福島県の浜通り、楢葉町にたまたま調査に行った折、小さな堤に600羽以上の白鳥群が越冬していました。聞くと1日、この堤にいて、1日2回の餌を待ってのんびりしていると聞きました。餌付けは町役場が、○○補修費(?)の名目で予算化し、選任の職員が米を主体に餌を撒いていました。見学者は殆ど来ません。実は、福島県だけで1万羽近い白鳥群が、60ヶ所ほどで越冬しています。福島県下では、餌や人件費で年間2億円を軽く超している模様ときいています。
白鳥が人間を利用しすぎて、白鳥固有の生き方を失った状態だと、はっと気が付きました。千葉県でも本埜村の白鳥群がよく似た状態だとも。この過重な餌付けによる、生き物の自立喪失は、戦後の日本の文化の反映ではないかとも考えています。私はこの状況を「楢葉の白鳥」現象と呼び、問題を指摘してきました。
まず、日本に渡来する白鳥群は極めて頭が良く、人間を徹底的に利用している生き物であると認識して下さい。ペットで言うと、猫では無く犬に近い。寿命は野生状態では平均10年程度、しかし餌付けされた個体群では18年~20年と言われています。餌付けされた白鳥群では、野生群と比較しても、繁殖率は異常に高く、千葉県本埜村の個体群も、いまやネズミ算的な増え方に入っていると見ています。
餌付けは日本では戦後、それも最近の風潮です。戦前は鴨場のごとく狩猟の目的のため等以外での餌付けはされていなかったと思います。
まず、餌付けされた白鳥の親は、シベリアに北帰、繁殖し、夏の終わり頃、ようやく飛べるようになった幼鳥を引き連れて、10月15日~20日頃、越冬地まで一気に南下飛来します。本来、白鳥は日本での越冬地での半年間、幼鳥に餌のある場所,餌の取り方,食べられるもの,駄目なもの,タヌキや鷲、犬等からの危険の避け方,仲間との付き合い方などを、付きっきりで教育します。また、親になれるまで3年間、家族群として毎年、親と行動を共にすると言われ、しっかりと親の行動を見て学習しているといわれています。また、半年後北帰するまでには幼鳥は越冬地を故郷としてしっかりと認知します。
ところが餌付けされた親は、生きる手段を人に託し、1日中越冬地に留まります。子どもに何も教えません。1日2回の餌を待って、寝たり起きたりの生活です。俗に言う3食昼寝付きの生活で、栄養満点、体力抜群。おいしいものしか食べなくなります。当然、そのような親の幼鳥は、餌の取り方も、餌場も、本来の危険さえも経験しないまま、4年目には親となって幼鳥を同行してきます。何も知らないままに親になった白鳥は、当然、親と同じで、人に命を託します。子ども達に何も教えられません。原体験がないからです。
問題はここです。人間を徹底的に利用しすぎて、白鳥の本来の生活者としての生き方を無くした、白鳥文化を台無しにしてしまった状態と言って良いと思います。人のペットの犬と同じくらいで、ライフサイクルが人の3倍早く、それ故に、私も親子3世代以上での観察で「楢葉の白鳥現象」に気が付きました。
日本の子ども達の実情を見ていると、餌付けされた白鳥群は、いまの学校の先生や、教わる生徒達と重なりませんか。日本の文化喪失の実態、生き方の原体験の不足、日本文化への関心の薄さなど、日本の今の社会現象の中に「楢葉の白鳥」現象が随所に見られます。問題の本質はここにあると思っています。
今年5月21日、我孫子市中央学園で開催予定の「第2回里山シンポジウム」の実行委員会では、私どもの情報の発信先たる中心を、「子ども達の親の世代へ向かって、絞り込んで行こう」ということになりました。サブテーマ「里山と子ども-親に継承える(つたえる)昔体験-」へとつながる話しだと考えています。
でも、この現象にも宮城県や山形県、新潟県では、すでに人との共生の定着のなか、人の都合で餌付け箇所が減り、自立化が進んで自然に解消されてきています。
自立喪失は白鳥にとっては、一時的な現象といっても良さそうだと分かってきました。正直、ホットしています。それは人の自立した生き方への、重大なヒントを与えてくれています。
白鳥が人間を利用しすぎて、白鳥固有の生き方を失った状態だと、はっと気が付きました。千葉県でも本埜村の白鳥群がよく似た状態だとも。この過重な餌付けによる、生き物の自立喪失は、戦後の日本の文化の反映ではないかとも考えています。私はこの状況を「楢葉の白鳥」現象と呼び、問題を指摘してきました。
まず、日本に渡来する白鳥群は極めて頭が良く、人間を徹底的に利用している生き物であると認識して下さい。ペットで言うと、猫では無く犬に近い。寿命は野生状態では平均10年程度、しかし餌付けされた個体群では18年~20年と言われています。餌付けされた白鳥群では、野生群と比較しても、繁殖率は異常に高く、千葉県本埜村の個体群も、いまやネズミ算的な増え方に入っていると見ています。
餌付けは日本では戦後、それも最近の風潮です。戦前は鴨場のごとく狩猟の目的のため等以外での餌付けはされていなかったと思います。
まず、餌付けされた白鳥の親は、シベリアに北帰、繁殖し、夏の終わり頃、ようやく飛べるようになった幼鳥を引き連れて、10月15日~20日頃、越冬地まで一気に南下飛来します。本来、白鳥は日本での越冬地での半年間、幼鳥に餌のある場所,餌の取り方,食べられるもの,駄目なもの,タヌキや鷲、犬等からの危険の避け方,仲間との付き合い方などを、付きっきりで教育します。また、親になれるまで3年間、家族群として毎年、親と行動を共にすると言われ、しっかりと親の行動を見て学習しているといわれています。また、半年後北帰するまでには幼鳥は越冬地を故郷としてしっかりと認知します。
ところが餌付けされた親は、生きる手段を人に託し、1日中越冬地に留まります。子どもに何も教えません。1日2回の餌を待って、寝たり起きたりの生活です。俗に言う3食昼寝付きの生活で、栄養満点、体力抜群。おいしいものしか食べなくなります。当然、そのような親の幼鳥は、餌の取り方も、餌場も、本来の危険さえも経験しないまま、4年目には親となって幼鳥を同行してきます。何も知らないままに親になった白鳥は、当然、親と同じで、人に命を託します。子ども達に何も教えられません。原体験がないからです。
問題はここです。人間を徹底的に利用しすぎて、白鳥の本来の生活者としての生き方を無くした、白鳥文化を台無しにしてしまった状態と言って良いと思います。人のペットの犬と同じくらいで、ライフサイクルが人の3倍早く、それ故に、私も親子3世代以上での観察で「楢葉の白鳥現象」に気が付きました。
日本の子ども達の実情を見ていると、餌付けされた白鳥群は、いまの学校の先生や、教わる生徒達と重なりませんか。日本の文化喪失の実態、生き方の原体験の不足、日本文化への関心の薄さなど、日本の今の社会現象の中に「楢葉の白鳥」現象が随所に見られます。問題の本質はここにあると思っています。
今年5月21日、我孫子市中央学園で開催予定の「第2回里山シンポジウム」の実行委員会では、私どもの情報の発信先たる中心を、「子ども達の親の世代へ向かって、絞り込んで行こう」ということになりました。サブテーマ「里山と子ども-親に継承える(つたえる)昔体験-」へとつながる話しだと考えています。
でも、この現象にも宮城県や山形県、新潟県では、すでに人との共生の定着のなか、人の都合で餌付け箇所が減り、自立化が進んで自然に解消されてきています。
自立喪失は白鳥にとっては、一時的な現象といっても良さそうだと分かってきました。正直、ホットしています。それは人の自立した生き方への、重大なヒントを与えてくれています。