Tomotubby’s Travel Blog

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「After All These Years」を観て

2012-10-19 | 映画・ロケ地訪問

Lim KahWai - After All These Years

人の語る旅の楽しい思い出は、楽園の景色をプリントした壁紙のようなものかもしれない。

ずっと昔のある日、旅先から戻り身近な人たちを相手に旅行での体験などを話していて気づいたのは、大部分の人たちはそんな話をする私に対して決して好意的ではなく、憎悪すら抱いている場合があるということだった。日本人が長期の旅行に行くには、ある程度の金銭的な余裕が必要になるが、それよりむしろ時間的な余裕が必要になる。家族を持ち職業を持つ一般の日本人にとって、この時間的な制約から逃れることは容易ではない。しかし「若者は自分には得られない時間的余裕を得て長い間海外を旅している。自分より金も社会的地位もないくせに」

誰しも部屋の片隅で世界を自由に旅することを夢想しただろう。幼少時に親たちにその夢を話し、どこかへ連れて行ってくれと頼むと「大きくなってお金を稼ぐようになれば何所へでも好きな場所に行けるから。将来、旅行が好きな人とでも結婚して何所へでも連れて行ってもらえばいい」と諭された。しかし子供ながらに、それが嘘であることは見破っていた。職に就き、結婚して子供ができれば、何所にも自由にいけないことは、親たちを見ていれば容易に想像できたから。

多少なりと旅行資金を稼げるようになり貧乏旅行に出かけることができるようになると、今度は周囲が「いつまでも好きなことばかりしていないで早く結婚しなさい」と言うようになった。私が頻繁に旅行していることを、親たちですら好ましく思っていないことを悟った。むろんその悪意の裏には羨望があるのだろう。自分たちが我慢してできなかったことを、今この子はしているという羨み。自分たちがずっとこれが「人生」だと思っていたことが必ずしも絶対的真実ではなく、そこから解放されている者がいることへの妬み。

程度の差はあれど、年をとって老人になると身体的な制約が現れて行動範囲が狭くなる。若者のように何時でも何所へでも自由気儘に出かけることは難しくなってしまう。それは「人生」の宿命に違いない。定職に就かず流れ者のような生活を送る者でもいずれ身を落ちつける場所が必要になるだろう。年をとって、家もなく、伴侶も家族もいないのは、さぞ孤独なことだろう。そうして誰しもに、かつて親たちがしたように若者たちを羨望の眼差しで見つめ小言の一つも言うような日が、やがて来るのだろう。その若者たちもいずれは老い、彼らの子供たちの世代を羨ましく見つめる日が来るのだろう。

世代が重なり合って、果てしなく続く「人生」の連鎖。

10月19日

@cinemadrifter きっとリドリー・スコットもお好きなんですね。「After all these years」の台詞にエイリアンのことがでてきました。

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@cinemadrifter 「After all these years」を観てblog.goo.ne.jp/tomotubby/e/ec…

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10月20日

特に地方都市に作るべき。RT @wakamatsu_koji: 若松孝二監督よりの提言:文化庁は映画製作に助成金を出す必要はない、製作に金を出してもろくな映画はできやしない。それより苦労しているミニシアターに助成金を出すべきだ。映画をいくら作ったってかける劇場がなければ始まらない


「After all these years」モノクロの部分、画面がTVみたいに小さく、カメラが動かないので、NHKの外国語講座のスキャットを観ているように感じた。そしてどうでもいいことだけど、アジェ役の男優がどこか香川真司に似ているのだった。

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「After all these years」モノクロ部分で殺されたアジェは、カラー部分で死神になって登場したのではないか。死神は電車に乗ってやって来る。

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「After all these years」アジェが死刑になるくだりでは、随分前に観たパゾリーニのいくつかの映画の場面が脳内でフラッシュバックした。

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