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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

ルカ19 ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから

2016-07-20 00:14:11 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書19章

さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。

ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。

彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。

それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。

そこを通られるところだったからである。

イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、

「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」

そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。 人々はみな、これを見てつぶやき、

「彼は罪人の家にはいって客となった」

と言った。 ザアカイは立って主に言った、

「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」

イエスは彼に言われた、

「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」

人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。

それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。 それで言われた、

「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。

そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、

『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』

ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、

『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』

と言わせた。 さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。 最初の者が進み出て言った、

『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』

主人は言った、

『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』

次の者がきて言った、

『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』

そこでこの者にも、

『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。 それから、もうひとりの者がきて言った、

『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。

あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』

彼に言った、

『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。

わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。

では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』

そして、そばに立っていた人々に、

『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』

と言った。 彼らは言った、

『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』

『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。

しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」

イエスはこれらのことを言ったのち、先頭に立ち、エルサレムへ上って行かれた。

そしてオリブという山に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子をつかわして言われた、

「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。

それを解いて、引いてきなさい。 もしだれかが

『なぜ解くのか』

と問うたら、

『主がお入り用なのです』

と、そう言いなさい」

そこで、つかわされた者たちが行って見ると、果して、言われたとおりであった。

彼らが、そのろばの子を解いていると、その持ち主たちが、

「なぜろばの子を解くのか」

と言ったので、

「主がお入り用なのです」

と答えた。 そしてそれをイエスのところに引いてきて、その子ろばの上に自分たちの上着をかけてイエスをお乗せした。

そして進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。

いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、

「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ」

ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、

「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」

答えて言われた、

「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」

いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、

「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……しかし、それは今おまえの目に隠されている。

いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、 おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。

それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」

それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、 彼らに言われた、

「『わが家は祈の家であるべきだ』

と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」

イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、 民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった

ルカによる福音書‬ ‭19:1-48

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目標1日4章







聖書を完読しよう992
42-19

ルカ18 だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ そこにはいることは決してできない

2016-07-20 00:12:58 | 新約聖書3 42ルカによる福音書

ルカによる福音書18章

また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。

ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、

『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』

と願いつづけた。 彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、

『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、 このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。

そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」

そこで主は言われた、

「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。

まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。

あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。

しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」

自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。

「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、

『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。

わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、

『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。

おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」

イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。

ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。

するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、

「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」

また、ある役人がイエスに尋ねた、

「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」

イエスは言われた、

「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。 いましめはあなたの知っているとおりである、

『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」

すると彼は言った、

「それらのことはみな、小さい時から守っております」

イエスはこれを聞いて言われた、

「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。

そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」

彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であったからである。 イエスは彼の様子を見て言われた、

「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。

富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」

これを聞いた人々が、

「それでは、だれが救われることができるのですか」

と尋ねると、 イエスは言われた、

「人にはできない事も、神にはできる」

ペテロが言った、

「ごらんなさい、わたしたちは自分のものを捨てて、あなたに従いました」

イエスは言われた、

「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、 必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」

イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、

「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。

人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、 また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」

弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。

この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。

イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道ばたにすわって、物ごいをしていた。

群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼は何事があるのかと尋ねた。

ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、 声をあげて、

「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」

と言った。 先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、

「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」

そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、とお命じになった。彼が近づいたとき、

「わたしに何をしてほしいのか」

とおたずねになると、

「主よ、見えるようになることです」

と答えた。 そこでイエスは言われた、

「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」

すると彼は、たちまち見えるようになった。

そして神をあがめながらイエスに従って行った。

これを見て、人々はみな神をさんびした

ルカによる福音書‬ ‭18:1-43

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目標1日4章







聖書を完読しよう991
42-18

ルカ17 悔い改めたら ゆるしてやりなさい。ひとりは取り去られ 他のひとりは残されるであろう

2016-07-20 00:11:57 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書17章

「イエスは弟子たちに言われた、

「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。

これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。

あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。

そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度

『悔い改めます』

と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」

使徒たちは主に

「わたしたちの信仰を増してください」

と言った。 そこで主が言われた、

「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、

『抜け出して海に植われ』

と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。

あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。

その僕が畑から帰って来たとき、彼に

『すぐきて、食卓につきなさい』

と言うだろうか。 かえって、

『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』

と、言うではないか。 僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。

同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、

『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』

と言いなさい」

イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。

そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、

「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」

と言った。 イエスは彼らをごらんになって、

「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」

と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。

そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。

これはサマリヤ人であった。 イエスは彼にむかって言われた、

「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。

神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」

それから、その人に言われた、

「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、

「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また

『見よ、ここにある』

『あそこにある』

などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」

それから弟子たちに言われた、

「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。 人々はあなたがたに、

『見よ、あそこに』

『見よ、ここに』

と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。

いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。

しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。

そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。

ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

ロトの時にも同じようなことが起った。

人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。

人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。

ロトの妻のことを思い出しなさい。 自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。 あなたがたに言っておく。

その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。

ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。

〔 ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」

弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」

と尋ねた。するとイエスは言われた、

「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」

ルカによる福音書‬ ‭17:1-37

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目標1日4章







聖書を完読しよう990
42-17

ルカ16 不正の富を用いてでも 自分のために友だちをつくるがよい

2016-07-19 11:25:11 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書16章

イエスはまた、弟子たちに言われた、

「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。

そこで主人は彼を呼んで言った、

『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。

もう家令をさせて置くわけにはいかないから』

この家令は心の中で思った、

『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。

そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』

それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、

『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』

と尋ねた。

『油百樽です』

と答えた。そこで家令が言った、

『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』

次に、もうひとりに、

『あなたの負債はどれだけですか』

と尋ねると、

『麦百石です』

と答えた。これに対して、

『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』

と言った。 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。

この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。

またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。

そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。

小事に忠実な人は、大事にも忠実である。

そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。

だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。

また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。

どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。

あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」

欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。 そこで彼らにむかって言われた、

「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。

しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。

律法と預言者とはヨハネの時までのものである。

それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。

しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。

すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うものであり、また、夫から出された女をめとる者も、姦淫を行うものである。

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。

ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。

その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。

この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。

そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 そこで声をあげて言った、

『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』

アブラハムが言った、

『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。

しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。

そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』

そこで金持が言った、

『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』

アブラハムは言った、

『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』

金持が言った、

『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』

アブラハムは言った、

『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」

ルカによる福音書‬ ‭16:1-31

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目標1日4章







聖書を完読しよう989
42-16

ルカ15 放蕩息子

2016-07-19 11:12:39 | 新約聖書3 42ルカによる福音書


ルカによる福音書15章

さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。

するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、

「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」

と言った。 そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。

その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、

『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』

と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、

罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。

そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、

『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』

と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、

罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」

また言われた、

「ある人に、ふたりのむすこがあった。 ところが、弟が父親に言った、

『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』

そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。

それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。

何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。

彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。

そこで彼は本心に立ちかえって言った、

『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。

立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。

もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』

そこで立って、父のところへ出かけた。

まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 むすこは父に言った、

『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。

もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』

しかし父は僕たちに言いつけた、

『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。

また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。

このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』

それから祝宴がはじまった。

ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 ひとりの僕を呼んで、

『いったい、これは何事なのか』

と尋ねた。 僕は答えた、

『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』

兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、 兄は父にむかって言った、

『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。

それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』

すると父は言った、

『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。

しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」

ルカによる福音書‬ ‭15:1-32

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