10日目
2010年8月20日 村崎野駅⇒北上駅⇒六原駅 歩いた距離 約14.9Km
この夏の暑さは最高潮になり身体がバテてしまい、だらだらと過ごしているうちに8月20日になってしまった。
このままではイカンと気を引き締めて?また歩き旅へと出かけることにした。
出発地点の駅がだんだん遠くなるのが悩みだ。
オンボロのバイクではとてもじゃないが遠すぎるので、今回も車で出発する。
村崎野駅近辺には駐車できる場所がなかったので、かなり離れた国道4号線沿いにあるパチンコ店の駐車場に車を停めた。
そこから駅まで歩き、駅を出発点として11時10分に歩き出した。
春木場踏切を通ると東京より490Kmの表示がある。
やっと東京まで500Kmを切ったのだ、まだまだ先は長い。

暑さもあって田んぼの稲の生育状態はよさそうだ。
黄金色というにはちょっと早い気がするが稲穂が重そうにたれている。

北上市へと入っていく。

消火栓のデザインが面白い、擬宝珠の形をしているのだ。
伝統芸能の盛んな古くからの町らしいイキなデザインだと思う。

マンホールの蓋もカラフルである。
中心部に『北』の市章デザインしたもので、市の花であるヤマユリと市の鳥セキレイが描かれている。

そして昔はあちこちで見かけた古タイヤを利用した「交通安全ロボット?」。
当時もかっこいいとは思えなかったが、いま見るとものすごくダサイのであった。
北上市は人口9万4千人の大きな町だが駅前は裏寂れた雰囲気だった。

駅前通が繁華街だった時代はとっくに過去の時代になっている、花巻市でもそうだったが郊外に大型ショッピングセンターが出来ると個人商店だけの駅前商店街はひとたまりもない。

12時15分に北上駅に到着。

駅のルビーでは伝統芸能の『鬼剣舞』の像が迎えてくれる。

北上駅で昼食にする、食べるのは相変わらず駅ソバなのだが今回はちょっと贅沢して卵を入れた。
食事をして30分ほど休んだ後は六原駅に向かって歩き出す。
しばらく歩き九年橋という橋を渡る。

明治9年に造られたから九年橋というのだそうだが、昭和9年に架け替えたのだという。
ずいぶんと9年ということにこだわったものである。

だが、橋には「くねんばし」と「昭和八年竣工」というプレートが着いているぞ。
それなら『八年橋』と名前を変えればよかったのに。

そこをすぎると「奥州街道・鬼柳関所跡」というのがあった。

生まれてからずっと岩手に住んでいるので「奥州街道」という名称は知っていたのだが、どの道が奥州街道なのか興味がなかったが思わぬ発見だった。


ここが南部藩と伊達藩の藩境だったのだ、昔の藩境と現在の県境とはずいぶんと離れているのだなあ。

しばらく古い民家の並ぶ旧街道を歩き途中で国道4号線へ出て六原駅の案内標識を探す。

今日の天候は晴れ、暑さがこたえる。
折りたたみ傘を日よけ用にさして歩いているのだけど短パンの足の部分には容赦なく陽が当たる。
帰宅してから足を見たら膝から下がしっかりと日焼けしていた。

午後2時20分に六原駅に到着した。
ここもこじんまりとした駅である。
六原駅には駅員がいるのだが窓口にはいなくて奥で休んでいるようだった。
券売機で切符を買って列車を待つ。
駅構内にあったかなり昔の案内表示板。

上半分は壊れているが「仙台・上野方面」と書いてある。
手書きの文字が時代を感じさせる。
ああ、そうだったんだよなあ。
新幹線が開通して東京駅が上りの終着駅になるまでは、在来線の上り列車の終着駅は「上野駅」だったのだ。

2010年8月20日 村崎野駅⇒北上駅⇒六原駅 歩いた距離 約14.9Km
この夏の暑さは最高潮になり身体がバテてしまい、だらだらと過ごしているうちに8月20日になってしまった。
このままではイカンと気を引き締めて?また歩き旅へと出かけることにした。
出発地点の駅がだんだん遠くなるのが悩みだ。
オンボロのバイクではとてもじゃないが遠すぎるので、今回も車で出発する。
村崎野駅近辺には駐車できる場所がなかったので、かなり離れた国道4号線沿いにあるパチンコ店の駐車場に車を停めた。
そこから駅まで歩き、駅を出発点として11時10分に歩き出した。
春木場踏切を通ると東京より490Kmの表示がある。
やっと東京まで500Kmを切ったのだ、まだまだ先は長い。

暑さもあって田んぼの稲の生育状態はよさそうだ。
黄金色というにはちょっと早い気がするが稲穂が重そうにたれている。

北上市へと入っていく。

消火栓のデザインが面白い、擬宝珠の形をしているのだ。
伝統芸能の盛んな古くからの町らしいイキなデザインだと思う。

マンホールの蓋もカラフルである。
中心部に『北』の市章デザインしたもので、市の花であるヤマユリと市の鳥セキレイが描かれている。

そして昔はあちこちで見かけた古タイヤを利用した「交通安全ロボット?」。
当時もかっこいいとは思えなかったが、いま見るとものすごくダサイのであった。
北上市は人口9万4千人の大きな町だが駅前は裏寂れた雰囲気だった。

駅前通が繁華街だった時代はとっくに過去の時代になっている、花巻市でもそうだったが郊外に大型ショッピングセンターが出来ると個人商店だけの駅前商店街はひとたまりもない。

12時15分に北上駅に到着。

駅のルビーでは伝統芸能の『鬼剣舞』の像が迎えてくれる。

北上駅で昼食にする、食べるのは相変わらず駅ソバなのだが今回はちょっと贅沢して卵を入れた。
食事をして30分ほど休んだ後は六原駅に向かって歩き出す。
しばらく歩き九年橋という橋を渡る。

明治9年に造られたから九年橋というのだそうだが、昭和9年に架け替えたのだという。
ずいぶんと9年ということにこだわったものである。

だが、橋には「くねんばし」と「昭和八年竣工」というプレートが着いているぞ。
それなら『八年橋』と名前を変えればよかったのに。

そこをすぎると「奥州街道・鬼柳関所跡」というのがあった。

生まれてからずっと岩手に住んでいるので「奥州街道」という名称は知っていたのだが、どの道が奥州街道なのか興味がなかったが思わぬ発見だった。


ここが南部藩と伊達藩の藩境だったのだ、昔の藩境と現在の県境とはずいぶんと離れているのだなあ。

しばらく古い民家の並ぶ旧街道を歩き途中で国道4号線へ出て六原駅の案内標識を探す。

今日の天候は晴れ、暑さがこたえる。
折りたたみ傘を日よけ用にさして歩いているのだけど短パンの足の部分には容赦なく陽が当たる。
帰宅してから足を見たら膝から下がしっかりと日焼けしていた。

午後2時20分に六原駅に到着した。
ここもこじんまりとした駅である。
六原駅には駅員がいるのだが窓口にはいなくて奥で休んでいるようだった。
券売機で切符を買って列車を待つ。
駅構内にあったかなり昔の案内表示板。

上半分は壊れているが「仙台・上野方面」と書いてある。
手書きの文字が時代を感じさせる。
ああ、そうだったんだよなあ。
新幹線が開通して東京駅が上りの終着駅になるまでは、在来線の上り列車の終着駅は「上野駅」だったのだ。
