文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

山武杉に関する情報2004年3月26日[satochiba:0006]

2006-04-29 22:17:59 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 皆様、先日の里山の森の惨状には、言葉もありません
同時に、その根っこにある材木市場での、千葉県産山武杉の価格には改めてびっくりしました。同時に木材製品のほとんどが他県産ということも知りました
インターネット上で根腐れ病を検索しましたら、以下のリストが出てきました
ご紹介しておきます

政策法務
山武杉に関する、行政内での検討会のレポート。みどり推進課堀田さんの名前も

林業科学での評価です

林業家 並木さんの話しです

1 山武杉の惨状は、現地調査、木材市場の見学、改めてびっくりしています
同時に、里山条例に関わる勉強会を、それぞれの現地で開催することの意義を改めて感じています
 
2 この溝腐れ病が、山武杉だけでなく、一般の杉や桧にも出現し出している出現し出している とも聞きました。実態はどうなのでしょうか。皆様のご意見をお聞かせ下さい
3 里山林がこれだけひどいと、森自体が重症患者に見えてしまって 地域によっては、森林医療セラピーが成立するのかなと感じてしまいました。
県の森林研究所(?)等では、どの様に考え、対策を講じているのでしょうか。
 素朴な意見として、何か、対策をお考えなのでしょうか。

4 一説では、挿し木のための、畠苗の特有な病気という解釈、そして枝打ち等をしない手入れ不足を指摘する声と同時に
 (1) 地球温暖化の影響
 (2) 酸性雨による影響
 (3) 30年前からの赤松が枯れた原因と同様に、(1)も(2)も同様な針葉樹特有の原因で、体力低下も重なって生じている事 従って山武杉の実態は、第2の赤松だという方もおられます。

5 田んぼと里山林では、回転率が違います
  稲は1年で1回転する世界ですから、その地域回復に関しましては、1年単位で付けて対応が進んでいます。しかし、森林は針葉樹でも1世代1回転ですから、森林の地権者の話しは、淡々と話されて いましたが、親の代から一緒になって苦労してきた結果が、現状ではとまともに見ることがでない状況でした。

6 この森林の実態こそ、あらゆる皆様に見て頂き、現状認識をしっかりと持って頂きたいと強く感じました。

里山シンポジウムのあり方への提言2004年3月23日 16:30

2006-04-29 22:09:41 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
[12統合]里山シンポジウムの実行のあり方への提言  荒尾より
 里山シンポジウムでは、市民側が主催するシンポジウムのあり方として、どのような性格を持たせられるかが重要です 
 それぞれの分科会単位でシンポジウムの性格は異なるとは思いますが、はっきりと言えば、いままで行政側にものを申していた、政治家や各種の業者達に、新たに市民達からの提言が加わるという立場となるべきかと思います。
  実際、みどり推進課の動向からも、行政と市民側との関係が、少しづつ変化してきていることを実感しています。
  その大きな原因は、財政上の緊急さから、市民の支援なしには行政目的が果たせなくなりつつあるという現実があります。
同時に無機化学万能であった、コンクリート化に代表されるハードウエア構築の施策が、有機科学、冬期湛水水田等で代表されるソフトウェア化、生物多様性へと、180度カジが切り替わってしまったという現実が生じています。
 その観点から、NPOやボランティアの持つ力、そして何よりも現場経験を積んだ地権者等の情報と経験がが欠かせない状況が生じてきています。
 しかし、一歩誤ると、行政側からのただ働きしてくれる便利なNPOと言うことになってしまう可能性も否定できません。
 特に環境関連と名の付く行政部門に、その気配が強いのは悲しむべき現実です。
  そう言う現実もありますが、でも、多くは、行政側も新たな行政展開への期待感をもって、里山シンポジウム委員会の委員達の話しを聞こうとする姿勢が見えてきています。
  その新しい行政的な価値観を表現する言葉が、「生物多様性」であり、「持続性のある取り組み」「自然再生」だと考えています。
  里山シンポジウム終了後に、千葉県の行政への直接提言が出来るような仕組みとしては、あらかじめ、12の分科会単位で、行政側のどの部門との話し合いを持つべきかの検討(ただし、3月内は人事異動で無理、4月から)をはじめる必要があります。
 4月に入りましたら、積極的に行政側と市民側との話し合いの場を設けて動かなければなりません。時間もないし、大変だと感じています
 さらに、話しあいの基礎として、いままでのごとく行政側が単に「聞き置く」ということで終わりではなく、基本計画、実施計画の中身にまで、いかにして入り込めるかが課題です。
 それぞれの部課別に確保している、この4月からの年度予算の計画や実施内容に少しでも、意見具申と提言をして、考え方を予算施行上でいかに反映させていけるかが最も大事なことです。
 これが、これからの当面の課題だと思い、同時に里山条例の基本である、地権者と市民、行政との連携する力がますます重要になっていく部分です。

(1) 市民側と、地権者と国と県、市町村をも巻き込んだイベントとする 多様な立場と、価値観を持つパネラーに参加を頂くこと
(2) それぞれの分科会内で、研究成果を発表し合う。多様な事例発表にて多重な価値観ある展開による、具体的で、建設的で、直ちに取り込 みが出来るレベルの普遍性がある内容が求められます
(3) その実行環境には、地権者が中心になって、行政も市民側も参画できる現実的な方法で提言が必要かと思います

方法論としては
(1)午後の3時間を使って、パネルディスカッション形式でパネラーの方々からの発表で、1時間を使い
(2)円卓会議のように、多様な討論内容を順次こなしていく形式で、2時間
(3)最後に、各種の質問とそれぞれの分科会からまとめの提言を発表する 1時間

荒尾 稔からの提言でした

定年退職者が楽しみながら小規模な農業を担う 2004年2月23日 21:11[satosympo]

2006-04-29 22:06:31 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
里山と谷津田の再生には、具体的にどのようなイメージが必要なのかを考えてみました。

1 里山と谷津田等中山間での農業では、
 冬期湛水水田(冬・水・田んぼ)を行うことで、農法が昔の 農業のありかたに限りなく近づきます。乾田から湿田に変わります。この場合に 昔の農法では、年寄りでも稲作が出来ることは分かっています。
2 都会地の定年退職された方々が、一定のきちんとした農法の技術を マスターすることを条件にして、多数の小規模で楽しみながら行う 稲作に取り組んで頂きます。当然収穫も少なく、それ自体での所得は限界があります。
 しかし、年金を加算できれば、楽に生活が出来る。
3 地権者の農家の方々とは、市民農園方式で、営農指導を行うことで ある程度の所得と地権者としての保証が得られることが可能では ないでしょうか。
4 何よりも楽しみながら農業を行うことで、人生を豊に彩り冬期湛水水田(冬・水・田んぼ)によって、さらに、それでも放棄される箇所は「調整水田」方式で、湿地化して 生態系をより豊にしていく。
5 上記は、田んぼだけでなく、畑や里山林などにも応用できると考えています。
6 最大のポイントは、かっての寺子屋に近い方式での、「農業技術の習得」 にあります。この部分への行政からの支援が欠かせないと考えています

千葉県の田んぼの一断面(3)004年2月9日 9:03[satosympo]

2006-04-29 22:04:05 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 
5 利根川流域のこの地域は、いまでも基本的には狩猟地です。11月から2月15日まで、絶えず鉄砲の音が鳴り渡り、冬の農閑期、農家の方々は昔から伝統的に鴨猟のハンターに早変わりします。農家のおじいさんの代まで、鴨猟で生計を立てていた家族が大変多い場所でもあります
 この地域では、昼間に鴨類を目撃することはほとんど出来ません。夜間に飛来します。でも、田んぼの乾田化を逆手にとって、多くの冬期湛水水田は、水を張った田んぼに米くずを撒いた、合法的に鴨を狩猟するための田んぼとして、利用されています。この猟法は、鴨を一網打尽に捕獲してしまいます。
 藤崎さんの近辺でも、印旛郡本埜村から白鳥群が、何度もなんども近辺まで渡来したそうですが、鴨やタシギを狙って鳴り響く鉄砲の音に怯えて寄りつけなかったとのことです。

6 関東地方の渡良瀬遊水池から、印旛沼周辺域までは、今も、利根川の中流域の台風や梅雨時に、真水による氾濫原です。
 江戸の中期に、東京湾に注いでいた利根川を、銚子へと流れを付け替えるまで、毎年の台風による大雨で、この地域は冠水を繰り返していました。 大方の農民は、農業を捨て、鴨場による猟への転換を行い、最盛期には、手賀沼周辺だけで、9ヶ所にも及ぶ鳥屋場があり、800家族以上が、鴨猟で生計を立てていたそうです。それが江戸時代には、1ヶ年に20万羽以上の鴨が捕獲され、都内江東区の両国に鴨の市場があり、江戸町民のお歳暮とは、手賀沼の鴨であったそうです。

7 この地域には、かって日本最大級の、雁・鴨・白鳥の越冬地であり、推定150万羽以上の各種雁・鴨・白鳥が越冬していたと推定されます。
 同時にタンチョウツル等も渡り鳥として、この周辺で越冬していた模様です。
 この光景は昭和10年頃までは、基本的に江戸時代と比較して変わらなかったと言われています。先代が鴨猟師であったという方に、何人もお会いできました。

8 いま、かって日本最大級の、50万羽と言われた「雁・鴨・白鳥」の越冬地であった、「利根川流域の氾濫源」のこの地域は、伊豆沼周辺と比較して、雁が80,000羽:1羽、白鳥が10,000羽に対して1,000羽、鴨は全域を合計しても50,000羽以下でしょう。

 農家の古老から、かって印旛沼は水面が見えないくらい多数の鴨が渡来していたが、最近はさっぱり姿を見せないで、空っぽだと寂しく言われました。
 なぜでしょう、単純な事で、砂漠地帯には水も餌もなく、水鳥たる鴨や雁は生息できないからです。原因の一つは、明らかに乾田化かと思えます。毎年冬の季節に乾田化によって田んぼの水がないことは、渡り鳥にとって餌がないという事に直結します。かっては、150万羽もの個体数を支えられてきた田んぼや湿地がほとんど餌場にならない状況だとしたら、これからがさらに心配となります。
 
9 この冬のシーズンに、印旛郡本埜村の白鳥群の朝の餌を絞って減らして頂きました。当初活発に周辺の田んぼ等に採餌に出かけた白鳥群も、12月半ばで餌を食べつくしてしまいました。印旛沼周辺域の田んぼは、ほぼ100%乾田化しております。さらに、90%は、稲の刈り取り後、直ちに耕起してしまっていました。特に本年は冷害によって2番穂に実が入っていないとかが重なっています。
 ここで、印旛沼、手賀沼等の鴨がどんどん少なくなって来ている原因が、田んぼの乾田化等によって、餌不足によって、北帰しても繁殖能力が低く、雛を育てられないが原因ではないかと推定されそうです。
 このままだと、後、数年で鴨の親の寿命を迎えて死に絶え、「沈黙の春」どころか「水辺の生き物のいない冬」を迎えそうです。

10 でも、皆様に、少しの朗報です。ようやっと安定した環境を発見できました。
 冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)では、田んぼのイトミミズがいかに大切かの発見が、冬に水を張ることの有意義性を明確にしました。
 冬・水・田んぼの稲は、真っ白な状態で、かつ根の上の部分は真っ青で、みずみずしく生きています。この稲は、雁・鴨・白鳥、いずれも重要な食糧になるはずです。 これは、冬・水・田んぼ水田が拡がれば、雁・鴨・白鳥に対して無尽蔵に餌として供給されます。
生きた根っこ11 冬・水・田んぼは、雁・鴨・白鳥にとっても、周辺環境のも適応しながら生息の場として、間違いなく機能します。シギ類にとっては、イトミミズ、ユスリカの幼虫等、豊富な餌に恵まれ、同時に、冬の稲株の枯れた部分はタシギ等に貴重な隠れ場を提供しています。
 これから、春の内陸性シギ類の、ムナグロ等の渡来が期待されています。冬期湛水水田の拡大が出来れば、関東地方でも千葉県で、特に水辺の渡り鳥、特に雁・鴨・白鳥たシギ類の減少に歯止めが掛けられるのではないかと考えられます。
 これからの、雁・鴨・白鳥の大規模越冬地形成には、この部分からの地道な取り組みが最も大事な部分かと考えています。

千葉県の田んぼの一断面(2)2004年2月9日 9:03[satosympo]

2006-04-29 21:59:25 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 年間で4ヶ月間しか、水を張らない農法の到達点は、アフリカのナビブ砂漠並みの環境と申し上げました。まさに、田んぼの畑化であり、畑に水を張る農法です。陸稲と言ってよろしいでしょう。すでに、ここのお米の味は、間違いなく陸稲の味だと、多古町の農業委員会の元会長であった、桜宮自然公園の所英亮さんは申します。
 でも、乾田化による農法は、兼業農家でもお米が取れる方法としての技術として、日本の農法の一つの到達点であることは確かでしょう。
 過重な労働から解放されたのでしょうが、同時につらい仕事は無くなったが、最も大事な、農家の英農上での楽しみも無くなったのではないでしょうか。
田んぼへの愛着心や農耕意欲の低下へのマイナス要素になっていないでしょうか。
 さらに、農家の公務員化は、どうしても、どんなに資金を投入しても自給率が上がらなかった、末期の旧ソ連のコルホーズ型経営組織を連想してしまいます。
 それは働く楽しみが得られないことに原因があります。地産地消とか、農家同士の知恵の競争原理が働かないからだと分析されています。
農業では特に最も大切な部分でしょう。
 でも、取りあえず、佐原市での実体験から申し上げます 
1 千葉県佐原市の周辺で、乾田化した田んぼで異常な事態が進行中です。
 それは、乾田化した田んぼが 
(1)田んぼが塩を吹き出しはじめた
(2)田んぼの土が、流砂となって移動する(道路等に堆積が始まってしまった)
 写真等鳥井報恩さん撮影
2 それよりも、何よりも、この異常事態に関して、田んぼの持ち主や行政を含めた、地域の方々の反応が鈍く、ここまで来ても、それらしい対応が取られていないことです。 この地域は、かって海の底であった場所だそうです。 千葉県全域、或いは日本中の太平洋岸で、乾田化による経過として乾燥化への時間経過で同じような事態に陥っているのではないかとも推察されます。
 どこの国でも、砂漠に水を注入する農法は、塩害を招いているようです

3 乾田化が、更に進んで田んぼ砂漠の状態となり、逆に、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)の所在が、砂漠の中の貴重なオアシスになってしまっています。
 オアシスには、水と餌を求めて、近隣の生き物が殺到してきます。
 当然そこでは、生き物同士が、多数集中し、過密化します。餌を巡って厳しい生存競争の場となってしまいます。狩猟する側の生き物も集まってきます 多くの渡り鳥たちにとっても文字通り、そこはオアシスではなく命を落とす墓場となってしまっています。
 このような生き物たちにつらい生存競争の、修羅場を演出してしまったのは、我々の世代の責任なのです。

4 佐原市の、冬期湛水水田で著名な、藤崎さんのたった2枚の田んぼ(2ha)に、タシギという越冬するジシギの種類が、80羽以上集中しています。またタゲリも10数羽います。
タシギほか
鳥井報恩さん撮影
 栄町の新海さんの田んぼにも、タシギとタゲリが多く、困ったことにハヤブサが2羽も定着し、タゲリ等が襲われていると報告されています。
 イタチやタヌキも多く集まり、藤崎さんの田んぼの畔には、イタチに血を吸われたコサギの死骸も目撃しました。
コサギ

無機化学農法→真の有機の科学農法へ2004年1月30日 0:30[satosympo]

2006-04-29 21:49:33 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satosympo] 里山の検証(2) 田んぼでの農法  田んぼで、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でかつ、無農薬、無肥料で米が出来る。
しかも慣例農法とあまり変わらない成果を得られるとの話が、随所で語られだしています
 先日も、千葉県佐原市の農法研究家である岩澤さんと、そのパートナーで農家の藤原さんの田んぼの話が、佐渡のトキの話といっしょになって、NHKで放映され大きな話題となりました。 
 従来の近代農法は、化学肥料と農薬を多用し、同時に田んぼをほ場整備し、1年のうち約8ヶ月を乾田化する方式の農法で、効率化を旗印に邁進してきました。数百もあった日本の農法を、1本化しようという強い意志で、その中心がほ場整備と乾田化でした 
 しかし、冬・水・田んぼにするだけで、周りの環境ががらっと変わってしまったとの話を多く聞きます。 キーワードは、水、嫌気性菌、イトミミズ、サヤミドロと活発な光合成、大量の生き物の発生等、 肥料等のinputがゼロで、outputが大量となれば、田んぼがやせこけてしまうはずです。しかし実際には、その逆にどんどん状態が良くなって、収量も増え、冷害にも強い田んぼとなってきています。
  農家にとっては何よりも、毎日田んぼに出て、田んぼの状態を観察することが最も大事な仕事になります。ただぶらぶらしているようで、実は膨大な情報のinputが頭にされているわけです。これが楽しくて、楽しくて、お百姓さんの醍醐味だと、冬期湛水水田に昨年からチャレンジした、印旛郡栄町の新海さんは笑って言います。
  秋、稲刈りが終わったら直ちに、米ぬかを撒いて、水を張ります。
イトミミズが大量にわき出せば、地中深くから栄養分を吸い上げ、糞の形で田んぼの地底に、月数センチの勢いで吐き出します。このため、雑草は埋めこまれて芽を出せず抑草効果が期待できます。
 また、それを栄養分として、茶色の藻、サヤミドロが大量に発生し、浅い水たまりで太陽をあびて光合成を盛んに行い、過剰なほどの酸素を供給。同時に隠れ家が出来るために、メダカ等の稚魚が育って、また、どじょうやタニシ、などのほかに田んぼのただの虫など生き物が、わき出したプランクトンを餌にして、あるいは害虫を餌にするクモ類など、それぞれの役割を担って活性化します。 ヤゴやメダカ等もイトミミズやユスリカの幼虫(赤虫)等を餌にして多量に育ち、それぞれが代を重ねることで、その死骸等が有機物として、稲に吸収しやすい栄養分として蓄積されます。
 また、雁・鴨・白鳥等は、外部の湿地等で、水と一緒に飲み込んだ窒素・燐酸・カリ等を糞の形で田んぼに還元します。 
 田んぼは、緩速濾過と言って、サヤミドロ等の内部にて生き物が、雑菌等を食べ尽くし、砂等で濾過されて下流域へ流れます。田んぼ自体は超緩速濾過といって、ゆっくりと清水を下流域へ排出していきます。
 このような田んぼが地域に拡がっていけば、下流域の河川や湖沼の水質がよくなるでしょう。
 この生物濾過され、温かい水は生き物(鮭)にとっては、卵を生める水として、どこまでも田んぼの横まで遡上させる力を持っています。
 問題なのは、単純にinputが無くても、肥料分を田んぼの中で生き物たちが生産をする、と言うことになると、outputのお米が味が良くて、収量も確保できる、それを支援するのがお百姓さんの力、ただ、たくさんの知恵がいる仕事と言うことになります。
 この田んぼの中で、生き物たちが肥料等を生産するパワー、これが、生物生産指数(仮名称)です。 最近では、やれ、田んぼの中で発酵現象が起きているという考え方もあります。EM菌とか、海水の中の嫌気性菌を濃縮して使うと言う、嫌気性菌類の話題がよく上ります。
 河川、田んぼ周辺の獣の死体周辺に生じる菌とかを使ってぼかしを作るなどという話も出て来ています。
 まさに、何百もの農法が、地域ごとにあって、それらが一斉に動き出してきたと言うことかも知れません。農法も地産地消でもあります。
 従来の慣例農法では、無機物の化学物質を使うことで、はじめから最後まで人の介入が必要な仕組みとなります。
 しかし、有機物を使うと言うことは、生き物で生き物を管理するという事が大事になります。従って、どこまで人が介入した方がよいのか、悪いのかが微妙となってきます。
 また現象を観察し、現場で決めることが主役となりますので、まさに生き物との共生による農法となっていきます。
 全国の自立したお百姓さんの、営々とした研究と実践と、その客観的な価値判断を重ねて、同時に、日本が古来2500年の歴史を刻んできた農法と結びついて、力強く動き出しています。大地からの、現場からの力で、農法も、根底から変わっていくことになると思います。
 
定義: 
嫌気性菌類とは、酸素がなくても生存し、成長し、または適切に機能することができること。反対語は好気性。


日本の森林とおにぎりを比較すると、GDP的な発想は 2004年1月29日 21:57

2006-04-29 21:45:34 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
里山の検証の検証で、日本の森林行政に関係して、なぜこうなるの?(1)
 植樹して、30年から40年を経過した山武杉の、1本あたりの単価が100円から150円にしかならないと証言を各地で効いて衝撃を受けています。
 それも木材市場まで運搬費を負担して、原物を展示しての価格と聞いて、開いた口がふさがらない状態です。
 150円で買えるものの代表格はおにぎりです。おにぎりは、店頭販売の申し子であると同時に、代表的な高回転商品です1日に最低1回転はします。もちろんそれ以上になれば、賞味期限切れと言うこともあります。いま、アルバイトでも、おにぎりを1日に300ヶは握れます。
売価で言えば4万5千円。1ヶ月を20日としても90万円になります、年間で1,080万円。30年間として、32,400万円の売り上げ累積となります。
これと30年経過した山武杉が150円として、比較するとどうなるのでしょうか。
216万の1、となります。気の遠くなりそうな格差です。本当とは思えません。 30年から50年をかけて1回転という商品は、ほとんど例がありません。少なくとのパソコンの管理システムでは対象外でしょう。
 もっと端的に言えば、GDP(国内総生産)としての計算で、おにぎり産業は30年間で、2億円以上の売上げを計上でき、国や県から見れば、お米を作る農家や、肥料会社、おにぎりを製造する会社、その社員、運送するトラック会社、コンビニエンス等から所得税、住民税、源泉所得税等、至る所から税金を徴収できる仕組みになります。
 同時にGDP数値を高め、かつ景気を持ち上げる上で、結果として多大な貢献をすることになります。他方、200万分の1の貢献と評価された森林には、国として見向きもしたくなるのも、これだけ見ると理解できなくもありません。
 このレベルの木は、チップとしてしか利用されていません。従って日本の林業は、国際的な競争下では、この程度の価格でした市場が成立せず、山そのものが、価値を生み出せない不良債権のごとき状況に陥ることになったのでしょう。 千葉県の山武杉は、品質的な問題を抱えているから安いのかといいますと、宮城県でもほぼ同じ価格帯です。 
 しかし、よく考えるととても変です。
 まず、家庭の専従の主婦が、夕食としておにぎりを握ると、国には税収が減ることになります。同時に大企業がおにぎり産業を運営すると、いろいろな会社を経由して、たくさんの所得に転換していき税収が増えますが、町の総菜屋さんが作ると貢献度が落ち、家庭の主婦が作ると最低になります。国の施策として、家庭でおにぎりを作られては困る、お総菜屋でも困る。出来たら1部上場の会社がおにぎり産業に参入することが最善と言うことになります。
 さらに市民が、労働力を森林に投入されては、GDP的には困るということになります。
 GDP信仰というのは、こういった側面がありそうです。山の湿地や里海の干潟などは、それ自体が売上げを上げることはありません。従って、統計上GDPには貢献しません。
 田んぼのただの虫などは無価値と言うことになります。
 それだけでなく、国が中小企業に冷たいと言われるのも、税収という仕組み上、GDP貢献度が低いからと言う方もいます
 最近では、農水省が研究者に、冬期湛水水田や不耕起栽培等の研究にも待ったをかけているという根強い噂が流れています。肥料販売や農薬、空中散布、ほ場整備という国の事業展開に大きな影響を与えかねないという判断が生じているのでしょうか。それは、GDPに対極的な、生物生産指数(仮名)とも呼ぶべき現象のあることが、より明白になってきたからだと思います。

取手市、我孫子市境の古利根沼にも鮭が遡上 2004年1月21日 22:57[satosympo]

2006-04-29 21:40:17 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 古利根沼は、利根川の勝手の三日月湖の一つ。取手市と言っても、利根川の我孫子市側の飛び地です。西、南側は一面の田んぼ、湧き水の流入もあるそうです。一帯は我孫子市の手で「我孫子ゆうゆう公園」として、整備中の箇所です。情報は我孫子市都市公園課からいただきました。ありがとうございました
○古利根沼に鮭が遡上しました。
「昨日、サケが古利根沼に来ているのを見たという情報を得た。言ってみたら100匹以上いたよ」というメールが5日に入ってきた。早速6日の土曜日に、古利根沼の東端で沼と利根川を結ぶ小堀放水路に、4人ほどのグループで見に行きました。ちゃんといました。
 沼まで遡上してしまってとまどっているもの、放水路でばしゃばしゃと産卵行動をしているもの、水路の段差をジャンプして乗り越えようとしてもまた流されて下へ戻ってしまうものなど、全体で20匹程度だったでしょうか、みんな傷だらけで痛々しい姿でしたが、やはりいました。しかし、折角産卵しても、汚れた水では酸素不足でふ化できないのではないかと心配です。沼の北側の取手市小堀の70歳位の地元の方の話では、「今まで見たことが無い」とのこと。
 12月8日の朝日新聞茨城版にはこの「古利根沼にサケ遡上」の記事が載せられていました。また、千葉日報によると「印西市の浦部川や栄町の水路でもサケが確認されてる」とのことです。これはいい知らせなのか。
古利根みどりのボランティアニユース 第40号古利根川の森みどりのボランティア運営会議(分析土子)

[satosympo] 生物濾過による清水に誘導されて鮭遡上の可能性 2004年1月19日

2006-04-29 21:38:05 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
信州大学の応用生物科学科 中本信忠教授が提唱する「生物濾過できれいな水が生まれる緩速濾過システム」

緩速濾過による、おいしい水の話です。最近は生物濾過とも呼ばれだしています。
 田んぼの冬期湛水水田化には、環境配慮として大事な要素です. 琵琶湖周辺での積極的な採用が開始されようとしています。印旛沼周辺での冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)導入への働き掛けには、雁・鴨・白鳥の越冬地形成と同時に、
印旛沼の水質改善への願いがより強く関わりとしてあります
 冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)から流出する水の水質が、この方式による生物濾過された水との共通性が言われ出しています 別名、超緩速濾過(冬期湛水水田の底の砂地で濾過された水)
→ 性格上、時間がすごくかかるだろうとの意味あいから
 印旛郡栄町の新海さん田んぼの横まで、鮭が遡上してきた理由の一つは、この清水ではないかと考えられます
田んぼの生物濾過機能

 なお先生から私が、配布の許諾をいただいています. コピーフリーです。

里山の生物指標として(2)千葉県下農村の一断面 2004年1月15日 9:15

2006-04-29 21:33:27 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
●千葉の田んぼの現状、一断面です。
 1月11日に、千葉県我孫子市より、成田を経由して、佐原市までJRで移動しました。広大な田んぼが、見事と言っていいほどの乾田化されています。
風景全体が茶色に染まって、心にぐさっとくる一面の灰色の世界と言って良いでしょう。現実問題、たまに、田んぼ1枚に一面に水が張ってある箇所がありました。それだけで気持ちがホットします。
 ところがよく見るとこれが、鴨を捕獲するための冬期湛水水田。
無双網と言って、くず米を撒いておいて、夜間鴨を一網打尽に捕獲する仕組みです。しかもこれが、JRの車内から3ヶ所も望見されました。
 また、成田線で成田周辺の里山の放置された結果の荒れ方を見るに付けて、里山全体が醸し出す雰囲気もこの風景の影響で、このような場所で育つ子供達の乾ききった心のひだが感じられる様です。
 田んぼの乾田化→砂漠化から、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)化を言うまえに、実は子供達の心もが乾燥化しているのではないかと、考えたりします。子供を産む前の娘さんや若い母親達の気持ちも知りたいところです。
 現状の田んぼの乾田化とは、想像を絶した現実を引き起こしています。田んぼの畠化でもあり、真の砂漠化です。
年間8ヶ月間は、ゴビ砂漠、ナビブ砂漠と同様、それ以上に過酷な無生物の世界です。 実質、無菌状態で、細菌も生きられないといわれます。生態系ではゼロとなります。
 今の日本の田んぼでの農法は、慣例農法と言われ、全国一律に近く 春、一斉に田んぼの蛇口を開けて、パイプで供給される水を張り、農薬と肥料を大量に投入し、しろかきをします。
 その上で、連休中の休みを利用して田植え、後は、空中散布で、混合農薬を散布します。秋の収穫まで基本的にはそのまま。 ベンツと揶揄される、1年に4~5日しか稼働しない高価なコンバインで刈り取りをし収穫し、販売業者へ引き渡します。 誰でもできる農法が理想となって、田んぼを見て廻ることもほとんどない生活です。
従って、いままで1000年以上も継続してきた、農業を両親の働く場として実体験する機会を持たないまま、息子達は普段はJA職員や公務員となって、しかも農業は専業ではなく兼業として存在しています。
 でも、現状の慣例農法とは、まるでインスタントラーメンをお湯を沸かして作って食べるみたいに聞こえてしまいます。
 砂漠のままの状態から、生態系ゼロからの急激な稲作のスタートですから、何から何まで農薬、肥料等無機化学製品を多用することになります。これらが、一斉大量に供給されるために自然界で排除しにくく、湖沼等での富栄養化の大きな原因の一つともなります。

同時に、農家の方々自身への農薬の影響、特に年を取ってからの重度の障害の発生。同時に、またそれを食する日本の市民達、特に子供達への影響がアトピーをはじめ心配です。
それらの結果を踏まえて考えると 日本の原点はあくまで農業国であり、2500年以上同じでした。
 生き物達は日本の田んぼの耕作スケジュールを熟知していて、それに合わせて年間でのタイムスケジュールを組み立ててきています。
 タイコウウチも、メダカも、秋の借り入れ前になると田んぼの水が切られますので、田んぼ横の用水か、羽を使って付近のため池へ移動します。
 ナビブ、ゴビ砂漠では、数千年から1億年以上の経過がありますので生態系もそれなりに適応できています。
 日本の田んぼの砂漠化は、まだ始まって40年。この短い期間ではあらゆる生き物が適応できません。
 そのために、メダカなどまでが絶滅の恐れがあるという現実を招いています。
 昭和40年代初め、田んぼの砂漠化が始まったときに、雁、トキをはじめ、それぞれの高等動物は一斉に姿を消しました。 雁達は、生活適応できないとして、渡来しなくなったのです。
 生態系でいえば、生き物の頂点にたつ、高等動物としての我々に影響がでないとは、考えられません。
 生き物としての生態系としての回転率が違うのです。
 田んぼの環境が、ナビブ砂漠並みになれば、子供達の知る原風景がまったく変わってしまいます。
 子供達の心のひだに、田んぼの砂漠化がどのように反映しているのか。荒廃した里山の風景が、2重写しになってどのように写っているのでしょうか。
 戦後のこの50年間、人の一生と重ねてみて、我々の周辺には、きちんと永年引き継いできた日本の基本的な農法・里山管理法を放棄してしまった結果。 我々古い世代には、しっかりと植え込まれているものの考え方が崩れてしまいました。
 特に農業が基本であるべき技法が失われて、自然と接点を切り離してしまった結果、ひょろひょろで手入れがされていない、砂漠のように無感動な若者がたくさん産み出されているのではないでしょうか。
 農家にとって、自分の息子や孫との関係でいえば、農家の親の作った米や野菜までもを、農薬汚染を心配して若い世代は食材とすることをも断りだしていると聞いています。
 安心を求め、スーパで野菜や真空パック入りの餅や求めるような有様だと聞いています。
 すべて、我々の世代がここ50年間で到達した結果です。
責任を負って後継者や孫達に、なんとか自然再生、自然創世をして戻してあげる義務があると、強く感じています。

 まずご提言です。
 まず、真っ先に、自分の田んぼに水を張ってみてください。従前の農法から地域ごとの、伝承された農法を再度見直してください。 
 先ほどの、栄町の新海さんは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でなにが一番変わったかと聞くと、自分だと。毎日何度も田んぼを見回りに行くと、楽しくてしょうがないと。
 生き物が身近にあふれ出すと、気分が晴れます。 同時に、ささやかでもロマンを感じてください。 冬・水・田んぼは、かって当たり前の農法であったと言うことに気が付いたとのことです。新海さんは、本年は特別な思いで、全く新しい農法にチャレンジする事に決めたとのことでした。
 議論のたたき台にして頂きたいと存じます。



里山の生物指標として、提言します  2004年1月15日 9:15

2006-04-29 21:28:28 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから

里山を評価する生物指標として、以下提言させて頂きます。
里山を、都市空間と対比する、人間生活の場と考えるならば
1 里山に生活する人々    それを,11以上の課題で考えていく
2 里山(林)……   トキ、及びコウノトリ ほか
3 里地……         田んぼ、湿地では、雁・白鳥、そして多種多様な植生を持って、生き方の対応の異なる鴨類。その場所の生物指標として
4 里川?……        河川部分では、鮭 ほか


千葉の利根川の現実の1断面として 2004年1月14日 12:44

2006-04-29 21:26:45 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
里山の生物指標の一つとして、河川には鮭の遡上と産卵、孵化→太平洋からの回帰の回復があると思います。2004年1月11日 
 千葉県栄町の新海さんの冬期湛水水田を開始した田んぼ横で、飛び越えられる幅の素堀の用水で、たった200mの距離に、平均80cmの鮭のほっちゃれを4頭も発見、写真を撮りました。

田んぼに鮭が遡上
 生き物にとって、水はすべての源。きれいで温かい水があれば産卵できますので、鮭は利根川から、あらゆる困苦を乗り越えて、このほ場整備されていない、冬期湛水水田の横にたどり着いたのでしょう。
 白鳥も38羽。雁も来ました。タゲリという渡りをするシギも多数渡来。
 どうしてこのような場所まで鮭が遡上してきたのか、不思議です。 
 一つ、利根川流域で流れ込む、それぞれの支流河川が、ほ場整備等によって、それぞれの河川特有のにおい等をなくしており、鮭の水の記憶がはっきりしないために、田んぼの生物濾過されたきれいで温かい水のにおいをたどったら、栄町の田んぼに来てしまったのかも知れません。
 どのくらいの個体数が、この流域に遡上してきたか不明です。ただ、印旛沼では、川に仕掛けられた網が、破られる寸前までのかってない大量個体の鮭が遡上してきたとのことです。 里山の一つの指標として、鮭は重要だと思います
 

(3) 里山の森林の部分に関しての一つの見方 2004年1月8日 18:46

2006-04-29 21:23:00 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
まず、里山の主体は、水、田んぼ、農業及びそれを取り巻く地域の生活空間です。
 その中で、
1 千葉県香取郡多古町にある桜宮自然公園は「里山と谷津田」で構成されています。今回、県は里山は、すべてを包含するとの見解ですので、桜宮自然公園も里山の一部となります
2 林業に関わる部分で言えば、 森林での種から芽を出して、最後に伐採されることを1回転とするならば、雑木林で30年程度で根本から切り取られます。まもなく根っこの部分から、ひこばえが出て、クヌギやコナラ等は、すくすくと育って行きます。
 杉、檜では本来、50年から70年たって初めて商品と見なされます。
 少なくとも、田んぼでは1年サイクルでやり直しがききますが、森林は、その50倍以上の、ちょうど人の一生と重なります。ある面で気の遠くなる話です。
 田んぼでは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)等の実施効果は、早ければ数ヶ月で、その変化に気が付きます。
 でも、森林は極端に言って数年を経なければ、環境変化の結果が分かりません。さらに、現在の植林の結果を見てみましょう。

千葉県香取郡多古町「桜宮自然公園」での経験です。
 実際に森林部分に、桜宮自然公園をつくる会のメンバーと一緒に手入れのために立ち入った時、これは容易な世界ではないと感じました
 いま、桜宮自然公園内及び周辺の山林の杉の多くは、戦後県の方針で植林された山武杉と言われる、親木から挿し木で育てられた、30年~50年経過した杉の木となっています。 現在で言う、クローン技術です。
 ところが、その親木に問題があったらしく、山武杉の70~80%は「根腐れ病」で、商品価値がゼロとまで言われています。同じ原因で、売り物にならない樹木を至る所に作り出してしまった事になります。
 さらに困ったことに、桜宮自然公園でも、手入れのために地権者と計って、周辺域を間伐したとします。
 森林の専門家には、台風が吹いたときなど、風が森を吹き抜ける結果を招いて、森林内部のひょろひょろな杉がなぎ倒されてしまう恐れが高いと言われました。
 いまからではうかつには、間伐等を行えない事情まで生じてきている模様です。
 また、森林手入れ用の林道も放置されたままですから、篠竹等や、場所によっては真竹や孟宗竹が繁茂して、森林の中へはいることもままなりません。
 所英亮さん達、農業のベテランでも立ち入れない森林周辺部の篠竹密集地帯です。 今までも時間をかけて、篠竹刈りにチャレンジしてきましたが、素人には危険なチエンソーを駆使しても、2時間かけて、幅5m、深さ1mカットするのがやっとです 「まるでベトナム戦争に参加したみたい」というのが、本当の所です
 実際、桜宮自然公園での現状は、この12月末に、2日間県の費用で、プロの方々に刈り取ってもらっているのが実情です。
 農家の方々は、谷津田管理のプロと自負されても、山は別物と言います。慣例で、田んぼから10m以内の林の管理をまかされている事が多いとのことですが、それより奥は、未経験ゾーンとのことでした。現在の千葉の山は、明らかに異なり、東京郊外の平坦な雑木林とは森林のプロの経験者でなければ対処出来ない地帯が多いと考えられます。
 森林部分の手入れは、NPO等のレベルの技能では手を出せる状況にない部分が多すぎると言わざるを得ません。

(2)[satosympo] 里山シンポに関して  2004年1月8日 18:23

2006-04-29 21:20:56 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
 里山の問題の基本は、林業関連は単に、その一部に過ぎないと言うことです。
はっきりと言いますと、林業の部分はほんの一部分だと思います。
 里山の主要な課題は谷津田と呼ばれる、田んぼの問題であり、水の問題農家の問題であり、里山と呼ばれる特定の地域での 教育、育児、医療、安全等、地域文化を形成する部分を含め、あらゆる問題がパックになった課題だと認識しています。
 この部分の活性化と再生化をいかにして図っていくのかが課題であると、まさに文化の再生、千葉県の未来がかかっている部分でもあります。
 これは、千葉県に限りませんが、県庁の職員の方々が、たとえば「里山と谷津田」に関しても、いかに現場の実態を見ていないか知らないか、ある面ではぞっとしますし、悲しくもなります。
 県側がこの点を正しく認識いただかないと、前へ進めません。
 すべての要素が包含された、横割りの世界ではないでしょうか。 そのために、行政側とNPOが協力しながら、多方面の方々の参加を求められ平らに議論しあおうという、だからこそ円卓会議だと申し上げさせていただきました。
 千葉県は、日本一の「里山と谷津田」の所在する県です。また、未着手でいままで残ってきた貴重な「ほじょ整備候補地」をまだまだたくさん残しています
 堂本知事の着眼はすばらしいと敬服しています
 それを行政側とNPOが協力しながら、一歩一歩着実に前進させるためには、まず行わなければならないことは、千葉県の里山と谷津田の実態調査であり、新たな価値観を持って、里山に関しての基本の認識での再構築をすることだと感じます
 里山に関しては、特に行政側で、いままでの慣例を取り払って、組織横断的に対応出来る組織再構築を求められているのではないでしょうか。
 里山条例のあり方が問われているわけですから、その意味に於いて、特区構想に近い考え方が必要と申しあげた方がよろしいのかもしれませんが。
 考え方を、矮小化しないように、会員の皆様方と、もっと深く。多岐にわたった話し合いをもてることを要望します

(1) 里山の定義  2004/1/6 satoshinpo

2006-04-29 21:19:57 | 里山シンポジウム実行委員会のこれから
里山の問題とは、人と地域の問題と考えています.
 生物多様性とは、人と地域の多様性と読み替えても間違いはないと
考えています,自然再生だけを目指すのでなく、これからは、最新のIT技術も駆使して自然創生事業だと考えています
 すばらしい生きるべき、人間と自然が真に共生する場の生成だと思います 
 里山を考えるときに、たちまち11項目もの分科会が必要と考えられるように
1 里山と教育
2 里山と医療
3 里山と林業
4 里山と田んぼ
5 里山と文化・伝統
6 里山と観光
7 里山と水循環
8 里山と生き物
9 里山と政策
10 里山と残土・産廃
11 里山と環境
 人に関わる生活空間が里山と考えることの認識、対処がまず必要と考えています
 具体的には、その場とは農村生活全般への取り組みの場ですから上記11項目に渡る項目とは、生活環境そのものが里山再生の課題として、かつ中心になるかと考えられます。
 里山との関連でもう一つ大事なことは時間軸だと思います。里山との対応は、どこでも試行錯誤が避けられません。そこで短時間で1回転(はじめの土俵にまい戻れる)ことでやり直しが効くか効かないかです。
 やはり、田んぼと畠、そして果樹園まででしょうか(桃栗3年柿8年)
田んぼは1年生草本です。どう転んでも1年で結果が出せます。やり直せます。
 日本雁を保護する会等が提唱している冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でも、毎年毎年少しづつ、多数のお百姓さん達と業務の改善をしながら、現在に至っています 
 極端な話、印旛郡栄町の冬・水・田んぼのケースでも白鳥の話は不耕起での前提条件ががあったとしても
11月に、田んぼへ井戸水を張ったら、1週間で白鳥が50羽来て、12月15日頃には、田んぼから排出される用水路に、利根川から田んぼで暖められ、生物濾過で澄んだ水の水の道をたどって(多分)鮭が複数個体で遡上し、産卵までしました。たった数ヶ月で劇的な変化を享受しています。
 いままで、冬は乾田化で無機物のようであった田んぼが、突然生き物にあふれた有機物の世界へと変化をしたわけです 何が変わったかと言うと、一番は所有者の新海さん達でしょう。
毎日の変化にとまどいながら、1日に数回も田んぼを見回るようになり、それが楽しくて楽しくてが口癖に。
 同時に考えたら、冬・水・田んぼとはかって、千葉県で当たり前に行われていた農法そのものだと気が付かれています。
 この方式の良さは、情報が伝搬すると、多面的な分野で実践活動をしている各地の研究者が次々と訪問して、現地調査と聞き取りと、研究を現地で体験出来ることです
 いかに、人間も、生き物も、本来の基本単位である水と、田んぼの環境変化を渇望しているかは、最近日本雁を保護する会の研究でもいろいろと事例的に分かって来ています。
そこで、農水省が管轄する田んぼの部分を中心にして、里山の問題を考えていくべきではないかと、思います。

 千葉県は、希有な資産がまだ十分に残っています。
ほ場整備の有無が、乾田化が進展されずに残っていることです。ほかの県よりもはるかにこれからの里山創生としての自由度が高いのです
 宮城県などは、全域の開発がされ尽くしています。土堀の用水路が残っていて、それを伝って鮭が遡上して産卵したなどとの話は信じてもらえません。
 また、研究家は昭和30年代のほ場整備の状況を見て、びっくりし、それをとてもうらやましがります。
 千葉の「里山と谷津田」は、谷津田の絞り水で農耕が可能であった分、歴史的な経過も長く、縄文土器の70%以上が、千葉の里山で出土するくらい、生活しやすい場所であったはずです。
 千葉県で、現在最も価値があって、結果が得やすく、試行錯誤が出来るのは改めて申し上げて、田んぼです。
 里山を考えるときに、真の意味での、人と自然の共生関係を田んぼと水を中心として皆様方と再構築をしていきたいと考えています。 
 桜宮自然公園の所英亮山からの市民農園に関する提案も、すべてお米作りからスタートした構想です。
 農地法に準拠しながら、その法律に抵触しない方法で考えられています。野菜でないことも、ミソだと聞いております。