文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

生業(なりわい)を再度定義し直して見ます(8)

2007-02-18 22:53:14 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
1 生業(なりわい)を、自分なりに再度定義をしますと、形の無いものからあるものを生み出す力を持つ生産者。
 24時間365日勤務で、その地で場合によっては一生を過ごす。技能者と呼ばれる世界で、論理的だが見様見真似で、何百回も何千回も繰り返して実際に対象となるものを作る。手や足や目や舌、耳までを含めて、体で覚える。
 親と同じものを作りだし、さらにそれを乗り越えて、よろしくお願いいたします。すばらしいものを作り出そうと全力を振るう。
 優れた観察者であり、農業であれば博物学者と呼ばれる深い英知を身につけられる。
 絶えず、言葉や体を使って子ども達に生きた証を見せることで、親と子の絆が培われる。

 でもその中で、文化が芽生え、生業(なりわい)による深い生産者の世界が構築され、余剰利潤でお祭りやお寺や、そして子ども達の教育(寺子屋)を成立させてきています。 たくさんの知識人や知恵者を育てて来ています。
 その余剰な資金が、神社仏閣やお祭りに注入され、人生を何かをじっくりと考え、豊かな精神生活を味わえる社会でありました。

 祖先から受け継いだ”名人”と呼ばれる大工さんいれば、篤農家と呼ばれる農家の方もおります
 それが里山を介した千葉県の多様性です。
里山で言えば、1年中季節季節に四季折々のものを作って、都会地で売る生き方も含めて、生活がまさに文化そのものでした。
 生物多様性とは、文化の多様性そのものであります。
そういった生活も一つでしょう。

2 対極としての消費者
 生業(なりわい)の対極として消費者があります。サラリーマンと呼ばれる方々も対極かも知れません
消費者とは、まず貨幣という究極の平等な価値を有するものを介して相互間での取引をする。
 金銭取引では、全て対等で年齢や男女の差もありません。
 でも、消費する喜びは移ろいやすく、金が全てという価値観を産み出しやすく、それに染まっった方々が有する価値観が、社会を蔓延してしまっています。

 その生活が幸福か不幸かは、議論の分かれるところです。今の日本社会で、最も当たり前と思われていることに、多くの特に若者が疑問を感じ、ほかの生き方を探りだしていることも事実でしょう

 報告者
株式会社 トータルメディア研究所
荒尾 稔 tmlarao@tml.co.jp


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