冬はつとめて
雪の降りたるはいふべきにもあらず
霜のいと白きも
またさらでも
いと寒きに
火など急ぎおこして炭もてわたるも
いとつきづきし
枕草子の冬はこう語り
エアコンもストーブもなかった当時の
どのように暖を取られたものかと想う学んだ頃の興味。
京都では子供の頃
病弱だった母は朝が弱く
私が一番に起きて朝の支度をしていましたが
当時は朝顔型の火鉢がまだあり
寒い京町家を遠赤外線効果でじんわりと温める炭に頼っていました。
初水を汲み
神棚に、そなえ
氷の張る防火バケツを横目に寒い表に出て
手鍋のような下が網になってるものでクズ炭を先ずは火をつけていこしたような。
風に当てて火がいこってきたら
上に練炭を乗せて火を移します。
外に小さな七輪があり
確かそこに炭を移して練炭置いて
遠い昔の記憶。
炭がいこってきたら
朝顔型の火鉢に
練炭を入れるのです。
あかぎれが酷くて
手が真っ赤だったのを覚えています。
寒い朝に炭の温かさはじんわりと身体に伝わり優しかった。
京都も北山の寒さは辛いです。
市内中心部はそれほど雪も積もりません。
北山や左京の奥や嵯峨野あたりは地温も低いので寒さは格別です
京都では朝食はパン食がほとんどで
私はコーヒーを準備し(小学生の頃からコーヒー飲んでましたね。笑)
朝のトーストを両親が起きてきたらすぐに焼けるようセットして
次にパンを食べながら
中学生の頃は
母はお弁当作るのも身体がきつかったので
簡単なお弁当作って
早朝に学校に、向いました
雪の積もった朝は
当直の方にに門を開けてもらい
広いグラウンドに足跡を絵のようにつけていくのが楽しくて。
ぐるぐる渦巻きみたいにしたり。
それを高いところにあった中庭の藤棚のベンチから眺めると
だーれも来ていない学校のグラウンドに
自分の描いた絵のような足跡が広がる
中学校のそこからは
京都盆地が南まで見渡せます。
遠くに伏見城も見えるのです。
それくらい標高は高かった
雪は例えようもなく嬉しいけど
脚が運動靴が濡れてしまいしもやけになるのです。
教室で靴下脱いで椅子にかけて
朝にいろんな勉強一人でするのが常でした。
それでもまだ中学生の頃は美術部で楽しくて。
絵を描いたりいろんな造形作ったり。
高校のときは家から遠いため
部活もできずに帰宅して
母の入退院が多かったので病院に直行して洗濯物など持ち帰り
市場でお買い物して晩御飯のメニュー考えて歩きます。
寒い日は帰りが辛く
雪混じりの夕暮れ
冷たくなった手をこすりながら
帰り道に祖母の家にふと立ち寄ります。
長くはいられない。
心の整理がつかないとき辛いとき悲しいとき
祖母が織り前に座り手機を一心に織っていたのを黙って横でしばらく見つめておりました。
祖母は何にも言わずに黒飴を一つ私の口に入れました。
涙がつ~ッと出てくるときもあったけど
不思議とこの、黒飴舐めたら止まった。
甘いなあ。と、想いました。
でも
今でも冬になると
寒い朝には
そんな頃を思い出す。
決して嫌な思い出じゃない。
祖母が黙々と織っていた姿
私も物語を織り上げるように
素晴らしいおるごーる作りたいなと想います。
ついつい思い出すと微笑んでいます。
高校な頃にほとんど誰も私のことを覚えてはいないでしょうが
同窓会誘われ
そんなご縁でまた京都で同級生のされてる別のお店でランチでもと誘ってもらい
覚えていてくれる人もいて
誘ってくれる人もいて
ちょっと嬉しくて。(笑)
友人たちの甘じょっぱい思い出話聞くと
今頃になり
もう一度高校生活に戻り
私もそんな体験したかったなあ。なんて思うときもあります。(笑)
不可能なことですが。(笑)
けれども私の作品の中でいろんな物語を作っていけばいい
私の中の世界は無限に広がる気がします
覚えてくれてた友人たちの笑顔は
ちょっと心配や不安があった同窓会も
すごく楽しいものにしてくれました。
みんなの優しさにとても感謝しました。
どんな思い出も物語になりますね
そして未体験の事だって
今までは後退りしたけどそうじゃなくて
自分の経験してなかったことでも
きっと物語として表現できると信じて
私は永遠に続く物語を作って行きたいなあ。
永遠に続く、というのは
私が永遠に、じゃなくて
作品を見て聴いてくださる方々の想いの世界の中で
永遠に色々な物語が繋がっていけばどれほど素敵でしょう❣って
想う事です。
いろんな皆さんへの深い感謝
これからも続いていく物語を
紡いでいきたいなあ
立体構成にはもっともっとセンスも感性も必要だ。
磨くべき事は多い
年齢とか忘れて没頭していますが
身体にはガタが来ているのは確か。
それでもそんな身体をいたわりながら
できることをコツコツ積み上げていく喜びを表現していきたいです
こんなに表現する喜びを教えてもらい
この前夜に電話で
信じられない言葉をもらいました。
それはもう一生の宝物で
電話を切ったあと
私は嗚咽しましたが
人生後半に
こんなに素晴らしい優しさや思いやりをいろんな皆さんから頂いて
私もそのようにありたいと深く深く感じられ
ああこれを人生の幸せと言うのかなぁ。とか
物がないとかあれができないこれができないじゃなくて
できることを楽しむというささやかな事ですが
冬の朝に
深く深く想いながら
今日も動ける幸せを感じたいと想います。
初水を ひしゃくで
おくどさんに 火を
幼い頃 母の大変さを 思い出しました
時が流れて 心も身体も 年を重ね
色んな事が 客観的に見れるようになる
毎日 元気で過ごせる今に感謝です
20才までくらいしか 生きられないだろう と 心臓のせいで 言われたから・・・
父も母も そんなことはない 長生きすると 断言してました それが励みでした
人は丈夫だと言われると油断してめちゃくちゃして寿命縮めますよね。うちの母もこんなに長生きしています。あと、5年だと医者から言われた人がそれから50年近く生きています。(笑)