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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

マルコ6 今すぐに バプテスマのヨハネの首を盆にのせて それをいただきとうございます

2016-07-08 00:34:31 | 新約聖書2 41マルコによる福音書


マルコによる福音書6章

イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。

そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、

「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。

このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。

この人は大工ではないか。

マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。

またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」

こうして彼らはイエスにつまずいた。 イエスは言われた、

「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」

そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。

そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。

それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。

また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、 また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、 ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。 そして彼らに言われた、

「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。

また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」

そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、 多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。

ある人々は

「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」

と言い、 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。

ところが、ヘロデはこれを聞いて、

「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」

と言った。 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。

それは、ヨハネがヘロデに、

「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。

ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、 そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。

そこで王はこの少女に

「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」

と言い、 さらに

「ほしければ、この国の半分でもあげよう」

と誓って言った。 そこで少女は座をはずして、母に

「何をお願いしましょうか」

と尋ねると、母は

「バプテスマのヨハネの首を」

と答えた。 するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、

「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」

王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。

そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。

衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。

さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。

するとイエスは彼らに言われた、

「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」

それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。

ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。

イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。

ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、

「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。 みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりのや村々へ行かせてください」

イエスは答えて言われた、

「あなたがたの手で食物をやりなさい」

弟子たちは言った、

「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」

するとイエスは言われた、

「パンは幾つあるか。見てきなさい」

彼らは確かめてきて、

「五つあります。それに魚が二ひき」

と言った。 そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。

人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。

それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。

みんなの者は食べて満腹した。

そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。

パンを食べた者は男五千人であった。

それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。

そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。

夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。

ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。

彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。

みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、

「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」

と言われた。 そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。

彼らは心の中で、非常に驚いた。 先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。

彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。

そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、 その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。

そして、村でも町でもでも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。

そしてさわった者は皆いやされた

マルコによる福音書‬ ‭6:1-56

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう963
41-6

マルコ5 娘よ あなたの信仰があなたを救ったのです 安心して行きなさい

2016-07-08 00:33:45 | 新約聖書2 41マルコによる福音書


マルコによる福音書5章

こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。

それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。

この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。

彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。

そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。

ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、 大声で叫んで言った、

「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。

神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」

それは、イエスが、

「けがれた霊よ、この人から出て行け」

と言われたからである。 また彼に、

「なんという名前か」

と尋ねられると、

「レギオンと言います。大ぜいなのですから」

と答えた。 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。

さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。

霊はイエスに願って言った、

「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」

イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。

すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。

豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。

そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。

また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。

そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。

イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。

しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、

「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」

そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。

イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。

そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、 しきりに願って言った、

「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」

そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。

大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。

さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。

多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。

この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。

それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。

すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。

イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、

「わたしの着物にさわったのはだれか」

と言われた。 そこで弟子たちが言った、

「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」

しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。

その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。

イエスはその女に言われた、

「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」

イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、

「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」

イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、

「恐れることはない。ただ信じなさい」

そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。

彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、 内にはいって、彼らに言われた、

「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」

人々はイエスをあざ笑った。

しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。 そして子供の手を取って、

「タリタ、クミ」と言われた。それは、

「少女よ、さあ、起きなさい」

という意味である。 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。

彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。

イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた

マルコによる福音書‬ ‭5:1-43

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう962
41-5

マルコ4 彼らは見るには見るが 認めず 聞くには聞くが 悟らず 悔い改めてゆるされることがない

2016-07-08 00:32:51 | 新約聖書2 41マルコによる福音書


マルコによる福音書4章

イエスはまたも、海べで教えはじめられた。

おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。

イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、

「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。

まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。

すると、鳥がきて食べてしまった。

ほかの種は土の薄い石地に落ちた。

そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

ほかの種はいばらの中に落ちた。

すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。

ほかの種は良い地に落ちた。

そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」

そして言われた、

「聞く耳のある者は聞くがよい」

イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。

そこでイエスは言われた、

「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 それは

『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」

また彼らに言われた、

「あなたがたはこの譬がわからないのか。

それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。

種まきは御言をまくのである。

道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。

すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。

同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。

御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。

そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。

また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。

御言を聞くが、 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。

また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。

御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」

また彼らに言われた、

「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。

なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。

聞く耳のある者は聞くがよい」

また彼らに言われた、

「聞くことがらに注意しなさい。

あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。

だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」

また言われた、

「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。

夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。

実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」

また言われた、

「神の国を何に比べようか。

また、どんな譬で言いあらわそうか。

それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、

まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」

イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。

譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。

さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、

「向こう岸へ渡ろう」

と言われた。 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。

ほかの舟も一緒に行った。

すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。

ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。

そこで、弟子たちはイエスをおこして、

「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」

と言った。 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、

「静まれ、黙れ」

と言われると、風はやんで、大なぎになった。

イエスは彼らに言われた、

「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」

彼らは恐れおののいて、互に言った、

「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」

マルコによる福音書‬ ‭4:1-41

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう961
41-4

マルコ3 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである

2016-07-07 09:55:47 | 新約聖書2 41マルコによる福音書


マルコによる福音書3章

イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。

人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。

すると、イエスは片手のなえたその人に、

「立って、中へ出てきなさい」

と言い、 人々にむかって、

「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。

彼らは黙っていた。

イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に

「手を伸ばしなさい」

と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。

パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。

それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。

またユダヤから、 エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。

イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。

それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。

また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、

「あなたこそ神の子です」

と言った。 イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。

さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。

そこで十二人をお立てになった。

彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

こうして、この十二人をお立てになった。

そしてシモンにペテロという名をつけ、 またゼベダイの子ヤコブと、
ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
つぎにアンデレ、
ピリポ、
バルトロマイ、
マタイ、
トマス、
アルパヨの子ヤコブ、
タダイ、
熱心党のシモン、
それからイスカリオテのユダ。
このユダがイエスを裏切ったのである。

イエスが家にはいられると、 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。

身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。

気が狂ったと思ったからである。

また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、

「彼はベルゼブルにとりつかれている」

と言い、

「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」

とも言った。 そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、

「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。

もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。

また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。

もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。

だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。

縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。

よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。

しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」

そう言われたのは、彼らが

「イエスはけがれた霊につかれている」

と言っていたからである。

さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、

「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」

と言った。 すると、イエスは彼らに答えて言われた、

「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」

そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、

「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」

マルコによる福音書‬ ‭3:1-35

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう960
41-3

マルコ2 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである

2016-07-07 09:55:00 | 新約聖書2 41マルコによる福音書


マルコによる福音書2章

幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、 多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。

そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。

すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。

ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。

イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、

「子よ、あなたの罪はゆるされた」

と言われた。 ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、

「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」

イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、

「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。

中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」

と彼らに言い、中風の者にむかって、

「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」

と言われた。 すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、

「こんな事は、まだ一度も見たことがない」

と言った。 イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。

また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、

「わたしに従ってきなさい」

と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。

多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。

こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。

パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、

「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」

イエスはこれを聞いて言われた、

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」

ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、

「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」

するとイエスは言われた、

「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。

花婿と一緒にいる間は、断食はできない。

しかし、花婿が奪い去られる日が来る。

その日には断食をするであろう。

だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。

もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。

もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。

〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」

ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。

そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。

すると、パリサイ人たちがイエスに言った、

「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」

そこで彼らに言われた、

「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。

すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」

また彼らに言われた、

「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。

それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」

マルコによる福音書‬ ‭2:1-28

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41-2