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生命の言葉

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後1-14. アブラハムの献祭失敗

2017-02-11 12:59:01 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

14. アブラハムの献祭失敗

また、蘇生、長成、完成の三段階を象徴する鳩と羊と雌牛とを、一つの祭壇に載せて献祭したのは

ちょうどアダムの一代で、三段階の成長期間を完成しようとしたのと同様に

アダムの立場であるアブラハムを中心として蘇生のアダム、長成のノア、完成のアブラハムというように

み旨から見て三代にわたって蕩減復帰しようとした縦的な摂理を、一時に、横的に完成するためであった

したがって、この献祭は、サタンが侵入した三数に表示されるすべての条件を、一時に、蕩減復帰して、全復帰摂理を一度に完成させようというみ意を象徴的に表示されたのである

今、我々はアブラハムがこの「象徴献祭」をどのような仕方でささげたかを知らなければならない

創世記一五章10節から13節までに記録されているみ言を見れば、アブラハムは、他の供え物はみな二つに裂いて祭壇の左右に置いたけれども

鳩だけは、裂かずにそのまま置いたので、荒い鳥がその死体の上に降り、アブラハムは、これを追い払ったと記されている

神はその日、日の入るころ、アブラハムに現れて

「あなたはよく心にとめておきなさい

あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう」
(創一五・13)

と言われた

アブラハムは裂くべき鳩を裂かなかったので、その上に荒い鳥が降り、それによって、イスラエル民族はエジプトに入り、四〇〇年間苦役するようになったのである

それでは、鳩を裂かなかったことが、どうして罪になったのだろうか

この問題は今日に至るまで、未解決の問題として残されてきた

これは、原理を通して初めて明確に解決されるのである

それでは、供え物を裂かなければならない理由はどこにあるのかということを先に調べてみることにしよう

救いの摂理の目的は、善と悪とを分立させ、悪を滅ぼし、善を立てて、善主権を復帰しようとするところにある

ゆえに、アダムという一人の存在を、カインとアベルに分立したのちに、献祭させなければならなかったことや

また、ノアのとき、洪水で悪を滅ぼして善を立てた目的は、みな善主権を復帰せんとするところにあったのである

したがって、神は、アブラハムをして供え物を裂いてささげるようにし、アダムやノアが完成できなかった善悪分立の象徴的摂理をしようとされたのである

それゆえに、供え物を裂くということは

第一に、アダムの家庭において、善悪の母体であるアダムを善と悪の二つの表示体に分立するために、アベルとカインに分立させたのと同じ立場を復帰するためであった

第二には、ノアが洪水四十日で善と悪に分立させた立場を復帰するためであり

第三には、サタンの主管下にある被造世界から、善主権の世界を分立させる象徴的な条件を立てるためであった

さらに第四には、サタンとの血縁関係を通して入ってきた、死亡の血を流して、聖別する条件を立てるためであった

もしそうであるとすれば、裂かなかったことが、どうして罪になるのだろうか

裂かないということは

第一に、カインとアベルに分立しない立場であるから、神のみが対応できるアベル的な対象がなく

したがって、それは、神のみ意にかなう献祭とはならないので

結局、カイン、アベルの献祭の失敗を、蕩減復帰できなかったという立場になる

第二に、それはノアを中心とする復帰摂理における洪水審判で、善と悪に分立されなかった状態そのままなので

結局、神が対応して摂理することのできる善の対象がなくなり、洪水審判で失敗したのと同じ立場に戻った結果となるのである

第三に、それはサタン主管下にある被造世界から、神が対応できる善主権の世界を分立させるための象徴的な条件を立てられなかったという結果をもたらした

第四に、それは死亡の血を流して聖別する立場に立てなかったので、神が対応して摂理することのできる、聖なる供え物になれなかったのである

このように、アブラハムが鳩を裂かずにささげたことは、サタンのものをそのままささげた結果となり

結局、それはサタンの所有物であることを、再び、確認してやったと同様の結果をもたらしてしまったのである

このように、蘇生を象徴する供え物である鳩がサタンの所有物として残るようになったので、蘇生の基台の上に立てられるべき長成と完成を象徴する羊と雌牛にも、やはりサタンが侵入したのである

したがって、この象徴献祭は、みなサタンにささげたという、結果に戻ってしまったので、鳩を裂かないことが罪となったのである

また、象徴的供え物に荒い鳥が降りたということは
(創一五・11)

何を意味するかを調べてみよう。

人間始祖が堕落したのち、神が摂理されるみ旨の前には、必ずサタンがついてくるのである

すなわち、創世記四章7節を見れば、カインとアベルが献祭をするときにも、サタンが門口に待ち伏せていた

そればかりでなく、ノアのときにも、審判直後に、サタンがノアの家庭に侵入する機会をねらっていたということを、からすによって表示してくださった
(創八・7)

このようにアブラハムが象徴献祭をするときにも、その供え物に侵入する機会だけをねらっていたサタンは、彼が鳩を裂かないのを見て、すぐその供え物に侵入した

聖書はこの事実を、荒い鳥が供え物の上に降りたということでもって象徴的に表しているのである

このような象徴献祭の失敗は、どんな結果をもたらしたのだろうか

アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって、その象徴献祭で蕩減復帰しようとしたすべてのものは失敗してしまった

その結果、アブラハムの子孫が、異邦のエジプトで、四〇〇年間苦役するようになったが、その理由はどこにあったかを調べてみることにしよう

神はノアのときに、ハムの過ちによって、サタンに奪われた十代と審判四十数を、同時に蕩減復帰なさるために

四〇〇年というサタン分立期間を立てて、この分立基台の上にアブラハムを召命して、「象徴献祭」をするようにされたのである

しかしこのアブラハムの過ちにより、その供え物をまたサタンにささげたことになったので、「象徴献祭」をもって、アブラハムを信仰の祖に立てるための蕩減期間であったノア以後の四〇〇年期間も、やはり、サタンに奪われることになったのである

ゆえに、アブラハムが、「象徴献祭」に失敗する前の立場であり、したがって、ノアが箱舟をつくるために神の召命を受けた立場を、民族的に蕩減復帰するためには、この四〇〇年というサタン分立期間を、再び立てなければならなかったのである

ゆえに、イスラエル民族がエジプトで苦役する四〇〇年期間は

ノアやアブラハムが信仰の祖として出発しようとしたその立場を、民族的に蕩減復帰して

モーセをその基台の上に立たせるための期間であった

したがって、この苦役の期間は、アブラハムの献祭の失敗による罰を受ける期間であると同時に

神が新たな摂理をなさるために、サタン分立の基盤をつくる期間でもあったのである

神がアブラハムをして、一つの祭壇に三つの供え物を同時にささげる「象徴献祭」に成功せしめることにより、蘇生、長成、完成で表示されるすべての摂理を、同時に成し遂げようとされたことは、既に述べたところである

しかし、アブラハムがこれに失敗したので

彼を中心とする摂理は、更にイサクからヤコブまで、三代にわたって延長されたのである

ゆえに、アブラハムの「象徴献祭」の失敗は、ノアの箱舟を中心とした「象徴献祭」と、カイン、アベルを中心とした「象徴献祭」の失敗を反復したことになってしまったのである

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-14





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十戒

❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない

❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない

❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない

❹ 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ

❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない
またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より

よく言っておく

天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである

マタイによる福音書:5章より



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後1-13. アブラハムの象徴献祭の意味

2017-02-11 07:14:36 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

13. アブラハムの象徴献祭の意味

それでは、アブラハムの「象徴献祭」は、何を意味するものであろうか

アブラハムが信仰の祖となるためには、元来、神が信仰の祖として立てようとされたノアと、その家庭の立場を蕩減復帰しなければならなかったのである

したがって、彼はアダムとその家庭の立場にも立たなければならなかったので、アダムの家庭で、カインとアベルの献祭を中心として復帰しようとしたすべてのことを、蕩減復帰できる象徴的な条件物をささげなければならなかった

また、彼はノアの家庭が箱舟を中心として復帰しようとしたすべてのことを、蕩減復帰できる象徴的な条件物を、供え物として神にささげなければならなかった

このような象徴的な条件物としてささげたのが、すなわちアブラハムの象徴献祭であった

それでは、アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか

この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである

すなわち、まずそのうち、鳩は蘇生を象徴したものである

イエスは旧約摂理完成者、言い換えれば蘇生摂理完成者として来られた

すなわち、イエスは鳩で表示される蘇生摂理完成者として来られたので、それに対する表徴として、ヨルダン河で、ヨハネから洗礼を受けるとき、神のみ霊が鳩のように、その上に下ってきたのである
(マタイ三・16)

また、イエスは、アブラハムの供え物の失敗を復帰なさるために来られたので、まず、サタンが侵入したその鳩を復帰した立場に立たなければならなかった

ゆえに、神は鳩をもって、彼が蘇生旧約摂理完成者として降臨されたことを表示してくださったのである

つぎに、羊は長成を象徴するのである

イエスは、アブラハムの供え物の失敗を、復帰するために来られた方として、鳩で表示されたすべてのものを復帰した旧約摂理の基台の上で、羊で表示されたすべてのものを復帰すべき長成新約摂理の出発者でもあったのである

ゆえに、イエスが洗礼ヨハネによって、鳩で表示された蘇生摂理の完成者という証を受けられたのち、ある日、洗礼ヨハネは、イエスが歩いてこられるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ一・29)と言って、イエスが長成使命出発者であられることを、証したのである。

つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。士師記一四章18節を見れば

サムソンがなぞの問題を出したとき、ペリシテびとたちは、サムソンの妻を誘ってサムソンをだまさせ、その内容を探りだすことによって、その問題を解いたことがあるが、そのとき、サムソンは

「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」

と言った。このように、サムソンは、妻を雌牛に比喩したのである

イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない

しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである

それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない

ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである

多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである

それでは、三つの供え物はまた、何を蕩減復帰するものなのであろうか

アブラハムはその「象徴献祭」で、既にアダムとノアの両家庭を中心とする摂理において

彼らが「象徴献祭」で蕩減復帰しようとして失敗し、サタンに奪われてしまったすべてのものを再び蕩減復帰すると同時に

彼らが「実体献祭」で蕩減復帰しようとして失敗し、サタンに奪われてしまったすべてのものをも再び蕩減復帰できるような、象徴的蕩減条件を立てなければならなかったのである

したがって、アブラハムの「象徴献祭」は、アダムからノア、アブラハムの三代にわたって、縦的に積み重ねられてきた摂理の象徴的蕩減条件を、この三つの供え物で、一時に横的に復帰しようとしたのであった

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-13





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後1-12. アブラハムの象徴献祭

2017-02-11 00:01:32 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

12. アブラハムの象徴献祭

(2)信仰基台を復帰するための条件物

① アブラハムの象徴献祭

神は、アブラハムに鳩と羊と雌牛とを供え物としてささげるように命ぜられたが

これらは、とりもなおさず、アブラハムが「信仰基台」を復帰するための条件物であったのである
(創一五・9)

あたかもノアが「象徴献祭」として、箱舟をつくってささげようとしたとき、その献祭のための信仰を立てたように

アブラハムも、この「象徴献祭」をするためには、そのための信仰を立てなければならなかった

聖書には、ノアがいかなる方法でその信仰を立てたかということについては明示されていない

しかし、創世記六章9節に、ノアはその時代における義人(正しく全き人)であったと記録されているところからして

彼が箱舟をつくる命令を受けるにふさわしい義人となるまでには、必ず何らかの信仰を立てていたに相違ない

事実、復帰摂理は、このように

「信仰に始まり信仰に至らせる」

道を必ず通るのである
(ロマ一・17)

それでは、アブラハムは、「象徴献祭」をするために、いかなる信仰を立てたのかを調べてみることにしよう

アブラハムは、第二人間始祖たるノアの立場を復帰しなければならなかった

したがって、またアダムの立場にも立たなければならないので

彼は「象徴献祭」をする前に、アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件を、初めに立てなければならなかった

創世記一二章10節以下の聖句によれば、アブラハムは飢饉によってエジプトに下ったことがあった

そこで、エジプト王パロが、アブラハムの妻サライを取って、彼の妻にしようとしたとき、アブラハムは、彼女と夫婦であると言えば、自分が殺される憂いがあったので、あらかじめ計って、自分の妻サライを  妹  であると言った

このように、アブラハムは彼の妻サライと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れていった彼の甥ロトと多くの財物を携えて、エジプトを出てきた

アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである

アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった

したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち

彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである
(創一四・16)

このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである

アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-12





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後1-11. アブラハムの家庭

2017-02-10 12:52:27 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

11. アブラハムの家庭

第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理

ハムの堕落行為によってノアの家庭を中心とする復帰摂理は完成されなかったのであるが

神は、御自身の創造目的を完成なさろうとするみ旨を絶対的なものとして予定し、かつ摂理なさるので

ノアが天に対して忠誠を尽くしたその心情の基台の上で

神はアブラハムを召命なさり、その家庭を中心とする復帰摂理を、再び行われるようになった

ゆえに、アブラハムは、ノアの家庭において完成できなかったメシヤのための基台を復帰して、その基台の上でメシヤを迎えなければならなかった

したがって、アブラハムも、まず「信仰基台」を蕩減復帰し、その基台の上で

「実体基台」を蕩減復帰しなければならなかったのである

(一) 信 仰 基 台

(1)信仰基台を復帰する中心人物
アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理において

「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、正にアブラハムであった

ゆえに、アブラハムは、神がノアを中心として成し遂げようとされた「み旨」を受け継いで、完成するための中心人物として立てられたのであった

したがって、アブラハムはかつてノアの路程のために立てられたが

ハムの犯罪によってサタンに奪われてしまったすべての条件を、蕩減復帰した立場に立たなければ、ノアを中心とした「み旨」を継承することができなかったのである

ノアが最初にサタンに奪われた条件は、アダムからノアまでの十代と、審判四十日期間であった

ゆえに、アブラハムは十代と共に、その十代が各々審判四十数を蕩減復帰したという立場に立たなければならない

しかし、一代を四十日期間で蕩減復帰することは不可能なので、後日、モーセ路程において、偵察四十日の失敗を、荒野流浪四十年期間でもって蕩減復帰したように
(民数一四・34)

ここにおいても、その各々の代が、審判四十日の失敗を四十年期間でもって蕩減復帰するというかたちで通算年数を立てられたのである

それゆえに、神はノアから十代にわたる四〇〇年蕩減期間を経過したのち、初めてノアの身代わりとして、アブラハムを立てられたのである

このように、アダムからノアに至る一六〇〇年間に十代を復帰した時代から

四〇〇年間に十代を復帰する時代に移ったので、ノア以後、人間の寿命は、急に短くなったのである

ノアがサタンに奪われた第二の条件は、信仰の祖の立場と、アベルの身代わりであったハムの立場であった

ゆえに、アブラハムは信仰の祖とハムの立場を蕩減復帰しなければ、ノアの立場に立つことができなかったのである

したがって、アブラハムがノアの代わりに信仰の祖の立場に立つためには

ノアが信仰と忠誠を尽くして、箱舟をつくったのと同様に

アブラハムも、信仰と忠誠を尽くして、「象徴献祭」をささげなければならなかった

また、神が一番愛するアベルの身代わりであったハム(彼らはみな次子として「実体献祭」の中心であった)を、サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって

神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった

ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである
(ヨシュア二四・2、3)

アブラハムは、ノアの身代わりであり、したがって、アダムの身代わりであるので、復帰したアダム型の人物であった

したがって、神はアダムとノアに祝福なさったように、アブラハムにも、子女を殖やして大いなる民族をつくり、祝福の基となれと、祝福なさったのである
(創一二・2)

アブラハムは、このような祝福を受けたのちに、神の命令に服従して、ハランの住みなれた父親の家を離れ、妻サライと、甥ロト、そしてハランでもっていたすべての財産と人を連れて、カナンの地に行ったのである
(創一二・4、5)

神は、このようなアブラハムの路程によって、将来、ヤコブとモーセがサタンの世界であるハランとエジプトから、各々、妻子と財物を取り

困難な環境を押しのけて、カナンの地へ復帰する際に必須のものとなる典型的な路程を指し示してくださったのである

そしてこの路程は、将来、イエスが来られて、サタン世界のすべての人間と万物世界とを、神の世界に復帰するに当たっての、典型的な路程を予示されたことにもなるのである
(後編第二章第一節(二)参照)

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-11





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後1-10. ノアの家庭の教訓

2017-02-10 07:47:46 | 原理講論 後編1 復帰基台摂理時代

10. ノアの家庭の教訓

(三)ノアの家庭が見せてくれた教訓

ノアが一二〇年間もかかって山の頂上に箱舟をつくったということは、だれでも容易に理解できるものではなかった

しかしながら、そのために激しい非難と嘲笑を浴びても、正にそのことによって、ノアの家庭が救いを受けたという事実は、ハムもよく分かっていたのである

このような過去の事実から推察して、ハムはたとえノアが裸になって寝ているのを自分では善くないことだと思ったとしても

(かつての箱舟の建造の場合のように、ここには何か深い訳があるのだということを賢明に悟って、分からずとも)

あくまでそれを善いこととして見なければならなかったのである

しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので

神がアダムから一六〇〇年も待って、四十日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである

これは、我々が神への道を歩むに当たっては、どこまでも謙虚と従順と忍耐の心がなければならないということを見せてくださっているのである

また、ノアの家庭を中心とした摂理は、み旨成就に対する神の予定の在り方と、人間の責任分担の遂行いかんで神がどのような態度をとられるか、ということを私たちに見せてくださったのである

ノアの家庭は、神が一六〇〇年間もかかって求めてこられたのであり

また、ノアが箱舟をつくるまで一二〇年も導いてこられたのであり

それだけでなく四十日の洪水により、全人類を犠牲にしてまで立てた家庭であることを、我々はよく知っている

しかし、ハムの小さな過ちによってサタンが侵入するようになると

神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく捨てられ

その結果、ノアの家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである

また、ノアの家庭を中心とする摂理は、人間に対する神の予定がどのようなものであるかを我々に見せてくださった

神はノアを信仰の祖に立てようと、長い期間を通じて苦労して探し求めてこられたにもかかわらず

その家庭が、いったん、責任分担を全うできなくなったときには、それを惜しみなく捨て

その代わりとしてアブラハムを選ばれたという事実を、我々は忘れてはならないのである

原理講論 後編1 復帰基台摂理時代-10





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一日4章読めば一年以内に完読することができます

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よく言っておく

天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである

マタイによる福音書:5章より


十戒

❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない

❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない

❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない

❹ 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ

❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない
またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より



統一教会の混乱克服の為の基本的な理解

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