京都でギャラリー翔に、出展したとき
一番最初にお花をお祝いにくださった方が
今日は来られます。
彼女と、もう一人
亡くなってしまいましたがY子さん。
私が初めて百貨店に作品展示したときに出会ったお二人は
その後私が三条京阪のギャラリーに2ヶ月ロングラン展示したとき
何度も何度も来場くださいました。
私の作品の言わば初めてのファンになってくださった方々で
その当時
駆け出しの私にとって
お二人の応援はすごかったです。
Y子さんはステージ4の脳腫瘍
たいじ軽くなり
私が抱き抱えられるくらい細くなられてました。
いつも辛いと言われたことがなく
支えてくださった。
H美さんはパーキンソン病
段々と身体は不自由となられ今では車椅子ですが
ここ数年は本当に辛い状態で大変だったのに色々乗り越えられました。
私の作品をウクライナの方にプレゼントなさったり
前からよく一緒に児童養護施設などで一緒におるごーるコンサートしたり。
薬の効きが遅くて動けなくなられたり、いっぱいアクシデントもあったけど
今では楽しい思い出よね、と、いつも話されます。
新しいあとりえできることを心から喜んでくださる。
多分Y子さんもお空から応援してくれてるよと。
Y子さんから預かったおるごーるたちがあります。
それらは実は涙が止まらなくなり見られなかったんですが
最近ようやく
大丈夫になりました。
市販の壊れてしまったおるごーるやら
彼女が亡くなる直前に私に預けたものです。
触ることもできず泣くしかできなかった私に多分彼女は
「だ、い、じよ、う、ぶ」
と、背中をさすってくれてる気がします。
彼女は私が駆け出しの頃から
私のおるごーるたちが画廊に飾られたり
いろんな場所で喜んでもらえるようになる
と、断言してました。(笑)
ありがたいです。
優しいおるごーる
作りたい。
時々
応援してくれてるのかなあ?って想える時があります。
不思議なことが起こったりします。
お花。
お二人が
私のために
いろんな場所で初めて個展するたび
お花を添えてくださった。
私にとってこのお二人が
京都で初めて個展に花を添えてくださった方々です。
今日はH美さんが来られる。
入り口の石段を何とかしないとと想っています。
スロープほしいけど京都は色々難しいです。
久しぶりなので夕食一緒に取ることに。
コロナで長く会えなかったから本当に本当に久しぶりです。
車いす入れるお店に。
まだまだ油断はできないけど
H美さんのたっての願いで夕食ご一緒することになりました。
彼女のご病気のことを考えると
会食ずっと控えてたんですが
大丈夫だから、と。
パパさんも一緒だし。
亡くなったY子さんもこのご夫婦も教育者で
パパさんは校長先生もされて
教育委員会にもおられたのですが
ひょうひょうとされた素朴ないい方です。
どんなに大変でも
H美さんを黙々とサポートされてこられました。
まるで当たり前みたいに
ふんふんとH美さんの要望に何事もないみたいに介助されて
昔からです。
あーそう。と、人の話をじっくり聞かれる方で
重いものを持たれても彼女支えてもな~んにも表情変えないで
当たり前みたいにされてます。
なかなかできることではないし
普通なら大変ですわ、くらいは言いそうなのに
聞いたことない。
神戸の病院に、転院のときも
当たり前みたいに。
できることじゃない。
若年性なので彼女が、30代で発病されてからずーっとです。
先生しながら教頭先生のときも校長先生のときもお休み返上で彼女を、介助されてきた。
私はいつもその姿見てましたが
ご夫婦の信頼関係すごいなあといつも見てました。
仙人の奥さんへのご愛情やら、いろんなお話もそうでした。
ご夫婦の信頼とか絆とかって
ほんとにすごいんだなあって感心して見てました。
人の愛情ってすごいんだなあ。と、想います。
そこには穏やかな空気がいつも流れてる。
娘夫婦もそうです。
婿どのができた人で
穏やかで優しい。
教師しながら本当によくしてくれます。
若いのに教頭先生になって
しんどいだろうなと想うのにいつもいつも本当に家族のためによくしてくれます。
感謝しかありません。
私も愛情深い人でありたい。
そうあれるかなあ?(笑)
こんな歳でも
いいことは見習っていきたい。
別に性格変わらなくても
少しだけいいことは取り入れて学びたいです。(笑)
100個のうち一つくらいはいいこと身につくかなあ?(笑)
いいお天気です。
さて、工房に行こう。
とりあえずは
作品に愛を注ぎましょう。(笑)
女も見惚れる人
1番初めお会いした時 そんな事
感じました
ご病気の事も知らずにいたその時は
宜しくお伝えくださいませ