「攘夷の精神」復活? 

2019年03月23日 12時23分50秒 | 社会・文化・政治・経済

 半藤一利さんが「軍事国家化」を危惧

歴史というのは、勝ったほうが自分を正当化するために改竄(かいざん)することが多い。

「明治維新」はまさにそうでした。

 私は昭和5(1930)年に東京の向島に生まれました。

小学校では皇国史観、つまり薩長史観によって近代日本の成立をみっちり仕込まれます。

ところが大人になっていろいろ調べるうちに、明治維新とは薩摩と長州が武力で政権を奪った一種の「暴力革命」で、「維新」という言葉を使い、自分たちを正当化し歴史をつくっているとわかったのです。

薩長史観がこの国を亡国に導いたんじゃないか、と。

 実際、日清・日露戦争、そしてそれに続く太平洋戦争を始めたのも薩長閥の連中です。

 日本は戦争に負けるまで「公侯伯子男」という爵位による身分制度がはっきりしていました。

華族となった人たちですね。出身地別に見ると、歴然とした差があります。

長州は75人、薩摩は71人と圧倒的に多く、会津は男爵になったのが5人いるだけで、わが先祖は長岡藩(新潟県長岡市)の出身ですが、ここからは男爵が一人、前島密(ひそか)が出ただけです。

 賊軍藩の出身だと、薩長閥によって非主流派に追いやられ、官僚としても出世できません。

官途(かんと)に就いて名を成した賊軍出身者はほとんどいません。

総理大臣なんて旧盛岡藩出身の原敬が出るまで、賊軍出身者は一人もいません。

ほとんど長州と薩摩出身者で占められていますよ。

 ところが、亡国の一歩手前でこの国を救ったのは賊軍の人たちばかりでした。

ポツダム宣言の受諾を決め昭和の戦争を終結させた首相の鈴木貫太郎です。けでなく貫太郎さんは関宿(せきやど)藩、今の千葉県野田市の出身で、賊軍でした。

貫太郎さんだ、日独伊三国同盟に反対し戦争終結にも尽力した海軍大臣の米内光政(よないみつまさ)さんや、最後の海軍大将の井上成美(しげよし)さんも賊軍出身でした。
実際、日清・日露戦争、そしてそれに続く太平洋戦争を始めたのも薩長閥の連中です。

 日本は戦争に負けるまで「公侯伯子男」という爵位による身分制度がはっきりしていました。

華族となった人たちですね。出身地別に見ると、歴然とした差があります。

長州は75人、薩摩は71人と圧倒的に多く、会津は男爵になったのが5人いるだけで、わが先祖は長岡藩(新潟県長岡市)の出身ですが、ここからは男爵が一人、前島密(ひそか)が出ただけです。

 賊軍藩の出身だと、薩長閥によって非主流派に追いやられ、官僚としても出世できません。

官途(かんと)に就いて名を成した賊軍出身者はほとんどいません。総理大臣なんて旧盛岡藩出身の原敬が出るまで、賊軍出身者は一人もいません。ほとんど長州と薩摩出身者で占められていますよ。

 ところが、亡国の一歩手前でこの国を救ったのは賊軍の人たちばかりでした。

ポツダム宣言の受諾を決め昭和の戦争を終結させた首相の鈴木貫太郎です。

貫太郎さんは関宿(せきやど)藩、今の千葉県野田市の出身で、賊軍でした。

貫太郎さんだけでなく、日独伊三国同盟に反対し戦争終結にも尽力した海軍大臣の米内光政(よないみつまさ)さんや、最後の海軍大将の井上成美(しげよし)さんも賊軍出身でした。
賊軍だった人たちは、戊辰戦争に負けて悲惨な経験をしています。戦争の悲惨さと、戦争の後に国民がいかに苦労するかを知っていたのではないでしょうか。終戦によって薩長史観が全否定され、華族もなくなりました。戦後、日本人は等しく焦土に立ちました。戦後73年は薩長史観とは別の見方をしないといけないと思っています。

 しかし、最近の日本を見ていると「攘夷(じょうい)の精神」が息を吹き返しています。

ヘイトスピーチが繰り返され、「日本はすばらしい」が強調され、日本人は優秀な民族であると強調されます。

これは攘夷の精神です。

自説ですが、日本人の精神の底にあるのは基本的に攘夷です。

島国だったから、他国から攻撃される危機感を常に持っていたのでしょう。

それがいま湧き出してきたのは、憲法という機軸をなくしたのが大きいと思います。

 戦後の日本には国家の軸がありました。平和で繁栄した国をつくろうという、国民の気持ちを一つにまとめる柱です。

それが憲法です。

しかし、安倍晋三首相は集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更に踏み出し、改憲の動きもあります。

いま安倍首相は憲法を変えて新しい国家像をつくろうとしています。

それは軍事国家だと思います。

 いま私たちは、民主主義国家であるか、それとも再び軍事国家に戻るかという選択を迫られているんじゃないでしょうか。

そのことを今の若い人に考えてほしいですね。

 私のようなジジイが言うのは余計なおせっかいかもしれませんが、国というのはいつだって若い人がつくってきました。幕末に世の中を変えようと奔走した人たちはみんな若者でしたよ。

明治元年でいえば、西郷隆盛は42歳、大久保利通は39歳、勝海舟が46歳、板垣退助が32歳、大隈重信が31歳。こうした若い人たちが、一生懸命にこの国をつくったんです。それをもう一度、思い出してほしいですね。(構成/編集部・野村昌二)

※AERA 2018年3月12日号

 半藤一利(はんどう・かずとし)/1930年、東京都生まれ。53年に文藝春秋社に入り、月刊誌「文藝春秋」編集長などを務める。『幕末史』『賊軍の昭和史』(共著)など著書多数

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