小瀬戸城は埼玉県飯能市小瀬戸にあります。
小瀬戸城地図
飯能第二小の裏山に城址があります。地方道70号線で学校前に公民館というバス停そばから北に入る道があり(細く駐車はできません)
そこから右手の山に取り付きます。遺構は南先端部ですから、奥へ入らないように注意。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4d/050693ef1beec6caa0acffdae6de6f4e.jpg)
尾根に着いて堀切があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3e/e3664f9cc1b01f722843a3b00939ea23.jpg)
本曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/24/b3099ffe44d9d40fdbbe4273741ab5fd.jpg)
堀切を北に見返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/04/dbd9be4bddb82692347bcfad76efd28a.jpg)
本曲輪を南から見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d3/757890a102ed168caf0e36ff2509642a.jpg)
本曲輪の南西下にある神社(曲輪があったようです。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/12/087deb48404163cada4879bc35b2102a.jpg)
本曲輪の南尾根を下ると腰曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/41/b1dfcf76498b2be83e90f4e5df2d2c17.jpg)
第二腰曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/93/2e43b6b1be7a2bbfb6bd2ddcefa0cd6e.jpg)
帯曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1f/17c181d39a01484d643d73798951c67f.jpg)
帯曲輪を横から見ています。道は下っていて学校のフェンスにぶつかってしまいます。大手は
学校の敷地まで通じていたようです。おそらく学校に館があったのではないかと推測します。
「新編武蔵風土記」に岡部六弥太忠澄の後胤である岡部小右衛門が此処に居住したと伝えています。
小瀬戸城地図
飯能第二小の裏山に城址があります。地方道70号線で学校前に公民館というバス停そばから北に入る道があり(細く駐車はできません)
そこから右手の山に取り付きます。遺構は南先端部ですから、奥へ入らないように注意。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4d/050693ef1beec6caa0acffdae6de6f4e.jpg)
尾根に着いて堀切があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3e/e3664f9cc1b01f722843a3b00939ea23.jpg)
本曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/24/b3099ffe44d9d40fdbbe4273741ab5fd.jpg)
堀切を北に見返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/04/dbd9be4bddb82692347bcfad76efd28a.jpg)
本曲輪を南から見ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d3/757890a102ed168caf0e36ff2509642a.jpg)
本曲輪の南西下にある神社(曲輪があったようです。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/12/087deb48404163cada4879bc35b2102a.jpg)
本曲輪の南尾根を下ると腰曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/41/b1dfcf76498b2be83e90f4e5df2d2c17.jpg)
第二腰曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/93/2e43b6b1be7a2bbfb6bd2ddcefa0cd6e.jpg)
帯曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/1f/17c181d39a01484d643d73798951c67f.jpg)
帯曲輪を横から見ています。道は下っていて学校のフェンスにぶつかってしまいます。大手は
学校の敷地まで通じていたようです。おそらく学校に館があったのではないかと推測します。
「新編武蔵風土記」に岡部六弥太忠澄の後胤である岡部小右衛門が此処に居住したと伝えています。