★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

嬉しい電話

2005年12月22日 | お母ちゃん★日々の様子
お母ちゃんは私がそばにいないとよく電話してきてくれます。
(毎日ほぼ定刻に。)

昨日は思いがけない時間にテレ電が鳴りました。
そして
『ともちゃん、お母さんうんちが出たよ。』
と嬉しそうに言うのです。

私は思わず、嬉し泣き笑い?してしまいました。
というのも、お母ちゃんが初めてゆう子ちゃんに
トイレへ行きたい、連れて行ってと言って
そして、大便が自分の力で出せたというのです。
これまでは、毎日出るものの。。自分ではトイレの意思表示をしないので
定刻に毎日、摘便(手袋をはめて出すのを手伝ってあげる)を
していたのです。

トイレで用をたす、こんな当たり前のコトが私たちはずっと
実現してくれるのをずっとずっと待ち続けていました。

お母ちゃん自身も頑張ってきたけども
ゆう子ちゃんやチャンチャ、お父ちゃん、病院の先生のお陰で
ようやくここまで来れました。

次の目標はゼリーだけでなく、おいしいものが食べれるように
励まして頑張っていきたいです。

あぁ、嬉しかった。


無事帰国。

2005年12月22日 | 家族の気持ち&行動
今週チャンチャのビザが期限を迎え月曜日に
母国スリランカへと帰っていきました。

3ヶ月前、成田まで迎えに行ったのは私、
だから私の責任でまた送り届ける予定でした。
しかし、ここのところの大雪。スケジュールは大幅に変更を繰り返していました。
うちは海外との貿易の仕事があるので
わりと外人のお客さんが来られます。

うちのカフェでイギリス人が商談でいたり、
中国の子が研修で勉強に来たり、
インド人が紅茶のサンプル持って営業へ来てたり。

だから?お母ちゃんの新しい家をバリアフリーリフォームする時
外人をウェルカムしやすい環境にしました。
食事を大勢でするのが苦にならずに
サラリと可能な環境を作るのが長年の私とお父ちゃんの夢でした。

先週末、チャンチャのサヨナラパーティー(と言うと彼女が泣くので)
サンキューパーティーを開きました。
即席買いして並べた寿司、サラダ、刺身セットで。

うちのスリランカ社員のパラさんのお陰で
チャンチャとのご縁が生まれて、来日が実現したのです。
キッカケは、私と彼が今年の春に一緒に台湾旅行へ行った時に
スリランカの自然科学療法について話す機会がたくさんあったことでした。

また、そこで歓迎された台湾人の社長さんと会食をしたのですが
総勢7~8名の大家族と一緒に本場の中華をご馳走になりました。
その時、3歳になる息子さんのベビーシッターがシンガポールから来ていて
既にもう3年滞在しているという。優しそうな家族に打ち解けた若い女性でした。
そのお陰で、奥さんも社長と一緒に仕事ができると教えてくれました。
まだまだ知らない世界があるなぁと軽くカルチャーショックを受けました。

皆さんはご存知かどうかわかりませんが
日本で介護とかベビーシッターを自前で雇おうとすると
月に20万から30万はかかります。20年前に東京のお母さんが
やはり両親の介護で看護婦さんを雇った当時も25万はかかったそうです。
(だから、経験者のお母さんは有難い事に、
 私の気持ちをとても理解してくださっています。)

その点、海外の優秀で優しい方に当たる(失礼!?)と
人件費はその1/2もしくは1/3で済みます。しかも、ビザは3年もあるそう。
(外人が日本へ来るには、滞在ビザは通常3ヶ月。)
それがいいとか悪いとかではなく、単純にうらやましい環境だなあと思いました。

そして、お父ちゃんと話し合って、
思い切ってダメ元で、スリランカの療法士を探してもらうことにしました。
ただし、家族として受け入れ、ホストファミリーとしての役割が必要!
という問題もありました。

しかしチャンチャはいつも笑顔で
多少食事制限(肉はチキンだけ。卵は食べない)と寒さに弱いことを
除いては素晴らしいホームステイファミリーでした。

私も7年前、イタリアへ単身ホームステイしたことがあります。
だから、その辛さ、メンタル的なことは理解できるので
私なりに一生懸命ケアさせていただいたし、私自身の体のケアもしてもらいました。

結果、お母ちゃんの通院の付き添い補助、
毎日のマッサージ、家事の手伝いなど
一生懸命頑張ってくれました。

はるばる海外から来てくださったことに感謝します。

ただ、リミットが来てしまいました。
私は広島>成田>名古屋リターン経費としてホテル代も含め
今回お父ちゃんに費用を15万ほどもらっていたのだけど、
最終的にサンキューパティーの席で
パラさんの子どもさんが病気だと発覚。
お父ちゃんは即座に決断しました。私とパラさんの役割をチェンジしろと。
コロンボ<>成田往復が9万ちょっと、とわかり、しかも空席があったので
私の送迎の仕事を彼に譲りました。15万と一緒に。

私が言うのも何だけど本当にその決断に感心しました。
結果、みんながハッピーな選択となったのです。
チャンチャは安心帰国。パラさんはクリスマス前に帰国実現。
そして私は広島でお母ちゃんと過ごせる。

私はお父ちゃんを世界で一番尊敬しています。(結婚式の時も公言したし)
お母ちゃんは悲しいことに病気にはなってしまったけど
両親のお陰で、いろんな経験をさせてもらいました。
そして、周りの人にお世話になってお母ちゃんは今も奇跡の回復中です。
本当に感謝すべき人がたくさんたくさんいます。
もうそれだけでお腹いっぱい。しあわせしあわせ。

無事、帰国してくれて本当に良かった。
終わるまでは、実行しきるまでは誰にも詳しいことなど話すまいと思っていたので
今、とてもほっとしています。

チャンチャは泣いたけど、私とお父ちゃんは泣きませんでした。
だって、またきっと会えるから。いっぱいありがとね。
いつかスリランカへ会いに行くよ。きっと。