気ままな広州日記

2011年12月からわんぱく3兄弟を従えて広州で過ごしていましたが、2015年7月に本帰国しました。

端午節の粽(ちまき)

2012-06-18 | 広州 日々の出来事
先日夫が会社で真空パックになった粽(ちまき)をいただいて帰ってきました。

もうすぐ端午節なので銀行の人が来て配ってくれたとか・・・。
中国は旧暦で端午節をお祝いするのですが、今年は6月23日が旧暦の5月5日にあたります。
そして日本の端午の節句=こどもの日とは少し趣旨が異なるようです。

調べてみると
今から約2300年前
楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいました。
詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情が強く、人々の信望を集めていました。
しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。
楚の国民達は、小舟で川に行き、太鼓を打ってその音で魚をおどし、さらにちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。
その日が中国の年中行事になり,へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。
これが今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始まりとで、ちまき(肉粽=ローツォン)の起源とされています。
このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、中国全体に広がっていき
国と人民に尽くした屈原の政策は、死後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する
風習に変わって行きます。そしてそれが、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。
三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)国により旧暦5月5日に定められ、やがて日本にも伝わっていきました。

急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願するのが人々の習わしとなったようです。


いただいてきたちまきは我が家も端午節に食べるとするかな。