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東京都文京区・動坂下 ラーメン店の最新動向 TVの紹介で現場を

2015-04-08 03:58:08 | 東京の街角からモニタリングでわかること

 これをfacebookにまとめていて気が付いた。動坂から道潅山下(根津や根岸とは地下鉄で一駅違う)にかけラーメンのお店に関しては、最激戦区の場所であるらしいことだ。そして複数のラーメンチエーンもここが小さいながら本店となる。発祥の地だ。
「tetsu」のお店の反対側50mも離れていない個所には最近店を開いた「神名備」。やはりラーメン店で、本日の雨の降っている中、ともに列を作っている。「tetsu」が若い男性が圧倒的に多いと感じるとは異なり、こちらは若い女性が多いと感じた。
 もう一つ、「tetsu」が参入する前には動坂には「大島ラーメン」が頑張っていた。こちらは良く食べに張った記憶がある。マンション建設で、道潅山通りに移転していった。
 いま分かったことは、回転ずしなどと同様にして、若い経営者のアイデアで大当たりをすると、毎日毎日大きな利益が出て、それをどんどん拡大していける資本獲得に成功をする。それを元手に業容を急拡大できる市場が成立しているのだなと。
 同時に、かって一世を風靡した札幌ラーメン系のモヤシ味のラーメン店が、競争に負けてまさにひっそりと店を閉じざるを得ない。
 そういう私も、この閉じたお店の味にしがみついて、残った上野御徒町の本店に月に一度は食しに行っている。近所の同じ趣旨で顔を合わせていた方々と良く出くわす始末だ。
 この「道坂、道潅山下」は、老舗の店は少ないが、不忍通り添いに14階建てのマンション群が、道路の両側に壁の如く蝟集してしまった。ここには結構若いサラリ-マン家庭が増えたようで、その方々の憩いの場の一つがラーメン店舗なのかもしれない。戦争中に焼け残っとところの多い「千駄木・根岸」地区とは、そこが若干違うところかもしれないと思う。
 なお、近在の小学校は生徒の減少で廃坑の話題尾が出ていたが、最近は様変わりで廃校の話はとっくに消えたと聞いている。

 

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