喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

新しい年を迎えました。

2019-01-14 11:39:17 | 日記
 仕事始めは4日(金)からのようでしたが 
まぁ 繊維関係に居た昔なら出勤して営業担当者
一同二班に分かれて産元商社へ挨拶周りに行って
いました。
当時は飲酒取り締まりも厳しくない頃、各産元
商社でお神酒を頂いたものです。
そして落ち着きは 決まって 小坂町に在した
「池田屋」さんだったことを思い出します。
なぜなら ここは何時も”おでん”を炊いて
年始に来る 客に振舞っていたからです。

 また宅建業界にトラバーユしたころは西脇
商工会議所での新年互例会や、神戸のニュー
大谷やハーバーランドのホテルなどで開かれる
 新年互例会にも出席していましたが、その頃は
 ”なぜ神戸くんだりまで正月早々出かけなけれ
ばならないのか?”と不満タラタラでしたが・・・
今となっては 懐かしい思い出です。

 さて正月3ケ日は当然何処へも行かず、しばらく
休んでいたお酒も飲むことに・・・
当然 よく酔いが回るだろうと思っていましたが
そんな心配はなく、よく飲めました。

 7日月曜日が私の初出勤。まぁ出会った先生方
には簡単な新年の挨拶を交しました。
教頭先生が”正月早々、遊具が壊れ云々”との事で
プール際に有る遊具の一つが根元が腐っていて
崩れ、隅に置いてある。
まぁ 各所にある小学校の遊具やベンチなど
木造で作っている物は すべて40年近く経って
いて 根元が腐り、いつ倒れても不思議でない
一旦、自宅へ帰り、チェンソーを持っていき、
隅に置いてあった木を小さく切って一ケ所に
積み上げ、また腐った根元は鶴嘴で掘り、子供が
毛躓く事がないようにしました。

腐った柱を切断。

 翌日は 剪定ハサミの咬み合わせが悪く
枝が切れないので調整できるか治すことに・・・
だが、難しい。釣り友達に 鍛冶屋などをして
いて こんな事は詳しいだろうと電話で聞きま
した。 新年の挨拶をして このことを相談。
彼は「持ってきたら治してやる」と言いましたが
下戸田まで行くのも・・・「コツを教えて欲しい」
と言うと、「素人は隙間が空いている部分だけを
叩いて治そうとするので余計隙間が空く。コツは
全体を根元から叩いて治す」。と聞いて実践。
なるほど 根元から叩いて調整すると、なんと
隙間が無くなり、咬み合わせはバッチリ。
これで学校に”新品を買ってほしい”と言わずに
済みそうです。 

治した剪定ばさみ

 その後も 学校裏門の鉄扉が 昨年も塗ったの
ですが、所々 錆が浮き出て よく触るところは
剥げてもいる。風は冷たいが 陽は出ているので
塗装作業を行い、夕方までに乾かし、レールに
載せて完了。

塗装した裏門の鉄扉

 正門を入った辺りには枯れ葉が一杯飛び散って
います。メタセコイヤと言うのか?葉っぱが杉の
葉っぱに似た樹木なのですが、辺り一面に散らばり
松の枝や、サツキ、イヌツゲの木にも枯れ葉が
積もっています。
2日間で生ごみ袋大に13袋。 ゴミを減らす
努力をするなら、まず学校の大きな樹木を伐採
すれば大きな貢献になると思うのですが・・・

ある日の枯れ葉収集。

さて、昨日日曜日は 7時から”とんど”が
行われ、しめ縄を燃やすため 行きました。
すでに7時丁度に火を入れ、現地へ行った頃には
良い火加減に・・・
しめ縄を投じ、そうしていると紙コップを持って
きて日本酒を注いでくれました。
8時半に野中町グラウンドへ行かなければならない。
ちょっぴり、舌を湿らす程度に貰い 早々に家へ
帰り、朝食を摂り、野中町グラウンドへ、行くと
参加者は11人。
長老の一人が「増田さん。会計は? お金が残る
ようなら新年会でも・・・」と言うので皆に諮ると
賛成。
早速 自宅へお金を取りに戻り、JAみのりへ行き、
寿司弁当を11個買い、お昼になり 新年を祝い
ました。
 昼食後 しばらく休んでからプレーを4ラウンド
皆さんの殆どが私より年配、一番年上が今年94歳
続いて89歳と高齢ですが、元気そのもの
やはり外へ出て 運動をしたりお喋りを楽しんだり
することが元気の源なのだろうと思いました。


今年も綺麗に咲いたシクラメン

2019-01-06 08:55:29 | 日記
 昨年12月29日に 妻が乗っているトヨタの
タンク、年明けには積雪も予想されていたので、適合
する非金属チェーンをアマゾンで検索し、注文。
早速31日に荷物が届き、年明け 3日の日に装着を
試みたところ、ハマらない。
YouTubeの動画で装着作業が見られるのだが、動画では
白人女性が難なく装着している。
だが、実際にそのようにタイヤに巻いてみても最後の
留め金が 大人二人掛かりで行っても後5センチと
言うところで繋がらない。

 早速、アマゾンの質問受付に そのことを報告
すぐに返事がきて”アマゾンを通じ業者に連絡を
入れるので2営業日返事を待ってほしい”と
の返信。
5日に その取扱い店から”アマゾンを経由してか
”迷惑かけています。最初はきついが云々”との返事。
冗談じゃない。どんなに苦労して留め金まで届かそう
としても止まらない。
その時点で次の作業に移れない。
参考になりましたか?と求めてくるので”いいえ”を
選択。早速 その日に返品を選択、返品の際、中身を
後々証拠を残すため写真に撮り、送られ来た段ボール
の箱に再度詰めて 野村町のヤマト運輸へ持っていき
着払いで送り返したのですが、うっかりしてチェーン
を入れる布袋を忘れているのに気が付きました。
仕方ない、封筒に入れ近くのセブンイレブンへ、
これは私のチョンボ、元払いで送りましたが950円
の出費、馬鹿らしいが仕方ない。
どうも この送り主と言うか業者は説明書の説明書き
も日本語だが 何かたどたどしい。
今まで竿やリールなどもアマゾンで買って問題なかっ
たのですが、安心できる日本のメーカー品
以前には外で使える 灯油コンロを買ったことが
有りましたが 明らかに中国製、まぁ頂きましたが
その後、再度品物を送ってくる。
配送業者に”もう既に受け取っている”と返事を
すると配送業者は”このような事は度々あります。
送り返します”。との事でしたが・・・
送り返したそのあと、再度 アマゾンで調べて
フリーサイズで4か所バンドで留める品物を再度
発注しなおしました。

送られてきた非金属チェーン

 さて学校での仕事始めは4日でしたが、まぁ何も
行うことがないだろうと休ませてもらいました。
ここ数年前までは4日の日には神戸不動産会館へ
行き、新年互例会などに出席したり、
西脇の商工会議所などへも出席したり 用事が
多かったのですが、仕事を廃業してからと言うもの
そのような事もなくなりました。
仕事を止めてからも、正月2日にはゴルフに行ったり
また釣りに四国へ遠征もしていましたが、この歳に
なると仲間が いなくなります。

でも未だに 街の同業者から賀状が届くのには閉口
します。
確か5年前 廃業したと同時に 知らせているはず
なのに、まぁ仕方がない。悪いが賀状を出さない
事にしました。

 さて昨年も綺麗に咲きましたが、今年も昨年暮れ
からシクラメンが綺麗に咲きました。
一昨年買ってきた花ですが、咲き終えた後、外に
ほおって居たのですが、昨年には咲いたのです。
それまで 何度も咲き終えてから本を見たりして
暗い床下に入れたりしていたのですが・・・
自然の状態にしておいた方がよいようです。
ただ小さな鉢から 一回り大きな鉢に植え替えは
しましたが、 今は適度に温度が保たれると
思い、風呂場に置いています。

今年も綺麗に咲いたシクラメン




昨年より気になっていた お社に行きました。

2019-01-04 10:56:00 | 日記
 昨日のブログで 灌漑池の写真を挿入したはずが、太陽光
ソーラパネル設置の同様の写真でした。
改めて 今は使用していない池の写真です。
この写真の左側付近に 当時朽ち果てた”どうさんたい”と
呼んでいた建物が有りました。多分 漢字で書けば”童産隊”
と書くのではないでしょうか?
この灌漑池から山へ入る道は戦時中陸軍が敷設したとの事。

今は使用していない灌漑池

 さて今朝は朝食後 曽我井山へと上がり、帰りに曽我井
墓地の手前から上がっていく徳平廟へ行きました。
今朝は久々に良いお天気です。

これが上り口にある石碑。

 急峻な階段上り山道を上がっていくと しばらく平坦な
道が続きます。
200mほど歩くと お社が有りました。
そして その先10m程先にもお社が有り、誰かが来て
居られました。
 しばらく その方と話をしましたが、今年 世話する
順番が回ってきているとかで、徳平廟のいわれを聞きま
したが、「多分、区長も知らないだろうし、古老に聞か
なければ わからないと思います。ただ かなり古く
石碑に刻まれているのには多可郡安田郡と記してある
ので・・・」との事でした。
まぁそのような事で 由来は分かりませんでした。
霞城主徳平廟、菜女正公と書かれていますが(なめまさ公)
と読むのかなぁ~ 
余り興味はないのですが、 何時かチャンスが有れば聞いて
みたいと思います。

この規模のお社が3ケ所にありました。

 そういえば20年ほど前に 森本で土地分譲した際、
境界の立ち合いを求めるのに、安田、曽我井、森本の
3ケ村の立ち合いが必要だったことを思い出します。




 

正月3ケ日も休むことなくウオーキングに

2019-01-03 11:33:01 | 日記
 元日から 3日となる今日も朝食後は曽我井山へ
ウオーキングに、そして帰りは久々に国道の西に
位置する 曽我井と大木町・野中町の3ケ村による
共有林の林道を歩きました。

 曽我井の酒井精工所から入った 山の入口には
大規模な太陽光発電ソーラーが取り付けられています。

山の斜面に取り付けられたソーラー

 この設置の施主のお一方は曽我井のT区長さん。
実は4年も前になるだろうか? 私が宅建業を廃業して
翌年、神戸で司法書士などの総合事務所を営んでいる
社長が 私の妻の従妹の主人であり、まだ宅建業を営んで
いるものと思い、ある建築関係の男と二人 私の事務所へ
立ち寄ったのでした。

 要件を聞くと「2万坪ほどの土地を探している」。と
言う。用途を聞くと 「養鶏場」。と言うので私は
即座に断ったのでしたが、相手二人は「近代的な養鶏
場で臭いなど出さない」。などと言う。
遠方から来ているので無駄足にさせるのもと思い、
大木町と野中町の共有山である、武島山の隣の山林を
見せました。 そこは平成元年頃に 西田へ健康ランドを
もってきた業者が その後 サーキット場を持ってくる
とか、競馬の馬の休養場を作るとかで、バブル崩壊と
ともに 話が流れた場所でした。

 そうしてもう一つ 酒井精工奥にある、通称西山と
言っている山林を見せたのですが、建築関係の男性が
「これや、これしかない。養鶏場に持ってこいの土地だ」。
と言いだし、一旦 帰ったが その数日後に 直接物件を
探す依頼を受けている神戸市玉津のK不動産と飼料を
取り扱っている会社のN社長が事務所を訪ねてきて
再度 案内をしたのですが、二人は気に入り、「ここ
しかない」。と言いだし、相手は誰かと問いただすと
「発注主はイセ食品だが、バックには豊田通商が付いて
いる。土地も6万坪(約20万㎡)必要と言いだした。

 その後、東京の本社からイセ食品のS副社長と言う
方が幹部4人ほど従えて見え、再度現地を案内。
内々の話では総事業費50億円は下らないだろうとの
事だった。

平地の多い山林。

 宅建業法では抵触するのは住宅土地建物の売買&
仲介、もしくは賃貸、売買の代理と定義しているので
山林は対象外となる。
その後は「前向きに検討する」。との返事を得て
調査を開始したものだった。

 曽我井のT区長や大木町のM区長、野中町のS区長、
そして中区役場のS助役、そして議員の力も借りなければ
との事で、総合事務所のF氏が県会議員と幼馴染で
後輩でもあると言うことで 事務所へ相談にも行った。

 流石に その場で断りはしなかったが数日後
私の携帯に直接電話が有り「増田さん。その場所は保安
林に指定されおり、難しい。無理です」。との返事だった。

 どうも調査しているときから気になっていたのだが
議員の票田と言えば森林組合関係も多い。 そして
妙な事に 一部山林を中町の名義にして、数百万の金が
動いており、その山林には50年もの地上権が県の
外郭団体である”緑公社”が付けている。
 里山事業などと名うっての事業も行っているし、
金は緑税とか言う名目で 1戸当たり500円県民税に
含まれており、財政は豊かなようだ。
この権利が設定された後に中町にビルディングホールが
建築されている。勘ぐればきりがないが・・・

 その後、三木氏の大手建設業者 神明建設社長の
神行氏が事務所へ来たりしたが・・・
そうそう、神行氏と言えば、先日 女の事務員が
会社の金を何億と使い込み、テレビに出ていた。
 やはり大物で、私の事務所から 先日亡くなった
鴻池議員と電話で話をしていたのを思い出します。

 その後、話はうやむやとなり、だが、この件で
曽我井のT区長は触発されたのか?
所有の山林に太陽光発電ソーラーを設置された。
聞けば事業費は2億円近いという。
区長いわく「自分の代では元は取れない。孫子の代」と
笑っておられたが・・・

 近くには灌漑用池があり、私が幼い頃、この周りには
建物が有った。 ”どうさんたい”と呼んでいたが、
戦時中、都会から子供が疎開してきていたようだ。

今は面影もない  使っていない灌漑池

 この池の付近で幼い頃 遊んだものだった。
木苺が生り、秋にはシバハリと言う、滑りのある茸が
生えていた。この茸、食すれば美味い。

 話は戻るが、その気になっていたK不動産の社長と
井戸知事とは懇意で、当初「西脇の近くに、中国山脈の
連なっている山林に そのような広い土地があったのか?
西脇と言えば 繊維も廃れている。200人もの雇用が
あれば地元も歓迎だろう。わしも力になる」。と
言っていてくれたようだが、夢は砕けました。
その後、神明建設の神行氏が K不動産社長を通じて
「増田さん 広い、太陽光発電ソーラー設置場を探して
いる。もう一度その山林あったって貰えないか?」と
言う事だったが、大義がないとの理由で断った。

 あの頃、夢を見ました。イセ食品の佐藤副社長も
2回着て、「養鶏場を建設するには当然の事、規模が
大きいので調整池を作る。臭いは極力ださないが、
遮断するのに気を植樹する。住民のための公園も作り
ます」。と言われ 山林の整地作業にかかれば木を
伐採し、根も掘り起こさなければならない。気が遠く
なる量を処分しなければならない。
それには現地に大きな粉砕機を置いて、チップにして
固形燃料を作るとか、それにより より多くの雇用が
期待されるのでは・・・と夢が膨らんでいましたが
夢はあえなく消えました。


 






昨年釣り納めは坊主に、そして平成最後の お正月を迎えました。

2019-01-02 12:23:50 | 日記
 学校での仕事は26日に終え、27日の早朝2時に起床。道具をトヨタの
タンクに乗せ 一路 播磨町本庄へと向かいました。
本庄の港へ着いたのが3時半、駐車場には車が1台しか停まっていない。
その隣に駐車、受付の5時までに時間があるので 歩いてセブンイレブン
まで歩いて暑いコーヒーを飲みに行きました。
 帰ってくると車は次々やってきて、あれよあれよという間に12台に
時間はたっぷりあるので 持参したカップラーメンにお湯を注ぎ、
これまたセブンイレブンで買ってきた巻きずしを食べて時間待ち。
 5時きっかり受付小屋に灯りが灯り、順番を決めるのに奥さんが回って
きます。
 この船に乗り始めて 初めて艫(船の最後尾)の右舷に乗りました。

 船は明石海峡大橋の淡路寄りに着き、狙いの鯛を魚探で探している。
あちらこちらと探し回り 魚探に反応がないのか?一向に船が停まる
気配がない。まぁ慌てても仕方がない。船長任せ 夜明けが近づき
太陽が出てこようとする暁

太陽が雲の合間から出てきます。


再度明石海峡大橋まで引き返し、海峡大橋の橋桁まわりをグルグルと
廻り始めます。

明石海峡大橋の橋桁、左に見える街並みは神戸。

 ようやく船を停め”やってみて”の声で仕掛けを投入。私は この
サビキを使った”チョクリ釣り”は初めて、 隣の左舷に乗っている
77歳と言っていた地元の方に鯛が2匹釣れました。
チョクリのサビキを見れば 私が船に乗る前に受付小屋で買ったサビキとは
一回り小さくて黄色いサビキ、聞くと”小豆島仕掛け”との事。
サビキの違いが出たのか私には当たりなし。誰も当たりがないのか?
船長の”上げよか”の声で仕掛けをあげます。
 再度 明石海峡大橋の西詰 淡路寄りを魚探で探し続けます。時間は
刻一刻と過ぎていきます。 ”やってよ”の声で仕掛けを投じるも当たり
なし、時間は10時過ぎ、 何回目かの仕掛け投入に サビキをゆっくり
巻き上げてくると竿先に”コツコツ”と当たりが・・・
この釣りは向こう合わせ、慌てて上げると鯛が危険を察知してサビキを
吐き出すので ゆっくりと引き上げてきます。
ようやく針にかかったようで重みが伝わり、ゆっくり上げてくると
船長の息子さんが すくいにタモを持ってきます。
”あぁこれで坊主は逃れた”と思いきや、もう少しと言うときに竿先が
軽くなる。残念 痛恨のバラシ。
時間は11時、北西の風が強くなり、船長が「申し訳ないけど 海が時化て
きたので もう1回流して帰ります。」と言う。
 この船にのって初の坊主。 私だけでない。20人ほど乗っていましたが
釣れたのは 隣の方と 船先に乗っていた人がサゴシ(鰆の子)を釣った
ようで釣れた方は船内で二人。
12時過ぎに帰港し、帰路につきました。

 大晦日の日は畑へ行き、植えている白菜やネギ、それに大根、菊菜と
採ってきて正月の用意。と、言っても おせち料理は 何年か前から
注文していて、昔のように家で作ることが無くなりました。
母が居たころは ごまめや、酢ごぼう、黒豆の煮つけ、くわいや棒鱈
色々と大阪の生まれなので 京都に近い おせち料理を作っていましたが

畑に植えている野菜。

 正月は 祝ってから 久々の日本酒を飲みましたが、そんなに酔うほど
飲まず、休んでから近くの曽我井山へ登ります。初日の出を期待
していましたが、雲がかかっていて拝むことはできませんでした。
 最近は正月と言っても 元日から車は走り回っており、正月気分は
失せました。
まぁ元日から店が開いているのですから・・・
今年5月から元号が変わるのですが、なんという元号になるのでしょう。
テレビである人は”安和”などと予測していましたが・・・
そういえば、平成になった日、その日 私は 釣り道具屋をしていた
店主の笹倉吉男氏、それに村精織物社長の村上俊彦氏と 福井県の
若狭大島へ メバル釣りに行っていました。
 その時、社内のラジオで 小渕恵三 当時は官房長官?だったかが、
「名前は平成です」。と言っていたのを鮮明に思い出します。
この一緒に行っていた二人は 今はこの世に居らず、月日は無情にも
過ぎていきました。