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生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

マタイ13 良い地とは 御言を聞いて悟る人のことで そういう人が実を結び百倍六十倍三十倍にもなる

2016-07-01 15:55:33 | 新約聖書1 40マタイによる福音書
マタイ13 良い地とは 御言を聞いて悟る人のことで そういう人が実を結び百倍六十倍三十倍にもなる

マタイによる福音書13章

その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。

ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、

「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。

すると、鳥がきて食べてしまった。

ほかの種は土の薄い石地に落ちた。

そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

ほかの種はいばらの地に落ちた。

すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

耳のある者は聞くがよい」

それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、

「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」

そこでイエスは答えて言われた、

「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。

だから、彼らには譬で語るのである。

それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。

『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。

見るには見るが、決して認めない。

この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。

それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』

しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。

あなたがたによく言っておく。

多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、

またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。

そこで、種まきの譬を聞きなさい。

だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。

道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。

石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。

その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。

また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。

また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、

「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。

人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。

芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。

僕たちがきて、家の主人に言った、

『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』

主人は言った、

『それは敵のしわざだ』

すると僕たちが言った

『では行って、それを抜き集めましょうか』

彼は言った、

『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。

収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、

「天国は、一粒のからし種のようなものである。

ある人がそれをとって畑にまくと、 それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」

またほかの譬を彼らに語られた、

「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」

イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。

これは預言者によって言われたことが、成就するためである、

「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」

それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、

「畑の毒麦の譬を説明してください」

イエスは答えて言われた、

「良い種をまく者は、人の子である。

畑は世界である。

良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。

それをまいた敵は悪魔である。

収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。

だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。

人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 炉の火に投げ入れさせるであろう。

そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。

耳のある者は聞くがよい。

天国は、畑に隠してある宝のようなものである。

人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。

高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。

それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。

世の終りにも、そのとおりになるであろう。

すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 そして炉の火に投げこむであろう。

そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

あなたがたは、これらのことが皆わかったか」

彼らは「わかりました」と答えた。

そこで、イエスは彼らに言われた、

「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」

イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。

そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、

「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。

この人は大工の子ではないか。

母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。

またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。

こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」

こうして人々はイエスにつまずいた。

しかし、イエスは言われた、

「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」

そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった

マタイによる福音書‬ ‭13:1-58

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう942
40-13

マタイ12 見よ ソロモンにまさる者がここにいる

2016-07-01 10:41:34 | 新約聖書1 40マタイによる福音書


マタイによる福音書12章

そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。

すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。

パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、

「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」

そこでイエスは彼らに言われた、

「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。

すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。

また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。

あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。

『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』

とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。

人の子は安息日の主である」

イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。

すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、

「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」

と尋ねた。 イエスは彼らに言われた、

「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。

人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。

だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」

そしてイエスはその人に、

「手を伸ばしなさい」

と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。

パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。

イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。

ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、 そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。

これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、

「見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。

わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。

彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。

彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。

異邦人は彼の名に望みを置くであろう」

そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。

すると群衆はみな驚いて言った、

「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」

しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、

「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」

イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、

「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。

もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。

それでは、その国はどうして立ち行けよう。

もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。

だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。

まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。

縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。

わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

だから、あなたがたに言っておく。

人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。

しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。

また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。

しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。

木はその実でわかるからである。

まむしの子らよ。

あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。

おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。

善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。

あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」

そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、

「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」

すると、彼らに答えて言われた、

「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。

しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。

すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。

ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。

なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。

しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。

南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。

なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。

しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。

汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。

そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。

そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。

そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。

よこしまな今の時代も、このようになるであろう」

イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。

それで、ある人がイエスに言った、

「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」

イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、

「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」

そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、

「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」

マタイによる福音書‬ ‭12:1-50

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2017年の聖書の完読年間計画
目標1日4章







聖書を完読しよう941
40-12

マタイ11『きたるべきかた』はあなたなのですか それとも ほかにだれかを待つべきでしょうか

2016-07-01 00:08:18 | 新約聖書1 40マタイによる福音書


マタイによる福音書11章

イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。

さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、 イエスに言わせた、

「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」

イエスは答えて言われた、

「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。

盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。

わたしにつまずかない者は、さいわいである」

彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、

「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。

では、何を見に出てきたのか。

柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。

では、なんのために出てきたのか。

預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。

『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』

と書いてあるのは、この人のことである。

あなたがたによく言っておく。

女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。

しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。

そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。

すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。

そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。

耳のある者は聞くがよい。 今の時代を何に比べようか。

それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、

『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』

と言うのに似ている。

なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、

また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。

しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」

それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。

「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。

おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。

しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。

ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。

おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。

しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」

そのときイエスは声をあげて言われた、

「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。

これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。

父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。

すべての事は父からわたしに任せられています。

そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

マタイによる福音書‬ ‭11:1-30

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目標1日4章







聖書を完読しよう940
40-11

マタイ10 へびのように賢く、はとのように素直であれ

2016-06-30 11:50:09 | 新約聖書1 40マタイによる福音書


マタイによる福音書10章

そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

十二使徒の名は、次のとおりである。

まずペテロと呼ばれたシモン
とその兄弟アンデレ、
それからゼベダイの子ヤコブ
とその兄弟ヨハネ、
ピリポと
バルトロマイ、
トマス
と取税人マタイ、
アルパヨの子ヤコブと
タダイ、
熱心党のシモン
とイスカリオテのユダ。

このユダはイエスを裏切った者である。

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、

「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。 行って、

『天国が近づいた』

と宣べ伝えよ。 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。

ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。

旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。

働き人がその食物を得るのは当然である。

どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。

その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。

もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。

もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。

もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。

あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。

わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。

だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。

またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。

それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。

言うべきことは、その時に授けられるからである。

語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。

兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。

またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。

よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。

弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。

弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。

もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

だから彼らを恐れるな。

おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。

耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。

むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。

しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

それだから、恐れることはない。

あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。

わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。

そして家の者が、その人の敵となるであろう。

わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。

わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。

預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。

わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、

よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」

マタイによる福音書‬ ‭10:1-42

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聖書を完読しよう939
40-10

マタイ9 収穫は多いが、働き人が少ない

2016-06-30 07:15:00 | 新約聖書1 40マタイによる福音書


マタイによる福音書9章

さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。

すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。

イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、

「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」

と言われた。 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、

「この人は神を汚している」

イエスは彼らの考えを見抜いて、

「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。

あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。

しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」

と言い、中風の者にむかって、

「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」

と言われた。 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。

群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。

さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、

「わたしに従ってきなさい」

と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。

それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。

多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。 パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、

「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」

イエスはこれを聞いて言われた、

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。

『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』

とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」

そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、

「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」

するとイエスは言われた、

「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。

しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。

だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。

そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。

だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。

もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。

だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。

そうすれば両方とも長もちがするであろう」

これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、

「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」

そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。

するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。

み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。

イエスは振り向いて、この女を見て言われた、

「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」

するとこの女はその時に、いやされた。 それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。

「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」

すると人々はイエスをあざ笑った。

しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。

そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。

そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、

「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」

と叫びながら、イエスについてきた。 そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに

「わたしにそれができると信じるか」

と言われた。彼らは言った、

「主よ、信じます」

そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、

「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」

すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、

「だれにも知れないように気をつけなさい」

しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。

彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。

すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。

群衆は驚いて、

「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」

と言った。 しかし、パリサイ人たちは言った、

「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」

イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。

また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。

そして弟子たちに言われた、

「収穫は多いが、働き人が少ない。

だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」

マタイによる福音書‬ ‭9:1-38

聖書物語を子供に話してあげましょう


聖書を学び、神様を知り、神様に感謝し、神様をおそれ、神様を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛しましょう


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