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交流

心配かけてごめんね。

2003-12-14 23:41:00 | 徒然なるままに
12月8日(月)

7日の夜から発熱。寒気と共にみるみる38度まで上がり、そのままダウン。
市販の薬が効いたのか、翌日、熱は下がったが、体が痛くて起きられない。
妹が子ども達を送り出してくれて、私はひたすら一日寝ていた。

長女も心配し、昨夜からいろいろと世話を焼いてくれる。
彼女は、自分の事となるとどうも体が動かないくせに、私が具合悪くなったり、落ち込んだりしている時は、本当にこまめにかいがいしく働いてくれる。
元来、気働きの効く子で、気持ちは優しく、人のためになることや、人を喜ばせる企画などをするのが好きな子なのだ。

午後から、本当は、登校するつもりでいたのだが、私が動けなくなったのと、土曜日の末娘のピアノの発表会のときに、見にきてくれていた子どもネットのお母さん達から、
「月曜日、小学校は短縮だから、午後から『クリスマス会』の子ども実行委員会をやるの。もし、時間があったら、お手伝いに来てくれない?」
と誘われていたらしく、今日は、そちらに出席してくれた。

夕方、帰ってきてからは、夕食の用意やら、末娘の宿題をみてくれたり、びっしょり汗をかいて朦朧としている私を看病してくれたりと、本当に助かった。
夜は、妹に本を読んでくれたり、シャンプーしてくれたり、寝かしつけてくれたり・・・。

ママ、早く元気になるからね。
お姉ちゃん、みんな、どうもありがとう。
心配かけてごめんね。

可愛い姪っ子と「しばられ地蔵」と

2003-12-14 23:40:00 | 徒然なるままに
12月7日(日)

今日は、子ども達三人を連れて、主人の3番目の弟夫婦の新築祝いと1歳3ヶ月になる姪っ子に会いに行った。
4ヶ月の時に会ったきりだった姪っ子はすっかり女の子らしくなって、駅の改札口で待っていてくれた。
あんよも上手になって、娘達は可愛いいとこを見つけるなり駆け寄っていった。

昨日のピアノの発表会の後、いとこのお土産を楽しそうに選んでいた娘達。
「最近、人見知りが激しくて一緒にお風呂に入ってくれなくなっちゃった」としょぼくれている「おじさん」のために、お風呂のおもちゃや、キティちゃんの打楽器セットを選んだ。
お土産を開けてみるなり大喜びのいとこと遊ぶ子ども達。
いつもはトイレに行く時も片時もママから離れないという姪っ子だが、今日はママから離れて、大きないとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと大はしゃぎしていた。

近所のファミレスでお昼をご馳走になった後、水元公園という、都内でも昭和記念公園に次ぐ広さという公園に、お散歩に行った。
都内にこんな場所が会ったのか~!というくらい広くて雰囲気のある素敵な公園だった。
池の対岸は埼玉県のみさと公園というのだそうで、水鳥がたくさん居た。

公園からの帰り、江戸史跡の「しばられ地蔵」を拝観してきた。
安置所にはお地蔵さんが判らないくらい縄でぐるぐるまきにされている。
しばられ地蔵の由来は、寺のパンフレットによると・・・・

「享保年間八代将軍徳川吉宗の治世、ある夏の昼下がり日本橋のさる呉服問屋の手代(使用人、『でっち』と番頭の中間の身分の者)が荷車に反物を満載して南蔵院の門前を通りかかった。ここらで一服と門前に荷車を止め境内の銀杏の木陰に涼をとるうちについうとうとと一眠りしてしまった。目がさめてみるとさあ大変、門前に置いた車がない、青くなって番所へ……
そこで当時名奉行の聞え高い大岡越前守忠相の直々の取調べとなった。「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは門前の地蔵も同罪なり直ちに縄打って召捕って参れ」地蔵はぐるぐるにしばられ車に乗せられて与力、同心に守られて江戸市中を引廻され南町奉行所へ……
物見高い江戸市中のやじ馬連中、どんなお裁きが始まるかと奉行所へなだれ込んだ、頃を見計った越前守は門を閉めさせ、「天下のお白洲へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料を申付ける」鶴の一声、奉行所にはその日のうちに反物の山ができた。手代に調べらさせるとその中から盗品が出て、それからそれへと調べると、当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となった。越前守は地蔵尊の霊験に感謝し立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行なった。
以来「しばられ地蔵」と呼ばれ盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまであらゆる願いごとを聞いてくださる地蔵尊としてお願いする時は縛り、願い叶えば縄解きする風習が生まれた。今も幾百人ものお願いごとを秘めてしばられ続けている。」

夜は、弟に千葉まで車で送ってもらった。
今度姪っ子に会えるのは春になってからかなあ・・・。
今からいっぱいおしゃべりできるようになったのを見るのが楽しみだ。

「ピアノ弾かない!発表会出ない!」

2003-12-14 23:39:00 | 徒然なるままに
12月6日(土)

今日は、末娘のピアノの発表会。
ところが、あと30分で家を出なくてはならないという時になって、
「ピアノ弾かない!発表会出ない!」
と、ストライキを起こし始めた。
理由は、何度も同じところで間違えるところを練習していて、1度も成功しないうちに練習を止めてしまったことを私が注意し、メトロノームを使って、速さを確認しようとした時だった。
「私が好きな速さで弾くのが何が悪いの!」
「好きな曲を勝手に弾くのと、発表会で弾くのは違いと思うよ」
何度も突っかかることを誰より悔しがって、イライラしていたのは娘自身だった。
満足の行くように弾けないまま、当日を迎え、自信のなさから怖くなったり不安になっていたのは娘の方だった。

仕度もせず、布団をかぶって泣きじゃくる娘。
でも、私は、娘に優しい言葉はかけなかった。
「出ないならでないでもいいよ。弾きたくない人がピアノの前に座っても、人に聞いてもらえるような曲は弾けないだろうから。
でもね、今日、この発表会まで、あなたが弾けるようになるために一生懸命レッスンしてくださって、今も、リハーサルに遅れて来ないあなたを心配して待っている先生の気持ちをどう考えるの?
あなたの発表会の知らせを聞いて、わざわざバスで会場まで駆けつけてくれるお友達やそのお母さんの気持ちをどう考えるの?
あなたと一緒に今まで頑張ってきて、ハンドベルの練習も頑張ったお友達の気持ちは?
ママは、ビデオ係だから、あなたが出なくても会場にはもう行かなくてはならないの。
会場に行ったら、先生や、仲間の皆さんや、駆けつけてくださったお友達やお母さん方の前で、土下座して謝らなくちゃいけないね。こんな風に。
『みなさん、大変申し訳ありません。娘は一生懸命練習してきましたが、私が余計なことを注意したために怒って発表会に出ないと申しております。ご迷惑をおかけしてすみません。ごめんなさい。ごめんなさい。』」
私は泣きながら、娘の前で、土下座をして見せた。
「もう、ピアノはやらなくていいよ。自分でやると言い出して頑張ってきたことをこんなに簡単に投げだすようじゃ、続けていく意味も価値もないから。自分でやりたくなるまでしばらく休めば?」
そう言って私は部屋を出た。

程なく、娘は2階から降りてきて、ピアノを弾き始めた。
そして、私のところに来て、
「ママ、さっきはごめんなさい。間違えても最後まで一生懸命弾くから、発表会に出してください。」
と言ってきた。
私は、娘をぎゅっと抱き締め、すぐに支度をして会場に急いだ。

リハーサルは始まっていたが、到着するなりすぐに娘の番で、娘はノーミスで弾いた。
本番も、ゆっくりだったが音ははずさずに、落ち着いてノーミスで弾いた。
「緊張したけど、間違えないで弾けたよ!」
休憩時間に駆けつけたお友達から花束やプレゼントを受け取り、先生やお母さん達からほめられれ、娘は本当に嬉しそうだった。

教室のメンバー達とのハンドベル演奏の大成功で、発表会は無事終了。

本当に、毎日毎日が悲喜こもごも。
こんな毎日が、何年かしたら懐かしい笑い話になるのだろうか・・・。

どっこいしょ!ソーラン、ソーラン!ヨイヤソイヤソイヤサ!

2003-12-14 08:14:00 | 徒然なるままに
12月5日(金)

今日のソーランは、見学者がたくさん来てくれた。
今日から、本格的に「よさこい島」のノーマルバージョンの練習に入るため、初心者は別室で練習してもらった。(初日で、イージーバージョンの1番を踊れるようになった子もいるとか!)

いつものように、まず、「南中ソーラン」「よさこい島」「どっこいしょ」を踊ったが、あれだけの本番をこなしてきた割には、最近、踊りにしまりがなくなってきているような気がしたので、ちょっと辛口の注意と、その気にさせる話をしてみた。
踊りは慣れてくると、どうしても自己流になって、流れやすくなっていってしまう。
本番の時は、気合いが入っているのもあって、そこそこメリハリも、リズムもあって、バッチリ決めてくれるのだが。
そこで、ポイントを絞って、「決める」ところだけ集中練習したところ、ぐっとよくなった。
子ども達の飲み込みの良さに、改めて感心させられる。
願わくは、中学生の上手な子達の、ダイナミックで、キレのある踊りを見せて、大いに刺激を受けてほしいのだが・・・。受験が終わったら、ぜひ、また一緒に踊りたいなあ!

「よさこい島」のノーマルバージョンは、ビデオを見ながらの練習だったが、私自身がまだ、歌だけでは踊れないもんで・・・。
でも、子ども達は「わかんな~い」といいながらも、よくついてくる。私自身、自分の踊りだけでいっぱいいっぱいなので、みんなの踊りを見てあげる余裕がまだあまりないのが申し訳ないです。
よし!来週までバッチリマスターして、今年中に、一通り踊れるようになって、新年を迎えよう!

掛け算九九・悲喜こもごも

2003-12-05 10:51:00 | 徒然なるままに
12月4日(木)

今、末娘は毎日「かけ算九九」の練習で泣きが入る。
12月に入ったとたん、1日(月)6の段、2日(火)7の段、3日(水)8の段、今日4日(木)は9の段と1の段というペースで宿題が出た。
2年生が本格的にかけ算の授業に入ったのは、11月20日から。
最初は2の段からゆっくり入っていたのだが、ここに来てのハイペースに親も子もパニックになっている。
早期教育や、塾などで、既に九九が終わっている子がクラスの半分以上いるみたいで、出遅れた末娘はやっとやっとでついてきたところに、このペース。
上の子達で苦労しなかった分、3番目で苦労しているのんびり母だ。

夕食の前に、宿題のプリント(文章問題)を、長女が見てやっていた。
彼女は、得意の絵を書きながら、とても分かりやすく、上手に教えていた。
末娘も、なんだかんだ言いながらも、最後までちゃんと問題を解いた。

夕食後は、「9の段」をやることになっていたが、6の段からのおさらいをやっているうちに
結局、9の段まで言えずに、寝かせた時には10時になっていた。
塾から帰ってきた息子が、いつになく、
「大変そうだね」
なんて声をかけてきてくれた。
「あなたの時は、どうやって九九を覚えたっけ」
息子は、2年生のとき学年1クラスしかなく、それも40人学級というクラスで、先生の「助手」を務めた算数博士。
もともと計算は好きで得意で、負けず嫌いのところがあって、早く覚えるのも一番、速く言えるのも一番だったそうだ。
その息子が、
「2年生なんて単純なんだから、楽しく覚えられるように上手くノセルことが大事だと思うよ。目立ちたがりだったり、負けず嫌いだったり、面白そうなことには飛びついてくる年頃なんだから、ゲーム感覚で速さを競わせたりして、とにかく、正確に早く「丸暗記」させる。俺は、覚えるまでは大変だったけど、覚えたら、とにかく誰よりも早口で言えるように練習したね。最後は先生に勝つのを目標に。
理屈は後でもいいのさ。割り算を習うまでに理解できていれば。
掛け算を覚える楽しさや、使えて解ける嬉しさ。2年生はそれが出来たらOKなんじゃない?」

息子はこうも指摘してくれた。
「小学生のうちは、塾に行ってる子行ってない子に関わらず、教師は、全ての子どもが、今日初めてその単元を学習すると言う前提で教えるべきだと思う。2年生ぐらいの時から、出来る子に合わせたペースで教えるのは間違っている。小学生のうちから塾に通っている子なんてたくさんはいないんだから。初めて習う子がついていけないようなペースや、やり方で教えていたら、どんどんその子たちは苦手になって、勉強嫌いになってしまう。出来る子達も飽きずに楽しめて、出来ない子達も頑張って覚えたくなるような面白い授業をやるべきだ。」

また、妹については、
「出来ないんじゃなくて、九九に興味がないんじゃないの?興味があれば、好きならどんどん覚える。嫌いなら嫌いで、興味はあるわけだから、持っていき方で好きになれることもある。マイナスにマイナスをたすともっとマイナスになるけど、マイナスにマイナスをかけるとプラスになるだろ?0に何をかけても、0は0のままなんだよ。出来ないなら出来ないで、悔しがらせる。友だちと競争させるとか。そうそう、掛け算は一人で覚えようとしても、面白くないんだよ。ゲーム感覚で、あの子には負けたくない!って感じで競わせるとか、グループで何とかして全員言えるようになって、優勝しようとか、競争相手や仲間がいてこそ楽しく覚えられると思うよ。」

1年前、口を開けば「ウゼエ」「ザケンナヨ」「イイジャン別に」しか喋らなかった息子だった。
2年前の12月8日には、「初氷」の中、家出して、学生服1枚で公園の土管で野宿したこともある。
今、受験を目前に、志望校県立1本を目指して頑張っている息子だ。
妹達のことでおたおたしている母を見かねて、労ってくれ、励ますだけでなく、こういうアドバイスをしてくれるまでに成長してくれて、思わず目頭が熱くなってしまった。




理想の結婚相手、こだわるのは『愛』か『金』か?

2003-12-05 09:15:00 | 徒然なるままに
11月23日(日)

午前中は、昨日の続きの講義に参加。
『社会と文化』というテーマで、いろんな角度からの見方で、『社会現象』と文化の成り立ちについてディスカッションした。

人間は、離れ小島にでも、独りでいるときは社会は成り立たない。
だが、目の前に他者が存在するとそこに『社会』が生まれる。
その相手が異性である場合は特に、自分の『性』を実感することとなる。

『文化』があって、『社会』が成り立つのか、
『社会』があって、『文化』が成り立つのか・・・・。
『社会』には、そこに集まる人間の共通の価値観・世界観・生活様式というものが存在する。それは同時に、それにそぐわない人間は『排除』されていく。
『文化』とは、複数の人間達が集まる場所に生じるもの。そこに『経済』が生まれ、『経済』がさらに『文化』を支え、発展させる。
例えば、渋谷センター街。そこには、『センターカルチャー』という独特の若者文化が存在する。
そこで『みんな』が『イケテル』と言われるものと『イケテナイ』と言われるものが、その『経済』を左右する。
同じ品物を買っても、それを入れる『紙袋』が重要なポイントなのだ。
化粧や、ファッションにしても、他の視点からは違う評価でも、その時代や社会においては、それが支持されるのであれば、それが『基準』となるのだ。

『文化』とは、芸術などを言うのではなく、人々を結び付ける『媒体』のことなのである。

『家庭』とは、最小の『社会』である。
結婚し、男と女は夫婦となり、『家庭』を築く。やがて、子どもが生まれたり、最初からか、途中から、どちらかの両親との同居と言うような形で、家族が増えて行く。
以前は、『嫁入り』『婿入り』とかいう形で、既にある家族にメンバーとして加わり、その『家の人間になる』と言う形態が多かった。
後者の場合は、後から入ってきたものは、その家の既にあるルールや基準に合わせていくのが当然になると言う考え方になる。
だが、前者の場合は、お互いの性格や価値観の違いだけでなく、生育暦、食事に対してのマナーや考え方など、事細かなことについての違いがぶつかり合う可能性が生じてくる。

そこで、19歳の学生に『結婚』に必要なものは『愛』か、『金』かというアンケートを取ってみたところ、男性が圧倒的に『愛』を支持したのに対し、女性は『金』と答えた人が多かったのだそうだ。
「それは違うだろう!」という男性陣に対し、
「経済的に苦しくて、そのことばかりで揉めていたら、愛もなくなる」という女性陣。
でも、その結果を聞いた既婚の女性が言った。
「愛、愛って言うけど、結婚したら、どれだけの男性が家事や育児を手伝ったくれる?
外で働くのも大変だけど、家や子どもを守る妻に対しての愛情はちゃんと示せる?
自分達で築いていく『家庭』を妻任せにして、仕事優先にしていては『愛』のない生活になるよ」
それは妻側にも言えること。『亭主元気で留守が良い』とばかりに、家庭を顧みず、自分本位や子ども中心で、夫の居場所のない家庭を続けていたら、どこかにしわ寄せができていってしまう。
そこに、経済的な問題が生じてくれば、それはストレスや、お互いの不信感となり、家庭崩壊への前兆となっていく。
一方で、そのしわ寄せは常に立場の弱いものに向けられていく。
その極端な例として、幼児虐待やドメスティック・バイオレンス・いじめの連鎖があげられる。

『理想の結婚相手』についてのアンケート(1997年。20~34歳の未婚の男女)では、男女ともに多かったのが、『共通の趣味』。『学歴』に対しては、男性はかなり低く、女性も半数以下だった。『経済力』と『職業』については女性が非常に高いのに較べ、男性は低かった。
今や、『学歴』と『職業』や『経済力』は、必ずしも連動しないと言う時代背景があるせいだろうか・・・
女性で多かった答えに『親との同居』という項目か多かったのは、
・条件として○の場合、住居確保、自分の親との同居、子どもを預けて働きたい
・条件として×の場合、嫁姑の同居によるトラブル回避
なのだと思うが、○の人が多いのに驚いた。
今のご時世、自分達でマイホームを持つよりも二世帯住宅、若い夫婦が子どもをいい学校に入れるには、おじいちゃんおばあちゃんの援助が必要。という背景がありそうだ。

これからの時代、子どもが巣立っていったら、人生のあと半分は『伴侶』と暮らしていくのだ。
夫も働いているうちは威張っていられるが、退職し、身体も思うように動かなくなって、あちこち故障が出てくるようになると、立場が逆転してしまう可能性は大きい。
そんな時、夫婦で同じ趣味があれば、それを通じて絆は強まり、友人の輪も広がり、深く趣味を極めることもできるのだ。
共に歩んでいく人生。互いに生きる支えとなり、労りあい、自然体で生きていけるのが理想の夫婦だと私は思う。

今日のディスカッションは、テーマはあっても、答えは用意されているわけではない。
集まったメンバーによって、価値観はそれぞれ違うわけで、いろんな考え方があって、お互いに違う見方で考えたり、人の意見を聞いて気づかされたりすることが大事なのだと思う。そこに貴重な『体験談』があればなお勉強になる。

2日間を通して、他にも、『総合教育についての意見交換』や『教育の民営化』の可能性や『教員のモラル』についてなど、これから現場に立ち教員として仕事をして行く上で、『子ども達への教科指導』とは違った観点からの心構え的なことについての話し合いもあった。

前回は体育科の講義だったが、こう言うディスカッション形式の講義もなかなか楽しく、勉強になった。
大倉先生の講義は、ぜひまたスクーリングで受講してみたいと思った。
今回の講座を準備してくださった支部会の幹部の皆さん、ありがとうございました。


『生きる力』の土台

2003-12-05 09:11:00 | 徒然なるままに
11月25日(火)

今日は、午前中から2時まで、ソーラン隊のリーダー会議に出席。

まずは、23日の『子どもの創造表現フェスティバル』のときのビデオを鑑賞。
子ども達の一生懸命な踊りに、みんなでウルウル、拍手喝采だった。

ふだんの練習ではちょっとやんちゃな子も、いつもお母さんから離れない甘えっ子さんも、練習の時も本番にもそれぞれドラマがあり、みんな、晴れの舞台で、小さい子も大きい子も堂々と自分の踊りを踊っていた。

今日は、決めることがてんこ盛りだった。
長袢天のこと、会費のこと、オリジナル曲のこと、イベントのこと、指導のこと・・・。
この1ヵ月ばかり、いろいろ意見に食い違いがあって、気まずくなった時期もあったけど、過ぎてしまえば『雨ふって地固まる』と言う感じだ。
みんなは、『楽しく元気にソーランを踊れることが一番』というところで、気持ちは一つなのだ。
今回、いろんな問題提起があり、それぞれが自分のソーランへの思いをぶつけ合い、分かり合ういい機会だったと思う。

人の輪が大きくなると言うことは、いろいろな価値観の人が集まると言うこと。
状況や考え方の違い、『温度差』、立場、世代、個性、拘り・・・。
一つの目標に向かって、複数の人間が集まりお互いに『いいものを作り出そう』という場合は、それらがぶつかり合うのは当たり前。むしろ、そういったことを何でも話し合えないことのほうが問題だ。言いたいことを言えない集合体。そこからは決して『いいもの』は生まれてはこない。
変わり行くものと、変わらないもの。
変えていくものと、守っていくもの。
そこに、譲る、譲らないと言うような感情論が入ってくるとややこしいことになる。
常に、何が一番大切なことなのか。そこさえ、全員の確認が取れていれば、いろんな意見がぶつかり合っても大丈夫なのだ。お互いに信頼しあうためにも、そう言う話し合いは大事なプロセスなのだと思う。

リーダーとしての器量が問われるのはそう言うときなのだろう。
一部の意見に振り回されていたり、自分を見失っていては、誰もついては来ない。
板ばさみになって自分を引っ込めたり、誰かに依存したり、問題から逃げていては解決しない。
メンバーのそれぞれのいいところを認め、引き出し、適材適所、個性を生かせるような活躍の『場』を提供できてこそリーダーと言えよう。
同じ価値観や性格の人間の集まりは、居心地が良いかもしれない。
でも、違いがぶつかり合うところからこそ、新しいもの、いいものが生まれ、お互いに学び合えることだってある。
その時は、瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うのではなく、どちらかが柔らかいものにならなくてはならないが・・・。

今、子どもたちを取り巻く社会では、そう言う人間関係が希薄になっていると思う。
苦しいことをみんなで乗り越える。一人はみんなのために。みんなは一人のために。
自分の思いを大切にするよう、人の気持ちも理解し、尊重する。
本当は自分はどう思っているのか、どうしたいのか、どうするべきか、自分自身と向き合う。
自分を大切にできない人は、他人をも大切にできない。
こういう事を生身の体と心で学びあうことこそ、『生きる力』の土台になると思うのだが・・・。



『13歳からのハローワーク』

2003-12-05 09:00:00 | 徒然なるままに
12月1日(月)

今朝の毎日新聞の広告覧に『13歳のハローワーク』(村上龍・幻冬舎)と言う本の広告が載っていた。

「<いい学校を出て、いい会社に入れば安心>と言う時代はもう終わりました。
一度しかない人生を楽しむためには、好きな仕事に出会えるまで絶対にあきらめてはいけない。」

「その人に向いた仕事、ぴったりの仕事と言うのは、誰のでもあるのです。
出来るだけ、多くの人たちに、自分に向いた仕事、自分にぴったりの仕事を見つけてほしいと考えて、この本を作りました。―『はじめに』より」

「あなたは何が『好き』ですか?
 全39種類の『好き』から探せる514の働き方
 派遣、企業、資格など、雇用の現状を全て網羅した仕事の百科全書。」

昼頃起きてきた長女に、この広告を見せた。
彼女には、かなり具体的な夢がある。自分は、こうしたい。こうなりたい。というビジョンがはっきりしている。
ただ、今は「不登校」という長いトンネルのような、自分という「さなぎ」の中で葛藤の毎日を送っているのだ。
私は、母親として、彼女の本来の持ち味と、好きなことを生かせる道はきっとあると信じている。

39種類の「好き」の中に、いくつかのじぶんの「好き」を見つけた娘に、
「その好きなことを活かして、そう言う仕事をしてみたいと思うのなら、例えば、語学。英語はもちろん、フランス語やイタリア語も必要になってくる。中国語や、韓国語、タイ語も出来ると便利かもしれないよね。言葉は、『勉強』と言うより『道具』だと思ってごらん。あなたは、耳がいいから、伝えたい気持ちや、知りたい言葉使いがあれば、何語でもまず耳から覚えるだろうし、思いと勇気があれば、それを使って、外国の人とコミュニケーションをとってみたくなるでしょ。そしたら、もっと使える単語や、言い方を増やしたくなって、勉強したくなってきたら、どんどん頭の中に入ってくると思うよ。」

「外国の人と一緒に話したり、仕事をしたり、生活したりするようになると、次に必要なのは、その国の文化や歴史を知るということ。宗教的なマナーや、その国のルールを知ることも大事になってくる。それと同時に、その国の人に、「日本ではこういうときどうするの?」とか、「その頃は、日本ではどんな時代だったの?」なんて事を聞かれた時、日本人なのに日本のことを良く知らなかったりすると恥ずかしいでしょ。だから、ちゃんと、日本のことも勉強しておく必要があるの。箸の持ち方や、漢字の書き順や敬語の使い方なんか、日本が好きな外国人のほうが上手だったりするんだよ。」

娘はいつになく、穏やかな様子で、私の話を聞いていた。

「高校によっては、第2外国語を選択できる学校もあるし、在学中に、海外の姉妹校との交流が出来るところもあるよ。授業も、一日中教室の自分の席に座って、先生が教室に来るのではなくて、卒業に必要な単位を自分で選択して時間割を決めたり、その授業をやっている教室に自分達で受けに行く大学みたいなスタイルをとっている学校もあるよ。部活だって、ESSや、ブラスバンドではなくてシンフォニックオーケストラがある高校だってあるよ。今のままだと、受け入れてくれる学校はあるかもしれないけど、自分の希望する高校は選べないかもしれない。今から頑張れば、少しでも、夢に近づくことが出来ると思って、頑張ってみよう」

かなり、プレッシャーをかけてしまっただろうか・・・。

娘は、午後から、進研ゼミをやりだした。

13歳。『魔女の宅急便』の主人公キキは、魔女の世界では一人前の魔女になるための修行の旅に出るための『旅立ち』のとき。自分が生活できる町を探す旅に出るのだ。

『13歳からのハローワーク』
43歳からでも、遅くはないかしら・・・?





『大英博物館の至宝展』~世界一周1万年の旅~

2003-12-04 19:33:00 | 徒然なるままに
12月3日(水)

『大英博物館の至宝展』に行ってきた。

午前中、久々のお日様がお目見えしたので、のんきに山のような洗濯物を片付けてから出発したので、会場に着いたのが、1:30pm.をまわってしまっていた。
そしたら、入り口付近で、いきなり、
「70分待ちです」
といわれ、それでも入るしかないので、チケット(キャー!学割よ~!!!)を買ったところ、
入り口からずら~っと長蛇の列列列!建物の中もぎっちりと人の波波波!
でも、今日しか見る日がなかったので、かまわず並んでみたら、待つこと90分。
もう、それだけで、背中が痛くなってきた。
音声ガイダンスをレンタルして、いざ、「大英博物館」へ。

以前、イギリスの大英博物館に行ったことがある人が、
「本気で見るつもりだったら、博物館の近くに宿を取ったほうがいいよ。1週間ぐらいかけてみるぐらいの展示の量と価値があるよ」
と言っていた。
その何十分の一の量が今回展示されていただろうか。
それにしても見ごたえがあった。

その中で、私が一番印象に残ったのは、仏陀立像(パキスタン/紀元1世紀)だ。
この像は、小さいながらも、仏陀の青年期を表現してあり、精悍で凛々しく、衣のひだの表現も繊細だ。髪の毛の表現もリアルで、ちょっとウエーブした長い髪を頭上でまとめている。
いわゆる、良く見る「仏像」という感じではなく、彫刻作品のようだ。
萩尾望都の漫画「百億の昼と千億の夜」に出てくるシッタールダを髣髴とさせる美男子だ。
右手が欠けていたりして、完全体ではないが、私はいっぺんで、この像の虜になってしまった。
ちなみに私の好きな仏像は、
1.広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像
   2.興福寺阿修羅像
   3.東寺講堂の帝釈天
あと、仏像名も、安置されている寺の名前もわからないのだけど、貴の花関の気合いの入った顔によく似た仏像が好き。(これも東寺だったと思うんだけど・・。)

そうそう、大英博物館の話だったけ。
大英博物館には、マヤ、インカ、アステカの発掘品もたくさんあるのだとか。
古代文明ファンにはたまらない魅力いっぱいの博物館なんだわぁ・・・!!
それにしても、エジプトや、ギリシャ、オリエント文明の、神殿やら、王墓などから「持ってきた」品物の多いこと・・・。
大英帝国時代に、美術的価値のあるものはみんな持ってきちゃったんだろうけど、それって・・・?!
でも、そのおかげで、墓荒らしや、内紛などの災いから「未来への文化遺産」を守ったことにもなるのだが・・・。
ミイラボードなどにしても、「呪いの文字」とかあって、実際、祟りのような事故が続いたとか言う曰く付の展示もあったが、その「呪い」のおかげで、何千年の時を越えて、数奇の運命を経て私達の目の前に存在しているのだ。

ところが、私ときたら、出品物を見る目が、どうも、普通の人と違うらしい。
素材や手法、完成度などをチェックしていたりする。
例えば、ミケランジェロの聖母子像の素描にしても、
「こんな筋肉質の幼児(キリスト)なんてありえない!」
なんていう風にしか見れなくなってしまっている。
もっと、時代背景や、宗教観、文化的背景について学ばねば、そのものの持つ「価値」を理解することは出来ないと、反省反省。

それにしても、これだけの世界中の文化遺産を所有している博物館があるなんて、イギリス人って羨ましい!
まさに、「世界一周1万年の旅」だ。
いつか、世界の古代遺跡めぐりの旅に出るときは、まず、「大英博物館」で予習をしてから旅立つことにしよう!

一次方程式

2003-12-04 19:23:00 | 徒然なるままに
12月2日(火)

今日、長女と数学の勉強をやった。

昼頃、やっと起き出してきた娘に、声をかけたときは、乗り気じゃなかった娘が、放課後ぐらいに登校した。
夕べ、職場訪問でいっしょだったグループの子から電話があって、作業を手伝いにいったらしい。
だが、ちょうど、避難訓練をやっていて、作業はなしということになり、その代わり、部活動(吹奏楽)に出てきたと言う。

鼻歌を歌いながら帰宅した娘に、昨日提出用に書いた進研ゼミの数学のプリント(半分白紙状態)のことを持ち出したところ、
「わからないところを教えてほしい」
と言ってきた。

夕飯の支度をしながら、やり方を説明して、やらせてみると、そこそこは出来るが、基本的なことがあちこち抜け落ちていて、式は立てられるが、答えに至らない。途中の計算のルールが、全く分かっていないのだ。
ちょっと途方にくれながら、根気良く教えていくと、途中でねをあげながらも、何とか、全問解くことが出来た。

「一次方程式って、χが出てくるだけで難しく思っちゃうけど、小学校の□の式のことなんだよ。3χ=9は、3×□=9のこと。この方程式を覚えておくと、料理の時に、4人前の分量を何人前に増やしても、分量の計算が簡単に解けるし、いろいろ便利なんだよ。「数学」だとと思うから苦手に思えちゃうけど、これも、知っていると便利な生活の知恵と思って問題を解いてみてごらん。」

「あなたには『学力』がないのではなく、やり方が分からないだけ。分からないところを今からちゃんと埋めていけば、きっとみんなに追いついていけるから。」
それを始めるのは早ければ早いほどいいのだが・・・。
昨日の話と、今日学校に行けたことが、ちょっとでも彼女のやる気の起爆剤になってくれればいいのだが・・・。