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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

総2. 人間の矛盾性

2016-12-02 00:21:34 | 原理講論 総序

原理講論 総序-2

その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか

その子弟を不義に導く教師がいるであろうか

だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである

 とりわけ、このような本心の指向する欲望に従って、善を行おうと身もだえする努力の生活こそ、ほかならぬ修道者たちの生活である

しかしながら、有史以来、ひたすらにその本心のみに従って生きることのできた人間は一人もいなかった

それゆえ、聖書には

「義人はいない、ひとりもいない

悟りのある人はいない、神を求める人はいない」
(ロマ三・10、11)

と記されているのである。

また人間のこのような悲惨な姿に直面したパウロは

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが

わたしの肢体には別の律法があって

わたしの心の法則に対して戦いをいどみ

そして

肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る

わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」
(ロマ七・22〜24)

と慨嘆したのであった。

ここにおいて、我々は

善の欲望を成就しようとする本心の指向性と

これに反する

悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが

同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して

互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである

存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない

したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる

ところで、このような人間の矛盾性は、人間が地上に初めて生を享けたときからあったものとは、到底考えられない

なぜかといえば、いかなる存在でも、矛盾性を内包したままでは、生成することさえも不可能だからである

もし人間が、地上に生を享ける以前から、既にこのような矛盾性を内包せざるを得ないような、運命的な存在であったとすれば

生まれるというそのこと自体不可能であったといえよう

したがって、人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい

人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである

原理講論 総序 より






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総1. 良心の呵責

2016-12-01 00:40:53 | 原理講論 総序

原理講論 総序-1

人間は、何人といえども

不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている

個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで

すべては結局のところ、等しく

幸福になろうとする生の表現にほかならないのである

 それでは、幸福はいかにしたら得られるのであろうか

人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである

しかし欲望などといえば、ややもすると我々はその本意を取り違えがちである

というのは、その欲望が概して善よりは悪の方に傾きやすい生活環境の中に、我々は生きているからである

しかしながら、我々をして不義を実らせるような欲望は、決して人間の本心からわき出づるものではない

人間の本心は、このような欲望が自分自身を不幸に陥れるものであるということをよく知っているので

悪に向かおうとする欲望を退け

善を指向する欲望に従って

本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けているのである

これこそ正に、死の暗闇を押しのけて、命の光を探し求めながら、つらく、険しい人の道を彷徨する偽らざる人生の姿なのである

いったい、不義なる欲望のままに行動して、本心から喜べるような幸福を味わい得る人間がいるであろうか

このような欲望を満たすたびごとに、人間はだれしも良心の呵責を受け、苦悶するようになるのである

原理講論 総序 より




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