13. 宗教史と経済史と政治史との相互関係
(2)宗教史と経済史と政治史との相互関係
神は人間をして、有形、無形の両世界を主管することができるようにするため
肉身と霊人体との二つの部分をもって人間を創造されたということについては、既に、創造原理のところで論じたはずである
ゆえに、人間がもし堕落しなかったならば、その霊人体は、肉身と共に成長し完成することによって
霊肉両面の知性が、同時に地上の肉身生活の中で、完全な調和をなし得たはずであった
ところが、人間は、堕落することにより、霊肉両面の無知に陥るようになったのである
ここにおいて、人間の霊的無知は宗教によって、また、その肉的無知は科学によって啓発されてきたのであるが
このことに関しては、既に前編の第三章第五節(一)において論じたところである
ところで、霊的無知は、宗教をもって堕落人間の中に潜在している本心を呼び起こすことにより
彼らが見ることのできない原因的な世界を探し求めるにつれて、漸次啓発されてきたのである
しかし、宗教は、だれしもがみな痛切にその必要性を感ずるというものではないので
霊的な面の啓発は、ある特殊な人間においては飛躍的なものであっても
一般的には、非常に緩慢なものであるといわなければならない
これは、宗教が世界的に普遍化されている今日においても、霊的な面では、古代人と大差のない人間が多いという事実をもってみても、推察し得ることである
ところが、これとは反対に、肉的な無知は、だれでも認識し得る結果の世界
すなわち、自然界(肉界)に関することを科学的に探究することによって啓発されてきたのであった
しかも、科学は、現実を打開するものであるために、だれにも必要不可欠なものである
それゆえに、肉的無知に対する啓発は、急進的であり、かつ、普遍的である
このように、探求していく対象が、宗教においては目に見えない原因の世界であるので
超現実的なものであるのに反し
科学においては目に見える結果の世界、すなわち、物質世界であり
これは現実的なものであるがゆえに
今まで、宗教と科学は、理論的に妥協することのできないものとして、衝突を免れ得なかった
そればかりでなく、被造世界の主権を握っているサタンが、現実生活を通して、人間に侵入してくる関係上
今までの宗教の道は
現実を見捨てなくては行かれない道であると見なされてきたので
現実を追求する科学と、互いに調和をなすことができなかったのは当然なことといえる
次の章の第一節で詳しく論ずるが、神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に、内的な霊人体を創造されたので
(創二・7)
再創造の原則によって、復帰摂理も、外的なものから内的なものへと復帰していく過程を踏むようになるのである
このような摂理的な原則から見ても、科学と宗教とは互いに調和することのできない発展過程を事実上歩んできたのである
このような不調和は、宗教と経済との関係においても同じである
それは、経済もまた科学と同じく現実世界に属するものであり、その上、科学の発達と密接な関係をもって発展するものだからである
このような関係により、神の内的な摂理による宗教史と、その外的な摂理による経済史とは
その発展においても、互いに、方向と進度を異にせざるを得なかったのである
ゆえに、かかる神の復帰摂理の典型路程を歩んできた西欧における歴史発展を、摂理的な面から把握するためには
キリスト教史と経済史とを各々別に分けて考察しなければならないのである
ところで、宗教と科学とが、上述のような関係におかれているのと同様
宗教と経済もまた、堕落人間の内外両面の生活を、各々分担して復帰しなければならない使命を担っているので
これらが全く何らの関係もなしに発展するということはあり得ないことだといわなければならない
ゆえに、宗教と科学とは、したがって、宗教と経済とは、その発展過程において、互いに対立しあう側面をもちながらも
我々の社会生活と関係を結んで、それぞれが、各々キリスト教史と経済史とを、形成してきたのであった
では、それらは、我々の社会生活と、いかにして結びつくことができたのであろうか
それは、とりもなおさず、政治によって結ばれたのである
キリスト教化された西欧においてはなおさらである
西欧における政治は、急進的な科学の発達に伴う経済発展と、復帰摂理の明確な方向をとらえることができずに、迷いの中にあったキリスト教の動きとを
社会生活の中で調和させていくという方向に向かって進まざるを得なかったので
その政治史は、宗教と経済とを調和させていくいま一つの新しい方向に向かうようになったのである
したがって、復帰摂理のための歴史の発展を正確に把握するためには
政治史に対してもこれまた、別途に考察することが必要となってくるのである
これに対する実例として十七世紀末葉における西欧の歴史について、その発展過程を考察してみることにしよう
まず、宗教史の面から調べてみると、この時代において、既に、キリスト教民主主義社会が形成されていたのである
すなわち一五一七年の宗教改革により、法王が独裁していた霊的な王国が倒れることによって
中世人たちは、法王に隷属されていた信仰生活から解放され、だれもが聖書を中心として、自由に信仰生活をすることができるようになった
しかし、政治史の面から見るならば、この時代には、専制君主社会が台頭していたのであり
経済史の面においては、いまだ荘園制度による封建社会が、厳存していたのである
このように、同時代における同社会が、宗教面においては民主主義社会となり
政治面では君主主義社会
そして、経済面においては封建主義社会となっているのであるから
復帰摂理の立場からこの時代の性格を把握するためには
その発展過程を、各々別途に考察しなければならないのである
そのためには、復帰摂理時代(旧約時代)における歴史発展が、どうしてそのような過程を歩まなければならなかったのであるかを我々は知らなければならない
古代社会においては、科学の発達がほとんど停頓状態におかれていたので、経済発展もまたそうであった
いまだ生活様式が分化される以前の旧約時代のイスラエル民族は、指導者の命令により
厳格な律法に追従する主従関係の社会制度のもとで単純な生活をしていたので
彼らの宗教生活は、すなわち彼らの社会生活となっていたのである
したがって、その当時には、宗教と政治と経済とが分立して発展することはなかったのであった
原理講論 後編4 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代-13
聖書と原理講論を学び
神様をはっきりと知り、神様に感謝し
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自分を愛するのと同じように隣人を愛し
勝利されたお父様とご子女様と一つになって責任を果たし
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<良心宣言>
良心は両親に勝る
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神様と人の為に生きる人生は、神様が約束された栄光への道
統一教会の混乱克服の為の基本的な理解
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