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常夏ならば振り向くかも

語り部である私が提供する、今そこにあるチープでホットな噺の数々を口承するブログ。一話解決を目指して今日も喋ります。

パトロールカー

2007年12月05日 | 『今そこにある既知』 今これが言いたい
「なんでうちの子が…」
「私の育て方が…子供を好きではなかったのが、いけなかったのか…」

この言葉は本でも夏の実習でも聞いた言葉だ。
今日の演習の授業で、自閉症の子をもつ母がプレゼンターだった。
お子さんはグループホームから作業所に通われ、個別に即した就労をなされている。

生育過程において何が苦労だったかを想像すれば、羅列できるぐらい思い浮かぶ。それよりも息子さんが獲得してきた力や情緒を知り、喜びや可能性を見い出すのはなかなか難しいものである。
難しさに輪を駆けるに現社会を取り巻く制度と金の問題もある。

ともすれば人と心、環境へのアプローチをしていく為には、もっと知らなければならない。
知るためには悔しいが勉強をしなければならない。

話の最中
「彼」「うちの子」「~ちゃん」と人代名詞が変わっていた。
無意識だとはいえ個人として、成人した息子して、愛児として表現するのはなかなか出来るものではない。

ここが一番印象強く残っている。


最近ふと思うことを最後に記す。

矜持というのは生まれてこの方、ぶれなかった人が持ちえるものではない。
悩み苦しみ励まし齷齪するのが精一杯なところ。
気が空いた時、我が者の本質を捉えようとする。何者でもない訳だが考えてみたくなる。
そうはいっても結局つまらなくなって、後回しにすることが定型となっている。

何時ぞやの自分とは思えない、機知の富みは果たしてあるのだろうか。
自負の念を持てるのは一体いつなのだろうか。