文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

続続、白鳥に見る楢葉現象(命を人間に託して、文化喪失)とは

2005-05-28 20:25:15 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 昨今、日本の白鳥群の生活振りに大きな変化を感じます。まず日本海側の白鳥個体群ですが、さすがに、この不況もあって、丸抱えで白鳥に餌をやり続ける方々が減ってきています。与えるとしても観光客による不定期な餌の提供です。美味しいが確実な餌にならない、……とわかって、しょうがないと居直って、自分で餌を探し出す親子白鳥が増えてきました。幸い日本海側でが
1 2期作が出来ず、田んぼは刈り取り後、そのまま稲の根っこが生きている。
 従って、春まで稲の根っこの上の茎(10cm程度)の柔らかい白い部分が無限の餌を提供してくれる
2 マコモや蓮や、菱がたくさん残った沼がある状態ですから、餌場には粉っていないようです。
3 山形県のスワンパーク周辺では、地球温暖化の確実な証拠として、湖沼の凍結が減少し、(鴨、特にマガモの激増を生じています)その結果、田んぼで採餌が可能になってきて、一気に餌付け群が、田んぼでの採餌に移行しています。
4 しかも2月にはいれば手つかずのまま餌がふんだんに残った八郎潟に移動して採餌できる事から、人離れが進んでいます。それと同時に餌場確保のため、群れの分散化が生じる等確実に野生化に触れています。
 
 太平洋側では、顕著な結果はまだ報告されていませんが、この現象を見ていると白鳥の野生化が戻り、引き続き国家財政の悪化と共に、餌が無くなってきた日本国民も、餌付けの悪夢から解き放たれる時期も、そう遠くないと考えています

続・楢葉の白鳥現象とは

2005-05-28 20:08:19 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
先月号で、過重な餌付けによる生き物の自立喪失を「楢葉の白鳥現象」と名付けましたが、この話には続きがあります。
 福島県双葉郡楢葉町の大堤,いわき市の夏井川、そして千葉県本埜村、いずれも高濃度餌付け白鳥群で知られていますが、そのいずれでも昨冬から生活環境に大きな変化が生じています。
 朝の餌を廃して、給餌を1日2回から1回に減らしたのです。白鳥群はイヤでも採餌地を探しだします。結果として、朝から白鳥群は餌場を求めて、大挙飛び立ち、昼間はほとんど姿を消しています。でも夕方までにはすべて戻って餌にありつくように行動が変わってきました。特に幼鳥を引き連れた若い夫婦白鳥には、効果的と言うことです。お腹を減らした幼鳥にせっつかれるために、親が近在の餌場を探し出す行動を起こす誘因となります。
 これは、最初夏井川白鳥を守る会の小野会長さんが始めたことで効果抜群。昨年まで1日中餌場前に400羽も滞留していた白鳥が1~5羽を除いて、近在の国道の両側の田んぼに数群に分散して採餌を始め、真っ白に見事な光景とのことです。
 雨で水のたまった畦の間で主に落ち穂を食べているとのこと。これを聞いて、本埜村でも昨年同様なことを行って、栄町の新海さんの田んぼへ移住する個体群(50羽程度)が発生しました。今年は、周辺に餌が豊富です。現在57羽程度が北印旛沼の河畔や新海さんの田んぼへと昼間飛来しています。
 朝、餌を断つことで、昼間の採餌が不十分であっても、夕方の給餌がありますのでねぐらと、体調管理での餌付け機能は崩れません。効果として、給餌の絶対量が大幅に減少し、管理する側の負荷が軽減され、結果、餌等の費用が軽減されます。
 昼間の観光客からの餌を期待して居残るか、自分で探すかの選択をすることで、多様な生き方が選択されます。なによりも餌付けではなく、自立してきちんと生活能力を身につけた白鳥となります。

楢葉の白鳥現象とは

2005-05-28 20:03:00 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 福島県の浜通り、楢葉町にたまたま調査に行った折、小さな堤に600羽以上の白鳥が越冬していました。聞くと1日、この堤にいて、1日2回の餌を待ってのんびりしていると聞きました。餌付けは町役場が、○○補修費(?)の名目で予算化し、選任の職員が米を主体に餌を撒いていました。見学者は殆ど来ません。実は、福島県だけで1万羽近い白鳥群が、60ヶ所ほどで越冬しています。福島県下では、餌や人件費で年間2億円を軽く超している模様ときいています。
そこではっとしました。白鳥が人間を利用しすぎて、白鳥固有の生き方を失った状態だと、思わず気が付きました。千葉県でも本埜村の白鳥群がよく似た状態だとも。この過重な餌付けによる、生き物の自立喪失は、戦後の日本の文化の反映ではないかとも考えています。私はこの状況を「楢葉の白鳥」現象と呼び、問題を指摘してきました。
まず、日本に渡来する白鳥群は極めて頭が良く、人間を徹底的に利用している生き物であると認識して下さい。ペットで言うと、猫では無く犬に近い。寿命は野生状態では平均10年程度、しかし餌付けされた個体群では18年~20年と言われています。餌付けされた白鳥群では、野生群と比較しても、繁殖率は異常に高く、千葉県本埜村の個体群も、いまやネズミ算的な増え方に入っていると見ています。
餌付けは日本では戦後、それも最近の風潮です。戦前は鴨場のごとく狩猟の目的のため等以外での餌付けはされていなかったと思います。
まず、餌付けされた白鳥の親は、シベリアに北帰繁殖し、夏の終わり頃、ようやく飛べるようになった幼鳥を引き連れて、10月15日~20日頃、越冬地まで一気に南下飛来します。本来、白鳥は日本での越冬地での半年間、幼鳥に餌のある場所,餌の取り方,食べられるもの,駄目なもの,タヌキや鷲、犬等からの危険の避け方,仲間との付き合い方などを、付きっきりで教育します。また、親になれるまで3年間、家族群として毎年、親と行動を共にすると言われ、しっかりと親の行動を見ているといわれています。また、半年後北帰するまでには幼鳥は越冬地を故郷としてしっかりと認知します。
ところが餌付けされた親は、生きる手段を人に託し、1日中越冬地に留まります。子どもに何も教えません。1日2回の餌を待って、寝たり起きたりの生活です。俗に言う3食昼寝付きの生活で、栄養満点、体力抜群。おいしいものしか食べなくなります。当然、そのような親の幼鳥は、餌の取り方も、餌場も、本来の危険さえも経験しないまま、4年目には親となって幼鳥を同行してきます。何も知らないままに親になった白鳥は、当然、親と同じで、人に命を託します。子ども達に何も教えられません。原体験がないからです。
問題はここです。人間を徹底的に利用しすぎて、白鳥の本来の生活者としての生き方を無くした、白鳥文化を台無しにしてしまった状態と言って良いと思います。人のペットの犬と同じくらいで、ライフサイクルが人の3倍早く、それ故に、私も親子3世代以上での観察で「楢葉の白鳥現象」に気が付きました。
日本の子ども達の実情を見ていると、餌付けされた白鳥群は、いまの学校の先生や、教わる生徒達と重なりませんか。日本の文化喪失の実態、生き方の原体験の不足、日本文化への関心の薄さなど、日本の今の社会現象の中に「楢葉の白鳥」現象が随所に見られます。問題の本質はここにあると思っています。
今年5月開催予定の「第2回里山シンポジウム」の実行委員会では、私どもの情報の発信先たる中心を、「子ども達の親の世代へ向かって、絞り込んで行こう」ということになりました。サブテーマ「里山と子ども-親に継承える(つたえる)昔体験-」へとつながる話しだと考えています。
でも、この現象にも宮城県や山形県、新潟県では、すでに人との共生の定着のなかで、自然に解消が進んでいます。白鳥にとっては、一時的な現象といっても良さそうだと分かってきました。正直、ホットしています。それは人の自立した生き方への重大なヒントを与えてくれています。

雁・鴨・白鳥の渡りから検証出来る、千葉県の地政学的な位置付け

2005-05-28 19:37:37 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 千葉県では、海の湿地たる干潟の90%、陸の湿地の88%を干拓し、湿田→乾田化しています。また、湿地の12%の殆どは、手賀沼、印旛沼としてダム化しております。従ってかっての水郷としての故郷、千葉は、すでに喪失してしまい、故郷ではありません。
 一方では観光立県を目指す千葉。同じ比率で湿地を喪失している茨城県とは、利根川下流域の両岸の関係でもあります。
 一方で、環境評価の為の生物指標として、その最上位に位置付けされる水辺の大型水鳥が、米国北・南大陸を渡る水鳥群、同じく欧州・アフリカ大陸を渡る群れをそれぞれ100の指数とした時、アジア大陸の水鳥群は30%しかカウントされない事実があります。
 かって江戸時代までは、千葉県・茨城県下に大量に渡来していた大型のタンチョウツル等の個体群を、見事に絶滅・消滅させてしてしまったことが、アジア全域での個体群が回復出来ない一つの大きな原因の一つだと専門家は言います。トキ、コウノトリ、タンチョウヅル、ヘラサギ、シジュウガラガン、ハクガン、サカツラガン等、名前を連ねていくと、如何に多くの貴重な大型水禽を絶滅に追いやってしまったのか、それは両県にとって、世界中の自然界への原罪とでも言うべき事項でもあります。
 それは地球上で、同じような中緯度にある大規模な越冬地が、両大陸では保全され、アジア大陸で生活するそれらの個体群の、絶対の越冬地であった事から、残念ながら日本だけが人為的な原因で消滅させてしまった事実の差であります。
 また、中国での最近の圧倒的な開発の動きです。その開発で追われる個体群を吸収する意味からも、まず、千葉県での(自然)湿地率を12%から20%以上に高める等の目標値を設定し、また霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼等の3つの湖沼を、かっての自然湖に戻して再生させ、田んぼの農法も湿田・乾田がモザイク上に配列されたごとく、環境に配慮した農法に改善していく施策等への検討ががかかせないと考えられます。
 

水質改善には、まずソウギョの排除が急務です

2005-05-28 19:30:19 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
環境省東京公園事務所が主体となって、都内皇居外濠一つ、九段下牛ヶ淵濠を開堀したのは最近です。主な目的は外来種の排除試験と聞いています。オオクチバス、ブルーギル等に混じってソウギョの排除を行ったそうです。
 その結果、豊富な湧き水のある希有な場所であることも幸いして、何十年ぶりか、ヒシをはじめ、多様な沈水、浮揚水草が大量に発生しました。
 昨年の夏の期間(2004年夏)、3番のカイツブリが繁殖に成功し、秋から春にかけて、大変な数の群が渡来・越冬しています。沈水水草の越冬芽を食するホシハジロが急増し、2枚貝が好きなキンクロハジロ、浮揚植物を食するヒドリガモが激増し、オナガガモも複数羽、さらにオカヨシガモやヨシガモまでもが渡来し、前からいるハシビロガモも減少しましたがしっかりと。
 そばらしい、自然再生のモデルとして、これから存在価値を大いに高めることに感じています。
 ソウギョは、昭和30年代後半に、秋の水草の排出が大変なことから、皇居の濠全部を対象に放魚されたとのことでした。ソウギョの排除が、今回の主な動機の一つと環境省側の担当官から聞いたことがあります
  
  


ふゆみずたんぼの中心地 田尻町の紹介

2005-05-28 19:22:38 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
田尻町とは、どの様な町なのでしょうか
ここでも、いろいろと固有の問題は当然あります
しかし、町という単位で重要なことは何かを痛感しています

1 前町長は、町民や農家の後継者等を毎年2人宛選んで、20年間
 1年間の技術習得にヨーロッパへ若者を派遣してきています。その方々が、行政でも農業でも、現在中核をなしていて、横のコミニケーションの強さと、その行動力、実行力、ともに群を抜いています。

2 東京から、多数の有為な方々が、この地区に集中しています
 東北大学出身の方々が多いですが、20人を下りません。いずれも腰掛けでなく、定着しています。その方々の努力も随所に感じます

3 日本で唯一と言われる縄文時代から生き残った、最古の沼。
それが蕪栗沼です。これも浚渫をして、という話しがあったときに、雁がたまたま多数渡来していてそれを、日本雁を保護する会の呉地正行様と、町長、農業指導者達が、そこで国を相手に踏ん張って守り通した。 さらに、休耕田を一括して50haまとめて、せっかくの田んぼを沼地に戻してしまった (白鳥地区)などの経過を経て、国との直接的な折衝がさかんに行われています

4 行政的に、県への依存度が低い感じを強く感じています
 今回も、県の方々は殆ど参加していない模様です(私の個人的な感触ですが)何かあると、NPOと大学や研究所、そして農業者と、町が一緒になって国に意見具申をする。
 大統領制に近い組織として、組織のトップの方の能力次第で、つまり、町長が勝れた方と見受けています。
 自分が農家であることを誇り、農政商工課や町内の学校の先生方が、一斉に農業に乗り出して来ています。つまり、町も自立するためには、あらゆる分野での問題対応を身内で調達せざるをえず従って広範囲に権限の委譲と、多様な能力のある方々(かっての庄屋さん)がたくさん排出して、地域のボランティアとして活躍する事が必然となる。
 まさに、これからの地方分権社会での勝ち組に、真っ先に駆け抜けようとしていると見えます。
 日本の農業者が、真に自立するために何が必要なのかの原点を見せつけられていると、感じました。必然的に、国と現場を管理する市町村が強く結びつくと……

5 キーワードが何かわかりました
 (1) 仕事は楽しくなくては行けない
 (2) 徹底した情報公開と、皆で智恵を出し合って、問題解決を図ろうという姿勢
 (3) 誰が偉いと言うことはなく、仕事のうえでは、平等fだということ
 (4) 徹底した自己責任。自分で約束したことは何が何でもやり抜くこと。
そのあたりに甘い人は、その仕事を別の人にもっていかれても仕方がないと言うこと
 (5) お金は、仕事をマズやってみる。自然に価値があれば、ついてくると言う精神。 まず、予算ありきではないという、徹底した実践主義。俗に、思い立ったら、吉日 方式でしょう。



採砂船の活動中止も必要です

2005-05-28 19:16:07 | 水質浄化:茨城県霞ケ浦及び周辺域
 霞ヶ浦の問題点を、昨年秋から多面的に議論して来ました内容は、水面を硬直的に高くしたまま、どの様な考え方でこれからを展望しているのかを知りたいところです。

 いま、潮の流れが開発から、自然再生へと丁度正に切り替わるよどみの時期です(潮止まりと言います)今回は大潮、しかも高潮レベルでの流れの激変でしょうから、全てが逆転を始めると、一気に流れが強くなると思います。
 謙虚に今までの議論を取り入れて頂き、基本的には霞ヶ浦ダムを、本来の自然湖の状態に戻す。
具体的には、霞ヶ浦の湖岸に昔の汐入を含め、湿地を取り戻す
(1) 霞ヶ浦の採砂事業の即時廃止
(2) 浚渫行為の即時廃止
(3) 水門の運用の弾力化(アサザ基金提言も一案)
(4) 水位の弾力運用、特に春の水草発芽時期での大幅 な水面低下策の導入
(5) 護岸堤防の大幅な取り払いと汐入の復活策
などの施策を、検討項目に加えて頂きたいとお願いをします。
(6) 霞ヶ浦の再生への研究手法を、土木・建設手法から、生態系の横断的な判断のできるメンバーへの入れ替えが必須だと考えています。
(7) 霞ヶ浦周辺での、江戸時代まで遡った文化史を再度共同研究が必要です。霞ヶ浦の再生にはそこで生計を立てていられた方々と、歴史的な経過を再認識する必要性が高いからです。
(8) 茨城県は、かってすばらしい水郷地帯でした。その原風景の再生こそが、真の目標だと思います。茨城県の湿地の90%を干拓でつぶしてきています。その復活として数値目標を20年後に30%程度が適正かと考えています。その観点からは霞ヶ浦に汐入と干潟を復元したら、数値目標に大きく貢献することでしょう。
 これらは全体構想としても、可能だと考えています。如何でしょうか。皆様のご意見もお願いします。

遊水池の問題は、霞ヶ浦での水害からの安全対策として

2005-05-28 19:11:33 | 水質浄化:茨城県霞ケ浦及び周辺域
遊水池を想定しています
いま、霞ヶ浦は全域をぐるっと護岸で囲んでいます。俗に言う悪名高い垂直護岸です。
しかし、普段は湿地、あるいは葭原、あるいは水田である地域を大幅に拡大して、大雨や台風時の増水に遊水池として利用する箇所を想定します。従って現状での護岸域を取り払って、新たな後背地(かっての堤防等)出の築堤や、一段下がった堤防(大雨時に水があふれて遊水池に流れ込める)の仕組み等へ切り替えることが必要となります。

ご治水と、利水ははっきりと分けるべきだと思います。
 まず利水ですが、基本的にはご指摘の通りだと思っています。時間経過も必要でしょうし、何よりもそれぞれの立場での、生活者(地権者を主体に)の合意と、行政やNPOを含めて、地域の生活者への積極的な支援が頂けなけれべば成立出来ません。
 漁業や農業、工業、そして飲用水等で利害が異なるのは当然でしょう。そこで、利水関連には国側は、今後、一切資金を出さないという原則の下、利権者同士での合意形成をお願いしたら如何でしょうか。徹底的に話しあう場の準備です。そのコーデネィターは、NPOが行うのも策でしょう。
 その中で、横断的な合意形成と、方向性とが固まれば、実現のためのプロセスの積み上げになるかと思います。それは見試し方法で、費用をかけず、利水によって、生活される方々主体に成果をひとつひとつ、確実にものにしていく事が必要でしょう。
その横断的な合計性には、利水側として沿岸域の市町村が果たすべき役割も大きいとと思います。
 また、対象地域の現状観察、過去情報の集積、古老を含めての聞き取り、何が最善策なのかの話しあい。市民を含めたボランティアやNPOの協働と参加。少し行っては、再評価を繰り返し、工事等があれば、沿岸市町村の行政側に予算を獲得して頂き、施工をお願いする。最小費用ということで、利益に関わる地域の方々にも応分に現場で働いて頂くことと、その後の大事な、メンテナンス機能という視点から、はじめから参画を頂くことも
 アセス会社等からの、設計図があって、入札して、後はその図面通りに物を作るという方法からの脱却が必要です。また、ここで、土木工事ではなく、国に協力を依頼したいことは、水質保全等のために基礎調査研究・情報を整備する本来の役割です。

 これからの、国側の最大の仕事は2つ
一つは、利水・治水を通じての、霞ヶ浦及び周辺域での景観保全です。あるいはそれを目的とした自然再生事業です。実際の起案から、施工、そのメンテナンス業務まで、一切が地方分権にもとずいて地域で行われます。自然再生法施行のための予算を確保して欲しいと言うことです。

 次いでは、大事な治水です。何度も言いますように、温暖化の影響は、今後深刻です。まったく。これから自然災害として何が起こるか分かりません。治水対策はしっかりと固めていくべきと思います。これこそが、国の最大の義務であります。治水対策、そして水質の品質管理のための活動の支援です。 国土交通省さん、しっかりとよろしくお願いいたします。

霞ヶ浦ダムのもたらすもの。それは文化の喪失、生き物の死滅に

2005-05-28 19:02:12 | 水質浄化:茨城県霞ケ浦及び周辺域
 一昨日、霞ヶ浦の江戸崎地域に最後に残った雁、亜種オオヒシクイが北帰しました。霞ヶ浦のダム化がもたらす影響をもろにかぶった気の毒な、孤立群です。ここ10年、個体数が50羽前後をうろうろしています。新潟県では同じ種類の別の個体群が、朝日池で5,000羽以上以上になったのに、この群れはこのまま。国土交通省も躍起になって、個体数が増えるようにすでに調査費を2億円以上支出しながらです。
 最近分かったことは、春の水位高で、マコモや蓮、菱等も発芽出来ず、それらを米とセットで食べるオオヒシクイの餌が無くて、どうやら栄養失調のために、北帰が遅れ、さらに繁殖地を失って、子供が増えない悪循環のごときです。
 都会に近いところで、遊水池もなく、大雨が降れば上流域まで水位が上がってしまいます。山奥であれば、人間が居住していませんので実害がないでしょうが、それと同じ構図で本来の自然湖沼を、ダム化してしまうなど、誰の発案なのでしょうか。

牛ヶ渕濠の下流域、清水濠では

2005-05-27 22:11:48 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 2005/5/23、同じ日に下流域の清水濠では汚濁が止まりません。
こちらは、牛ヶ渕濠の水が自然に流れ込んでいます。湧水は大手町濠に名前が変わる箇所までないようです。
 昨秋から、こちらでは大きな台船を入れて、大規模に浚渫を行ってきた経過があります。
今が全て撤去されています。
 しかし、肝心の水質は、更に悪化して赤茶けたどろどろの状態と観察しました。
湖沼の水質浄化に、浚渫は逆効果という意見が多い中、実証実感でも行ったのでしょうか

 岸辺に、ピンク色のニセアカシャの樹の花が、きれいに咲いていました。

 

都内九段下牛ヶ渕濠の最近

2005-05-27 22:04:02 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 2005/5/23 久しぶりに牛ヶ渕堀を訪ねた。木陰から濠を見ると、快い柔らかい風が吹き抜けて、それは心地よい。水面師には水草がびっしりと生え、水面上には菱の葉が転々と。ヤンマがスイス一と飛び、カイツブリの雛を2羽目撃。今年もしっかりと繁殖中。
 元々荒れていた箇所を底まで水を切り、泥底を太陽にサラシ、外来種、特にソウギョを排除したことが良かったと思います。元々底から湧水があり、小さなマブナも復活し、あっという間に理想的な濠と相成りました。
 環境省の東京公園課の皆様に感謝しています。

農家の皆様のお友達

2005-05-27 07:32:33 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 2005年5月22日、田んぼの生き物調査では、ちば緑耕舎のメンバーの方々とじっくりと話し合いました。
 丁度、イベントで、都会からの交流メンバー20名ほどが、田植えの真っ最中でした。田んぼの半分は、並んで手植えで田植え。半分は大昔の初期の手押しの田植機が農家から持ち込まれて、都会からの親子が、文字通りへっぴり腰で操作。皆様心から大笑いしながらの楽しい田植えを見学させていただきました。
 印旛沼周辺での農業の変遷を、身をもって経験されてきた方々ばかりですが、大分親しくなってかなりあけすけな話しも聞けるようになってきました。
 田んぼを介した生き物の実際を、てぶりはぶりで話し合うときの楽しそうな顔つきが忘れられません。
 印旛沼の菱のはなし、タマシギの話し、ソウギョのものすごさ(最大の排除対象)、草を食べ尽くす事が分かってびっくりしている、でも捕獲出来ないという事実など。
 

田んぼの生き物調査 ツバメとサギ類と渡り鳥の相関

2005-05-27 07:17:33 | 冬期湛水不耕起栽培の現状とこれからの課題
 5月22日、里山シンポジウムも昨日終了し、ほっとしたところだが、千葉県印旛郡栄町の新海秀次さんの田んぼの鳥をみに、再度来てしまった。
 ふゆみずたんぼ(冬期湛水水田)2枚の内、1.9haの巨大な田んぼには、無数のツバメが舞っています。田んぼの生き物調査プロジェクトによる調査手法では、10分間のカウントで320回。ところが隣の小さなふゆみずたんぼには、たったの1回。さらに比較対象の減減の田んぼ、慣行農法の田んぼはゼロでした。また、調査ルートで500m幅で往復でカウントしましたが、ツバメはいずれもゼロでした。
 この極端な差とは、何が原因なのでしょうか。興味が尽きません。

 同様にして、サギ類で言えば、ツバメの多いこのふゆみずたんぼには、アオサギが最大3羽、ダイサギが1羽、コサギが1羽、ゴイサギが2羽、張り付いています。
 同じように、隣の小さなふゆみずたんぼ、減減、慣行水田にはゼロ、500m往復調査でもコサギ1羽程度です。周辺でもコサギは少し見られますが、他の3種類は観察されません。

 今後の基礎的なレベルからの再度の調査が求められています

我孫子市の新設公園、ゆうゆう公園を見学しました

2005-05-27 04:18:28 | 水質浄化:東京湾、船上からの報告
 我孫子市の利根川添いに、河川敷きを利用した巨大な公園が完成寸前です。その観察会が子の5月15日にあり、日本雁を保護する会として参加を要請されましたので、参加しました。
 我孫子市都市公園課、我孫子市鳥の博物館、我孫子市野鳥の会、市民等60名ほどが参加。
 利根川は、取手大橋を境に上流域と下流域に分かれます。この箇所は下流域の始まりの箇所となり、巨大な砂州が出来やすく、関東地方で最後のマガンの越冬地ででもありました。
 まさに、その箇所を我孫子市が国土交通省から管理を引き受け、構築したのがこの公園。全域40haの内で、20ha以上を自然のままに残していくことになったそうです。
 動物班と植物班に分かれました

千葉県で越冬した2羽のコウノトリのその後

2005-05-18 00:00:28 | 利根川下流域に水鳥の大規模越冬地形成
 千葉県下には、昨年末からこの春にかけて、2羽のコウノトリが
越冬をしました。
 2羽とも、12月初旬の季節はずれの台風に流されて日本に漂着した模様で
1羽は岩手県経由で我孫子市の北新田にて定着しました、丁度
21日に中央学院大学の真ん前の位置で、大学から飛翔が観察出来たそうです
3月24日頃渡去しましたが、広島を経由して、現在出雲で生活中。
 実は豊岡のコウノトリの里で
野生個体も同じようなルートで米子の水鳥公園で観察されて、
その直後に豊岡へ移動したとのことです。 我孫子の個体は結局豊岡へ
たどり着くのでは無いかと観測されています。
 これは餌の確保の問題があって、生活出来ないからでしょう。

 更に2羽目は、茂原市の周辺で、岡部弘泰さんの田んぼにしょっちゅう
採餌に来たとのことですが、現在福井からどこかへ移動しています

 さらにもう1羽、京都府で観察されている個体がおり、3羽とも国内に
滞在していると考えられています。

 コウノトリの落とされた羽のDNA鑑定の結果では、豊岡の飼育中の個体群とは
系統が異なることが分かっています。

 写真は、千葉県茂原市近郊で越冬したコウノトリ 渡邉英二さん撮影