24. 国家興亡史
つぎに我々は、国家興亡史がどのように主権復帰の目的に向かって流れてきて、現代を終末へと導いているかについて調べてみることにしよう
闘争や戦争を、単純にある利害関係や理念の衝突から起こる結果であると見るのは、神の根本摂理を知らないところからくる軽薄な考え方である
人類歴史は人間始祖の堕落により、サタンを中心とする悪主権をもって出発し、罪悪の世界を形成してきたのである
しかし、神の創造目的が残っている限り、その歴史の目的も、あくまでサタンを分立して神の善主権を復帰するところになければならない
もし、悪主権の世界に戦争や分裂がないとすれば、その世界はそのまま永続するはずであり、したがって、善主権は永遠に復帰できないのである
それゆえに、神は堕落人間に聖賢たちを遣わされ、善を立て、宗教を起こすことによって
より善なる主権をして、より悪なる主権を滅ぼさせながら、漸次、天の側の主権を復帰なさる摂理をしてこられたのである
したがって、復帰摂理の目的を成就するためには、闘争と戦争という過程を経なければならない
この問題に関しては、後編においてより詳しく論ずる予定であるが
人類歴史は蕩減復帰の摂理路程を歩いていくので、ある局限された時間圏内においてだけこれを見れば、悪が勝利を勝ち得たときもないことはなかった
しかしそれは結局敗北し、より善なる版図内に吸収されていったのである
それゆえに、戦争による国家の興亡盛衰は、善主権を復帰するための摂理路程から起こる、不可避的な結果であったといわなければならない
ゆえに神は、イスラエル民族を立てカナンの七族を滅ぼされたのであり
また、サウルは神の命令に従わず、アマレク族とそれに属する家畜を全滅させなかったために、厳罰を受けたのである
(サムエル上一五・18〜23)
神はこのように、直接異民族を滅ぼすようイスラエルに命令されたのみならず
その選民であった北朝イスラエルが、悪の方向に傾いてしまったときには、惜しみなく彼らをアッシリヤに手渡し、滅亡させてしまわれたのである
(列王下一七・23)
神がこのようにされたのは、ひたすら悪主権を滅ぼして、善主権を復帰なさろうとしたからであったということを、我々は知らなければならない
ゆえに、同じ天の側における個人的な闘争は、善主権自体を破壊する結果となるがゆえに悪となるのであるが
善主権が悪主権を滅ぼすことは、神の復帰歴史の目的を達成するためであるという理由から、これは善となるのである
こうして、サタン分立のための闘争歴史は、次第に土地と財物とを奪って、天の側の主権へと復帰するに至ったのであり
人間においても個人より家庭、社会、そして国家へと、天の側の基台を広め、今日に至っては、これを世界的に復帰するようになったのである
このように、サタン分立のための摂理が氏族主義時代から出発し、封建主義時代と君主主義時代を経て、民主主義時代に入って今日に至っているが
今やこの人間世界は、天の側の主権を立てようとする民主主義世界と、サタンの側の主権を立てようとする共産主義世界との、二つの世界に分立されている
このように、サタンを中心とする悪主権によって出発した人類歴史は、一方において、宗教と哲学と倫理によって、善を指向する人間の創造本性が喚起されるに従い、漸次、悪主権から善主権のための勢力が分立され、ついに、世界的に対立する二つの主権を形成するに至ったのである
目的が相反するこの二つの主権は、決して共存することができない
したがって、人類歴史の終末に至れば、これらは必ず一点において交差し、理念を中心として内的に衝突し、それが原因となって軍事力を中心とする外的な戦争が行われ
結局サタン主権は永遠に滅び、天の側の主権のみが永遠なる神の単一主権として復帰されるのである
それゆえ現代は、善主権を指向する天の側の世界と、サタンを中心とする悪主権の世界とが対立して、互いに交差しているときであるから、ここから考えてもまた、終末であるといわなければならない
このように、悪主権から善主権を分立してきた人類歴史は、ちょうど、荒れ狂う濁流が時間を経るに従って、泥は水底に沈み、水は上の方に澄んで、ついには泥と水とが完全に分離されるように
時代が進むにつれて
悪主権は次第に衰亡の道をたどって下降線を描き
善主権は興隆の道をたどって上昇線を描くようになるので、歴史の終末に至っては、この二つの主権はある期間交差したのち
結局、前者は永遠に滅亡してしまい、後者は神の主権として永遠に残るようになるのである
このように、善悪二つの主権の歴史路程が交差するときを終末という
そしてさらにこのときは、アダムとエバが堕落した長成期完成級の時期を、蕩減復帰するときであるから
あたかもエデンの園の人間始祖が、どこに中心をおくべきかを知らずに、混沌の中に陥っていったように
いかなる人間も思想の混乱を起こして、彷徨するようになるのである
復帰摂理路程において、このように終末を迎えて、善悪二つの主権が交差していたときは、幾度かあった
既に述べたように、ノアのときやイエスのときも終末であった
ゆえに、この二つの主権が互いに交差していたのである
しかしそのたびごとに、人間はその責任分担を完遂できず、悪主権を全滅することができなかったので
神は主権分立の摂理を再びなし給わなければならなかった
したがってイエスの再臨期に、いま一度、二つの主権の交差があるのである
復帰摂理路程は、このように、周期的に相似的な螺旋状を反復しながら
円形過程を通りつつ創造目的を指向してきたから、歴史上においては必然的に、同時性の時代が形成されてきたわけである
(後編第三章第一節参照)
原理講論 前編3 人類歴史の終末論-24
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十戒
❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない
❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない
❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
❹ 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ
❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え
❻ あなたは殺してはならない
❼ あなたは姦淫してはならない
❽ あなたは盗んではならない
❾ あなたは隣人について偽証してはならない
➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない
またすべて隣人のものを ほしがってはならない
申命記5章より
イエス様の答え
「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」
イエスは言われた、
「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」
彼は言った、
「どのいましめですか」
イエスは言われた、
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』
また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」
マタイによる福音書 19章 より
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