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【勝手に引用】 かくも卑しきコリアン根性

2012-10-18 | 好韓嫌韓・厭鮮
評論家・黄文雄 韓国という厄災 日本人には理解不能?! かくも卑しきコリアン根性
虚言、詐欺、相互不信、空理空論、無恥、卑屈、臆病…これが「半万年の歴史を持つ偉大な韓民族」の正体だ。

裏切りと不信の国民性

韓国の李明博大統領の竹島上陸と天皇に対する非常識な発言に、日本人が怒り、抗議の声が広がっている。嫌韓感情の高まりというよりも、「この国はだめだ」という諦感が定着し始めているのは、ごく当たり前のことだ。
戦後、日韓基本条約を結んだにも拘らず、歴代の韓国大統領は日本に対し「謝罪と反省」を執拗に求め続けてきた。一方の日本がいくらそれに応じて謝罪を行事化し、明文化をくりかえしても、韓国の反日感情は収まらない。
金大中、盧武鉉両大統領の2代10年にわたる親中、親北、反日、反米の左翼政権から商人出身の李明博大統領の代になって、本人も「韓日の過去」のいざこざに終わりを明言し、日本もこれで両国関係は正常化に向かうと期待していた。だが、李明博の8月以降の豹変ぶりと異常な言動にまともな日本人は愕然とし、「また裏切られた」という念が強い。「李明博までも」という韓国人への不信感は募る一方である。
李明博大統領の異常な言動を巡り、私がすぐ連想するのは、フランス神父ダレが著した『朝鮮事情』(原題『高麗史』)の中の記述である。ダレは同書の中で、「五十人による陰謀は、たいていその共同謀議者の四十九人から暴かれる」という、朝鮮人の「不信と裏切り」の国民性を描いている。
朝鮮史上二回にわたる「胡乱」は有名である。満蒙八旗軍と戦って敗れた朝鮮は、「迎恩門」や「慕華館」、「頌徳碑」まで作らされる屈辱を受けた。しかしこれは、元をたどれば後金国の2代目ハーン・フォンタイジの、朝鮮から受けたいじめと裏切りに対する復仇であった。「胡乱」は満蒙八旗軍による半島蹂躪の歴史というよりも、朝鮮人が持つ裏切りと不信の国民性を象徴する歴史事件と読むべきだ。
戦後、半島の北も南も、エリート層にしか使いこなせない漢字を全廃し、ハングルのみ国字にしたのは、民族を育てていくのに必要不可欠なことだった。当時、中国でさえ簡体字化、将来のラテン文字化を目指していた。文豪魯迅までが、「漢字滅ぼせずんば中国滅ぶ」と遺言をのこしている。交信メディアの転換は近現代にかぎらず、人類史上よく見られることだ。
だが、結果としては、漢字廃止後の「ハングル世代」と呼ばれる世代は真の国史を知ることができなくなり、「捏造」「創作」の国史しか知らないという状況を生み出した。「韓国半万年史」の中で、高句麗史、渤海史以外には、真実の記述が乏しく、人物としては朴正煕しかいないというのが、中立な私の眼から見た韓国である。

「日帝36年」は超安定社会

李明博大統領の「もし天皇が訪韓したいならば、殺された独立運動者に謝罪を」という旨の発言は、韓国なら通用するかも知れないが、外国ではその知性だけでなく品格まで疑わせるものだ。
ソウル・オリンピックの時から韓国は「天皇訪韓」をあたかも日本の「義務」であるかのように要請しつづけてきたが、逆に日本から求めたことは一度もない。また、「殺された独立運動者」というが、日韓合邦以来、義兵運動から反日ゲリラに至るまで、法によって刑罰に処された者よりも内ゲバで殺された者のほうが多かった。反日、抗日、建国運動の指導者として活躍していた呂運享、宋鎮禹、金九らは、いったい誰に殺されたのだろうか。独立運動家はほとんどが同志や政敵に暗殺されたのではないだろうか。
戦後、韓国は「日帝36年の七奪」(主権、国王、土地、姓氏、生命、国語、資源の七つを奪った)をはじめ、強制連行やら従軍慰安婦を反日、克日のお題目として唱え、国造りのテコにしてきた。竹島は戦後李承晩ライン以後に韓国の領土とされたものである。
国民国家の時代以来、いかなる民族も国家も強国、大国志向である。英仏だけでなく、オーストリー・ハンガリー帝国、チェコスロバキア、ユーゴスロバキアも同君合邦国家だった。福沢諭吉の「脱亜論」の数年後に刊行された樽井藤吉の「大東合邦論」は日韓清とも「同文同種同俗同州」のアイデンティティの下で違和感はないと主張していた。日韓合邦も双方に賛否両論ある中で実現したものであり、一方的な強制だったとするのは言いがかりだ。日韓合邦は「東亜の永久平和」への礎としてむしろ列強がそろって賛同し、利害関係の強い清露さえ異議を唱えなかった。
また実際にも、戦後韓国が主張するような「七奪」どころか、人口も食糧も倍増し、主権も拡大、史実としては「七恩」あるいは「七布施」と称するべきものだった。
戦後の李承晩大統領以降、次代の大統領が先代を粛清することはすでに韓国政治の掟となり、宿命ともいえる。しかしそれは戦後から始まったことではない。李王一族をはじめ両班に至るまで繰り広げられる朋党間の争いは朝鮮名物のようなもので、宿痾だった。李朝500余年にかぎらず、高麗朝からさらに檀君開国まで遡っても、内ゲバが半島史の宿命だった。
ではなぜ「日帝」の時代が半島史上未曾有の、いや空前絶後の超安定社会となったのか。その理由はただ一つ、朋党間の争いが半島から排除され、場外乱闘に変わったからだった。それが戦後になってまた再燃しただけのことである。ハングル世代は近現代史を語るのに際し、その掟から知るべきだ…。


何でも「強制連行」と結びつける心理  

強制連行や従軍慰安婦の問題は存在しないことが徐々に明白になっている。それでも韓国では反日のお題目としてゆすりたかりに悪用するどころか、慰安婦を聖女にしてブロンズ像まで建立している。
とはいえ、韓国が何でも強制巡行と結びつけて騒ぎ立てるのは、その歴史と国民性からみして理由がないわけではない。唐軍による高句麗、百済遣民の強制巡行、モンゴル軍による高麗人の強制巡行のほか、満蒙八旗軍が朝鮮人口の半数を北方へ連行したという史実がある。半島において、人さらいは伝統文化としての習俗であることも事実だ。北朝鮮による拉致問題もその習俗の延長といえる。
「八千人の台湾少年が日本に連行された」と日韓の一部メディアが騒いだこともあったが、韓国メディアと日本の進歩的学者によるこの“大発見”は誤報だった。台湾の少年工は大戦中に厳しい学科試験と身体検査にパスした後、校長や父兄のハンコを得て、はじめてゼロ戦に匹敵する「雷電」戦闘機の製造に携わるべく内地日本に渡ることができた。
朝鮮人の強制連行は作り話で、日本政府はむしろ朝鮮人の内地渡行を制限し、朝鮮人が抗議集会をするほどだった。台湾人の内地渡行には厳しい試験競争があり、朝鮮人は強制連行したなどということは、常識から考えてあり得ないだろう。今日に至っても日本政府は半島からの密入国に頭を痛めているほどだ。
いわゆる従軍慰安婦についても、河野洋平元外相ら韓国から「良心的な日本人」と呼ばれる人々以外、例えば石原慎太郎都知事や橋下徹大阪市長は日本が組織的に無理矢理働かせた証拠はないときっぱり否定している。それが日本人の常識である。
そもそも朝鮮半島はアジア最大の売春婦の産地だった。今でも世界各地で十万人、日本ではその約半数が働いている。半島の娼妓史から見て、営妓辺妓は「従軍慰安婦」に相当するもので、70年代に「国家管理売春」「観光(売春)立国」と日本の進歩的文化人が朴大統領を批判する以前は、何ら問題にされなかった。高麗朝の時代には政府が「結婚寡婦処女推考別監」を設け、モンゴル政府に売却していた史実さえあるのである。かつて豊臣秀吉が、日本人女性がポルトガルに奴隷として売買されていたことに激昂し、バテレン追放令を出したのとは雲泥の差である。
台湾人の中立の眼から見て、終戦直後まで、台湾の妓娼はほとんど朝鮮人娼妓で占められていた。南の台湾と北の韓国との最初の人的交流は、北部炭鉱の娼妓だった。飢饉時は娘一人米一升、日帝時代でも30円(公務員俸給の二ヵ月分)で、中国商人によって売られてくる。インドの巫妓の地位は国王以上だが、儒教国家ではまったくちがう。過去の貧しい朝鮮人の哀史は、日本の中学生に教えるのはやや早い。むしろ韓国は過去の国史をただ美化するだけではなく、自国の風俗社会史についてもある程度知るべきだ。

弱い者いじめと火事場泥棒   

 日本人は韓国の反日、克日運動に辟易し、対処に窮することも多々あるだろうが、少し見方を変えてみたらどうか。逆に、大中華と小中華の反日騒ぎは、戦後日本人が「国家と民族とは何か」をもう一度問い直す刺激となり、真の反省と目覚めの触媒にもなる。
「反日よありがとう」と礼をしてもいいぐらいだ。ローマが天敵のカルタゴを滅ぼした後に逆に没落し、自滅していった教訓に学ぶべきだろう。
少なくとも李朝末期の大韓帝国以来、韓国は日本なしには生きてはいかれない国だ。口では「反日」「克日」を騒ぎ立てても、内面では日本に甘えているところがある。韓国の恨みは千年の宗主国だった中華に対してもあった。ただ中華の国だからマキャベリの『君主論』以上に『韓非子』の教えが物を言う。相手を反抗できないように徹底的に大人しくさせる奥の手がある。いくら「恨」をのこしてもだ。一方、思いやりのある日本人はそれをできない。その差だけだろう。
韓人の本性は事大である。決して政治だけではなく、あらゆる面でそうである。事大の反面として弱い者いじめをし、しかも火事場泥棒の根性が強い。戦後の焼け跡時代の韓国人の所為は知る人ぞ知る。
「一千回侵略されてすべて撃退した」という説はハングル世代のウリナラ(自国)自慢の一つである。しかし哀しいかな、そういう史実はほとんどない。北から侵入されると、北鮮の有力者はたいていすぐ土地を献上し、侵入者の先頭に立って南を叩く。海からの「倭乱」でも、下層民がすぐ蜂起し、宮殿を焼き払い、逃亡した王子まで捉えて倭軍に献上したことは豊臣秀吉の「朝鮮出兵」の歴史で知られる。
国内でも国外でも事大による弱者いじめと火事場泥棒に変わりはない。李朝時代には明を事大の対象として仕え、満州人をいじめ、満州人に逆襲されるとすぐ牛から馬に乗り換えて、満蒙八旗軍の先頭に立って明人大虐殺を行った。韓人が誇りにする初の海外遠征も、つまるところ米軍の虎の威を借りてのベトコン叩きだった。
そもそも台湾と韓国とは「反共」の同志だった。漢江の奇蹟を可能にした外国からの支援は、日本だけではなく台湾からも多額に上った。しかし台湾から中国へ、牛から馬へと乗り換えた後の台湾叩きといじめは、実に冷血無情だった。韓国内にいる台湾系華僑というのは実は山東人である。華僑には激しい迫害が加えられ、十分の一まで人数が減ったといい、台湾や半島以外の国々へ四散している。
が、韓国のいじめに対して、そのまま泣き寝入りする台湾ではなかった。ロス暴動の際、アメリカの黒人は韓国人商店へ逆襲するだけですんだが、台湾では航空機の相互乗り入れ中止にはじまり、高雄市と台南市では議会が姉妹都市の交流断絶決議を全員一致で可決、さらに民間でも、韓国語をしゃべっただけでタクシーから降ろされ、韓国人経営の焼き肉店は閑古鳥が鳴くといった事態にまで発展した。
ソウル大使館前に「従軍慰安婦」の「聖女像」が建てられるまでいやがらせをされている日本が、いつまでも「大人の対応」を取っていられるのは、実にうらやましいかぎりだ。

反日を生み出す超深層心理  

筆者は90年代から、『歪められた朝鮮総督府』(カッパブックス)をはじめ韓国人の「反日」についての著書を何冊か書いてきた。なぜ韓国人は反日なのか、その理由についてさまざまな分析を試みてきた。
最近の「反日」行動を見るかぎり、それほど簡単に終息することはないと考える。その理由は日本人よりも韓国人にあるからだ。
というのは、反日の“プロ”はいわゆる「日帝36年」を体験してきた「植民地世代」ではなく、実は日本のことをあまり知らない「ハングル世代」が中心だからである。「皇民化された植民地世代」は、公の場ではハングル世代とともに反日を叫ぶが、私的な場では反日なことは言わない。ハングル世代はこの世代を、「彼らが死に絶えない限り韓国は永遠によくならない」とまで罵り、前の世代をいとも簡単に切り捨てている。
韓国の反日の理由についてはこれまで、ナショナリズムの育成から「恨」の文化に至るまで、さまざまな分析があった。大中華の漢人と小中華の韓人の反日は共通の中華思想からくるものもあるが、異なる理由もある。それも異なる歴史の歩みからくるものだろう。
イスラム教やユダヤ教のような宗教的求心力がない韓国では、扇情的な鼓舞を以ってしかアイデンティティを求めることができない。これが「半万年の歴史をもつ偉大な韓民族」と自負する韓人のアキレス腱だろう。
宗教や国王という求心力がない韓国にとって、陸の中華帝国からの脅威に怯えつづけ、海からも日帝に支配されたという屈辱と屈折した心情を、どこにも持って行きようがない。だから彼らが自ら掲げる「世界で一番優秀な民族」や「21世紀は韓人の世紀」というドリームが実現しないかぎり、反華だけでなく反日、克日の騒ぎは終息することはなかろう。
韓国の反日の理由は、比較文化のレベルからもそのメンタリティを探ってみることが欠かせない。ことにその国民性と言語構造からだ。
朝鮮近代文学の父率先洙は韓人の国民性について「虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿訣迎合、面従腹背、大勢順応、無恥、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的利己心」など多くを指摘している。朴正煕元大統領は党争、事大主義などを民族的罪悪史、李朝史の負の遺産として取り上げている。もちろん、風習も国民性も時代によって変わるものである。
尹泰林は『韓国人その意識構造』の中で、韓語について「科学的表現には向かない」「事物を客観化かつ対象化して理解しようとしない」「合理的に把握しようとする精神が欠如している」など多くの言語構造的性格を取り上げている。

韓人の真の反日理由については、フロイトの精神分析やユングの超深層心理、さらには仏教がいう阿頼耶識からもっと探って、その真因を解明しなくてはならないだろうか。

(月刊正論11月号)


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