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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

コリント二.3 主は霊である そして 主の霊のあるところには 自由がある

2016-08-20 00:04:33 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙3章

わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めているのだろうか

それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいは、あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか

わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである

それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている

そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている

こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている

もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない

わたしたちのこうした力は、神からきている

神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである

それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である

文字は人を殺し、霊は人を生かす。

もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか

もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである

そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである

もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである

こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない

実際、彼らの思いは鈍くなっていた。

今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている

それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである

今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている

しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる

主は霊である

そして、主の霊のあるところには、自由がある

わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく

これは霊なる主の働きによるのである

コリント人への第二の手紙‬ ‭3:1-18

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コリント二.2 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう

2016-08-19 00:06:18 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙2章

そこでわたしは、あなたがたの所に再び悲しみをもって行くことはすまいと、決心したのである

もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませているその人以外に、だれがわたしを喜ばせてくれるのか

このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである

わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである

わたしは大きな患難と心の憂いの中から、多くの涙をもってあなたがたに書きおくった

それは、あなたがたを悲しませるためではなく、あなたがたに対してあふれるばかりにいだいているわたしの愛を、知ってもらうためであった

しかし、もしだれかが人を悲しませたとすれば、それはわたしを悲しませたのではなく、控え目に言うが、ある程度、あなたがた一同を悲しませたのである

その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、 あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである

そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない

そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める

わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった

もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう

そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである

そうするのは、サタンに欺かれることのないためである

わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない

さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、 兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った

しかるに、神は感謝すべきかな。

神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである

わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである

後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである

いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか

しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず

真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである

コリント人への第二の手紙‬ ‭2:1-17

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コリント二.1 神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから

2016-08-19 00:05:15 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙1章

神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから

コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神

神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである

それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである

わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである

だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない

あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである

兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない

わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った

神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう

わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる

そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう

これは多くの人々の願いによりわたしたちに賜わった恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためである

さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである

わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではない

それを完全に理解してくれるように、わたしは希望する

すでにある程度わたしたちを理解してくれているとおり、わたしたちの主イエスの日には、あなたがたがわたしたちの誇であるように、わたしたちもあなたがたの誇なのである

この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいので、まずあなたがたの所に行き、 それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く計画を立てたのである

この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか

それとも、自分の計画を肉の思いによって計画したため、わたしの

「しかり、しかり」が同時に

「否、否」であったのだろうか。

神の真実にかけて言うが、あなたがたに対するわたしの言葉は

「しかり」と同時に「否」というようなものではない

なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは

「しかり」となると同時に「否」となったのではない

そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである

なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである

だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである

あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは、神である

神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである

わたしは自分の魂をかけ、神を証人に呼び求めて言うが、わたしがコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである

わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない

あなたがたは、信仰に堅く立っているからである

コリント人への第二の手紙‬ ‭1:1-24

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