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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

総7. 原因的な本質世界

2016-12-07 00:33:13 | 原理講論 総序


7. 原因的な本質世界

 人間が歩んできたいま一つの過程は、結果的な現象世界を超越して

原因的な本質世界において、人生の根本問題を解決しようとする道であった

この道を歩んできたこれまでの哲学や宗教が多大の貢献をなしたことは事実である

しかしながらその反面、それらが我々にあまりにも多くの精神的な重荷を負わせてきたということも、また否定することのできない事実であろう

歴史上に現れたすべての哲人、聖賢たちは、人生の行くべき道を見いだすべく、それぞれその時代において、先駆的な開拓の道に立たされたのであるが

彼らが成し遂げた業績はすべて、今日の我々にとってはかえって重荷となってしまっているのである

このことについて我々はもう一度冷静になって考えてみる必要があるのではなかろうか

哲人の中のだれが我々の苦悶を最終的に解決してくれたであろうか

聖賢の中のだれが人生と宇宙の根本問題を解決し、我々の歩むべき道を明確に示してくれたであろうか

彼らが提示した主義や思想は、むしろ我々が解決して歩まなければならない種々様々の懐疑と、数多くの課題とを提起したにすぎなかったのである

そうして、あらゆる宗教は、暗中模索していたそれぞれの時代の数多くの心霊の行く手を照らしだしていた蘇生の光を、時の流れとともにいつしか失ってしまい

今やそのかすかな残光のみが、彼らの残骸を見苦しく照らしているにすぎないのである

 すべての人類の救済を標榜して、二〇〇〇年の歴史の渦巻の中で成長し

今や世界的な版図をもつようになったキリスト教の歴史を取りあげてみよう

ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ

ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか

悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである

この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが

しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった

初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし

飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき

彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった

これがすなわち共産主義である。

神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻 す者たちが現れたとしても無理からぬことである

このようにして現れたのが唯物思想であった

かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである

共産主義はこの温床から良い肥料を吸収しながら、すくすくと成長していった

彼らの実践を凌駕する力をもたず、彼らの理論を克服できる真理を提示し得なかったキリスト教は

共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである

これは甚だ寒心に堪えないことであった

<後略>

原理講論 総序-7




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総6. 物質による結果の世界

2016-12-06 00:13:38 | 原理講論 総序

物質による結果の世界

 実際の人生の行路において、人間が歩んできた過程を二つに大別してみると

その一つは、物質による結果の世界において、人生の根本問題を解決しようとする道である

このような道を至上のものと考えて歩んできた人々は、極度に発達した科学の前に屈伏し、科学の万能と物質的な幸福とを誇りとしている

しかし人間は、果たして、このような肉身を中心とした外的な条件のみで、完全なる幸福を得ることができるであろうか

科学の発達が極めて安楽な社会環境を築き、しかもその中において、人間が、極度の富貴と栄華とを楽しむことができるとしても

これだけで、果たして人間のその内的な精神的欲求までも、完全に満たし得るであろうか

肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない

王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない

心があって初めて完全な人間となり得るように、喜びにおいても、心の喜びがあって初めて、肉身の喜びも完全なものとなるのである

今ここに肉身の快楽を求めて、科学の帆を揚げ、物質世界を航海する一人の船頭がいるとしよう

彼が理想とするその岸に到達したとする

しかし、同時にそこが彼の肉身を埋めねばならない墓場であるということを彼は知るに至るであろう

それでは、科学が真に行くべきところはどこであろうか

今までの科学の研究対象は、内的な原因の世界ではなく、外的な結果の世界であった

本質の世界ではなくして、現象の世界であった

しかし、今日に至っては、科学の対象は、外的な結果的な現象の世界から内的な原因的な本質の世界へと、その次元を高めなければならない段階に入ってきているのである

ゆえに、その原因的な心霊世界に対する論理、すなわち内的な真理なくしては

結果的な実体世界に対する科学、すなわち外的な真理も

その究極的な目的を達成することはできないという結論を得るに至ったのである

今や、科学の帆を揚げて外的な真理の航海を終えた船頭が

今また一つ宗教の帆を掲げて、内的な真理の航路へとその舳先を変えるとき

ここに初めて本心が指向する理想郷へと航海を進めていくことができるのである

原理講論 総序-6



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総5. 宗教と科学とが統一された真理

2016-12-05 00:48:56 | 原理講論 総序


宗教と科学とが統一された真理

人間は有史以来今日に至るまで、休むことなく

無知から知へと、無知を克服しようとして真理を探し求めてきた

その際

内的無知を克服して内的知に至る道を見いだすべく

内的真理を探求してきたのがすなわち宗教であり

外的無知を克服して外的知への道を見いだすべく

外的真理を探求してきたのが科学なのである

このような角度から理解すれば

宗教と科学とは

人生の両面の無知を克服して両面の知に至る道を見いだすべく両面の真理をそれぞれ探求する手段であったということを知ることができるのである

それゆえに、人間がこのような無知から完全に解放されて、本心の欲望が指向する善の方向へのみ進み

永遠の幸福を獲得するためには

宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようにならなければならないのである

原理講論 総序-5





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総4. 人間が無知に陥った

2016-12-04 00:24:40 | 原理講論 総序


人間が無知に陥った

 人間の堕落を知的な面から見れば、それはとりもなおさず

我々人間が無知に陥ったということを意味するのである

ところで、人間は、心と体との内外両面からなっているので

知的な面においても、内外両面の知をもっているわけである

したがって、無知にも、内的な無知と外的な無知との二種類がある

内的な無知とは

宗教的にいえば、霊的無知をいうのであって

人間はどこから来たのか、生の目的とは何か、死後はいったいどうなるのか

更に進んで、来世や神などというものは果たして存在するのか

また既に述べたように、善とか悪とかいうものはいったい何なのか

などという問題に対する無知をいうのである

また、もう一つの

外的な無知とは

人間の肉身をはじめとする自然界に対する無知をいうのであり

すべての物質世界の根本は何であるか、また

それらのすべての現象は各々どのような法則によって生ずるのか

という問題などに対する無知をいうのである

原理講論 総序-4





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総3. 人間は堕落した

2016-12-03 00:42:56 | 原理講論 総序

人間は堕落した

 このような観点から見るとき、我々は、人間は堕落したのだという結論に到達する

と同時に、だれしもこの結論に対しては反駁する余地がないということをもまた知るのである

人間は、このように堕落して自己破滅に瀕しているということを知っているがゆえに

邪心からくる悪の欲望を取り除き

本心から生じてくる善の欲望に従って

一つの目的を指向することによって

それ自体の矛盾性を除去しようと、必死の努力をしているのである

しかし、悲しいかな、我々は、その究極において

善と悪とがそもそもいかなるものなのかという問題を解くことができずにいるのである

例えば、有神論と無神論とについて考えるとき

二つのうちいずれか一つを善と見なせば、他の一つは悪ということになるのであるが

我々はいまだどちらが正しいかということに対する絶対的な定説をもっていないのである

いわんや、人間は、善の欲望を生ぜしめる本心というものがそもそもいかなるものなのか

また

この本心に反して悪の欲望を起こさしめる邪心というものがいったいどこから生じてくるものなのか

さらにまた

人間にこのような矛盾性をもたしめ、破滅を招来せしめるその根本原因はいったい何なのかなどという問題に対しては

全く無知なのである

それゆえ、我々が悪の欲望を抑え、善の欲望に従い、本心が指向する善の生活をなすためには

この無知を完全に克服して

善悪を判別できるようにならなければならないのである

原理講論 総序-3




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