ここと Vol.11 は、確か東京・六本木の辺りで撮ったもの。
もちろん「郊外」とは言えないはずだが、私のような田舎者には
東京の構造は複雑すぎて、どこが中心でどこが周辺なのか
よくわからないところもある。
その頃、偶然ではあるが、東京郊外での事件現場を取材した
「ZONE―郊外・事件の記憶」という写真集を見た。
また、同じ頃に「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理」
という、均質化した郊外での犯罪を考察した本にも出会った。
自身も空き巣に遭ったりして、郊外とはもはや「ふるさと」などではなく
静かな戦場( battlefield )ではないかと思うようになった。
いささか大げさではあるが、郊外の写真を撮るということは
カメラという武器を持って風景という仮想敵と対峙する感覚なのかもしれない。
そんな帰るべき「ふるさと」のようであった郊外も
年月が経つにつれて、次第にその姿を変えていく。
田んぼが宅地となり、新しい店が出来て、また古い店が無くなる。
山が削られ高速道路が通り、マンションが建って視界がさえぎられる。
帰る場所はどこであったのか、すでにその姿は無い。
ある意味、世の中でもっとも風景が変わりゆく現場に
立ち会わされているような気になる。
このようにシリーズの一連の写真を見ていくと
「郊外」で撮影したものばかりである。
(↑これは枚方あたりで撮ったと記憶している。)
思えば生まれたところも京都の郊外で、今まで住んできたところも
今住んでいるところも「郊外」なのである。
出身がそうだ、という点では、ある種こころの拠りどころ、
「ふるさと」的な感覚を持っているのかもしれない。
発表時に作ったテキストはこちら
自分の写真について、これからの新展開みたいな思惑でいたが
展示方法の問題などで、展示した直後は成功したという実感はなかった。
改めてこの時の作品群を見直すことで、これから
写真を続けていく上での方向性を今一度考えよう、と思いついた。
「Unknown Location」というからには、撮影場所は
明かさないのが本当だと思うが、今回は時々「種明かし」もしつつ、
作品を撮った時、撮ろうとした時、何を考えていたかを
振り返ってみたい。