東北沿線を歩く旅 2011年版
2011年6月3日 花泉駅ー新田駅
手術後の経過も順調で、これなら大丈夫と判断していよいよ岩手県境から仙台駅を目指して歩くことにした。
日程は天気予報を見ながら決めた。
歩く旅での雨ほど憂鬱なものは無い。
雨具はかさばるし重い、そして履きもが困るのだ。
長靴ではあまりにも歩きにくい、そうかといって普通のウォーキングシューズでは濡れて水が中に入ってしまう。
通り過ぎる車に水をはねられることも多い。
晴れた日を選んで歩き旅を続けられるというのは仕事を持たない年金生活者の特権なのだ。
だが年金額はあまりにも少なくてホテルや旅館に泊まりながら歩き旅が出来るほどの収入は無い。
そこで車でキャンプをして宿泊費を浮かすことにした。
軽自動車なので中で寝るのは狭いかもしれないと思い、テントとシュラフも持っていく。
食事もできるだけ切り詰める。カップ麺とインスタントラーメンも自宅から持っていくのだ。
「こりゃぁ~まるでホームレスみたいになってきたぞ」と独り言。
なにもそこまでしなくてもと考えたりするが、それも楽しみのひとつなのだと考えよう。
前回までは地図を持たずに歩いたので、道を間違えて遠回りをしてしまったことがあった。
わたしはGPSとかアイフォンとかポータブルナビなどは持っていない。
そんなハイテクグッズを買う資金がないのだ。そこで昔使っていた大判の道路地図を持ってきた。
道路地図帳はそのままでは大きすぎるし重いので、必要な部分だけ切り取って持ち歩くことにした。
地図には小さな道は載っていないけれど大まかな方向がわかればそれでよいと考えたのだ。
17日目
2011年6月3日(金) 晴れ
朝の6時に起きて朝食を終えて07:15に自宅を出る。
天気予報どおりで朝方は曇っていたが途中から晴れてきた。
盛岡市から一関市付近までは道路に大きな被害は見られなかったが、一関市を過ぎると3月11日の大震災による被害があちこちに見える。
注意しながら走らないと道路に大きな段差が出来ていたり陥没しているところがあったりで危険だ。
途中休憩なしで走り続けて今回の出発点である花泉駅に着いたのは10時45分だった。
ここでも駅前にある旅館や民家が地震のため屋根瓦が落ちたり壁が壊れたりしている。
花泉駅 11時-油島駅 11時50分 約4.4Km
花泉駅の脇にはスーパーマーケットがあるのでそこの駐車場に車を置くつもりだったが、駅の駐車場があり無料だったし駐車時間の制限も無さそうなのでそこへ駐車する。
歩き出したのは11時ちょうど。
すぐに東北本線の上油田踏切を渡る。
まだここは岩手県圏内だがそれでも地震ための液状化の跡があちこちに見られる。

道路にひび割れがあったりマンホールが浮き上がっていたりだ。
古い民家の壁が剥がれ落ちている。
50分歩いて油島駅に到着。
駅はその土地のランドマークなので道路に「●●駅 300M」などの標識があるのが一般的だが、ここのは木陰にさび付いた標識がひっそりと立っている。

車なら気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。
駅舎の壁に時計があるのだがちゃんと正しい時刻を指していた。

無人駅でもこのようにしっかりと管理されているのは頼もしい限りである。
油島駅11時55分 - 石越駅 12時45分 約4.2Km
油島駅前のマンホールは20センチほども浮き上がっていた、3月11日の地震ではどれだけの揺れだったのだろうか。

油島駅は典型的な無人駅だった、腰の曲がったお婆さんが杖をつきながらプラットホームに階段を登ってきた。
足が悪いらしくて、たった10段の階段を登るのもつらそうだった。

帰りの列車なら向かいのプラットホームに降りて跨線橋を上り下りしなければならないハズだ、ひとけのないこの駅では手伝ってくれる人もいないだろう、他人事ながら気になる。
駅の写真を撮っただけでまた歩き出す。
しばらく歩くと満昌寺という寺の前を通り過ぎる。

この時期はどこへ行っても花が咲いているので、シャッターを押す回数が増える。
いつの間にか宮城県に入っていた。
足元を見ると「いしこし」のマンホールがあった、ここでは液状化が無かったようだ。

歩いていると地震の影響を大きく受けた地区とさほど受けなかった地区があるのがよく分かる。
地震での家屋の倒壊はなかったようだが屋根瓦が落ちたり壁が崩れたりしている家はあちこちにある。
農家の古い倉庫などで「これなら震度4で壊れてしまいそうだなあ」と思うような建物がなぜか壊れずに残っていたりする。
歩いているとサビついた線路があった。

昔の工場への引込み線だろうか、ちょっと不思議だ。
12時45分に石越駅に到着した。
ここまで約2時間を休憩なしで歩いたが、ここまでは疲れも感じないし足が痛くなるということもなく順調だ。
石越駅は新しい駅舎を建設中でプレハブの仮駅舎での営業中だった。

ここは無人駅ではなくちゃんと駅員さんがいるのだった。
駅前にはタクシーが2台客待ちをしていた。
駅前を見ると昔は旅館だったのではないかと思わせる大きな木造の建物があった。

ふと見ると真新しい「くりはら田園鉄道 石越駅跡」の石碑が建っている。

そこはプラットホームのあったところで、そこから先ほど見かけた錆びて途中で途切れているレールが続いているのだった。
くりはら田園鉄道は2007年まで営業していたらしい、地方の私鉄が消えていく中ではがんばった会社なのだろう。

駅前の通りは人影が無い。
黒い猫がゆっくりと道を横切っていった。
石越駅 12時50分-新田駅 15時25分 約8.9Km
石越駅を過ぎたころから足に痛みを感じるようになってきた。
内腿が痛いのだ、ちょっと休みたいと思い駅に程近いホームセンター「ホーマック」のところへ歩いた。
栗原市の標識がある。ちかくには「チャチャワールド」という施設もあるらしい。
ホーマックの店舗前にはベンチがあり自動販売機もあった。
日差しが強くなってきて水分の補給をしたいところだ。
ところがベンチに中年男性がひとり座っていてどうも挙動がおかしいのだ、ひとりなのに大声で叫んだりしている。
近づきたくない雰囲気だ。
ベンチに座ることも出来ずその場を離れることにした。

石越駅から今日の目的地である新田駅までは9キロほどもあり長い道のりだった。
しかも日差しが強い、晴れているのはうれしいが暑いのはしんどい。
歩く速度がだんだんと遅くなっていくのが自分でも分かる。
田んぼの中のあぜ道を歩く。

こんな道は道路地図には載っていないのだが帰宅してからGooglマップで検索したらしっかりとルートが表示されたのには驚いた。

歩きでの旅にはこのGooglマップをプリントして持ち歩くのがベストだとあらためて認識した。
道路地図には田んぼのあぜ道などは載っていないのだった。
途中道幅の狭い踏切を渡る、草に覆われているがかろうじて車の跡が残っている。

線路脇の舗装されていない道を歩く。
歩く旅の場合は国道や県道のように交通量の多い道路よりこのような道のほうが快適である。
若柳大橋を渡ると「水辺の町わかやなぎ」の看板が見える。

迫川の河川敷を歩く。

歩き終えてからGooglマップで見ると今回も遠回りをしてしまったようだ。

ここから国道398号線を歩いたのだが、歩道が無いのに車の量は多いしでヒヤヒヤさせられる。
そうしているうちに登米市の標識があらわれる。

裏側を見ると栗原市と書いてある。
「水辺の町わかやなぎ」はいったいどこからどこまでだったのだろうか。
ここもそうだがほとんどの橋に大きな段差が出来ている。
大きな段差は20センチほどもあったから地震直後は車が通ることが出来なかったのではないかと思う。
やっとJR新田駅の案内標識が見えてきた。

伊豆沼といえば渡り鳥などが豊富で自然観察によいところなのだが、すでに疲れ果てていてサンチュクアリセンターへ向かうだけの気力がない。

遠くから施設の外観だけ撮影する。
やっと新田駅に到着だ。午後3時25分だから今日は4時間半ほど歩いたことになる。


もう一駅歩いて距離を稼ぎたいところだが暑さのせいもあり体力が残っていない。
JRで花泉駅まで戻る。

4時間以上もかかった距離を電車は15分もかからず走り抜けてしまった。
車に乗り込みエアコンをめいっぱい効かせて、汗だらだらになりながら歩いた道を今度は車で走り抜ける。
思えばずいぶんと無駄なことをしているものだ。
一度歩いてから、そのコースを電車で出発地点まで戻り、さらに車で同じコースを通るのだ。
新田駅近くの伊豆沼の駐車場に車を停めて今夜はここで車中泊をすることにした。
汗で身体がべとべとだから風呂に入りたいが近くに温泉はないようだ。
夕食はインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰だけ。
昼食を食べずにせんべいをかじりながら歩いたからさすがに空腹だ。
車は軽自動車なので狭いのは覚悟をしていたが、後部座席がほとんどリクライニングしないタイプなので足を伸ばして寝られないのはつらい。
一泊だけなら我慢も出来るが数泊となると無理がある。
テントも持ってきたが設営と撤去が面倒で車で寝ることにする。
わびしい夕食が終わりシートを倒して横になる。
眠ろうと思ったらどこからか「ブォー、モー」と牛の声が聞こえてくる。
「うんっ? この回りに牧場は無かったはずだが?」
しかもなぜ夜中に牛が鳴きだすのだろうか?
なんと伊豆沼にはウシガエルが生息していたのだった。
わたしの田舎にはウシガエルは生息していないのでウシガエルの声を聞くのは初めてだ。
かなりうるさいということは知っていたが、たしかにこれは「騒音」である。
こんなのが家の周りに棲んでいたらやかましくて眠れないだろう。
あまりの騒音に耐え切れず別の駐車場に移動したのだった。

2011年6月3日 花泉駅ー新田駅
手術後の経過も順調で、これなら大丈夫と判断していよいよ岩手県境から仙台駅を目指して歩くことにした。
日程は天気予報を見ながら決めた。
歩く旅での雨ほど憂鬱なものは無い。
雨具はかさばるし重い、そして履きもが困るのだ。
長靴ではあまりにも歩きにくい、そうかといって普通のウォーキングシューズでは濡れて水が中に入ってしまう。
通り過ぎる車に水をはねられることも多い。
晴れた日を選んで歩き旅を続けられるというのは仕事を持たない年金生活者の特権なのだ。
だが年金額はあまりにも少なくてホテルや旅館に泊まりながら歩き旅が出来るほどの収入は無い。
そこで車でキャンプをして宿泊費を浮かすことにした。
軽自動車なので中で寝るのは狭いかもしれないと思い、テントとシュラフも持っていく。
食事もできるだけ切り詰める。カップ麺とインスタントラーメンも自宅から持っていくのだ。
「こりゃぁ~まるでホームレスみたいになってきたぞ」と独り言。
なにもそこまでしなくてもと考えたりするが、それも楽しみのひとつなのだと考えよう。
前回までは地図を持たずに歩いたので、道を間違えて遠回りをしてしまったことがあった。
わたしはGPSとかアイフォンとかポータブルナビなどは持っていない。
そんなハイテクグッズを買う資金がないのだ。そこで昔使っていた大判の道路地図を持ってきた。
道路地図帳はそのままでは大きすぎるし重いので、必要な部分だけ切り取って持ち歩くことにした。
地図には小さな道は載っていないけれど大まかな方向がわかればそれでよいと考えたのだ。
17日目
2011年6月3日(金) 晴れ
朝の6時に起きて朝食を終えて07:15に自宅を出る。
天気予報どおりで朝方は曇っていたが途中から晴れてきた。
盛岡市から一関市付近までは道路に大きな被害は見られなかったが、一関市を過ぎると3月11日の大震災による被害があちこちに見える。
注意しながら走らないと道路に大きな段差が出来ていたり陥没しているところがあったりで危険だ。
途中休憩なしで走り続けて今回の出発点である花泉駅に着いたのは10時45分だった。
ここでも駅前にある旅館や民家が地震のため屋根瓦が落ちたり壁が壊れたりしている。
花泉駅 11時-油島駅 11時50分 約4.4Km
花泉駅の脇にはスーパーマーケットがあるのでそこの駐車場に車を置くつもりだったが、駅の駐車場があり無料だったし駐車時間の制限も無さそうなのでそこへ駐車する。
歩き出したのは11時ちょうど。
すぐに東北本線の上油田踏切を渡る。
まだここは岩手県圏内だがそれでも地震ための液状化の跡があちこちに見られる。

道路にひび割れがあったりマンホールが浮き上がっていたりだ。
古い民家の壁が剥がれ落ちている。
50分歩いて油島駅に到着。
駅はその土地のランドマークなので道路に「●●駅 300M」などの標識があるのが一般的だが、ここのは木陰にさび付いた標識がひっそりと立っている。

車なら気づかずに通り過ぎてしまいそうだ。
駅舎の壁に時計があるのだがちゃんと正しい時刻を指していた。

無人駅でもこのようにしっかりと管理されているのは頼もしい限りである。
油島駅11時55分 - 石越駅 12時45分 約4.2Km
油島駅前のマンホールは20センチほども浮き上がっていた、3月11日の地震ではどれだけの揺れだったのだろうか。

油島駅は典型的な無人駅だった、腰の曲がったお婆さんが杖をつきながらプラットホームに階段を登ってきた。
足が悪いらしくて、たった10段の階段を登るのもつらそうだった。

帰りの列車なら向かいのプラットホームに降りて跨線橋を上り下りしなければならないハズだ、ひとけのないこの駅では手伝ってくれる人もいないだろう、他人事ながら気になる。
駅の写真を撮っただけでまた歩き出す。
しばらく歩くと満昌寺という寺の前を通り過ぎる。

この時期はどこへ行っても花が咲いているので、シャッターを押す回数が増える。
いつの間にか宮城県に入っていた。
足元を見ると「いしこし」のマンホールがあった、ここでは液状化が無かったようだ。

歩いていると地震の影響を大きく受けた地区とさほど受けなかった地区があるのがよく分かる。
地震での家屋の倒壊はなかったようだが屋根瓦が落ちたり壁が崩れたりしている家はあちこちにある。
農家の古い倉庫などで「これなら震度4で壊れてしまいそうだなあ」と思うような建物がなぜか壊れずに残っていたりする。
歩いているとサビついた線路があった。

昔の工場への引込み線だろうか、ちょっと不思議だ。
12時45分に石越駅に到着した。
ここまで約2時間を休憩なしで歩いたが、ここまでは疲れも感じないし足が痛くなるということもなく順調だ。
石越駅は新しい駅舎を建設中でプレハブの仮駅舎での営業中だった。

ここは無人駅ではなくちゃんと駅員さんがいるのだった。
駅前にはタクシーが2台客待ちをしていた。
駅前を見ると昔は旅館だったのではないかと思わせる大きな木造の建物があった。

ふと見ると真新しい「くりはら田園鉄道 石越駅跡」の石碑が建っている。

そこはプラットホームのあったところで、そこから先ほど見かけた錆びて途中で途切れているレールが続いているのだった。
くりはら田園鉄道は2007年まで営業していたらしい、地方の私鉄が消えていく中ではがんばった会社なのだろう。

駅前の通りは人影が無い。
黒い猫がゆっくりと道を横切っていった。
石越駅 12時50分-新田駅 15時25分 約8.9Km
石越駅を過ぎたころから足に痛みを感じるようになってきた。
内腿が痛いのだ、ちょっと休みたいと思い駅に程近いホームセンター「ホーマック」のところへ歩いた。
栗原市の標識がある。ちかくには「チャチャワールド」という施設もあるらしい。
ホーマックの店舗前にはベンチがあり自動販売機もあった。
日差しが強くなってきて水分の補給をしたいところだ。
ところがベンチに中年男性がひとり座っていてどうも挙動がおかしいのだ、ひとりなのに大声で叫んだりしている。
近づきたくない雰囲気だ。
ベンチに座ることも出来ずその場を離れることにした。

石越駅から今日の目的地である新田駅までは9キロほどもあり長い道のりだった。
しかも日差しが強い、晴れているのはうれしいが暑いのはしんどい。
歩く速度がだんだんと遅くなっていくのが自分でも分かる。
田んぼの中のあぜ道を歩く。

こんな道は道路地図には載っていないのだが帰宅してからGooglマップで検索したらしっかりとルートが表示されたのには驚いた。

歩きでの旅にはこのGooglマップをプリントして持ち歩くのがベストだとあらためて認識した。
道路地図には田んぼのあぜ道などは載っていないのだった。
途中道幅の狭い踏切を渡る、草に覆われているがかろうじて車の跡が残っている。

線路脇の舗装されていない道を歩く。
歩く旅の場合は国道や県道のように交通量の多い道路よりこのような道のほうが快適である。
若柳大橋を渡ると「水辺の町わかやなぎ」の看板が見える。

迫川の河川敷を歩く。

歩き終えてからGooglマップで見ると今回も遠回りをしてしまったようだ。

ここから国道398号線を歩いたのだが、歩道が無いのに車の量は多いしでヒヤヒヤさせられる。
そうしているうちに登米市の標識があらわれる。

裏側を見ると栗原市と書いてある。
「水辺の町わかやなぎ」はいったいどこからどこまでだったのだろうか。
ここもそうだがほとんどの橋に大きな段差が出来ている。
大きな段差は20センチほどもあったから地震直後は車が通ることが出来なかったのではないかと思う。
やっとJR新田駅の案内標識が見えてきた。

伊豆沼といえば渡り鳥などが豊富で自然観察によいところなのだが、すでに疲れ果てていてサンチュクアリセンターへ向かうだけの気力がない。

遠くから施設の外観だけ撮影する。
やっと新田駅に到着だ。午後3時25分だから今日は4時間半ほど歩いたことになる。


もう一駅歩いて距離を稼ぎたいところだが暑さのせいもあり体力が残っていない。
JRで花泉駅まで戻る。

4時間以上もかかった距離を電車は15分もかからず走り抜けてしまった。
車に乗り込みエアコンをめいっぱい効かせて、汗だらだらになりながら歩いた道を今度は車で走り抜ける。
思えばずいぶんと無駄なことをしているものだ。
一度歩いてから、そのコースを電車で出発地点まで戻り、さらに車で同じコースを通るのだ。
新田駅近くの伊豆沼の駐車場に車を停めて今夜はここで車中泊をすることにした。
汗で身体がべとべとだから風呂に入りたいが近くに温泉はないようだ。
夕食はインスタントラーメンと鯖の味噌煮の缶詰だけ。
昼食を食べずにせんべいをかじりながら歩いたからさすがに空腹だ。
車は軽自動車なので狭いのは覚悟をしていたが、後部座席がほとんどリクライニングしないタイプなので足を伸ばして寝られないのはつらい。
一泊だけなら我慢も出来るが数泊となると無理がある。
テントも持ってきたが設営と撤去が面倒で車で寝ることにする。
わびしい夕食が終わりシートを倒して横になる。
眠ろうと思ったらどこからか「ブォー、モー」と牛の声が聞こえてくる。
「うんっ? この回りに牧場は無かったはずだが?」
しかもなぜ夜中に牛が鳴きだすのだろうか?
なんと伊豆沼にはウシガエルが生息していたのだった。
わたしの田舎にはウシガエルは生息していないのでウシガエルの声を聞くのは初めてだ。
かなりうるさいということは知っていたが、たしかにこれは「騒音」である。
こんなのが家の周りに棲んでいたらやかましくて眠れないだろう。
あまりの騒音に耐え切れず別の駐車場に移動したのだった。
