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文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

千葉県の里山の再生を考えます(4) 少し辛口ですが、

2005-08-21 00:27:15 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1006] 2005年4月2日 16:04掲載済み
行政指導型でのイベントが、千葉県内の里山で企画されています。
たまたま、市民側でも、同じような企画が持ち上がっておりました。
 それが、バッテンコしていると分かり、議論の上で、市民側がおりてしまったという経過です。
 行政が考える企画とは、市民のアイデアを聞いて回って、それに色を付け、そして事前に地域の出先機関と、市町村側と企画をして話しがすすみ、肝心のイベント実行先はじめ、メンバーや、市民側はつんボ桟敷で、完全なお客様扱い。
 ただ参加すればよいというだけの話しとなって、まあ、知らぬうちに事が進み、員数合わせにつきあう事になってしまう事だそうです。

 市民参画型と異なり、市民間での横断的な知恵の出し合い、寄り合いの仕組みが出来にくく、さらに、行政指導型の典型例として、儀式化してしまい、面白くもおかしくもない世界が出現してしまいます。

 と、いうことで、市民の最近の行動パターンは、行政が出てきたら市民もNPOも、だまって引っ込む。 手を引いてだまって立ち去る。
 
 特に、最近は行政側に資金的な余裕がなく、その中で考えられた何かの目的を達成しようとして、市民側に無理を強いる。 そのパターンの繰り返しのごとくです。

 市民は冷静に、静かにして、何も参加しないで、経過を見守るだけでしょう。しかし、逆に落とし穴としてそこには、郷土愛とか、誇りとは無縁な、県側が金だけ出してくれれば良しとする、冷徹な考え方での精神構造が透けて見えます

 日本に渡来する白鳥が、餌付けによってどのような生き方に変貌するか 楢葉の白鳥現象とは、相手を徹底的に観察し、最後はとことん利用するその精神構造が浸みついてしまった、社会構造を指します。
利用しているつもりで、最後は自分自身を見失い、文化が崩壊する現象の事です。
 千葉県の里山で感じるのは、そういった精神的な部分でのゆるみというか文化の喪失感というか、
 かって、日本の地域社会を支えてきた最大の規範であったと思われる”ほったらかしにしては、ご先祖様に申し訳ない"という意識、またケニアの環境副大臣で、森林の再生に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞されたマータイさんが、日本の言葉に感激したという”もったいない”という言葉。
 で触発される、日本の庶民が日常的に使っていた言葉、生活の実感ある
内容が消滅してしまったのでしょうか
 何事も、これからは市民側が、自立して(餌付けを退け)、しっかりとしないと
結果、子供を失い、更に地域を喪失し、心を失い、更に景観を失い、収入を失う
事になりかねない、いままさに、その危ない分水嶺にあります。




日本の千葉県の里山の再生に思う(3)美しさは生活者の郷土愛による手入れ

2005-08-21 00:24:21 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1004] 2005年4月2日 13:25掲載済み
 日本の千葉県の里山の再生に思う(3)美しさは生活者の郷土愛による手入れが肝心、桜宮自然公園での里山の手入れ、そして景観美、
 昨日も、ノルウエーから、環境関係者2人が、千葉大で里山の問題を課題とされている教授が同行されて、所英亮さんと意見を交換されたそうです。
 いま、所英亮さんや仲間が、それこそ24時間365日の勤務?体制で、里山の自然再生に真摯に取り込まれています。
 先週の日曜日にも、仲間が20人も集まって、里山の手入れを行われました。
大工に方が手弁当で小屋を造り出してもいます。
 ますます、きれいに、四季の潤いを感じ、その場に立つだけで、人生の活きる意味を、楽しみを見いだせる場所となってきました。
 言葉はいりません。説明もいりません。日本人の故郷の原風景。母親の羊水の中のような静けさ
 里山は、生活者が、そこで活きるための資源を収穫するために徹底して利用され尽くした場所です
改めて、24時間365日、そこで人の営みがあって始めて、その景観が保たれる場所です。
 地域の人の里山への、価値観があってのことであり、郷土愛と地域の景観に対して誇りを持っていられるかが、里山が再生出来るかの、全てを物語っています。
 肝心なキーワードだと確信しています


千葉県の里山の再生に思う(2) 春爛漫の、誇るべき日本の美の原点

2005-08-21 00:21:42 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1003]2005年4月2日 13:00

3月30日、桜宮自然公園の所英亮さんから、久しぶりに電話を頂いた。明るいかんかんと響く声。正に元気な証し。今日、サシバが番で戻ってきて、上空狭しと飛び回っていたそうです。カワセミもいつの間にか姿を見せて
 山の手入れが進み、コナラの雑木林が復活し、また、炭焼き窯も準備が進んでいます。
 古木を切って、炭に焼いて、それでコナラの若返りが始まります。そうなれば数年で、日本の蝶でも、ダイアモンドと対比される貴重なミドリシジミ達も復活することでしょう。
また、今日は街灯が3カ所に設置され、まもなく始まる桜の並木の饗宴には、夜間のライトアップも企画するとのこと。いよいよここの真価が発揮されるでしょう。その時期に改めて、皆様と桜宮自然公園へ、行きませんか。
http://210.255.173.147/tml/sakuramiya/

  


千葉県の里山の再生に思う(2005/1)

2005-08-21 00:19:05 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1002] 2005年4月2日 12:58
先日、木更津から、成田周辺を経て、茨城県で常磐高速道路に接続される県央道の
高速道路の工事現場周辺で、つぶされた、あるいは間接的な影響を被って、用水路が3面切りされた箇所が至る所に出現し、一帯の生態的な危機になっています。
 そこの、3面切りされた箇所から、生存しているトウキョウサンショウオの救出作戦が昨年に次いで、2月、3月と2回行われました。
 救出出来る個体数は、せいぜい10匹。それらも産卵場所を喪失して早晩、その地域から絶滅は避けられない。と分かっていても、助け出さなければ気が済まない。
 参加者は、東京から、神奈川からで、地域からの参加者は、この2年間見あたらないそうです。
 てっきり、千葉県の農林水産課指導で行われていると考えていましたが、関与していないと分かりました。良く聞きますと、工事の条件として、市町村や国土交通省側へ、農家の方々から要望されて行われる工事とのことで、がっくりとしまって、何も言うことはありません。
    
 
 

日本の森林行政に関係して、なぜこうなるの?

2005-08-13 21:54:46 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satosympo] メーリング掲載 2004/1/29

里山の検証 日本の森林とおにぎりを比較すると、GDP(国内総生産)的な発想では植樹して、30年から40年を経過した山武杉の、1本あたりの単価が100円から150円にしかならないと証言を各地で効いて衝撃を受けています。
 それも木材市場まで運搬費を負担して、原物を展示しての価格と聞いて、開いた口がふさがらない状態です。
 150円で買えるものの代表格はおにぎりです。
おにぎりは、店頭販売の申し子であると同時に、代表的な高回転商品です。1日に最低1回転はします。もちろんそれ以上になれば、賞味期限切れと言うこともあります。 いま、アルバイトでも、おにぎりを1日に300ヶは握れます。
売価で言えば4万5千円。1ヶ月を20日としても90万円になります、年間で1,080万円。30年間として、32,400万円の売り上げ累積となります。
 これと、30年経過した山武杉が150円として、比較するとどうなるのでしょうか。216万の1、となります。気の遠くなりそうな格差です。本当とは思えません。
 30年から50年をかけて1回転という商品は、ほとんど例がありません。少なくとのパソコンの管理システムでは対象外でしょう。
 もっと端的に言えば、GDP(国内総生産)としての計算で、おにぎり産業は30年間
で、2億円以上の売上げを計上でき、国や県から見れば、お米を作る農家や、肥料会社、おにぎりを製造する会社、その社員、運送するトラック会社、コンビニエンス等から所得税、住民税、源泉所得税等、至る所から税金を徴収できる仕組みになります。
 同時にGDP数値を高め、かつ景気を持ち上げる上で、結果として多大な貢献をすることになります。
 他方、200万分の1の貢献と評価された森林には、国として見向きもしたくなるの
も、これだけ見ると理解できなくもありません。
 
 このレベルの木は、チップとしてしか利用されていません。従って日本の林業は、国際的な競争下では、この程度の価格でした市場が成立せず、山そのものが、価値を生み出せない不良債権のごとき状況に陥ることになったのでしょう。
 千葉県の山武杉は、品質的な問題を抱えているから安いのかといいますと、宮城県でもほぼ同じ価格帯です。 
 しかし、よく考えるととても変です。まず、家庭の専従の主婦が、夕食としておにぎりを握ると、国には税収が減ることになります。同時に大企業がおにぎり産業を運営すると、いろいろな会社を経由して、たくさんの所得に転換していき税収が増えますが、町の総菜屋さんが作ると貢献度が落ち、家庭の主婦が作ると最低になります。国の施策として、家庭でおにぎりを作られては困る、お総菜屋でも困る。出来たら1部上場の会社がおにぎり産業に参入することが最善と言うことになります。さらに市民が、労働力を森林に投入されては、GDP的には困るということになります。
 GDP信仰というのは、こういった側面がありそうです。山の湿地や里海の干潟などは、それ自体が売上げを上げることはありません。従って、統計上GDPには貢献しません。
 田んぼのただの虫などは無価値と言うことになります。それだけでなく、国が中小企業に冷たいと言われるのも、税収という仕組み上、GDP貢献度が低いからと言う方もいます
 
最近では農水省が研究者に、冬期湛水水田や不耕起栽培等の研究にも待ったをか
けているという根強い噂が流れています。肥料販売や農薬、空中散布、ほ場整備という国の事業展開に大きな影響を与えかねないという判断が生じているのでしょうか。
 それは、GDPに対極的な、生物生産指数(仮名)とも呼ぶべき現象のあることが、より明白になってきたからだと思います。
 
 
 

千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(5)

2005-08-13 18:37:13 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0230] メーリング掲載
これからの1次産業、特に農林水産業に関しての、問題の提起を行わせて頂きま
す。あと、何回か続きますが、それで種切れになりますので、ご安心下さい

 その後は、これからのロマンのある、事の両面で明るい面を強調して、気分も
変えたいと思います。


千葉の里山の現状で気が付いた、さらなる断面です。農家の皆様の沈黙が気になってきました
農家の皆様の現在の沈黙は、何が原因なのでしょうか
 冬期湛水水田の普及のために、関東(主に千葉県印旛郡周辺)をあちこちと歩き
回っています。でも、沈黙の壁の厚さにめげます。最近は、冬期湛水水田運動は、自立した自営農者さがしの感じがしてきたりします。
 その原因の最たるものとして考えられるひとつは、農家の実質的な小作農化が現在の事態を招いた原因のひとつと思えてなりません。
現在、千葉県下を歩いてみて、いろいろな話を聞いてみると、各種営農の失敗(そ
れこそ原因はありとあらゆることで)等によって、借金を負っている農家が実に多
く、また、最近では、ほ場整備にかかわる負担金の代金も支払えなくて、競売にかけられる事態もが、生じかけているそうです。
 もともと、日本の敗戦後、農地解放によって地主から土地を譲り受けた自営農家の皆様が、直ちに直面した現実が水争いでした。自営農業者同士の争いでは、血と血を争う事態になってしまうことが多発しました。
少なくとも戦前では、水争い等は地主間の争いとして調整が取れていました。その
ため、自営農家間では、深刻な水争い等での紛争を解決できないことから、その代わりの中立的な(擬似的な地主)調整期間として農協が、それも大きな動機で成立がすすみました。
 その役員として治まった多くが、戦前の地主方の師弟であったと考えられます。
しかし、この農協組織がいつの間にか巨大化、肥大化、多目的化、商社化、金融機
関化し、さらにはあたかも国の出先機関化してしまったと揶揄される事態を招いています。
 同時に、千葉県では農協が他の県より相対的に弱く、その分、県の行政機関が、
それこそ手取り足取り、農家の仕事に結果として介入する結果を招き、県そのものが一種の地主化しているけらいが感じられます
でも、農家自体は、自営農業として土地を所有して、農協や県が地主代行と考えれ
ば気楽なものでした。結果として形を変えた小作・地主の形態が継続し、現在に至っているとも考えられます。
 自営農家も、基本的に農協が行うことに対して、いつの間にか自分の経営という感覚が薄れ、本来の田んぼや農業経営に関心を払わなくても、農協がうまくやってくれるのだから、任せておけば良いということになってしまったのではないでしょうか。


千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(3)

2005-08-13 18:33:47 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0224]メーリング掲載 2004/5/17
これは本年2月の雁・鴨・白鳥の専門誌に掲載した内容を再編集しました
1 本年度の関東地方、特に成田市周辺の田圃の状況は空恐ろしくなってきていま
す。一面たんぼも山も灰色に染まっています。 栄町の新海さんの冬期湛水水田横の水路もからからでたくさん産卵されたはずの鮭の卵も底から砂ほこりが舞っています。新海さん自体、このように乾燥したのは初めてという状況です。
2 佐原市の藤崎さんの冬期湛水水田の周辺では、 
 田圃自体からは塩の塊が出現し、道路には流砂がよどみ、高速道路でも砂ぼこり
で煙のようにたなびいている状況です。とうとう行き着くところまで来てしまったように感じます。 でも、農家の方々からの反応がほとんどありません。
 少なくともほかの県(宮城県等ほか)では、この無反応ぶりは考えられない事態だと思います。 
3 千葉県の現状は、砂漠田んぼ地帯に、里山はあっちでもこっちでも産廃の山、
千葉市民等のための飲用水は、日本一汚濁のひどい印旛沼の水そのものです。
 世界の文明は、資源枯渇と水源喪失で、砂漠化と環境汚染が重複してだめにな
る、最後のとどめは農地に塩が噴き出し、みずが枯れて農地の放棄となって、ジ、エンドと、アーノルド・トインビー等が歴史の教科書上で述べています。
4 印旛郡本埜村周辺では、秋の刈り入れ直後に耕起してしまい、田んぼを乾燥化
させます。
 白鳥群への餌付けでも、本年は、朝の餌を止めて頂きましたが、12月中旬には、周辺にまったく餌のないことが分かりました。
 異常なほど鴨も少なく、かって利根川流域、印旛沼周辺合わせて150万羽はいたであろう鴨群も、全域で10万羽程度に減少しているのではと。個人的に試算しています。 その上で、砂漠地帯には、水鳥が生息できない理屈を、嫌でも突きつけられる感じです
5 いま、心配なのは、この地方へ渡来した雁、鴨達が、餌にありつけず、栄養失調のままで北帰しても、繁殖出来る体力がなく、寿命が尽きた鴨から姿を消していく状態に陥っているのではないかとの心配です。
 数年後には鴨の姿までもが消えるのではないかと恐れています。 印旛沼も水面上に鴨がいません、どこへいっても空っぽです。
6 その反面で、佐原市にある、岩澤さんが指導している藤崎さんの田んぼの稲を
改めてよく見てびっくりしました
 冬期湛水水田の稲は、根っこの部分が冬の盛りでも元気に生きています。
この根っこの部分は真っ白で、茎は柔らかくプリプリして、みずみずしいままです。この根っここそ、昔の田んぼには無尽蔵にあって、白鳥や雁や、鴨達の越冬期の最大の餌の一つなのだと、専門家のも聞きました。
7 かって、150万羽もの雁、白鳥、鴨達が、印旛沼の周辺で生きていけたのは、まさしくこの生きた根っこと、水が張られた田んぼがあって、無尽蔵に餌が食べられたからだと理解できます。
同時にハスと、マコモと、ヒシの身が周辺にほどよくあって、初めて雁・鴨・白鳥
は多様な餌によって、バランスの取れた栄養を採餌地で獲得できたのだと理解でき
ました。

千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(6)

2005-08-13 18:26:13 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0231] メーリング掲載 2004/5/19
千葉の里山の現実として、色々な方々とのくだけた話し合いの中で、
大変気になる会話がありました。
 都会人の描くイメージとしては、農家の広々とした庭前の、縁側でこっくりこっ
くりと昼寝をする、おばあちゃんの姿だと思います。
 話しを聞いて、現実の里山にある農村では犯罪多発による生活の安全性の低下
が心配になってきています
 それは、最近軒並み、空き巣に入られた、農機具を根こそぎ持って行かれた
収穫物を盗まれたという話しを頻繁に聞くようになったことです。 これは、農村自体での強固だと思われてきた共同体そのものの組織が崩れつつあることが大きな原因とも考えられます。
 各地で頻発する農産物泥棒では、地域内では盗んだ犯人の人物まで特定できても、警察は現行犯逮捕を原則としています。警察に犯人として名指しをした人の方が、逆に居直られて、俗に言う村八分にかけられる結果になってしまったという話を、あちこちで聞かされます。そのため、多くが泣き寝入りになっているという話しでした。
 それと、もう一つもっと困った話しとして
 千葉県での、畜産農家の営農の現実と、環境の汚染があります
里山にある、いわゆる畜産農家による牛や豚の多頭飼育(400頭単位)で発生する
膨大な畜産汚泥の問題が、現状、最悪の環境汚染と密かに呼ばれている状況です。
 でも、地域の農家の方々からは実態も、また特定の誰が問題を生じているかが分
かっていても、外部には誰も話をされません。その結果として、地域の実態が本当のことは誰も分かっていません。
 その間に、だれも事態を特定できない。制御できない、抑えられない事態の深刻化の現実があります。
 これは、千葉県等特定県の問題というより、日本全国で一斉に起こっている問題点でもあります。
 北海道の東端、根室の風蓮湖や函館近くの大沼、宮城県の伊豆沼、長沼等でも、昨年の夏、水質汚濁の象徴的なシンボルである?アオコが発生しかけているか発生してしまいました。
 特に宮城県の長沼は水質汚濁ワースト2にランクされてしまいました
(ワーストワンは、ご存じのごとく、千葉県の印旛沼です)。
 長沼でも風光明媚なすばらしいところですが、畜産農家等からの垂れ流しで
畜産汚泥の一部が河川に流出し、湖沼に流れ込んでいるとの話も聞いております。
 30年~40年前までは、1農家での家畜の飼養は、馬牛豚等を含め1桁以下であったと理解しています。
 現状は、畜産農家側が収益を確保するために、40頭が100頭になり、200頭になり、400頭になってしまった事にあります。その畜産農家の経営現場の実態があまりにひどくて、同時に畜産汚泥処理技術開発が遅れていて、かつ費用がかかり、それらへの対策の遅れ等からこの状況は、当分どうしょうもないと言うことが現実かと思います。


■(2)千葉県の里山の再生に思う春爛漫の、誇るべき日本の美の原点

2005-08-13 18:23:48 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1003] メーリング掲載 2005/5/2
 3月30日、桜宮自然公園の所英亮さんから、久しぶりに電話を頂いた。明るいかんかんと響く声。正に元気な証し。今日、サシバが番で戻ってきて、上空狭しと飛び回っていたそうです。カワセミもいつの間にか姿を見せて
 山の手入れが進み、コナラの雑木林が復活し、また、炭焼き窯も準備が進んでいます。
 古木を切って、炭に焼いて、それでコナラの若返りが始まります。そうなれば数年で、日本の蝶でも、ダイアモンドと対比される貴重なミドリシジミ達も復活することでしょう。
 また、今日は街灯が3カ所に設置され、まもなく始まる桜の並木の饗宴には、夜間のライトアップも企画するとのこと。いよいよここの真価が発揮されるでしょう。その時期に改めて、皆様と桜宮自然公園へ、行きませんか。



千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(1)

2005-08-13 18:20:19 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0222] メーリング掲載 2004/5/18
以下は、荒尾が自分で観察し、農業問題への切り口として、かつ問題意識として抱
えていることの原点を若干申し述べます。
 それは、人間にちかい、生態系のトップに位置する複数の渡り鳥たちの、日本に渡来するグループの一部に生じている、特有な問題を解析しての感想です。
 まず、鳥も犬も猫も、種類別に最も有利な生き方を選択する手段として、人間を徹底的に利用するグループがあります
 ペットとしての犬が代表例です。最も種として成功している種類です。中には排他的な種類としてオオカミがいます。どこでも絶滅か、その恐れがある種として知られています。
  雁・鴨・白鳥をグループ別の観察調査していく上で、37年前に(オリンピック以前の、未だまともな時代の日本)に、東北や北海道で、野生(文字通り)の雁や白鳥のグループを観察したときの感覚があります。
 還暦を迎え、もう一度、好きなことをと思って舞い戻った、同じ雁・鴨・白鳥のグループでの観察で、白鳥群があまりに生活スタイルが変化してしまっていて、戸惑っています。
 一部の白鳥類の個体群が、徹底的に人間を利用しはじめ、その行き過ぎから、餌の取り方を知らない白鳥群が生じてしまっています。まさに人間に生命や安全までを依存し、ペット化としか言いようがない状況が生じています。
 同時に、「里山に託す私たちの未来」を考えるときに、白鳥類や犬は、ドックイ
ヤーと呼ばれるように、3~4年で親になります。世代交代が著しく早いことが背景にあって、よりはっきりと、日本文化での背景を見せてくれるのかもしれないと思ったりしています。
『地球を旅して生活する鳥』白鳥や雁類は、日本に渡来するグループは日本の生活
文化になじみ、他の国とは異なる生活スタイルを獲得すると思います。
 人間と同じ生活者として認識すると、日本の文化的な環境とは無縁ではないと感じています。そこで逆に、日本の現在の社会病理(?)現象を理解する客観的なヒントを与えてくれる存在かもしれません。
 また、生態系の頂点にあって、地域の実際の状況をはっきりと教えてくれる存在でもありと思っています。
 日本文化のひとつの切り口として、以下の現象を「楢葉のハクチョウ現象」または「楢葉現象」という言葉で、紹介させてください。
 まさに、福島県楢葉町で生じたことと同じ事が、千葉県印旛郡本埜村の白鳥群でも生じかけていることがありまして、深く強く関心を持っております。
 本埜村でが反面教師とし、そうならないよう、冬の餌の与え方を改善されたり、
努力を払われています。
福島県双葉郡楢葉町では、1日じっとしていて、餌をとりに行かない白鳥が何百羽
も発生しています。実はもっと深刻で餌のとり方を知らない白鳥類が、多数発生してしまったのです。
福島県には、現在年間9,000羽以上の白鳥類の渡来があります。 楢葉町にも、町の中心地にある農業用の溜池「大堤」に600~700羽以上が毎年渡来して越冬しています。 いまから15年程前に少数が渡来し、餌つけされて越冬。幼鳥も、死亡率も低くお米をたらふく食べて栄養満点で北帰します。数年後親になっても、体力抜群で、繁殖成功率も高く、繁殖に成功すると必ず雛を越冬した場所に同行してきます。その孫がまた3~4年で親になりますから、ねずみ算で、あっという間に600羽を越してしまった分けです。
 問題は、日本に渡来する白鳥類は、私が37年前、(財)日本鳥類保護連盟の専門委員として、福島県や北海道で白鳥群を調査した折りは、500m以内には寄せてもらえませんでした。 人を見れば逃げ出したのに、今は、人は餌をくれるということをしっかりと学習し、人を見れば寄ってくるように変わってしまいました。
 もともと、白鳥類はシベリアで、短い夏の期間に成長し、飛べるようになった直後に日本へ渡ってきます。したがって餌のとり方、危険への対処の仕方、仲間同士の付き合い方等、白鳥が生存していくためのノウハウ、或いは文化が存在し、幼鳥は日本に渡ってきてから冬の半年間、親がつきっきりで教育するものなのです。
 さらに2~3年間、亜成鳥として、親の直ぐ近くで、家族群として生活をし社会勉強をしっかり経験し、危険に対する対処等を学習して親になります
 しかし、この楢葉のハクチョウは、自分の安全も,餌の取り方も、何もかも人に任せて、朝10時と4時の餌を待ちかねているだけの生活に堕していますから、親から餌の取り方、危険への対処の仕方を学ぶことのできない世代が誕生してしまいました。
 今の世代は、親自体が餌のとり方を含め、白鳥が本来固有に持つ文化を教わっていないのですから、世代間での継承がされず、すでに文化を喪失している分けです。全くの野生個体とは、生活スタイルが当然異なります。
 楢葉の白鳥群は、人間が餌をくれるのはあたりまえということで、安全と生命を人間にまったく託してしまったように観察されます。
 同じパターンで、『日光いろは坂の野生サル』がいます。餌を求めて平気で人を襲い、売店を襲撃します。これは楢葉のハクチョウと同じで、親から、餌は人間がくれるもの、餌をくれるのは人間の義務だと教えられています。当然、餌をくれない人間には怒って襲うことが当たり前となります。餌の取り方を学べなかった世代が引き起こしている喜悲劇と言えます。
 これは、日本の野生動物の生き方の問題であると同時に、国からの公共事業主体
の、地方行政での、なんとなく日本各地の現在の社会構造を連想してしまいます。
 日本に渡ってくる渡り鳥を観察していると、現在の日本が直面している生活文化的な背景を、良くも悪くも、日本人と共通に染まってしまっているのかなと感じたりします。
 ある面で、日本の銀行や商社、そこに勤めるサラリーマン、特に学校の先生方や
農家の方々を見てみると、楢葉のハクチョウ現象のもつ背景、日本の本来の文化を
喪失した親と、その子ども達の姿がかいま見えてきたりします。
 千葉県で言えば、一次産業、特に農林水産業が、現在陥っている穴ぼこの、その一部分は、まさに「楢葉現象」の背景で、薄ぼんやりとでも、理解できるのではないかと考えたりしています。
 

日本中の、千葉の里山を再生させるために考える■(6)

2005-08-13 18:15:29 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:1008] メーリング 2005/4/2掲載
いま、日本の国土の67%を占める、森林をこれからどの様に管理していったらよいのか、大変な問題です。さらに、田んぼを含む農業全体が、国際化の中で呻吟しています。
 決定的に、森林はまず投資不足です。
それ以上に、国民の価値観が減摩して、現場認識がまるで出来ていない。
 敢えて暴論として言えば、産業界が、輸出をし、外貨を蓄えることが、社会貢献のトップであると確信し、日本の自然環境をバーゲンしていることに問題があると考えています。
 自動車産業のトップが世界一を目指す行為の陰で、国内の森林が(敢えての農業全般がとは言いません)国民の最も大事な資源が、管理されないまま放置されている現状を考慮すべきです。
 森林は生き物です。最低50年、人の一生と同じ、ワン・サイクルが完結しません。まだ戦後の植林の結果が完全には出ていません。
 これから全国民に、国土の67%が、不良債権化し、その重荷が背負っていけるのかが、問われる時代に至っていると思います。
再度、繰り返しますが、
 いままで、江戸時代は日本は240年間にわたる完全リサイクル社会を構築出来た、唯一の国であります。それは、国民の90%以上が農民であり、それぞれの場に於いて、生活者として24時間張り付いて、かつ集団で、年間を通じて、里山環境との接点を、じっと観察しながら、年間での自然のリズムを大事にしながら、そこからの産物を徹底的に手入れを行って、多様な手入れ方法や肥料の投入など、人による里山の環境への支援を通じて、多様な収穫を得て生活を成立させてきたわけです。この実態は、江戸末期、東京湾に来訪してペルー始め欧米人が、日本の里山の景観を見て、箱庭のように、これほどのすばらしい景観を見たことがないと、絶賛の的となりました。
 いま、日本の、千葉県での里山は、言ってみれば生活者がいなくなり、荒れ放題の様相を呈しだしています。
森のスギの木など木材価格の大暴落によって所得が大幅に低落(10年間で1/10に)
森林経営では、収入が殆どゼロにまで落ちこんでいます
 所得が得られなくなれば、森林経営そのものが、成り立たない大赤字に。
さらに田んぼや谷津田での米つくりも、先行きがはっきりしません。田んぼでも、労力に見合う収入が得られない。他方でほ場整備での負担金、水道料はまったなしで支払わなければならない。
 今の、若い方々の米離れも深刻影響をもたらすことでしょう。
 現実には、これからさらに年間50万人ずつ、人口が減っていくわけですから、中山間地と呼ばれるところは、正に猪と、鹿と猿、そしてあらゆる外来種に脅かされて、ますます生活出来ない場所となってしまっています。
 山が単純林となって、餌がない状態から、秋の収穫物を狙う獣達に破れて、生活者が里山での生活の場所を引き渡すような事が日常化していきそうです。
そうなると、まさに”もののけ姫”の世界です。
 実際、千葉県の里山では、多くの場所で、現実になってきてしまっていると思っています。
 しんとして、人にであうことのできない場所がどんどん増えています。里山から人がどんどん抜け落ちて、生活の糧を得られる場所ではない。地域の人も、殆どサラリーマンとして都市で働いていますから、昼間山には入る人がいない。
 その点で、多古町の桜宮自然公園は目立つわけですが、ここでも、生活を支える手段としての里山や谷津田ではなく、地域の景観を保ち、自然環境を保全する、何よりも残土・産廃の捨て場になることは耐え難いという、地域の方々の総和で成立している分けです 
 茨城県の霞ヶ浦もダム化によって、景観も悪くなり、水質汚濁もあってひどい状態ですが、周辺域の中で、1ヶ所だけ、すばらしく美しい箇所がありました。
 それは土浦の右横で、蓮田が現役で活発に作られている箇所です。勿論蓮田の中では、強烈な農薬や蓮田を覆う網による渡り鳥の横死などの問題を内蔵していますが、景観的には、生活者が手入れしてますので、一言で見事な景観を構成してくれています。
 

千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(8)

2005-08-13 18:12:24 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0233] メーリング掲載 2004/5/19 
 里山の実態を知れば知るほど、容易ならざる事態だと考え込む毎日です。
 これからは、日本では少子化の影響が顕著に出だして、毎年50万人づつ人口が
減少していきます。
その50万人分が、日本のどの地域から人口減少が生じていくかを考えれば、それは中山間から欠け落ちていくだろうとは、誰でも推測がつきます。年間50万人が、どの県の、どの部分から欠落していくか、深刻な現実です
現在、東京の郊外でも、すこし不便な所は人口減に見舞われだしています。
 文京区でも道路沿いに高層マンションが林立し、その価格の安いこと(相対的に)と、建築されるマンションの個数のすごさに圧倒されます。
 私の住んでいるマンションの近辺500M内だけで、平均13階建てが6棟も工事の真っ最中です。
 すべて、東京郊外からの引き上げ組か、地方の会社での出張所的な利用方法が
圧倒的だそうです。東京郊外ですら、この状態です。
 里山とはいってみれば千葉全域が里山(都市と対応した)と考えて見ることだと
思います。 その生活空間をいかに再生するかが、これからの課題です
  改めて考えてみて、里山条例とは、里山を里山林とか里地とかに限定することをやめることからスタートし、また、npoやボランティアが活動上必要なの費用と場所等の相当部分を県が条例に基づいて、随時負担してくれる事を約束し、
県への提言を期待し、行政はその実現を果たせるようにように機能することを
約束しているのだと、いま、確信していますます。
 仮に、そこまでは考えていなかった……
としても、これからは、そのように考えていく、という事を改めて
 今までにない行政側からのアプローチとして、市民側からも高く評価され、
いま多様なNPOや個人ボランティア等が、それぞれの課題に向かって、前向きに検討しだしているところだと理解してます。
 これからの、基本は行政への提案です
 市民が、現存する行政側の項目別予算の枠内に、いままでの政治家、市町村、業者とともに第4の圧力団体としても行政に介入し、執行予算の方向性に直接参画していこうとの方向性が、現実味を帯びてきています
 ある面では時代背景が変わって、行政がそれを真に期待しだしているとも言えま
す。その前提で、開示情報、現地見学を繰り返す中で、実態掌握では、市民側も
予想できなかったような、真っ黒か灰色の部分が随所に出だしてきたとしても、
たじろがないで、進んでいけないものかと考えています

千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(10)問題の本質はどこに

2005-08-13 18:09:03 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
                   2004/5/26 atochibaメーリング掲載
更に千葉県全域で加速度的に広がっている残土、産廃の問題があります。先日の新聞で、日本の残土・産廃の不法投棄場所として、その社会背景を検証します。
千葉県が、全体の3割を上まわって、4割近い数字になっていると言うことで衝撃が走りました。
 大規模でむちゃくちゃな産廃放棄の話しもあります。この4割近い数字とは、それらを指していると思います。
里山での問題としては、それ以上に、それに負けない大きな問題として里山の農村
で、静かに深く進行している残土・産廃を取り上げます
 現在、千葉の里山での残土・産廃の事例で言えば、東京のマンションブームでは、工場跡地等でも土地取引の対象となります。その中で、元工場跡地等で、たとえば六価クロム入りの汚染等が生じていた場合等には、法律の改正により売り主が、それを排除する義務が生じてきます。
そのために、業者はまず千葉県内で優良農地(特に畑)を、対象にして10m以上も掘
り下げて、砂地のよい土を抜き取ります。次いで、そこに工場跡地の汚染された残土や、それだけでなく工場内の廃棄物や産廃を一緒に投入し、最後にあらかじめ現地に残しておいた表土を1m以上、上に重ねてしまいます。
 抜き取られたよい土は、工場跡地全面にかぶせられ、マンション業者が、その土
地を買いとって工事にはいるという算段になります。
 農家ではよい土を売ることで1,生め戻すことで2、多額の現金収入とその畑や
田んぼで従来通りの営農が出来るという算段です。 さらに、その土地が住宅地等として転売できれば、一つの土地で3度おいしい、"グリコのキャラメル"状態となります。
 このような土地は、その後どの様な影響を地域にもたらすのでしょうか。
まず、地下水脈を分断してしまうことで、下流域に影響が出ます。さらに残土・産廃の中に含まれている危険な汚染物質が下流域に流出し出します。
 当然、日常に利用する井戸水や農業用水を恒常的に汚染していきます。
 最近の例としては、茨城県神栖村でのヒ素集団中毒は、どこかの工場の産廃を畑に埋め戻した、まさにその後の調査で、このようなケースで生じています。
 今、土地取引には、土壌汚染の有無が重大な要素です。汚染されたままでは取引されません。その付けを一心に受け入れているのが千葉県下の里山と谷津田であります。

千葉の里山、特に稲作・田圃を再生するために考えること(7)

2005-08-13 18:03:02 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
里山を取り巻く、諸問題の中で (2004/5/19 satochibaメーリング0232に掲載)

 湿田から乾田化への施策が、最近30年来の農法の基本と聞いています
一つの見方として、最近のはやり言葉をひっくり返して考えてみます
 以下
 生物多様性  → 生物単様性
 環境に配慮  → 環境には配慮しない
 多様な農法  → 単一な農法
 湿田化    →  乾田化
 有機農法   → 無機農法
乾田化による狙いの中に、日本に於いて、戦前数百もあった農法を乾田化という、ひとつの農法に単一化しようとする目標設定自体があったのではないでしょうか。個人的にはそのように感じられて仕方がないのですが。
 
本論です
 千葉の印旛沼周辺の田んぼでは、異常なほどの乾燥化が進んでいます。
新海さんの田んぼでも、鮭が遡上して卵を産み付けた土濠の用水路も、今年はからからに乾いて、周辺では風にあおられて、田んぼの土のほこりがすさまじい状態です。もちろん、鮭の卵は全滅でしょう。新海さんもこのようにひどい乾燥は初めてと言っています。道路まで流砂が覆っています。 
 もうひとつは、印旛沼の沼の縁につながる巨大な田んぼ地域でも2毛作を狙って、乾田化されたそうです。が、結果として麦は収穫が遅くなりすぎて稲の収量が落ちる問題、大豆もうまくいかなくて、結果として1年のうちの8ヶ月は乾燥状態のまま放置されています。2毛作の狙いははずれてしまったのです。千葉県下では、田んぼでの2毛作はすでにほとんど行われない状態になってきているそうです。同時に専門家はこれらを含めて、1年間のほとんどの期間、田んぼに水がないために、いよいよ地下の保水能力にも問題が生じだしていると指摘しています。

冬期湛水水田で見えてきた、問題の本質はどこに 
生き物の生命力を最大限活かしてあげる農法の確立こそ、これから議論を重ねなけ
ればならない問題の本質だと考えています。
 霞ヶ浦でのコイの大量死でのコイヘルペス騒ぎ、現在世界中、特に日本でも各地
で、鳥インフルエンザの広がりが実感され、それへの怖さを体験しています。
 その過程でよりはっきりしてきたことは、ウイルスの伝搬や未知の環境下での、大量、高密度、高濃度救餌、短時間育成等、生き物としての生きる権利を侵され、主体性を奪われた生き物達の、あっという間の大量死の事例ばかりが目立ちだしています。
 大量飼育下での生き物のもろさが、表面化してきたのではとの一面が感じられ、同時に、これは、畜産だけでなく農業全域でも変わらない問題なのではと思えてなりません。
 生物多様性の本質は、同一種間でも、多様な命をつなぐ上で、異なる遺伝子を
もった幅広いDNAの多様性を自然界は必ず準備しているという事です。そのためには多様な環境を与え、生き残れるチャンスを自立的に発揮できることが必要だと考えています。
 生きものが本来の主体性を発揮してこそが、良い製品に育っていく。そのためには絶えず環境を最適にコントロールする仕事、これからの最大のテーマではないでしょうか
 そこには、生き物の命と、生活権を尊重してあげる姿勢が重要です。生き物との共生とは、そのスタンスが無ければ成立しません。
 今までの農法も、畜産も科学技術と言っても、無機の、化学技術に依存していました。化学肥料も農薬も、人間が試験管の中で作り上げ、製造した物ですから、はじめから終わりまで人間が管理しなければなりませんでした。
 それに変わる有機の世界こそが、これからの本来の科学技術だと思います。基本的に生き物によって生き物を管理する技術です。
 問題の本質は、人間がどこまで生き物
の管理に介入できるかの部分です。変動条件がたくさんありすぎて、現在のコン
ピュータでは管理しきれない部分がたくさんあることが分かってきています。
 その分かっていない部分への接近こそが、われわれのテーマでもあります。
まさに、無農薬を貫く決意を持った方でも、除草に問題を抱え、除草剤を今日振る
か、明日振るか、思い悩む世界かと思います。
 冬期潅水不耕起栽培では、生き物の生命力を最大限引き出すことによって、冷害にも強い稲が作り出されているのではと、最近考えられて来ています。
 その一例として、稲が穂を出す肝心なタイミングを、自分の命をつなぐ、最良の時に一斉に開花して、受粉に成功する仕組みがありそうだと言うことを、不耕起栽培の権威者岩澤さんが言っています。そうだとしたら大きなポイントではないでしょうか。
 冬期湛水水田で生物濾過された、温かい水をも求めて、鮭がやみくもに田んぼの用水まで入り組んできたことも、産卵できる箇所を求めて、水の道を臭い等でたどって来たとすれば理解できます。


千葉市の台地は、天国のような風景と煉獄の様な現実と

2005-08-12 23:55:50 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
千葉市へ移動の途中、八街市でも車窓からはすばらしい田園風景が連続していました。こぎれいな住宅地と、良く耕された遠くまで遙かに広がった、膨大に広い畑地、トラクタ。その間を区切る様に連続した林の黒いシルエット。でもこれを世界に誇るべき田園生活が出来る場、として評価すべきなのか、雑然とし、混沌の世界と見なすかは紙一重の感じです。
 車内でも議論となって、現実は煉獄に近いのではないかとの意見も出ました。
 畑は春に時期砂埃の名所であり、畑は農薬にまみれ、谷津田は放置され、かっての原野に舞い戻り、林は、悪名高い山武杉林で、溝腐れ病に侵され、手入れされずに放置された杉が、ぽきぽきと折れ曲がったままの、林内には篠竹がびっしりで踏み込めない状態の箇所。そして、あちこちに残土・産廃の痕跡も。
 そう言えば、今回の八街市のシンポジウム開催は、にんじんなどを出荷するために野菜を水洗いした、その水が農薬に汚染されていることが問題なのだという意見から、スタートした経過もあります