(承前)”SHORT HOPE”は中平卓馬氏が近年よく被っていた帽子に書かれていたロゴです。
また氏が吸っていた煙草の銘柄でもあります。
1989年に刊行された中平氏の写真集「ADIEU A X(アデュウ ア エックス)」には
「私、毎日、“Long Hope”ならず、“Short Hope”を吸い続けています。
それに即して言えば、写真、撮影行為においては、一挙に、世界総体を把握することが出来ず、
日々、短い希望なのだが、それに依拠して、私、世界を全的に捉えることを願いつつ、生き続けています。」
という文章が添えられています。
この言葉からは、ある主題、あるいはコンテキストを前提とした写真(あるいは撮影行為)を否定し、
「自らと世界との出会い」のみを契機とした撮影を真のリアリズムと規定しようとする、
記憶喪失以前から一貫した中平氏の姿勢を読み取ることができます。
私は中学に入学してすぐ写真部に入部したものの、どんな写真を撮ったらいいかまるでわからず、
漫然とした日々を送っていました。それを見かねて父が買ってきた「アサヒカメラ」に中平卓馬氏が寄稿していたのです。
(確か「キャノンF-1」の広告にも登場していた。)
先鋭的で特に攻撃的なニュアンスを持つ氏の評論と、表現活動と評論活動を並行して行う氏の姿に
当時の私は大いに衝撃を受け、写真の世界にのめり込んでいくきっかけとなりました。(続く)
また氏が吸っていた煙草の銘柄でもあります。
1989年に刊行された中平氏の写真集「ADIEU A X(アデュウ ア エックス)」には
「私、毎日、“Long Hope”ならず、“Short Hope”を吸い続けています。
それに即して言えば、写真、撮影行為においては、一挙に、世界総体を把握することが出来ず、
日々、短い希望なのだが、それに依拠して、私、世界を全的に捉えることを願いつつ、生き続けています。」
という文章が添えられています。
この言葉からは、ある主題、あるいはコンテキストを前提とした写真(あるいは撮影行為)を否定し、
「自らと世界との出会い」のみを契機とした撮影を真のリアリズムと規定しようとする、
記憶喪失以前から一貫した中平氏の姿勢を読み取ることができます。
私は中学に入学してすぐ写真部に入部したものの、どんな写真を撮ったらいいかまるでわからず、
漫然とした日々を送っていました。それを見かねて父が買ってきた「アサヒカメラ」に中平卓馬氏が寄稿していたのです。
(確か「キャノンF-1」の広告にも登場していた。)
先鋭的で特に攻撃的なニュアンスを持つ氏の評論と、表現活動と評論活動を並行して行う氏の姿に
当時の私は大いに衝撃を受け、写真の世界にのめり込んでいくきっかけとなりました。(続く)