東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

18日目 新田駅ー松山町駅

2012年03月30日 | 東北本線 花泉駅~仙台駅
18日目

2011年6月4日(土)晴れ

新田駅 07:15 - 梅ヶ沢駅 08:15 約5.2Km

昨夜はウシガエルの鳴き声のせいでキャンプ地を移動してから、狭い車内で足を伸ばすこともままならないままなんとか眠った。

朝6時半に目が覚めた。

きのう花泉駅前のスーパーで買ったパンと缶コーヒーで朝食にする。
ペットボトルの水はあるが水は貴重なので顔は洗わず歯磨きだけした。
汗をかいたのに風呂に入らず寝たのでさぞかし臭うだろうなと思う。
車はそのまま同じところに置いたままにしてさっそく梅ヶ沢駅に向かって歩き出す。


新田駅近くの郵便局の屋根には大きな白鳥のモニュメントがあった。



さすがは伊豆沼の町である。

途中の踏み切りには東京から414Kmとある。



まだ朝が早いので空気がすがすがしい、農家が点在する道を歩く。

道路があちこちひび割れている、車で通るときはかなり注意が必要だ。
ときどき犬の散歩をさせている人とすれ違う。

山間の道を行くと民家がぽつぽつとあらわれてきた、そこから瀬峰駅への細い道があった。



典型的な無人駅だけど駅舎もプラットホームも掃除がされていてきれいである。
駅舎の中には「梅ヶ沢文庫」と書かれた本棚があってコミックやら文庫本が並んでいた。
ここのベンチで15分間休憩する。

客の姿のない静かな駅をあとに瀬峰駅に向かって歩き出す。

梅ヶ沢駅 08:30 - 瀬峰駅 09:25 約4.5Km

梅ヶ沢の町は歩いている人はいないし車もまったく通らなくて眠っているかのようだった。



緑が多いけど狭い道を歩いていくといつの間にか瀬峰に入ったようだ。
町中を歩いたり国道のような車の交通量の多い道を歩くのに比べると緑の多い細道を歩くほうが疲れがずっと少ないように感じる。

途中「五輪堂山公園」の脇を通る。



ちょうど「藤祭り」というのをやっていたが見物していると先へ進めなくなるので看板だけ撮影して歩く、瀬峰駅はもうすぐだ。



瀬峰駅は大きめの駅で三面のプラットホームがあり誇線橋もある、だがここも駅前は閑散としていた。

駅のベンチで10分間の休憩をしてから歩き出す。

瀬峰駅 09:35 - 田尻駅 11:20 約7.3Km

駅の裏手に「仙北鉄道瀬峰駅跡」の石碑があった、ここにも私鉄が走っていたのだ。



少し歩くと「仙北鉄道登米線跡」の石碑もあった。
その向かい側には天保の飢饉供養の石碑というのもある。



わたしの住む岩手の田舎町にも飢饉による餓死者供養の塔があるが、こんにちこのように豊かな水田が広がるこの地でも過去に凶作にみまわれたことがあったのだ。

まっすぐに伸びた線路脇の道を田んぼを見ながら歩く。



陽が高くなり暑さが厳しい。
雨に降られるのがイヤで天気予報を見ながら日程を決めたのだが予報よりも気温が高くなっているようだ。

やっと田尻の町中へ入る。

「おおっ! ローソンがある」と山道と田んぼの中を歩き続けたせいか、つい感激してしまう。コンビニがあるということは「大きな町」ということなのだ。



田尻駅前にはこんなオブジェ?があった。
ソフトクリームと団子の組合せかな?と思いつつ駅前まで行くと、観光案内板にあれは埴輪と加護坊山をモチーフにした「ストリート・ファニチャー」であると書いてあった。

「ストリート・ファニチャーか、うーむ直訳したら『道路家具』かな、なんだか意味がわからないな」と独り言。

ファニチャーという英語の意味を家具としてしか知らなかったので、どんな意味なのかと帰宅してから辞書をひいてみたが
1・家具 2・調度 3・什器 4・建具 などしか出てこない。
まあ、あれは「道路の調度品」であると解釈することにした。



田尻駅 11:30-(昼食)- 小牛田駅 14:15 約6.8Km


田尻駅では写真を撮っただけで歩き出す。
このまちは遮光式土偶が名物?らしくマンホールの蓋にも土偶が描かれている。





しばらく歩くと大沢街道踏切に差し掛かる、基点から400K733mとなっている。



東北本線の東京から盛岡までの営業キロは575.7Kmとなっているからなのでこれまで歩いた距離は約175Kmだ。
まだ全体の30パーセントしか歩いていないのだ。
一日平均20Km歩いたとしてあと20日はかかる計算だ。

「昔の人は歩いて江戸まで行ったのだからオレだって出来るはずだ」と思うのだが、それにしても遠い。



両側に広い田んぼの広がるよく整備された道を小牛田方面へ歩いていると、オート三輪車が走ってきたので急いでデジカメを取り出し撮影した。





わたしが子供のころはオート三輪車はどこでも見られたものだが、実際に走っているのを見るのは30年ぶりくらいだ。
錆び付いたり汚れたりしていないから大事に使われているのだろう。

小牛田橋を渡る。



出来て間もない橋のようできれいなままだった、ここにも土偶の絵が描かれている。

小牛田駅まで1.4Kmの案内が見えてきた。



駅が近くなると大手スーパーや回転寿司、ファミレスが並んでいる、「おお、大都会だあ」と思わず声が出る。
コンビニがあれば[大きな町]でファミレスがあれば[大都会]とはあまりにも単純な考えだが、田んぼと山だけ見ているとそう思ってしまうのだ。

午後1時を過ぎていたのでここで昼食休憩とする。



選んだのはわたしのお気に入りのレストラン「南部屋敷」。
この店の前のマンホールも地震の液状化でかなり浮き上がっていたが、さいわい店舗には被害がなかったようだ。
奮発して980円のソースかつ重セットを食べる。
カップ麺とパンだけで2日間歩き続けるのはしんどい、やはり栄養をつけねば。

食べ終わって店を出ると午後2時10分だった、そこから歩いて5分のところに小牛田駅はあった。



駅は大きく駅舎も立派だがここも駅前は人通りもなく寂しい。
通勤時間帯ではないので人が少なかったのだろうか。



小牛田駅 14:20 - 松山町駅 15:30 約4.5Km

小牛田駅を後にして松山町駅に向かって歩く。
ところが小牛田の町中で道に迷い西へ向うべきところを逆方向に歩いていることに気が付いた。
町中を歩くと民家やビルにさえぎられ線路が見えなくなり方向感覚を失ってしまったのだ。

これで30分ほどロスをしてしまった。
あちこちの屋根瓦が壊れている、ブロック塀の修理をしている民家も見かけた。
この辺は震度6強か震度7だったのではないだろうか。
鳴瀬川に架かる野田橋を渡る、ここも橋の端部分に大きな段差が出来ていた。
また広い田んぼの中の舗装されていない道を歩く、こういう道のほうが暑さも感じないようだ。



まもなく松山町に入り、今日の目的地である松山町駅に到着。




駅前の写真を撮ってからきっぷを買って電車で新田駅まで戻る。




新田駅に戻り車に乗り込み「加護坊温泉」へと車を走らせる。



歩いているときに「加護坊温泉さくらの湯」の看板を見かけて場所の確認もしておいたのだ。
歩けば駅から1時間はかかりそうなところだが車なら数分で着いてしまう。
ここは公園にもなっているようだが、地震のボランティアの人たちの基地になっていてテントがたくさん張ってあった。

温泉にも若者たちが多かった。
もうすぐ3月11日の地震から3ヶ月だというのに復旧は進んでいない、ボランティアの人たちの活躍には頭が下がる。

今夜の宿泊地はこの公園の駐車場に決めた。
広いし静かでとてもよいところだ。今夜も夕食はインスタントラーメンと缶詰1個。夕食を食べ終えたらあとは寝るだけだ。



コメント
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