on the rise

日本初のプロバスケリーグ
「bjリーグ」と日本のバスケを
それとなく応援するブログ。

今までのまとめ

2007-12-28 15:10:03 | Weblog
ある大御所ブロガーが、ステキなまとめをしてくださいました。
ご本人の許可を得て、以下に転載します!

ニュース記事を鵜呑みにしてるので事実じゃないこともあるのかな???

******

▼2000年3月に「世界バスケ」を日本でやりたいってJABBAが手をあげて、
同年11月に開催が決定。

▼4、5年は特に宣伝とかもなし。
JBLを観てた人が知ってるかなってくらいの認知度。
多分、ファンから見えないところでは必死に準備中。多分。

▼2005年1月頃、予算(必要なのは約24億円)が足りなそうだから、
協会登録者(社会人から小学生まで!)に協力してもらうか。
いつもの登録料とは別に1年分の登録料を協力費として払え!
これで、4億円にはなりそうだ。

▼2005年2月頃、全国の登録者から猛反発。
臨時評議員会でも強い反発を受け、登録者からの協力費徴収は断念。
別の形(?)で加盟都道府県協会から協力を求めることにする。

▼2006年4月頃、ジェリコの意向を無視して代表候補22人を発表するも9人が辞退

▼2006年6月、FIBAから警備を強化しろと言われ、言われるがまま予算上方修正

▼2006年8月、大会開催。日本は予選敗退。田臥がいれば勝てた的発言が飛び出す

▼2006年9月、「収支はトントン、大会は成功」とは石川専務理事の発言

▼2007年3月7日、決算。13億の赤字。博報堂と折半で6.5億を負担にも
「想定内で済んだ」とは石川専務理事の発言。
これに対して高知県協会の小谷匡宏会長は
「見通しが甘すぎる。情報も十分に開示されていない」と強く非難する。
日本協会によると、同協会の年間予算規模は約10億円で、
赤字補てんにその6割超を充てることとなる。
「額が多すぎる。大問題だ」という声もある。

▼2007年3月18日、補正予算案否決。
いいかげん執行部のダメっぷりに反対派が立ち上がる。
否決の理由は
「(1)情報の風通しが悪い理事会に不信感を抱く
(2)世界選手権の検証がなされていない
(3)理事の人事を一新すれば、予算案を通せるかもしれない」

▼2007年4月、予算が決まらないまま新年度を迎える。
文部科学省から3カ月以内の承認を目指すよう指示がある。

▼2007年4月11日、特に代替案を出すわけでもなく、
22日にもう一度評議員会を開くと理事会で決まる。
実は評議員を80人まで増やす。
この増員がすべて工作員だと反対派の人数をかるく上回る。

▼2007年4月16日、反対派、評議員会のボイコットを決める。

▼2007年4月18日、反対派は27人がボイコットの意志を固めたと発表。
評議員会は評議員(80人)の3分の2が出席しないと成立しない。
反対派は31人いたはずなのに、4人足りない・・・

▼2007年4月19日、チクったり思わせぶりな態度を取ったことを理由に
高知県から向こう2年間評議員に選ばないこと、
北海道、宮城、静岡の3評議員の資格を停止することを決める

▼2007年4月22日、評議員会流会(1回目)
「いい方向にいくのなら自分はいつでも辞める」とは石川専務理事の発言

▼2007年5月14日、鬼塚会長、文科省に経緯を説明。
ちなみに競技団体のトップが経緯説明などのために
監督官庁に赴くのは異例だそうです・・・

▼2007年5月16日、評議員会を27日に開催すると発表。
石川さんは6月に任期を満了するはずだったみたいです。

▼2007年5月24日、事実上解任となった前評議員が
幹部を刑事告訴する意向を明らかに

▼2007年5月27日、評議員会流会(2回目)

▼2007年6月1日、JOCがバスケ協会を事情聴取。同日、文科省にも説明

▼2007年6月12日、反執行部派の評議員ら6人が12日、
理事会に協会運営の改善などを求める文書を送付。
文書では、
(1)資格停止中の評議員の復帰
(2)4月に増員された25人の学識経験評議員を予算と人事の審議に参加させない
(3)今年度からの役員定年制導入-などを要望。

▼2007年6月13日、内紛問題で資格停止となった評議員の復帰などを求めた
反執行部派の要求を拒否することを決める。
石川専務理事は混乱を招いた責任について
「自分から退くことは絶対にない。今の状況で全部を投げ出すのは一番無責任なこと」

▼2007年6月19日、資格停止としていた地方協会代表の3評議員の復帰を認めることを
決める。
石川専務理事は「評議員の意向を反映させた新しい人事をきちんと提案する」などとし、7月末の任期満了で退任する意向を初めて示唆した。

▼2007年6月20日、追加赤字2000万円が判明。
協会幹部は「見通し違い。時期が時期だけにもめる材料になると思うが、不正はない」と説明。

▼2007年6月23日、役員選考委員会にて次期役員候補から鬼塚喜八郎会長、
蒔苗昭三郎副会長、石川武専務理事らが外れる

▼2007年6月24日、評議員会流会(3回目)

▼2007年7月22日、評議員会流会(4回目)役員は29日で任期切れとなるが、
後任が決まるまで職務を続行することに・・・

▼2007年7月28日~8月5日、FIBAアジア選手権 
アジア選手権についての色々は省略です。

▼2007年9月12日、4月に新たに加えた25人の学識経験評議員のうち
2人の辞任を承認。
また、当面は正常化されないまま現執行部を継続させる方針を示した

▼2007年9月30日、鬼塚会長逝去 
それを受けて蒔苗副会長を軸に組織運営をする方針を示す

▼2007年10月9日、JOCが加盟団体審査委員会を設置して調査に乗り出すことを決める

▼2007年10月10日、JOCが加盟団体審査委員会を開き、
バスケ協会に早急な正常化を促し、今後助言や注意を与えていく方針を確認

▼2007年10月31日、JOC、バスケ協会正常化確約させる。
石川専務理事は、昨年度決算などの審議を含め
「近日中に必ず解決すると約束した」と話した。

▼2007年11月7日、評議員が次期人事案を検討

▼2007年11月8日、執行部に反発する評議員らが検討している次期会長候補に
麻生太郎氏など

▼2007年11月9日、会長に麻生氏要請へ

▼2007年11月13日、JOCが加盟団体への処分を明文化。
処分は
(1)指導、勧告
(2)交付金または補助金の交付中止や減額
(3)退会-の3段階

▼2007年11月14日、評議員会を25日に行う方針を決める。
石川武専務理事は「開催できる見通し。流会はないと思っている」と話したり、
麻生さん会長案について
「何も聞いていない。手続きを踏まずに個人名を挙げるのは迷惑」と話したり。

▼2007年11月20日、JOCは問題などが発生した加盟競技団体に対し、
新しい審査基準を正式承認した。
25日の評議員会で正常化できなければ新基準に沿って
審議することになる

▼2007年11月21日、次期役員候補を選ぶ選考委員会を開くも意見まとまらず。
石川武専務理事は
「お互いに納得できなければ、人事は先送りしても良いのではないか」と話し、
24日の役員選考委で結論が出ないことも示唆。
その場合は、再び流会となる可能性が高まる。

▼2007年11月25日、評議員会流会(5回目)29日に再招集。
蒔苗会長代行が体調不良を理由に会長代行と理事職を辞任。
JOCは29日の結果にかかわらず12月早々に審査委で、同協会への処分を検討する方針。

▼2007年11月26日、JOC強権発動も辞さず。
JOCは11月中に同協会が正常化する約束を取り付けている。
それが不可能な場合は、すでに戒告は終わったとする方針

▼2007年11月29日、昨年度決算案、今年度予算案が承認。
新会長代行の荒技で一歩前進?

▼2007年12月4日、バスケ協会が麻生太郎氏に会長就任初要請。
今回はバスケ協会として正式に要請したってことです

▼2007年12月10日、JOC、バスケ協会への処分の方針を決める。
約1100万円の強化交付金をカットです。
さらに来年の1月10日に執行部の人事が決まらないと追加処分。涙

▼2007年12月12日、バスケ協会(石川専務理事)、JOCに抗議へ。
いつまでにどうしろって言われてないから抗議したかったみたいです。
散々約束してきてるのに。

▼2007年12月19日、JOC、来年1月10日までに新役員を選べない場合、
2007年度に交付した補助金の返還要請を検討する方針を決めた。

▼2007年12月25日、1月7日に評議員会招集する方針を決める。
そこで人事が決まらないと追加処分です。


Cさんありがとうございました!
これでも省略してありますよね・・・
とりあえず本ブログとしても、JOCに再度メールしてみます。