goo blog サービス終了のお知らせ 

生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

コリント二.8 神の恵みを あなたがたに知らせよう

2016-08-22 00:08:05 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙8章

兄弟たちよ。

わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう

すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである

わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした

すなわち、自ら進んで、 聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て

わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである

そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである

さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように

すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも

また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい

こう言っても、わたしは命令するのではない

ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている

すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた

それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである

そこで、わたしは、この恵みのわざについて意見を述べよう

それがあなたがたの益になるからである

あなたがたはこの事を、昨年以来、他に先んじて実行したばかりではなく、それを願っていた

だから今、それをやりとげなさい

あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい

もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。 それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようとするのではなく、持ち物を等しくするためである

すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである

それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足りないことはなかった」

と書いてあるとおりである。

わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する

彼はわたしの勧めを受けいれ、そして更に熱心になって、自分から進んであなたがたのところに行った

わたしたちはまた、テトスと一緒に、ひとりの兄弟を送る

この兄弟が福音宣伝の上で得たほまれは、すべての教会に聞えているが

そのうえ、彼は、主ご自身の栄光があらわれるため、また、わたしたちの好意を示すために、骨を折って贈り物を集めているわたしたちの同伴者として、諸教会から選ばれたのである

そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである

わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである

また、もうひとりの兄弟を彼らと一緒に送る

わたしたちは、多くの事について彼が熱心であったことを、たびたび認めた

彼は今、あなたがたを非常に信頼して、ますます熱心になっている

テトスについて言えば、彼はわたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者である

この兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光である

だから、あなたがたの愛と、また、あなたがたについてわたしたちがいだいている誇とが、真実であることを、諸教会の前で彼らにあかししていただきたい

コリント人への第二の手紙‬ ‭8:1-24

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

2017年の聖書の完読年間計画

一日4章読めば一年以内に完読することができます







聖書を完読しよう1086
47-8

コリント二.7 自分をきよめ神をおそれて清くなろう

2016-08-22 00:05:22 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙7章

愛する者たちよ。

わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか

どうか、わたしたちに心を開いてほしい

わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない

わたしは、責めるつもりでこう言うのではない

前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである

わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている

また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている

さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった

しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった

ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった

すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである

そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない

あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、 今は喜んでいる

それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである

あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである

神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる

見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか

また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか

あなたがたはあの問題については、すべての点において潔白であることを証明したのである

だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく

わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである

こういうわけで、わたしたちは慰められたのである

これらの慰めの上にテトスの喜びが加わって、わたしたちはなおいっそう喜んだ。彼があなたがた一同によって安心させられたからである

そして、わたしは彼に対してあなたがたのことを少しく誇ったが、それはわたしの恥にならないですんだ

あなたがたにいっさいのことを真実に語ったように、テトスに対して誇ったことも真実となってきたのである

また彼は、あなたがた一同が従順であって、おそれおののきつつ自分を迎えてくれたことを思い出して、ますます心をあなたがたの方に寄せている

わたしは、あなたがたに全く信頼することができて、喜んでいる

コリント人への第二の手紙‬ ‭7:1-16

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

2017年の聖書の完読年間計画

一日4章読めば一年以内に完読することができます







聖書を完読しよう1085
47-7

コリント二.6 神がこう仰せになる「わたしは彼らの神となり 彼らはわたしの民となるであろう」

2016-08-21 13:14:31 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙6章

わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める

神の恵みをいたずらに受けてはならない。 神はこう言われる

「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」

見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である

この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし

かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている

すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、 むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも

真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、 真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により

ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている

わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり

人に知られていないようであるが、認められ

死にかかっているようであるが、見よ、生きており

懲らしめられているようであるが、殺されず

悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり

貧しいようであるが、多くの人を富ませ

何も持たないようであるが、すべての物を持っている

コリントの人々よ。あなたがたに向かってわたしたちの口は開かれており、わたしたちの心は広くなっている

あなたがたは、わたしたちに心をせばめられていたのではなく、自分で心をせばめていたのだ

わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい

不信者と、つり合わないくびきを共にするな

義と不義となんの係わりがあるか。

光とやみとなんの交わりがあるか。

キリストとベリアルとなんの調和があるか

信仰と不信仰となんの関係があるか。

神の宮と偶像となんの一致があるか。

わたしたちは、生ける神の宮である。

神がこう仰せになっている

「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう

そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」

だから

「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる

そして、汚れたものに触れてはならない

触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう

そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう

全能の主が、こう言われる」

コリント人への第二の手紙‬ ‭6:1-18

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

2017年の聖書の完読年間計画

一日4章読めば一年以内に完読することができます







聖書を完読しよう1084
47-6

コリント二.5 だれでもキリストにあるならば その人は新しく造られた者である

2016-08-20 00:06:32 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙5章

わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物

すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている

そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている

それを着たなら、裸のままではいないことになろう

この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている

それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである

わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である

そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである

だから、わたしたちはいつも心強い。

そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている

わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである

それで、わたしたちは心強い

そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている

そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである

なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである

このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める

わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている

さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む

わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない

ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである

もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである

なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである

わたしたちはこう考えている。

ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである

そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである

それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい

かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である

古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである

しかし、すべてこれらの事は、神から出ている

神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった

すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである

神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである

そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい

神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた

それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである

コリント人への第二の手紙‬ ‭5:1-21

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

2017年の聖書の完読年間計画

一日4章読めば一年以内に完読することができます







聖書を完読しよう1083
47-5

コリント二.4 見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである

2016-08-20 00:05:30 | 新約聖書8 47コリント人への第二の手紙


コリント人への第二の手紙4章

このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り

悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである

もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである

彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである

しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える

わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない

「やみの中から光が照りいでよ」

と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている

その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない

途方にくれても行き詰まらない。

迫害に会っても見捨てられない。

倒されても滅びない。

いつもイエスの死をこの身に負うている

それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである

わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである

それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである

こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである

「わたしは信じた。それゆえに語った」

としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じている

それゆえに語るのである。

それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである

すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである

だから、わたしたちは落胆しない。

たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである

コリント人への第二の手紙‬ ‭4:1-18

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

2017年の聖書の完読年間計画

一日4章読めば一年以内に完読することができます







聖書を完読しよう1082
47-4