2009-5-16
まず、改めて
1 千葉県下の里山の深刻な状況は、
(1) 都会地の過密の中の里山
(2) 過疎地の里山
と、2つの180度まったく異なる観点で考えるべきかと思います。
(1)は、多くの場合、宗教的な背景があって保全されてきた(鎮守の森)などあるいは、貝塚であったり、縄文遺跡であったり、弥生時代を背景にした里山であったりいずれも「食料、水、木材」というような「生態系サービス=命の恵み」にかかわっているとは
考えにくく、今回のテーマの主役ではあり得ないと思います。
2 なりわいで考えるモノ作りの場としての里山こそが
「里山シンポジウム実行委員会」の本筋としてのいくべき道と考えます。
3 里山と相対することの意味を考える。
(1) 里山の所有権は憲法で保障されています。個人経営者(主に農家)にある。
千葉県下の過疎地を中心に里山の89%は、個人の所有地。
千葉県では、所有権の問題から、ほとんどが行政が立ち入れない里山となっています
(2) 所有権の小口分散化によって、千葉県茂原市だけで5,000口を超えほとんど、税金が3,000円を下回って、徴収費用を考えて行政側が放置している。そのため 結果として税金逃れとなり、さらに相続逃れとなっているようです。したがってあまり相続が問題になったことがないとのうわさもあります
(3) なんと測量もほとんどされていない。そのためNPOや市民が、特定の農家の里山を手入れしている途中に、関係のない地権者の土地であったという笑えない事態がいくつも生じています。
すでに、多くの地権者が、自分の土地の所在がどこからどこまでかも、分かっていない事態になっているようです。
(4) 公共工事に引っかかることを夢見ています。
多くの地権者は、里山が公共工事に引っ掛かることを夢見ているとのことです。
東金市にある材木市場へはひっきりなしに切り出された山武杉が大型トレーラで搬入されてきます。
すべてが「産業廃棄物」として持ち込まれているようです。高速道路や山砂の採取に合わせて、山から切り出された木材とのことです。山武杉の廃棄先として持ち込まれているにすぎません. それ以外には、千葉の木材は市場性がほとんどありません。
4 里山は何よりも放置しておくことが最善の行動モデルに
里山からは、現在市場価値のある産物は全くと言ってよいほど、ありません。したがって投資する意味もなく、放置しておくことが最善となります
5 入会権の劣化
本来最も里山保全の中心たる水源涵養林が、収益性がなくなり
(1) 入会権が形骸化している。しかし慣行として権利としてしっかりと定着。まるで無視できない
(2) ゴルフ場、残土産廃、住宅地に用途変更されて、その水質悪化等の補償として支払われた多額の資金が「使途未定金」として、資金の性格上、埋蔵金として土地改良区等に滞留しています。その額は膨大となり、入会地が開発対象として、最近は採砂地として、残土捨て場、住宅地等に使われてしまう、大きな理由となっているようです。また、同時にそれが地域での権力の源泉として、保守的な風土が温存されてきた一つの理由となっているようです。
6 個人の所有権ががんになってきている。
入会権が問題である以上に、
(1) 里山条例でも課題は、市民が立ち入ってきれいにした里山を、感謝もせずに、当然のこととして市民が追い出される事態も連続しています。里山がきれいになると、そこで何か作りたいと考え、人の出入りを嫌い「里山ごっこ」を退きたくなる流れとなるようです。
(2) 市民が入って、里山の再生に力を発揮すると、時間経過とともに、その所有権関係を侵されるのではないかと不安を感じだして、追い出しにかかるのが通例の様です。
そのために市民を排除したいという願望が生み出されてきます
行政側も、地権者側のアドバイサーとして、結果としてそれを支援するような立場に立ってしまうこともあるようです。
里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
まず、改めて
1 千葉県下の里山の深刻な状況は、
(1) 都会地の過密の中の里山
(2) 過疎地の里山
と、2つの180度まったく異なる観点で考えるべきかと思います。
(1)は、多くの場合、宗教的な背景があって保全されてきた(鎮守の森)などあるいは、貝塚であったり、縄文遺跡であったり、弥生時代を背景にした里山であったりいずれも「食料、水、木材」というような「生態系サービス=命の恵み」にかかわっているとは
考えにくく、今回のテーマの主役ではあり得ないと思います。
2 なりわいで考えるモノ作りの場としての里山こそが
「里山シンポジウム実行委員会」の本筋としてのいくべき道と考えます。
3 里山と相対することの意味を考える。
(1) 里山の所有権は憲法で保障されています。個人経営者(主に農家)にある。
千葉県下の過疎地を中心に里山の89%は、個人の所有地。
千葉県では、所有権の問題から、ほとんどが行政が立ち入れない里山となっています
(2) 所有権の小口分散化によって、千葉県茂原市だけで5,000口を超えほとんど、税金が3,000円を下回って、徴収費用を考えて行政側が放置している。そのため 結果として税金逃れとなり、さらに相続逃れとなっているようです。したがってあまり相続が問題になったことがないとのうわさもあります
(3) なんと測量もほとんどされていない。そのためNPOや市民が、特定の農家の里山を手入れしている途中に、関係のない地権者の土地であったという笑えない事態がいくつも生じています。
すでに、多くの地権者が、自分の土地の所在がどこからどこまでかも、分かっていない事態になっているようです。
(4) 公共工事に引っかかることを夢見ています。
多くの地権者は、里山が公共工事に引っ掛かることを夢見ているとのことです。
東金市にある材木市場へはひっきりなしに切り出された山武杉が大型トレーラで搬入されてきます。
すべてが「産業廃棄物」として持ち込まれているようです。高速道路や山砂の採取に合わせて、山から切り出された木材とのことです。山武杉の廃棄先として持ち込まれているにすぎません. それ以外には、千葉の木材は市場性がほとんどありません。
4 里山は何よりも放置しておくことが最善の行動モデルに
里山からは、現在市場価値のある産物は全くと言ってよいほど、ありません。したがって投資する意味もなく、放置しておくことが最善となります
5 入会権の劣化
本来最も里山保全の中心たる水源涵養林が、収益性がなくなり
(1) 入会権が形骸化している。しかし慣行として権利としてしっかりと定着。まるで無視できない
(2) ゴルフ場、残土産廃、住宅地に用途変更されて、その水質悪化等の補償として支払われた多額の資金が「使途未定金」として、資金の性格上、埋蔵金として土地改良区等に滞留しています。その額は膨大となり、入会地が開発対象として、最近は採砂地として、残土捨て場、住宅地等に使われてしまう、大きな理由となっているようです。また、同時にそれが地域での権力の源泉として、保守的な風土が温存されてきた一つの理由となっているようです。
6 個人の所有権ががんになってきている。
入会権が問題である以上に、
(1) 里山条例でも課題は、市民が立ち入ってきれいにした里山を、感謝もせずに、当然のこととして市民が追い出される事態も連続しています。里山がきれいになると、そこで何か作りたいと考え、人の出入りを嫌い「里山ごっこ」を退きたくなる流れとなるようです。
(2) 市民が入って、里山の再生に力を発揮すると、時間経過とともに、その所有権関係を侵されるのではないかと不安を感じだして、追い出しにかかるのが通例の様です。
そのために市民を排除したいという願望が生み出されてきます
行政側も、地権者側のアドバイサーとして、結果としてそれを支援するような立場に立ってしまうこともあるようです。
里山シンポジウム実行委員会事務局長
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp
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