喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

昨年釣り納めは坊主に、そして平成最後の お正月を迎えました。

2019-01-02 12:23:50 | 日記
 学校での仕事は26日に終え、27日の早朝2時に起床。道具をトヨタの
タンクに乗せ 一路 播磨町本庄へと向かいました。
本庄の港へ着いたのが3時半、駐車場には車が1台しか停まっていない。
その隣に駐車、受付の5時までに時間があるので 歩いてセブンイレブン
まで歩いて暑いコーヒーを飲みに行きました。
 帰ってくると車は次々やってきて、あれよあれよという間に12台に
時間はたっぷりあるので 持参したカップラーメンにお湯を注ぎ、
これまたセブンイレブンで買ってきた巻きずしを食べて時間待ち。
 5時きっかり受付小屋に灯りが灯り、順番を決めるのに奥さんが回って
きます。
 この船に乗り始めて 初めて艫(船の最後尾)の右舷に乗りました。

 船は明石海峡大橋の淡路寄りに着き、狙いの鯛を魚探で探している。
あちらこちらと探し回り 魚探に反応がないのか?一向に船が停まる
気配がない。まぁ慌てても仕方がない。船長任せ 夜明けが近づき
太陽が出てこようとする暁

太陽が雲の合間から出てきます。


再度明石海峡大橋まで引き返し、海峡大橋の橋桁まわりをグルグルと
廻り始めます。

明石海峡大橋の橋桁、左に見える街並みは神戸。

 ようやく船を停め”やってみて”の声で仕掛けを投入。私は この
サビキを使った”チョクリ釣り”は初めて、 隣の左舷に乗っている
77歳と言っていた地元の方に鯛が2匹釣れました。
チョクリのサビキを見れば 私が船に乗る前に受付小屋で買ったサビキとは
一回り小さくて黄色いサビキ、聞くと”小豆島仕掛け”との事。
サビキの違いが出たのか私には当たりなし。誰も当たりがないのか?
船長の”上げよか”の声で仕掛けをあげます。
 再度 明石海峡大橋の西詰 淡路寄りを魚探で探し続けます。時間は
刻一刻と過ぎていきます。 ”やってよ”の声で仕掛けを投じるも当たり
なし、時間は10時過ぎ、 何回目かの仕掛け投入に サビキをゆっくり
巻き上げてくると竿先に”コツコツ”と当たりが・・・
この釣りは向こう合わせ、慌てて上げると鯛が危険を察知してサビキを
吐き出すので ゆっくりと引き上げてきます。
ようやく針にかかったようで重みが伝わり、ゆっくり上げてくると
船長の息子さんが すくいにタモを持ってきます。
”あぁこれで坊主は逃れた”と思いきや、もう少しと言うときに竿先が
軽くなる。残念 痛恨のバラシ。
時間は11時、北西の風が強くなり、船長が「申し訳ないけど 海が時化て
きたので もう1回流して帰ります。」と言う。
 この船にのって初の坊主。 私だけでない。20人ほど乗っていましたが
釣れたのは 隣の方と 船先に乗っていた人がサゴシ(鰆の子)を釣った
ようで釣れた方は船内で二人。
12時過ぎに帰港し、帰路につきました。

 大晦日の日は畑へ行き、植えている白菜やネギ、それに大根、菊菜と
採ってきて正月の用意。と、言っても おせち料理は 何年か前から
注文していて、昔のように家で作ることが無くなりました。
母が居たころは ごまめや、酢ごぼう、黒豆の煮つけ、くわいや棒鱈
色々と大阪の生まれなので 京都に近い おせち料理を作っていましたが

畑に植えている野菜。

 正月は 祝ってから 久々の日本酒を飲みましたが、そんなに酔うほど
飲まず、休んでから近くの曽我井山へ登ります。初日の出を期待
していましたが、雲がかかっていて拝むことはできませんでした。
 最近は正月と言っても 元日から車は走り回っており、正月気分は
失せました。
まぁ元日から店が開いているのですから・・・
今年5月から元号が変わるのですが、なんという元号になるのでしょう。
テレビである人は”安和”などと予測していましたが・・・
そういえば、平成になった日、その日 私は 釣り道具屋をしていた
店主の笹倉吉男氏、それに村精織物社長の村上俊彦氏と 福井県の
若狭大島へ メバル釣りに行っていました。
 その時、社内のラジオで 小渕恵三 当時は官房長官?だったかが、
「名前は平成です」。と言っていたのを鮮明に思い出します。
この一緒に行っていた二人は 今はこの世に居らず、月日は無情にも
過ぎていきました。