not uncommon but indescribable (photographs)

趣味で撮った写真など、徒然なるままに投稿しております。

【 今月の立ち読み 】

2009年01月28日 | 出来事

女子カメラ

宮あおいがオリンパスのCMでのコンビである森本美絵さんの写真でご登場。
ところであおいちゃんのカメラといえば、NikonFM3AでもOlympusEシリーズでもなく、
自作のストラップなのである。
麻と毛糸で編まれたそれは、女子のアクセサリーとして大変お似合いなのだ。
オリンパスで最近Eシリーズ用として発売されているストラップは割りとおしゃれなので
自分もOMシリーズ用に愛用しているが、女性向けにというならば、
もっとアクセサリーとして飾り立てるように出来れば、たとえ一眼レフでも
オッさんの愛玩物から脱却できるのではなかろうか、と思ったりする。
そんなわけでこの号にはカワイイ系のストラップ特集ぺージなどもある。


アサヒカメラ


高梨豊氏久々の新作「 silver passin' 」であるが
ご本人も「どこかで彼岸の写真になってしまう」と述べているように、
被写体に迫り切れない、といったもどかしさを感じてしまう。
このシリーズで必ず採り上げられる「かけはぎ」のカットだけは
印象深い構図になっているが、例えばその後ろのページに掲載されている畑鐵彦氏の作品が
対象と真正面から対峙しようとしているのと全く対照的である。
作者の眼差しが年令を重ねるごとに変化しているということだろうか。

そんなやや物足りん作品であったが、「撮影ノート」にあった文章、
「都市を撮る写真は、ほとんどが構造を撮っているわけです。
つまり都市の"骨格"を撮る。"血肉"というナマモノがあってこそ都市なんだけど、
そこを撮ることからみな逃げてしまう。骨格の間の下世話なものを撮らなきゃ
都市の写真にならないんだけど、確かに難しいよね。すぐ風俗の写真になってしまったり、
ヘナチョコな私的表現になってしまったりする。それではダメなんです。」
これにはかなり考えさせられる。
自分が撮る写真(ほとんど“小”都市ばっかりだけど)の事もそうだが
高梨氏の都市の写真もそういった視点からまた見直してみたい。


それにしてもライバル誌「日本カメラ」のメインは森山大道氏。
日本の写真界は「古希恐るべし」な状況である。


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【 ようやく書けました読後感想文「Hokkaido/Daido Moriyama」 】

2009年01月27日 | 出来事

先日、注文していた待望の本が届いた。
600ページ以上のハードカバー、百科事典が如きボリュームである。

未発表という触れ込みだが、すでに2007年宮の森美術館での写真展をはじめ、
アサヒカメラ1978年9月号・11月号と、1983年2月号での一部掲載、
アサヒグラフでの連載「犬の記憶 終章」中での掲載(1997年・翌年単行本化)、
また、1979年刊の「新アサヒカメラ教室」第2巻では
札幌滞在時のかなり詳しいレポートも掲載されている。

したがって既にお馴染みの作品も中にはアリなのだが
これだけの量がまとまると個々の作品の存在感もあいまって
すさまじい迫力となって見る者に襲い掛かってくる感じがする。

自身も白状しているように、若干「旅情」というセンチメンタリズムも
感じられるが、何かから解き放たれたように自由に被写体に向き合う
伸び伸びとした感じも、また旅ならではのものであろう。

今や、こんなにフォトジェニックな70年代の風景など残ってはいないと思いながらも
自分もカメラ片手に北海道へ行きたくなる。
森山氏に、かって「ぼくにとって北海道とは、わが愛。なのであり、終生の恋人。なのである。」
とまで言わしめた北海道への気持ちがもはや無いのなら、自分がその後を引き継いで
北海道を旅したい、などと大それた事を考えてみる。

アサヒカメラ1983年2月号での母恋北町でのエピソードなど読むと
今すぐに現地に飛んでいきたくなってしまう。
それが叶うのがいつになるかはわからないけれど。




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【 「洛中散歩」10年ぶりの再開へ 】

2009年01月26日 | 出来事

日曜日は、京都みなみ会館で映画を見た後、東寺周辺へと撮影のため出かける。
かって豊臣秀吉が造った御土居があった場所ということで、その地点に沿って歩く。
ところどころに御土居の痕跡と思われる微高地(ゆうても50cm程)を発見。
歴史の流れを実感する。
久しぶりのEOS5とヘキサーRFで調子良く撮っていたが、
2時間ほどで寒さとバテバテ感のため撤収。
うどん定食で温まった後帰宅。
まあ今日のところは本番前のリハーサルといったところか。
次回は敵地の本丸(いや、二の丸くらいかな?)、西陣辺りへ行ってみたい。

撮影を終え、帰路につきながら
安土桃山時代の都市と郊外の境界線である御土居はもちろんだが、
私の原体験として記憶している、京都都市圏としての市電の外周路線(九条線)も
今や跡形も無いのだと改めて思った。

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【 バラク・オバマが大統領になった日に 】

2009年01月23日 | 出来事

チェ28歳の革命予告編もどうぞ)」を見た。


 ネットでの評判など見ると映画については賛否両論のようだが、私個人は大変面白く見られた。ことさらにドラマチックにしようとせず淡々と事実を追う、という姿勢も良い。(そうはいってもキューバ革命の物語は否応なしにドラマチックではあるのだが。もはや「革命」という神話か御伽ばなしを見ているような気もするし。)

 自分はリアルタイムで彼が生きていた時代を経験したわけではなく、所謂「シラケ世代」としては、むしろかっこ良過ぎて引いてしまう、といった感があったものだ。
 それどころか、彼に憧れて彼のようになろうとしながら、結果としては挫折し、敗北していった人たちを多く見せられてきた。
 そんな昔の事を思い出すといたたまれない気持ちにもなるが、あれやこれやを乗り越えてなお、彼の存在は「カッコいい」のである。

 まあ、ここは革命や武装闘争について私が縷々繰言を述べる場にするつもりは無いので、彼への賛辞は私の「師匠」にお任せすることにしよう。


「……例えば、よく引用されるゲバラがアンデス山中からハバナの三大陸連帯会議に書き送った言葉、〈二つ、三つ、そして、無数のベトナムをつくれ!〉もそれをただ戦闘的でロマンチックなスローガンとして理解する時、ある大切なものを見失ってしまうことを怖れるのだ。いささか強引な独断ではあるが、ゲバラは、〈愛〉という言葉が〈憎しみ〉とは対立するひとつの概念でしかなくなってしまったぼくたちの不幸な言葉の世界を、他ならぬ死をかけたその行動によって蘇生させたのではあるまいか。ゲリラ戦士としての彼の短い生涯の中で彼はいくつかのすぐれた言葉を残してきた。しかし彼はけっして世界全体、人生一般といったものについて普遍的な言葉でしゃべろうとはしなかった。それは彼の著作の一冊でも読んだ者ならば、すぐにそれに気づくはずである。あるいはゲバラにおいて言葉は彼自身のゲリラ戦士としての具体的な行動に従属していたことを考えれば当然すぎることでそれはあるかもしれない。しかしぼくは事実としてのゲバラと言葉との関係よりもはるかにゲバラにおける言葉の成立(ロジック)に関心をもつ。彼はいつも、ある一つの事象の、限られた状況について、限られた有効性をしか言葉に求めようとしなかった。

 ゲバラは〈世界革命を!〉と言う代わりに、〈二つ、三つ、そして、無数のベトナムをつくれ!〉と叫んだ。そして彼が〈二つのベトナム〉と言う時、それはとりも直さず、ゲリラへの関心は意外に小さく、食い物も飲み水も乏しく、しかも敵弾とともに持病の喘息がひっきりなしに襲ってくる、これ以上現実的ではあり得ない重い現実、――― ボリビアがその言葉をぴったりと支えているのである。政治思想としてみた場合、ゲバラの思想は社会主義、共産主義が本来的にもっていたインターナショナルな視点を今日の政治にもう一度復活させたのであるが、それは一国一国の特殊性に規定される特殊にナショナルな革命の空間的連帯として復活させたと言えるだろう。が、一方、思想としての言葉を復活させたのもその言葉のもつ限られた有効性を正確に測定することによってであった。彼は特殊性に徹することによって、逆に溢れるばかりのリアリティを言葉のうちに獲得し、それによって逆に新しい普遍性を手に入れることができた。……」

 中平卓馬「リアリティ復権」(初出『デザイン』1969年1月号 『見続ける涯に火が…』P41-P42に所収)より

(私がこれを初めて読んだのは、確か受験浪人中の1981年、京都府立図書館で『まずたしからしらの世界をすてろ』を借りてきた時だったと記憶している。)



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【 Sapporo-Ishikari 2007 その14 】

2009年01月19日 | Sapporo-Ishikari 2007

 「番屋の湯」に戻り、森山大道氏の例に習って、露天風呂で
一風呂浴びて一日目の撮影行を締めくくることにした。

 大きなガラス張りの外には暮れゆく石狩湾が一望できた。
 夜の帳が次第に下りてくるトワイライトの風景を、
ちょっとヌルッっとする温泉に浸かりながら眺めるという
交通費+数百円で可能な最高の贅沢を味わうことが出来た。
 旅の疲れが少し癒されたところで、バスに乗り、宿をとった
札幌へ戻る。

 あとで気がついたのだが、森山氏が風呂から上った後、
ロビーの向こうの廊下に北方写真家が撮影した昔の石狩の写真を
見つけているのだが、それを確認するのを忘れていた。
 まあ、森山氏が訪れた約10年前からは改装もされているだろうし
彼がいたく心を魅かれた「石狩川字シピピウス鮭漁業の景」は
いずれどこかで探そうと宿題にしてしまった。


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【 Sapporo-Ishikari 2007 その13 】

2009年01月12日 | Sapporo-Ishikari 2007

デジタルとアナログ、両方のカメラで夕日が沈むのを撮り続けた。
どれぐらいの時間が経っただろうか、ゆうに100カットぐらいは撮ったはずだが
やがて太陽は石狩湾へと沈んでいった。

天気が回復しつつあるせいか、砂浜にはいつの間にか
何人もの人が出て、波打ち際ではしゃぐ若者あり、
砂遊びに興じる子供あり、バーベキューの準備をする大人もあり、
内地のような蒸し暑さはないけれど、夏の休日の平和で穏やかな夕暮れが
そこにはあった。

30分くらいの時間だっただろうか、夕日と夕暮れの風景に立ち会えた事に
僕は誰ともなしに感謝した。
無理やりの旅行で、写真展という第一の目的はまだ果たしていなかったが
はるばるやって来た甲斐があったと思った。
ささやかな幸福感につつまれながら、次第に茜色が夕闇へと変化していく海岸を後にし、
「犬の記憶 終章」にならって決め事にしてあった、「番屋の湯」へ
もと来た道を戻っていく事にした。
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【 ささやかな休日 】

2009年01月12日 | 出来事

日曜日は久しぶりに撮影に出かけていこうかと思ったら
前日の新聞に目的地の記事が掲載され
なんか「京終」ならぬ興ざめになってしまった。
他に用事もあり、ごく近所に自転車で撮りに行く事とする。

入手したまま放っておいた21mmレンズを持ち出す。
普段見慣れない画角は新鮮で、撮っているときは面白いが
結局は常用の28mmレンズを使うことが多くなりそうだけど。
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【 Sapporo-Ishikari 2007 その12 】

2009年01月12日 | Sapporo-Ishikari 2007

海岸の方へ向かうと、先ほどの寒々としたムードはなくなり
穏やかに輝く水平線に太陽が沈もうとしていた。
刻々と変わりゆく日没の光景にむかって
夢中でシャッターを切り続けた。
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【 Sapporo-Ishikari 2007 その11 】

2009年01月05日 | Sapporo-Ishikari 2007

集落の中の一本道を歩いていると一匹の猫を発見!
暫く猫のシャッターチャンスを狙うがなかなかうまくいかず。

そうこうしている内に日の光が傾き、茜色に染まってきた。
日没が近そうだと思い、西側の海岸へと急ぐ。
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【 年が改まって 】

2009年01月04日 | 出来事

明けましておめでとうございます。
今年も本blogを宜しくお願い致します。

ちょこちょこ正月がらみの用事がある以外は、
何か劇的な変化があるというわけではないのだが
取りあえず区切りということで、一年の計画など立ててみる。

①奈良のほうへ撮影に行く。

来年が遷都1300年というきっかけではあるが、
「昔は都、今は…」みたいな感じで平城京跡あたりをめぐってみたい。

②「洛中散歩」を10年ぶりに

「今更…」感も若干あるが、急速に都市の風景が変化していく現代、
「今あるものはもう次にはない」のも事実である。
あくまで個人的関心を軸にしてだが、(おそらく「街」というよりは)
「町」のディテールを記録していく事を続けていきたい。

③大阪周辺の町など

いずれは区画整理されて消えてしまうであろう
言わば「昭和の町並み」巡りである。
決して観光ガイドには載ることはないが
まだまだおもしろいところがありそうだ。


要はカメラ片手に日帰りくらいの小さな旅を続けようということで
去年までとあまり変わるところはないのである。


このblogは、どっちかというと昔に撮った作品を振り返りながら
今とこれからを考えていく場にしたいと思います。
宜しければこれからもお付き合い下さい。


(【 Sapporo-Ishikari 2007 】もう暫く続けます。)


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