16日目
2011年5月26日 渋民駅ー好摩駅ー岩手川口駅(約11.5Km)
東北本線に沿って盛岡から青森方面を目指して歩いている。
4月に痔の手術をしたのだが経過は順調だ。
だが医者には7月までは無理をしないようにと言われている。
気を抜いて酒を飲んだり無理な運動をしたため傷が開き大出血をして死にかけるようなこともあるのだそうだ。
経過を見るために7月までは通院が必要だと強く念をおされた。
そんなわけで自宅からそう遠くないところを歩こうというわけである。
経過はよいと言ってもやはり歩いていると少々痛みがある。
歩けばお尻の肉と皮膚が動き、手術した部分がこすれあうような感じで痛みがあるのだ。
そのため尻をかばって歩く姿勢になるので、歩き方は「すり足」状態になってしまう。
歩幅を大きくして元気よく歩くことが出来ないのだ。
まんいち具合が悪くなったらすぐに帰宅しよう。
さて、今回は渋民駅から岩手川口駅まで歩く予定である。
天気は快晴で絶好の散歩日和である。
自宅をバイクで出て北に向かい渋民駅まで行く、午前10時10分に渋民秋に到着。
駅前の駐車場にバイクを停めて歩き出す。
田植えの終わった田んぼに残雪の岩手山が映える。
線路に沿って防雪林が続く。
このあたりは岩手山方面からくる吹雪が鉄道運行の妨げになるので東北本線沿線西側にはこのような防雪林がある。
ところどころに新奥の細道の案内表示がある。
これなら迷わず歩けそうだ。
『夜更森』なんてちょっと魅力的な名前のところもある、往復6キロだ。
車なら気軽に立ち寄れるのだが歩きでは寄り道は決断がいる。
今回はパスしてそのうち車で来てみようと思う。
この川は八幡平の松川から流れてきているものだろう。
そうだとすれば40年ほど前までこの川は赤茶色に濁っていたはずだ。
当時は八幡平の硫黄鉱山の排水で川が汚染されていたのだ。
好摩駅が見えてきた。
東北本線が電化されるまでこの駅には蒸気機関車が何台も並んでいた。
この駅は東北本線と花輪線の接続駅だし、東北本線はこの先の奥中山駅までの長い登り坂がある。
花輪線も八幡平方面への長い登り坂があるので、この好摩駅で蒸気機関車を連結してから山を登るのだ。
奥中山でも花輪線でもSL三重連はよく見られたものだった。
電化されて蒸気機関車の姿が無くなった好摩駅は広すぎる構内をもてあましているように見える。
駅前にある、その昔は旅館だったと思われる建物。
遠方から列車で来て、その日に接続列車が無ければ駅前の旅館に泊まることになるのだから主要駅の駅前にはこのような旅館があった。
そういえばこの駅でも「駅弁」が売られていたはずだ。蒸気機関車も旅客もいなくなったいまの様子からは想像することもむずかしい。
駅舎は新築中だった。
以前のちょっと裏寂れたような感じの駅舎の雰囲気は好きだったがこれも時代の流れだろう。
駅舎の写真を撮るだけにして北に向かって歩く。
天気は上々だが歩いていると日差しが強いのがちょっとツライ。
最近はあまり見かけなくなった『この先踏み切り』の表示。
錆び具合とSLの絵が年代を感じさせる。
遠くに姫神山を望む、菜の花の黄色と牧草の緑が鮮やかだ。
ときどき電車が通る。ついカメラを向けてしまう。
マンホールの蓋を見つけるとシャッターを押す。
すずらんが名物ということなのだろうか、中央の絵は姫神山をデザインしたものだろうな。
この辺は国道4号線からかなり離れたところに線路がある。
線路沿いにある道は舗装はされているが農道のようで車も人も通らない。
畑と田んぼが続く道を歩いていくと、いきなり道が行き止まりになってしまった。
どうやら崖崩れが多発するので工事を途中で止めたという感じだ、どうりで人も車も通らないわけだ。
引き返すのもイヤなので岩がごろごろしているけもの道を抜けていく。
やっと岩手川口まで来た。
山桜が「はい、見ごろは今日までですよ」と言いながら咲いている。
北東北の春は終わり、これから夏に入っていくのだ。
岩手川口駅に到着。
昔風の駅舎である。意外に感じるほど駅前の広場が広い。
駅にも駅前にも人影が無く静かだった。
電車で渋民まで戻る。
2011年5月26日 渋民駅ー好摩駅ー岩手川口駅(約11.5Km)
東北本線に沿って盛岡から青森方面を目指して歩いている。
4月に痔の手術をしたのだが経過は順調だ。
だが医者には7月までは無理をしないようにと言われている。
気を抜いて酒を飲んだり無理な運動をしたため傷が開き大出血をして死にかけるようなこともあるのだそうだ。
経過を見るために7月までは通院が必要だと強く念をおされた。
そんなわけで自宅からそう遠くないところを歩こうというわけである。
経過はよいと言ってもやはり歩いていると少々痛みがある。
歩けばお尻の肉と皮膚が動き、手術した部分がこすれあうような感じで痛みがあるのだ。
そのため尻をかばって歩く姿勢になるので、歩き方は「すり足」状態になってしまう。
歩幅を大きくして元気よく歩くことが出来ないのだ。
まんいち具合が悪くなったらすぐに帰宅しよう。
さて、今回は渋民駅から岩手川口駅まで歩く予定である。
天気は快晴で絶好の散歩日和である。
自宅をバイクで出て北に向かい渋民駅まで行く、午前10時10分に渋民秋に到着。
駅前の駐車場にバイクを停めて歩き出す。
田植えの終わった田んぼに残雪の岩手山が映える。
線路に沿って防雪林が続く。
このあたりは岩手山方面からくる吹雪が鉄道運行の妨げになるので東北本線沿線西側にはこのような防雪林がある。
ところどころに新奥の細道の案内表示がある。
これなら迷わず歩けそうだ。
『夜更森』なんてちょっと魅力的な名前のところもある、往復6キロだ。
車なら気軽に立ち寄れるのだが歩きでは寄り道は決断がいる。
今回はパスしてそのうち車で来てみようと思う。
この川は八幡平の松川から流れてきているものだろう。
そうだとすれば40年ほど前までこの川は赤茶色に濁っていたはずだ。
当時は八幡平の硫黄鉱山の排水で川が汚染されていたのだ。
好摩駅が見えてきた。
東北本線が電化されるまでこの駅には蒸気機関車が何台も並んでいた。
この駅は東北本線と花輪線の接続駅だし、東北本線はこの先の奥中山駅までの長い登り坂がある。
花輪線も八幡平方面への長い登り坂があるので、この好摩駅で蒸気機関車を連結してから山を登るのだ。
奥中山でも花輪線でもSL三重連はよく見られたものだった。
電化されて蒸気機関車の姿が無くなった好摩駅は広すぎる構内をもてあましているように見える。
駅前にある、その昔は旅館だったと思われる建物。
遠方から列車で来て、その日に接続列車が無ければ駅前の旅館に泊まることになるのだから主要駅の駅前にはこのような旅館があった。
そういえばこの駅でも「駅弁」が売られていたはずだ。蒸気機関車も旅客もいなくなったいまの様子からは想像することもむずかしい。
駅舎は新築中だった。
以前のちょっと裏寂れたような感じの駅舎の雰囲気は好きだったがこれも時代の流れだろう。
駅舎の写真を撮るだけにして北に向かって歩く。
天気は上々だが歩いていると日差しが強いのがちょっとツライ。
最近はあまり見かけなくなった『この先踏み切り』の表示。
錆び具合とSLの絵が年代を感じさせる。
遠くに姫神山を望む、菜の花の黄色と牧草の緑が鮮やかだ。
ときどき電車が通る。ついカメラを向けてしまう。
マンホールの蓋を見つけるとシャッターを押す。
すずらんが名物ということなのだろうか、中央の絵は姫神山をデザインしたものだろうな。
この辺は国道4号線からかなり離れたところに線路がある。
線路沿いにある道は舗装はされているが農道のようで車も人も通らない。
畑と田んぼが続く道を歩いていくと、いきなり道が行き止まりになってしまった。
どうやら崖崩れが多発するので工事を途中で止めたという感じだ、どうりで人も車も通らないわけだ。
引き返すのもイヤなので岩がごろごろしているけもの道を抜けていく。
やっと岩手川口まで来た。
山桜が「はい、見ごろは今日までですよ」と言いながら咲いている。
北東北の春は終わり、これから夏に入っていくのだ。
岩手川口駅に到着。
昔風の駅舎である。意外に感じるほど駅前の広場が広い。
駅にも駅前にも人影が無く静かだった。
電車で渋民まで戻る。