってきた。
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濃霧は徹にとって苦い思い出につながった。
あのころの徹は創作家を目指していた。
大学時代に女性史の研究をしていたことがベースとなり「現代女性論」でも書こうかなどとも思っていた。
徹にとって女は、恋愛の対象ではなく、女性論の題材と思われていた。
なぜ、女性論であったのか?
16歳で自殺した高校の同級生だった大沢京子が残した言葉が忘れないでいた。
「人な何のために生きるの?」
図書館で徹は夏目漱石の小説「三四郎」を読んでいた。
詩人の萩原朔太郎に傾倒していた京子はその日も詩集を読んでいた。
「私、尼寺に行こうかな」京子は窓に目を転じながら呟くように言った。
銀杏の葉が風に吹かれ流れるように散った。
「ダメ、会えなくなるから、尼寺に行くのは止めて」と徹は懇願するように京子の横顔を見つめた。
京子のポニーテールに徹はルノアールの絵を重ね観た。
京子の祖母はフランス人であったので、徹は西洋の少女のような京子の面影を愛らしく思っていた。
京子は小顔で座高が低いので小柄に見えたが立ち上がると徹と同じ背丈であった。
京子が睡眠薬で自殺したのは3日後の夜中のことであった。
濃霧の中での教会の葬儀であった。




















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