里山を取り巻く、諸問題の中で (2004/5/19 satochibaメーリング0232に掲載)
湿田から乾田化への施策が、最近30年来の農法の基本と聞いています
一つの見方として、最近のはやり言葉をひっくり返して考えてみます
以下
生物多様性 → 生物単様性
環境に配慮 → 環境には配慮しない
多様な農法 → 単一な農法
湿田化 → 乾田化
有機農法 → 無機農法
乾田化による狙いの中に、日本に於いて、戦前数百もあった農法を乾田化という、ひとつの農法に単一化しようとする目標設定自体があったのではないでしょうか。個人的にはそのように感じられて仕方がないのですが。
本論です
千葉の印旛沼周辺の田んぼでは、異常なほどの乾燥化が進んでいます。
新海さんの田んぼでも、鮭が遡上して卵を産み付けた土濠の用水路も、今年はからからに乾いて、周辺では風にあおられて、田んぼの土のほこりがすさまじい状態です。もちろん、鮭の卵は全滅でしょう。新海さんもこのようにひどい乾燥は初めてと言っています。道路まで流砂が覆っています。
もうひとつは、印旛沼の沼の縁につながる巨大な田んぼ地域でも2毛作を狙って、乾田化されたそうです。が、結果として麦は収穫が遅くなりすぎて稲の収量が落ちる問題、大豆もうまくいかなくて、結果として1年のうちの8ヶ月は乾燥状態のまま放置されています。2毛作の狙いははずれてしまったのです。千葉県下では、田んぼでの2毛作はすでにほとんど行われない状態になってきているそうです。同時に専門家はこれらを含めて、1年間のほとんどの期間、田んぼに水がないために、いよいよ地下の保水能力にも問題が生じだしていると指摘しています。
冬期湛水水田で見えてきた、問題の本質はどこに
生き物の生命力を最大限活かしてあげる農法の確立こそ、これから議論を重ねなけ
ればならない問題の本質だと考えています。
霞ヶ浦でのコイの大量死でのコイヘルペス騒ぎ、現在世界中、特に日本でも各地
で、鳥インフルエンザの広がりが実感され、それへの怖さを体験しています。
その過程でよりはっきりしてきたことは、ウイルスの伝搬や未知の環境下での、大量、高密度、高濃度救餌、短時間育成等、生き物としての生きる権利を侵され、主体性を奪われた生き物達の、あっという間の大量死の事例ばかりが目立ちだしています。
大量飼育下での生き物のもろさが、表面化してきたのではとの一面が感じられ、同時に、これは、畜産だけでなく農業全域でも変わらない問題なのではと思えてなりません。
生物多様性の本質は、同一種間でも、多様な命をつなぐ上で、異なる遺伝子を
もった幅広いDNAの多様性を自然界は必ず準備しているという事です。そのためには多様な環境を与え、生き残れるチャンスを自立的に発揮できることが必要だと考えています。
生きものが本来の主体性を発揮してこそが、良い製品に育っていく。そのためには絶えず環境を最適にコントロールする仕事、これからの最大のテーマではないでしょうか
そこには、生き物の命と、生活権を尊重してあげる姿勢が重要です。生き物との共生とは、そのスタンスが無ければ成立しません。
今までの農法も、畜産も科学技術と言っても、無機の、化学技術に依存していました。化学肥料も農薬も、人間が試験管の中で作り上げ、製造した物ですから、はじめから終わりまで人間が管理しなければなりませんでした。
それに変わる有機の世界こそが、これからの本来の科学技術だと思います。基本的に生き物によって生き物を管理する技術です。
問題の本質は、人間がどこまで生き物
の管理に介入できるかの部分です。変動条件がたくさんありすぎて、現在のコン
ピュータでは管理しきれない部分がたくさんあることが分かってきています。
その分かっていない部分への接近こそが、われわれのテーマでもあります。
まさに、無農薬を貫く決意を持った方でも、除草に問題を抱え、除草剤を今日振る
か、明日振るか、思い悩む世界かと思います。
冬期潅水不耕起栽培では、生き物の生命力を最大限引き出すことによって、冷害にも強い稲が作り出されているのではと、最近考えられて来ています。
その一例として、稲が穂を出す肝心なタイミングを、自分の命をつなぐ、最良の時に一斉に開花して、受粉に成功する仕組みがありそうだと言うことを、不耕起栽培の権威者岩澤さんが言っています。そうだとしたら大きなポイントではないでしょうか。
冬期湛水水田で生物濾過された、温かい水をも求めて、鮭がやみくもに田んぼの用水まで入り組んできたことも、産卵できる箇所を求めて、水の道を臭い等でたどって来たとすれば理解できます。
湿田から乾田化への施策が、最近30年来の農法の基本と聞いています
一つの見方として、最近のはやり言葉をひっくり返して考えてみます
以下
生物多様性 → 生物単様性
環境に配慮 → 環境には配慮しない
多様な農法 → 単一な農法
湿田化 → 乾田化
有機農法 → 無機農法
乾田化による狙いの中に、日本に於いて、戦前数百もあった農法を乾田化という、ひとつの農法に単一化しようとする目標設定自体があったのではないでしょうか。個人的にはそのように感じられて仕方がないのですが。
本論です
千葉の印旛沼周辺の田んぼでは、異常なほどの乾燥化が進んでいます。
新海さんの田んぼでも、鮭が遡上して卵を産み付けた土濠の用水路も、今年はからからに乾いて、周辺では風にあおられて、田んぼの土のほこりがすさまじい状態です。もちろん、鮭の卵は全滅でしょう。新海さんもこのようにひどい乾燥は初めてと言っています。道路まで流砂が覆っています。
もうひとつは、印旛沼の沼の縁につながる巨大な田んぼ地域でも2毛作を狙って、乾田化されたそうです。が、結果として麦は収穫が遅くなりすぎて稲の収量が落ちる問題、大豆もうまくいかなくて、結果として1年のうちの8ヶ月は乾燥状態のまま放置されています。2毛作の狙いははずれてしまったのです。千葉県下では、田んぼでの2毛作はすでにほとんど行われない状態になってきているそうです。同時に専門家はこれらを含めて、1年間のほとんどの期間、田んぼに水がないために、いよいよ地下の保水能力にも問題が生じだしていると指摘しています。
冬期湛水水田で見えてきた、問題の本質はどこに
生き物の生命力を最大限活かしてあげる農法の確立こそ、これから議論を重ねなけ
ればならない問題の本質だと考えています。
霞ヶ浦でのコイの大量死でのコイヘルペス騒ぎ、現在世界中、特に日本でも各地
で、鳥インフルエンザの広がりが実感され、それへの怖さを体験しています。
その過程でよりはっきりしてきたことは、ウイルスの伝搬や未知の環境下での、大量、高密度、高濃度救餌、短時間育成等、生き物としての生きる権利を侵され、主体性を奪われた生き物達の、あっという間の大量死の事例ばかりが目立ちだしています。
大量飼育下での生き物のもろさが、表面化してきたのではとの一面が感じられ、同時に、これは、畜産だけでなく農業全域でも変わらない問題なのではと思えてなりません。
生物多様性の本質は、同一種間でも、多様な命をつなぐ上で、異なる遺伝子を
もった幅広いDNAの多様性を自然界は必ず準備しているという事です。そのためには多様な環境を与え、生き残れるチャンスを自立的に発揮できることが必要だと考えています。
生きものが本来の主体性を発揮してこそが、良い製品に育っていく。そのためには絶えず環境を最適にコントロールする仕事、これからの最大のテーマではないでしょうか
そこには、生き物の命と、生活権を尊重してあげる姿勢が重要です。生き物との共生とは、そのスタンスが無ければ成立しません。
今までの農法も、畜産も科学技術と言っても、無機の、化学技術に依存していました。化学肥料も農薬も、人間が試験管の中で作り上げ、製造した物ですから、はじめから終わりまで人間が管理しなければなりませんでした。
それに変わる有機の世界こそが、これからの本来の科学技術だと思います。基本的に生き物によって生き物を管理する技術です。
問題の本質は、人間がどこまで生き物
の管理に介入できるかの部分です。変動条件がたくさんありすぎて、現在のコン
ピュータでは管理しきれない部分がたくさんあることが分かってきています。
その分かっていない部分への接近こそが、われわれのテーマでもあります。
まさに、無農薬を貫く決意を持った方でも、除草に問題を抱え、除草剤を今日振る
か、明日振るか、思い悩む世界かと思います。
冬期潅水不耕起栽培では、生き物の生命力を最大限引き出すことによって、冷害にも強い稲が作り出されているのではと、最近考えられて来ています。
その一例として、稲が穂を出す肝心なタイミングを、自分の命をつなぐ、最良の時に一斉に開花して、受粉に成功する仕組みがありそうだと言うことを、不耕起栽培の権威者岩澤さんが言っています。そうだとしたら大きなポイントではないでしょうか。
冬期湛水水田で生物濾過された、温かい水をも求めて、鮭がやみくもに田んぼの用水まで入り組んできたことも、産卵できる箇所を求めて、水の道を臭い等でたどって来たとすれば理解できます。
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