山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

土屋山城守高久伝説⑤(武田信勝の子孫の痕跡)

2015-08-17 22:54:47 | 氏族の追跡
羽沢城の記事を補足しておきましたが、市川氏は甲州の市川の出で、いつの頃か上州の南牧の奥深い羽沢を根拠地としていました。小幡信貞が国峰城を追われ武田信玄を頼り、国峰城の奪還のために、この羽沢城を拠点としたのも、市川氏と武田氏とが主従の関係にあった為です。そして、土屋山城守高久も勝頼の嫡子信勝を連れて市川氏を頼ったのも、こうした背景があったからです。


武田勝頼の子信勝は、南牧村羽沢の市川四郎兵衛貞吉の屋敷(南牧村資料館)に落延び、そこより大坂夏の陣に出陣し、武運拙く戦死したが、その子信義は無事で、父信勝の首級を携えて帰国した。信義は、武田の姓を隠して、市川四郎兵衛貞吉の分家として、現下仁田町大桑原にその居を構えた。 崇権現後八幡宮で初代信勝、信義の霊が祭られています。本殿前の二本の杉は信義の手植えだそうです。

八幡宮地図
下仁田市街から南西の走る地方道45号線沿いです。

大桑原の県道から南に入って集落を歩くと畜産業を営んでいる民家があります。その敷地の南側から市川家の墓地があります。

階段の奥に市川家墓地

中央の墓石に元樹とあり、黒滝山三十五世宝雲元樹和尚の墓石と思われます。信義、その子信真、孫信賢は法籍に身を置いていたために師匠を祭った為と言われております。

中央の石塔の裏に施主市川氏本顔元因とあり、信賢が武田家累代の霊の供養のために建立したと伝えられています。

清泉寺(下仁田高校前)
清泉寺地図
この寺に信義の墓があるとのことで探しました。戒名は法休院花月蓮勝居士ですが

清泉寺の一角に土屋家と市川家が並んでいて、この中にありそうですが墓石の文字が読めなくて住職に尋ねました。しかし驚くことに住職は信勝が逃れてきた伝説をご存じなく、もちろん、信義のことも知らないとのことでした。

清泉寺での収穫は別の話があり、非業の死を遂げた畠山重忠の弟がこの地に亡命したという伝説があるそうです。これはまた別の機会に。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。