山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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箕輪山城②

2016-11-01 09:50:09 | 山城ー越後
二の丸から本丸へ

私見ではこの曲輪を三の丸としました。すぐ上に一段高く曲輪があります。

三の丸から本丸方面を見上げています。

中段に登って、ここを二の丸としました。

幾段の曲輪に挟まれて本丸に向かいます。左手の石垣は清水が湧き出ていて大切な水資源です。

箕輪集落

本丸

東屋のあるところは一段高くなっています。

本丸北側、堀があったのでしょうが痕跡が見られます。

土橋、北の尾根としては手薄です。看板の説明に清水の砦とあるので、この先に砦によって守っていたのかもしれません。

小国氏について
南北朝時代には小国政光が、天神山城を拠点に越後での南朝方として活躍した。建武2年(1335年)には蒲原津城を築城し、翌建武3年(1336年)には、池氏、河内氏、風間氏、於木氏、千屋氏、高梨氏らと島崎城に篭もり足利尊氏方の色部高長・加地影綱らと戦うが落城した。
戦国時代になると小国頼久は上杉謙信に仕え、第一次川中島の戦いでの後詰、越中攻めでの遊軍、佐渡征伐や関東遠征へも参加など、戦功をあげた。謙信死後の御館の乱では一族間で上杉景勝派と上杉景虎派と分裂。戦後景勝は、腹心の直江兼続の弟、樋口与七を養子に入れて強引に小国氏を継がせ、大国(大國)と改姓。これが大国実頼となった。実頼は後に上杉家から追放されるが、その後継者として兼続は弟・樋口秀兼の息子である光頼を指名し、家督を継承させる。光頼の後の大国家は米沢藩の重臣として存続した。ウィキペディアより


次回 大脇錠(箕輪山城の西尾根にあります。)