13日目
2010年9月12日 前沢駅⇒平泉駅 約8.6Km 平泉駅⇒山ノ目駅 約4.8Km 山ノ目駅⇒一ノ関駅 約3.5Km
前回から2週間もたってしまったが今日も「岩手フリーアリア切符」を買って出発。
東北新幹線が開業してからというもの仙台、東京方面へ行くときは新幹線を使うのが普通になってしまってる。
普通列車で東北線を”長距離”乗るのは数十年ぶりだ。
座席がベンチシートなのは仕方ないのだが1時間も座っていると少々くたびれる。
前沢前に着いたのは10時20分だった。
天気は雨が降りそうな曇りなので暑さもさほどではない。
駅前にアスティ南公園というのがあり、見るとトンボのようなモニュメントがある。

若い女性にトンボの羽を着けたようなメルヘンチックなものだった。
線路沿いに道が無いので国道4号線を南へと歩く。
交通量の多い国道を歩くのは騒音と排気ガスがすごい。
途中で国道から東北本線に沿って走る小さな道へ向かう。
北上川沿いの農村地帯なのだが、過去になんども洪水の被害にあっている地区だ。

見ると民家の壁に過去の台風の時の洪水の水位をあらわす表示があった。
昭和22年の洪水では約2メートルの浸水があったようだ。

白鳥館遺跡というのもあった。
その昔はこの道が大きな街道だったのだろう、大きな古い民家が並ぶ通りだ。
しばらく行くと「牛の博物館」というのがある。

ここは有名なブランド牛「前沢牛」の飼育が盛んなところだ。
曇っていた空から雨が落ちて来たと思ったらかなり強く降りだした。

傘は持ってきたが風もあるのでズボンと靴が濡れる。
雨宿りできる場所はないし、雨もすぐにやむ気配はないので歩き続ける。
膝から下はびしょびしょになってしまった。
平泉バイパスに出る「東京まで451Km」の標識がある。

平泉の町中へ入る。
訪れたときはまだ世界遺産に登録されていなかったのだが、平泉は2011年6月に悲願の世界文化遺産登録となった。
このことは2011年3月11日の東北関東大震災で落ち込んでいた岩手の人たちに、おおきな励ましになったのだった。

平泉町へ入るころやっと雨が止んだので平泉の中尊寺へと参道を登る。

基本的には東北本線沿いを歩くだけで「寄り道」はしないつもりだったがまあいいだろう。

12時20分から1時間を中尊寺の見学で過ごす。
中尊寺へ来たのは数十年ぶりである。

地元の人間なのだがいつも遠出をするときは高速道路を利用していたので平泉は素通りしていたのだった。


雨に濡れた木々の緑が鮮やかだ。
中尊寺から下山してすぐにあるのが中尊寺踏切だ。

途中右に「無量光院跡」を見ながら駅方面へと歩く。


午後2時に平泉駅に到着。

平泉駅は博物館か資料館といった雰囲気の外観の建物だがちょっとそっけない感じを受ける。
ここの駅でも駅前の郵便ポストに地元ゆかりのものが乗っかっている。

サイズが大きすぎてポストからはみ出しているぞ。

駅には「弁慶の力餅」というのも展示してある。
下の台座(三宝)も含めて160キロもあるのだそうだ
恒例の春の藤原まつりではこれをもって歩く距離を競うのである。

今日も昼食はラーメンである。
私はグルメではないので食べ物にはこだわりが無い。
旅行のときには地元の名物料理を味わうことを楽しみにしている人も多いのだが、私は牛丼、ハンバーガー、ラーメンのような「早い、安い、(できることなら美味い)」もので満足である
午後2時30分に駅前の食堂で500円のラーメンを食べ終えて歩き出す。

また国道4号線を離れ東北本線沿いに歩く。
農道らしく歩いている人もいないが車もまったく通らない。
砂利道だが静かだし歩きやすい。
しばらく歩くと左手に堤防のようなものが見えてきたので登ってみる。
そこは北上川の氾濫を防ぐための長大な堤防だった。

堤防の内側には広大な田んぼが広がっていた。
あの田んぼの向こうに北上川が流れているはずである。
ということは過去の洪水のときはこのあたり一面が水の下だったということだなあ。
その洪水を防ぐために高さ10メートル以上もある堤防を何キロにもわたって造ったということだ。
堤防を歩いていると右手に山ノ目駅が見えたので堤防を降りて国道4号線へと出る。
午後3時30分に山ノ目駅に到着。

小さいが清潔な感じの無人駅だった。
また雨が降ってきた、雨の中を歩くのはしんどいが一関までは歩きたい。
山ノ目駅の写真を撮って国道4号線に戻り小雨の中を一ノ関駅を目指して歩く。
ここにも過去の台風での洪水水位をあらわす表示があった。

あの堤防と上流のダムがなかったら今でもこの町は洪水の脅威にさらされていたのだろう。

一関市内に入り磐井川を渡る。
ここで松尾芭蕉が休んだという。

松尾芭蕉は当時の江戸から平泉まで来て、さらに日本海側へ抜けて金沢方面へと向かうのだ。
もちろん道路は舗装などされていないし山道はある。
コンビ二もビジネスホテルも無いので野宿もしなければならないだろうし、うーむ大変だったんだなあ。
一関市内で見かけた電話ボックス。

電話機側に寄りかかったら傾いて川に落っこちそうだな。
マンホールの蓋もパシャ。


午後4時15分やっと一ノ関駅に到着。

東北新幹線の青森まで開通があと77日にせまっている。
一ノ関駅から盛岡駅まで電車で帰る。

2010年9月12日 前沢駅⇒平泉駅 約8.6Km 平泉駅⇒山ノ目駅 約4.8Km 山ノ目駅⇒一ノ関駅 約3.5Km
前回から2週間もたってしまったが今日も「岩手フリーアリア切符」を買って出発。
東北新幹線が開業してからというもの仙台、東京方面へ行くときは新幹線を使うのが普通になってしまってる。
普通列車で東北線を”長距離”乗るのは数十年ぶりだ。
座席がベンチシートなのは仕方ないのだが1時間も座っていると少々くたびれる。
前沢前に着いたのは10時20分だった。
天気は雨が降りそうな曇りなので暑さもさほどではない。
駅前にアスティ南公園というのがあり、見るとトンボのようなモニュメントがある。

若い女性にトンボの羽を着けたようなメルヘンチックなものだった。
線路沿いに道が無いので国道4号線を南へと歩く。
交通量の多い国道を歩くのは騒音と排気ガスがすごい。
途中で国道から東北本線に沿って走る小さな道へ向かう。
北上川沿いの農村地帯なのだが、過去になんども洪水の被害にあっている地区だ。

見ると民家の壁に過去の台風の時の洪水の水位をあらわす表示があった。
昭和22年の洪水では約2メートルの浸水があったようだ。

白鳥館遺跡というのもあった。
その昔はこの道が大きな街道だったのだろう、大きな古い民家が並ぶ通りだ。
しばらく行くと「牛の博物館」というのがある。

ここは有名なブランド牛「前沢牛」の飼育が盛んなところだ。
曇っていた空から雨が落ちて来たと思ったらかなり強く降りだした。

傘は持ってきたが風もあるのでズボンと靴が濡れる。
雨宿りできる場所はないし、雨もすぐにやむ気配はないので歩き続ける。
膝から下はびしょびしょになってしまった。
平泉バイパスに出る「東京まで451Km」の標識がある。

平泉の町中へ入る。
訪れたときはまだ世界遺産に登録されていなかったのだが、平泉は2011年6月に悲願の世界文化遺産登録となった。
このことは2011年3月11日の東北関東大震災で落ち込んでいた岩手の人たちに、おおきな励ましになったのだった。

平泉町へ入るころやっと雨が止んだので平泉の中尊寺へと参道を登る。

基本的には東北本線沿いを歩くだけで「寄り道」はしないつもりだったがまあいいだろう。

12時20分から1時間を中尊寺の見学で過ごす。
中尊寺へ来たのは数十年ぶりである。

地元の人間なのだがいつも遠出をするときは高速道路を利用していたので平泉は素通りしていたのだった。


雨に濡れた木々の緑が鮮やかだ。
中尊寺から下山してすぐにあるのが中尊寺踏切だ。

途中右に「無量光院跡」を見ながら駅方面へと歩く。


午後2時に平泉駅に到着。

平泉駅は博物館か資料館といった雰囲気の外観の建物だがちょっとそっけない感じを受ける。
ここの駅でも駅前の郵便ポストに地元ゆかりのものが乗っかっている。

サイズが大きすぎてポストからはみ出しているぞ。

駅には「弁慶の力餅」というのも展示してある。
下の台座(三宝)も含めて160キロもあるのだそうだ
恒例の春の藤原まつりではこれをもって歩く距離を競うのである。

今日も昼食はラーメンである。
私はグルメではないので食べ物にはこだわりが無い。
旅行のときには地元の名物料理を味わうことを楽しみにしている人も多いのだが、私は牛丼、ハンバーガー、ラーメンのような「早い、安い、(できることなら美味い)」もので満足である
午後2時30分に駅前の食堂で500円のラーメンを食べ終えて歩き出す。

また国道4号線を離れ東北本線沿いに歩く。
農道らしく歩いている人もいないが車もまったく通らない。
砂利道だが静かだし歩きやすい。
しばらく歩くと左手に堤防のようなものが見えてきたので登ってみる。
そこは北上川の氾濫を防ぐための長大な堤防だった。

堤防の内側には広大な田んぼが広がっていた。
あの田んぼの向こうに北上川が流れているはずである。
ということは過去の洪水のときはこのあたり一面が水の下だったということだなあ。
その洪水を防ぐために高さ10メートル以上もある堤防を何キロにもわたって造ったということだ。
堤防を歩いていると右手に山ノ目駅が見えたので堤防を降りて国道4号線へと出る。
午後3時30分に山ノ目駅に到着。

小さいが清潔な感じの無人駅だった。
また雨が降ってきた、雨の中を歩くのはしんどいが一関までは歩きたい。
山ノ目駅の写真を撮って国道4号線に戻り小雨の中を一ノ関駅を目指して歩く。
ここにも過去の台風での洪水水位をあらわす表示があった。

あの堤防と上流のダムがなかったら今でもこの町は洪水の脅威にさらされていたのだろう。

一関市内に入り磐井川を渡る。
ここで松尾芭蕉が休んだという。

松尾芭蕉は当時の江戸から平泉まで来て、さらに日本海側へ抜けて金沢方面へと向かうのだ。
もちろん道路は舗装などされていないし山道はある。
コンビ二もビジネスホテルも無いので野宿もしなければならないだろうし、うーむ大変だったんだなあ。
一関市内で見かけた電話ボックス。

電話機側に寄りかかったら傾いて川に落っこちそうだな。
マンホールの蓋もパシャ。


午後4時15分やっと一ノ関駅に到着。

東北新幹線の青森まで開通があと77日にせまっている。
一ノ関駅から盛岡駅まで電車で帰る。
