not uncommon but indescribable (photographs)

趣味で撮った写真など、徒然なるままに投稿しております。

【洛中散歩 1999-2001 その②】

2008年09月30日 | 洛中散歩 1999-2001

京都の町を集中的に撮る、というのは
写真を始めたころから考えていたことだが、
なかなか実行に移せずにズルズルと年月が過ぎていった。
そうこうしているうちに20世紀が終わりになりかけて
やった重い腰を上げることになった。

最初は「現代洛中洛外図」にしようかと思ったが
結局そんなに広い範囲はとてもカバーできずに
洛中だけに終わってしまった。

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【オグシオよ永遠なれ】

2008年09月30日 | 出来事

このあいだの日曜日、7月に日没suspendedになった撮影の続きで再び住道へ
前回とは逆のコースを取って古堤街道を進む。
駅から出たとたん雨が降り出し、かなりテンションが落ちるが
シャッターを切っているとだんだん体が暖まってくるというか
調子が上ってくる。

大東市のホームページにもある平野屋会所は解体されて更地になっていた。
風景の急激な変遷に若干戸惑いつつもシャッターを押し続ける。

大阪産大の前からバスで四条畷駅前へ
まだ向井仁志さんの写真が飾ってある画廊喫茶エコーにて休憩。

JRで北新地へ行き、梅田で修理に出していたXG-Eを受け取る。
シャッター幕を引っ張るベルトが切れていたとのこと。

このXG-Eは中学生になってカメラを買ってもらった西陣の写真屋に
十数年ぶりに訪れたとき店頭にあったものだ。
懐かしさで思わず買ってしまったが、機能がシンプルで大きさも手ごろとあって
モルトを張り替えただけで十年近くあちらこちらと旅の供になってもらった。
復活したので今しばらく活躍してくれそうだ。

紀伊国屋へ寄ったが、うめかよの「じいちゃんさま」を立ち読みしただけで
さしたる収穫なし。
マルビルのTOWERRECORDSでCDなど購入して帰路に着く。


おっと、タイトルは住道駅つながりのこちらで…

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【洛中散歩 1999-2001 その①】

2008年09月27日 | 洛中散歩 1999-2001

これからしばらくの間、
京都をテーマにした作品群
「洛中散歩 1999-2001」シリーズ
2001年12月「How展」にて発表分の一部)
を掲載します。

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【先週から今週にかけての事】

2008年09月24日 | 出来事

ちょいと前の話になりますが
先週の日曜日に柏原市まで行った。

近鉄大阪線がだんだん生駒山麓に近づくにつれ
風景がまったりと田舎びた感じになる。

旧大和川の流路に沿うべく、長瀬川を取水口からたどる。
途中、近鉄法善寺駅に寄ったりしながら
JR大和路線志紀駅まで歩く。
おみやげに直売所でブドウを買って帰る。

近鉄大阪線は八尾駅など以外
駅前の再開発が進んでないところが多く、
“昭和”の雰囲気を残している商店街など見受けられる。
途中下車するといろいろと発見がありそうだ。

やたら人馴れした鯉の養殖池のような長瀬川から玉串川へかけては
住宅・工場が混在しているところが多い。
外環近くまで来ると急に田畑が広がった。
この一帯だけ宅地開発されていないらしい。

最近はちょっと郊外の開発による風景の変化
みたいなところに興味があるので、
今回の日帰りミニ旅行はなかなかのヒットであった。
(住宅地でカメラを持って歩くと変な顔されることもありますが)



今月の写真雑誌はアサヒカメラだけ読んだ。
「フォト禅」の紹介で、面識のある方の写真が載っていた。
今回はそれだけ。
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【Okinawa 2002 その35】

2008年09月17日 | Okinawa 2002

なんかOkinawaとか言って、青い空も海もなく、
路地裏みたいなところばっかりでしたが
ご容赦下さい。

こうやって見直してみるとほんの2日だけの滞在だったのに
結構撮り歩いていたのものである。
自分にとってはこれで充分
「フォトネシア(琉球烈像)」していたのだろう。

次からは雰囲気を変えてしばらくモノクロにします。
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【Okinawa 2002 その34 ~ 冷めてしまったオキナワ熱】

2008年09月13日 | Okinawa 2002

先日、多田治氏の「沖縄イメージを旅する」という本を読んだ。
本土からの旅行者が、どのように沖縄を見てきたか、
見られる沖縄の人々は自らのイメージについてどのように考えてきたか、
を歴史的な流れの中で概観した佳作である。
(これは沖縄のみならず、観光地といわれる所、例えば京都でも
 “よそ者”の受け入れ方などにずいぶん違いはあるとは言え
 同じように発生する問題であるが。)
沖縄に限らず、観光に関心をお持ちの方は
ぜひご一読をおすすめしたい。

さて、自分の場合はどうだったか。
沖縄に行きたいと最初に思った時の衝動は、実際に行ってみて
期待以上の衝撃と感動で応えられた。
しかし、何回か沖縄に足を運ぶにつれ、単に物珍しさや
上っ面の面白さだけでは済まないものを感じ始めた。
大げさに言えば、自分が何のために、どのように沖縄に関わるのか
が問われていた。
そんな一種の“壁”のようなものを感じ始めていた時に、空前の沖縄ブームが
洪水のように押し寄せてきたである。
へそ曲がりで根性なしの私に、「沖縄へ」という衝動を持ち続けることは
もはやありえない事になってしまった。

この2002年の時も、フォトネシアの写真展が無ければ
たとえ1泊2日であっても沖縄に行くことはなかったはずだ。
その2年前、多良間島からの帰路で、機上から
小さくペッタンとした沖縄本島を見て、「もう二度と
あそこへ行くことは無いだろう」と思っていたのだから。

ともかくも現地へ行ってしまえば、写欲をそそるフォトジェニックな被写体は
恐らく一杯転がっているに違いない。
でも、再び沖縄へ行く決心をするには、もう一度内なる衝動、
止むに止まれぬ気持ちになるのを待つことにしたい。
(もしくは、何かの用事の折についでに行くか、だ。)
それまではしばらく、オキナワにさようなら、である。
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【Okinawa 2002 その33 ~ 四半世紀前の自分へ③ ~ そして現在の自分へ】

2008年09月05日 | Okinawa 2002

まあ、カメラ・オブスクラそのものと化した
彼の写真行為の本質についてははずしてないようだから、
努力賞ぐらいはあげようかな。

それより、あれから四半世紀近くが過ぎたが、
自分はどうにかこうにか混迷の世紀末を生き抜き
なんとか写真も続けている。
そのことを“勝利の地平”として祝うことにしよう。

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【Okinawa 2002 その32 ~ 四半世紀前の自分へ②】

2008年09月05日 | Okinawa 2002

今読んでみると、文章はコチコチでこなれてないし
事実誤認による間違いもあるしで
およそお見せする価値もない代物である。

それでも、中平氏に関する情報はおろか、知識も経験もない若造が
自分の感じたことを何とか文章に表そうと必死になって
原稿用紙に書き付けていた、その直向さだけは
ちょっとほめてあげたい気分になる。

ましてや、今の自分の体たらくを見ればなおさらだ。
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【Okinawa 2002 その31 ~ 四半世紀前の自分へ①】

2008年09月05日 | Okinawa 2002

7月12日の分で、昔、中平卓馬「新たなる凝視」の書評を書いた話が出たので
昔話ついでに、もうこの世に殆ど残っていないであろう、その全文を恥を忍んでここに掲載します。

(発行されたのは1985年、原稿を書いて出したのは確かその前年の1984年)


「ちょっといっさつ」1985年7月1日号
(編集・発行/大阪市大生協書籍部・書評委員会)より


〔最近読んだ本〕 「中平卓馬写真集 新たなる凝視」


 私が中平卓馬の記憶喪失について知ったのは、四年前、「写真装置」第4号(現代書館刊)に載った彼の写真の解説によってであった。

 その時の衝撃は、今でもありありと思い出すことができる。

 九年近く前から、彼の写真に関する評論や理論活動を追いかけてきた者にとって、記憶喪失という形での論理構造の崩壊が恐怖にも近い言い知れぬショックであったのと、そこに示された彼の最新の作品に彼自身の姿が写しだされていると感じたからである。

 精神の高揚も沈滞もなく、自らの肉体をとり囲む事物をただ茫然と、あるとすれば微熱にも似た焦燥を伴なって見つめる、ただそれだけを繰り返す彼の写真に、私は深い悲しみを覚えたものだった。

 それから二年たって、彼は記憶の殆どを失ってからの作品を一冊の本にまとめた。二十年近い写真家としてのキャリアでようやく二冊めだそうだが、これは彼の作品集というより一個の意識の存在の記録というべき本である。

 記憶を失うことにより内面世界を欠落させた人間にとって、物をみつめ、それを写真に撮ることで一つ一つ確認していく行為は、自己の空洞を一つ一つ測定していくようなものである。厳しい精神的不安に晒されながらも、カメラで自らの視線を確めつつ、自己と世界の関係、ひいては自己の存在を確認していくことは、常人では考えられないような精神の緊張を伴わねば不可能である。私達は、ある一定の見方、常識、一定の世界観でもって、自己の回りを眺めている。そんな自己と世界の関係を疑いもせず、安心して自己を世界の前に晒しているのだ。だが、ある意味では私達は“物を見る”ことすらしていないのではなかろうか。あらかじめ設定されたルールをなぞるだけなら、その結果も私達を驚かすことはない。しかしそれは目を閉じているに等しいのではないか。

 彼は自己の内面を失い、ゼロに近い状態からカメラを手にすることによって、いわば“世界観以前の世界”の像をとらえていると言えよう。

(晶文社 三二〇〇円)   福岡 智彰(文・学生)



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【Okinawa 2002 その30】

2008年09月03日 | Okinawa 2002

↑那覇のバスターミナルにて

なんてことはない古ぼけた椅子だが
その色合いに反応してしまった。

オキナワは、「光」と「色」という印象がある。
したがってすべてカラーで撮る事になってしまった。
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【Okinawa 2002 その29】

2008年09月03日 | Okinawa 2002
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【仕事帰りに】 

2008年09月03日 | 出来事
昨晩は仕事もそこそこで片付いたので
北白川のprinzで開かれている
石川奈津子さんの個展を見に行く。

石川奈津子さんとは、今はなきギャラリー四季でHow展をやったときに
同じ会場ということでお会いした。
(といっても、二言三言ことばを交わしただけだが…)
今も京都に拠点を置きながら、雑誌などで活躍を続けているらしい。

ちょっと取って付けた様な小奇麗な空間に
夢見心地な日常の光景が並ぶ。
東京でこれをやったら当世流行の女の子写真で終わるだろうが
舞台が京都なのでちょっと非日常へシフトしてしまう。
京都というのはほんまに不思議なとこどすなぁ~。

小腹がすいたので松の実のケーキを食して会場を去る。

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【Okinawa 2002 その28】

2008年09月03日 | Okinawa 2002
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【夏の終わりは……旅の始まり】

2008年09月01日 | 出来事
この夏最後の日曜日、ちょうど会期の最終日ということもあって
三重県松阪市にある松浦武四郎記念館「アイヌ民族へのまなざし」へ出かけた。

生家の近く、記念館のある場所は伊勢平野のど真ん中。
稲が実り始めた田んぼからの蒸した草いきれ、風は少し磯の香りがする。
ここから彼は唐や天竺を想い、蝦夷地へ旅立ったのかと思うと感慨深い。

とうにオキナワ熱が冷め、北へと気持ちがシフトしている私にとって
近いうちに北海道への再渡航を、と決意を新たにすることとなった。

それにしても、沿道では梨やブドウの売店をよく見かけた。
季節はしっかり進んでますねぇ。


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