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文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

里山の生物指標として(2)千葉県下農村の一断面 2004年1月15日 9:15

2006-04-29 21:33:27 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
●千葉の田んぼの現状、一断面です。
 1月11日に、千葉県我孫子市より、成田を経由して、佐原市までJRで移動しました。広大な田んぼが、見事と言っていいほどの乾田化されています。
風景全体が茶色に染まって、心にぐさっとくる一面の灰色の世界と言って良いでしょう。現実問題、たまに、田んぼ1枚に一面に水が張ってある箇所がありました。それだけで気持ちがホットします。
 ところがよく見るとこれが、鴨を捕獲するための冬期湛水水田。
無双網と言って、くず米を撒いておいて、夜間鴨を一網打尽に捕獲する仕組みです。しかもこれが、JRの車内から3ヶ所も望見されました。
 また、成田線で成田周辺の里山の放置された結果の荒れ方を見るに付けて、里山全体が醸し出す雰囲気もこの風景の影響で、このような場所で育つ子供達の乾ききった心のひだが感じられる様です。
 田んぼの乾田化→砂漠化から、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)化を言うまえに、実は子供達の心もが乾燥化しているのではないかと、考えたりします。子供を産む前の娘さんや若い母親達の気持ちも知りたいところです。
 現状の田んぼの乾田化とは、想像を絶した現実を引き起こしています。田んぼの畠化でもあり、真の砂漠化です。
年間8ヶ月間は、ゴビ砂漠、ナビブ砂漠と同様、それ以上に過酷な無生物の世界です。 実質、無菌状態で、細菌も生きられないといわれます。生態系ではゼロとなります。
 今の日本の田んぼでの農法は、慣例農法と言われ、全国一律に近く 春、一斉に田んぼの蛇口を開けて、パイプで供給される水を張り、農薬と肥料を大量に投入し、しろかきをします。
 その上で、連休中の休みを利用して田植え、後は、空中散布で、混合農薬を散布します。秋の収穫まで基本的にはそのまま。 ベンツと揶揄される、1年に4~5日しか稼働しない高価なコンバインで刈り取りをし収穫し、販売業者へ引き渡します。 誰でもできる農法が理想となって、田んぼを見て廻ることもほとんどない生活です。
従って、いままで1000年以上も継続してきた、農業を両親の働く場として実体験する機会を持たないまま、息子達は普段はJA職員や公務員となって、しかも農業は専業ではなく兼業として存在しています。
 でも、現状の慣例農法とは、まるでインスタントラーメンをお湯を沸かして作って食べるみたいに聞こえてしまいます。
 砂漠のままの状態から、生態系ゼロからの急激な稲作のスタートですから、何から何まで農薬、肥料等無機化学製品を多用することになります。これらが、一斉大量に供給されるために自然界で排除しにくく、湖沼等での富栄養化の大きな原因の一つともなります。

同時に、農家の方々自身への農薬の影響、特に年を取ってからの重度の障害の発生。同時に、またそれを食する日本の市民達、特に子供達への影響がアトピーをはじめ心配です。
それらの結果を踏まえて考えると 日本の原点はあくまで農業国であり、2500年以上同じでした。
 生き物達は日本の田んぼの耕作スケジュールを熟知していて、それに合わせて年間でのタイムスケジュールを組み立ててきています。
 タイコウウチも、メダカも、秋の借り入れ前になると田んぼの水が切られますので、田んぼ横の用水か、羽を使って付近のため池へ移動します。
 ナビブ、ゴビ砂漠では、数千年から1億年以上の経過がありますので生態系もそれなりに適応できています。
 日本の田んぼの砂漠化は、まだ始まって40年。この短い期間ではあらゆる生き物が適応できません。
 そのために、メダカなどまでが絶滅の恐れがあるという現実を招いています。
 昭和40年代初め、田んぼの砂漠化が始まったときに、雁、トキをはじめ、それぞれの高等動物は一斉に姿を消しました。 雁達は、生活適応できないとして、渡来しなくなったのです。
 生態系でいえば、生き物の頂点にたつ、高等動物としての我々に影響がでないとは、考えられません。
 生き物としての生態系としての回転率が違うのです。
 田んぼの環境が、ナビブ砂漠並みになれば、子供達の知る原風景がまったく変わってしまいます。
 子供達の心のひだに、田んぼの砂漠化がどのように反映しているのか。荒廃した里山の風景が、2重写しになってどのように写っているのでしょうか。
 戦後のこの50年間、人の一生と重ねてみて、我々の周辺には、きちんと永年引き継いできた日本の基本的な農法・里山管理法を放棄してしまった結果。 我々古い世代には、しっかりと植え込まれているものの考え方が崩れてしまいました。
 特に農業が基本であるべき技法が失われて、自然と接点を切り離してしまった結果、ひょろひょろで手入れがされていない、砂漠のように無感動な若者がたくさん産み出されているのではないでしょうか。
 農家にとって、自分の息子や孫との関係でいえば、農家の親の作った米や野菜までもを、農薬汚染を心配して若い世代は食材とすることをも断りだしていると聞いています。
 安心を求め、スーパで野菜や真空パック入りの餅や求めるような有様だと聞いています。
 すべて、我々の世代がここ50年間で到達した結果です。
責任を負って後継者や孫達に、なんとか自然再生、自然創世をして戻してあげる義務があると、強く感じています。

 まずご提言です。
 まず、真っ先に、自分の田んぼに水を張ってみてください。従前の農法から地域ごとの、伝承された農法を再度見直してください。 
 先ほどの、栄町の新海さんは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)でなにが一番変わったかと聞くと、自分だと。毎日何度も田んぼを見回りに行くと、楽しくてしょうがないと。
 生き物が身近にあふれ出すと、気分が晴れます。 同時に、ささやかでもロマンを感じてください。 冬・水・田んぼは、かって当たり前の農法であったと言うことに気が付いたとのことです。新海さんは、本年は特別な思いで、全く新しい農法にチャレンジする事に決めたとのことでした。
 議論のたたき台にして頂きたいと存じます。



千葉の利根川の現実の1断面として 2004年1月14日 12:44

2006-04-29 21:26:45 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
里山の生物指標の一つとして、河川には鮭の遡上と産卵、孵化→太平洋からの回帰の回復があると思います。2004年1月11日 
 千葉県栄町の新海さんの冬期湛水水田を開始した田んぼ横で、飛び越えられる幅の素堀の用水で、たった200mの距離に、平均80cmの鮭のほっちゃれを4頭も発見、写真を撮りました。

田んぼに鮭が遡上
 生き物にとって、水はすべての源。きれいで温かい水があれば産卵できますので、鮭は利根川から、あらゆる困苦を乗り越えて、このほ場整備されていない、冬期湛水水田の横にたどり着いたのでしょう。
 白鳥も38羽。雁も来ました。タゲリという渡りをするシギも多数渡来。
 どうしてこのような場所まで鮭が遡上してきたのか、不思議です。 
 一つ、利根川流域で流れ込む、それぞれの支流河川が、ほ場整備等によって、それぞれの河川特有のにおい等をなくしており、鮭の水の記憶がはっきりしないために、田んぼの生物濾過されたきれいで温かい水のにおいをたどったら、栄町の田んぼに来てしまったのかも知れません。
 どのくらいの個体数が、この流域に遡上してきたか不明です。ただ、印旛沼では、川に仕掛けられた網が、破られる寸前までのかってない大量個体の鮭が遡上してきたとのことです。 里山の一つの指標として、鮭は重要だと思います
 

(3) 里山の森林の部分に関しての一つの見方 2004年1月8日 18:46

2006-04-29 21:23:00 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
まず、里山の主体は、水、田んぼ、農業及びそれを取り巻く地域の生活空間です。
 その中で、
1 千葉県香取郡多古町にある桜宮自然公園は「里山と谷津田」で構成されています。今回、県は里山は、すべてを包含するとの見解ですので、桜宮自然公園も里山の一部となります
2 林業に関わる部分で言えば、 森林での種から芽を出して、最後に伐採されることを1回転とするならば、雑木林で30年程度で根本から切り取られます。まもなく根っこの部分から、ひこばえが出て、クヌギやコナラ等は、すくすくと育って行きます。
 杉、檜では本来、50年から70年たって初めて商品と見なされます。
 少なくとも、田んぼでは1年サイクルでやり直しがききますが、森林は、その50倍以上の、ちょうど人の一生と重なります。ある面で気の遠くなる話です。
 田んぼでは、冬・水・田んぼ(冬期湛水水田)等の実施効果は、早ければ数ヶ月で、その変化に気が付きます。
 でも、森林は極端に言って数年を経なければ、環境変化の結果が分かりません。さらに、現在の植林の結果を見てみましょう。

千葉県香取郡多古町「桜宮自然公園」での経験です。
 実際に森林部分に、桜宮自然公園をつくる会のメンバーと一緒に手入れのために立ち入った時、これは容易な世界ではないと感じました
 いま、桜宮自然公園内及び周辺の山林の杉の多くは、戦後県の方針で植林された山武杉と言われる、親木から挿し木で育てられた、30年~50年経過した杉の木となっています。 現在で言う、クローン技術です。
 ところが、その親木に問題があったらしく、山武杉の70~80%は「根腐れ病」で、商品価値がゼロとまで言われています。同じ原因で、売り物にならない樹木を至る所に作り出してしまった事になります。
 さらに困ったことに、桜宮自然公園でも、手入れのために地権者と計って、周辺域を間伐したとします。
 森林の専門家には、台風が吹いたときなど、風が森を吹き抜ける結果を招いて、森林内部のひょろひょろな杉がなぎ倒されてしまう恐れが高いと言われました。
 いまからではうかつには、間伐等を行えない事情まで生じてきている模様です。
 また、森林手入れ用の林道も放置されたままですから、篠竹等や、場所によっては真竹や孟宗竹が繁茂して、森林の中へはいることもままなりません。
 所英亮さん達、農業のベテランでも立ち入れない森林周辺部の篠竹密集地帯です。 今までも時間をかけて、篠竹刈りにチャレンジしてきましたが、素人には危険なチエンソーを駆使しても、2時間かけて、幅5m、深さ1mカットするのがやっとです 「まるでベトナム戦争に参加したみたい」というのが、本当の所です
 実際、桜宮自然公園での現状は、この12月末に、2日間県の費用で、プロの方々に刈り取ってもらっているのが実情です。
 農家の方々は、谷津田管理のプロと自負されても、山は別物と言います。慣例で、田んぼから10m以内の林の管理をまかされている事が多いとのことですが、それより奥は、未経験ゾーンとのことでした。現在の千葉の山は、明らかに異なり、東京郊外の平坦な雑木林とは森林のプロの経験者でなければ対処出来ない地帯が多いと考えられます。
 森林部分の手入れは、NPO等のレベルの技能では手を出せる状況にない部分が多すぎると言わざるを得ません。

森林法人負債1.2兆円 国産材の低迷(2)

2006-04-29 17:38:09 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 国産材は、すでに輸入するより国内材の方が価格的にも相対的に安いという逆転をひきおこしています。でも国産でも、杉だけは、価格低下が止まらないそうです。
 あまりに産地毎に、木材のばらつきが大きく、まあ玉石混淆ということで、均質な商品としての価値が得にくく、合板材みたいな使い方、と同時に、供給可能量があっても人も道路も施設も十分でなくさ、ばけないこともあって、利用はこれからでしょう。
 貴重な天然(半自然)資源であることは間違いではありません。
 地球温暖化対策でも、日本ではCO2削減対象の切り札として森林の持つ、CO2削減機能が期待されています。京都議定書締結の内容から、この分野での削減率を高めなければならない状況と聞いています
 でも投資という観点で言えば減少する一方でしょう。これから前向きに環境省が取り組もうとしても何ともちぐはぐなことに、一方で日本の「森林法人」が全国で負債が1.2兆円に累積したから、どんどん解散していくという話しが新聞上で多きく掲載される等、資源の持っているポテンシャルから言えば、日本で最も重要な部分として投資がされるべき箇所であっても、本当わずかな金額の借金で解散とは、何ともやりきれません。トヨタの年間利益の9ヶ月分くらいですよ。近年資本投入された金融期間の不良債権の何%程度です。
 「森林法人」とは、都府県などが出資し、地権者から山を借りてスギやヒノキなどを育ててきたが、国産材価格の低迷で経営改善の見通しが立にず、各県で法人が廃止方針を決めるなど、債務の処理について最終判断を迫られる状況だ。自治体からの借入残高は約5千億円を占める。自治体側は国の支援を望んでおり、今後は誰がツケを払うかが焦点となりそうだとのことで、あくまで後ろ向きです。
 森林整備法人は、戦後の木材需要の高まりを受け、国の働きかけで県などが出資して各地に設立された。伐採時の収益を見込んでいましたが、木材の輸入自由化や建材が鉄やコンクリートに取って代わられるなどして、国産材価格は80年から下降。04年のスギの1立方㍍当たりの立木価格は、約4400円で80年の約2万3千円の2割に落ちている。
 

環境省の「環境税」が、仮に予算通過してco2対策に使われても

2006-04-29 17:23:19 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 最近の「森林・林業白書」を見ると、戦後60年ようやっと、戦争中や戦後の無茶苦茶な乱伐・荒廃したはげ山に、戦後の植林が成長し「大人となった森林を活かす時代」に到達したことが明確になってきました。戦後の地道な植林活動を進めてきた結果、樹木の成長によって木材資源としての蓄積が進んだ分けです。これからは計画的な伐採-育成-整備を進め、活用することが可能となったということである。
 なにせ、国土の64%を占める森林が、殆ど手つかずのままに放置に近いまま現在に至っているわけです。
 海外からの大量の木材輸入が、先進国を含めて、その現場で環境破壊を引き起こしている事への非難も厳しく、実質的な輸出禁止に近いことも起きてきています。
 現在は、中国とロシアの国境沿いの手つかずだった"タイガ"地帯の針葉樹が中国経由で大量に輸入されていますが、この地域では、1回伐採すると、極寒地であるために熱帯地方と異なり、自然再生は非常に難しいとされています。
 さらに、中国やインド等の勃興に伴い、資源としての木材需要も増加しており、鉄鉱石や稀少金属、石油と同様な資源としての重要性が、改めて注目されだしている背景があります。
 国内の資源として、木材が注目されだし、自給率の向上は好ましいことである。
 しかし、国内森林資源の継続的有効活用には多くの課題がある。まず林業を営む山村が活力を持って維持できる仕組みを作らなければならない。森林整備にはかなりの人手がかかる。にもかかわらず林業にはなあすへの人が集まらない。また成気の利用だけでなく間伐材の活用も欠かせないが、事業として成立させるためには大きな資本と優秀な人材が必要である。こうした課題を解決するためには地方の努力だけでは限界があり、国を挙げての関与が欠かせない。
 森林の整備は地球温暖化の要因とされるCO2の排出量削減にも大きな役割を担ています。2005年に正式発効となりました京都議定書に定められた目標では、日本では、森林によるCO2削減率を過大に評価してしまったツケもあって、その必達しなければならない目標数値は、トンでもなく厳しいことになってしまった。
 現在、環境庁が3回目の正直として(過去2年は敗退)遠そうと考えている環境税(年間4,000億円規模)も、その大部分の施策が、森林の間伐促進と植林など森林対策に充当することを目標としている。
 しかし現状は、あまりに森林等への投資を怠って放置してきたが為に、CO2削減への"あめとむち"を準備したとしても、従事出来る人々が何処にも存在していない状況となってしまっています。専門技術をマスターしていた高齢者も年齢でリタイア済みです。いまさら、費用がついても従事出来る人が存在しないという現実が待ちかまえています。国が、手を貸して自国の森林資源の整備にもっと力を注くべきではないか。
 しかも、環境省そのものが、年間2,000億円の規模でしか事業が出来ない弱小省庁であります。結局、林野庁の力を当てにしているのでしょうが、果たしてどうでしょうか。 

環境税に関する勉強会の開催

2006-04-11 10:45:43 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 第3回里山シンポジウムの「里山と政策」分科会において、
環境省が提唱する「環境税」の概念に関しての勉強会を開催しました。
直接、環境省総合環境政策局環境経済課の担当官にお越し頂いて、話しを聞かせて頂きました。
 質疑応答では、日本の名前が冠に付く、唯一でもある温暖化対策を協議する「京都議定書」で、日本では森林絡みでのCO2削減率が異常に高く設定されてしまって、国内での山林の手入れ不足等之実態からの、現実とのギャップを大きく生じてしまって、その対策に頭を悩ましている肝心の部分での背景がリアルになりました。
 環境省が相変わらず、組織原理の壁で2000億規模の予算しかなく、プロパーは、年間20人以下。殆どが多省庁からの出向で構成されていること。シーリングによって省庁間が横並びであるために、逆に減らされる状況。
 かって2年間、環境税は否決されており、仮に環境税が本年度法律として制定されても、3,000億円規模で留まる事。そして、その殆どを、森林関連に突っ込もうとしているというスタンスが明らかになりました。
 そこで、里山シンポジウム実行委員側からは、千葉県出の森林の実態を話し、その投資対効果判定等に関して、大きな認識のずれがあると感じました。
1 千葉県では、90%が民有地である事。国税を民有地に投入出来るのか?
2 現場のプログラムの作業者の消滅。 誰が間伐等を担えるのか?
 同時に、零細な所有者が多く、それこそばらまき政策の典型例になってしまう可能性が、どう考えても高すぎる。
3 所有者の高齢化と、人の不在によって荒れ果てているわけで、1年間の限定でなく、何十年も継続する施策になるが、いかがか?
 
 今後とも、継続的な議論をと言うことで大変参考になる意見交換でした
 などなど、多面的な意見で盛り上がりました。少人数による勉強会形式は大変効果的と言うことがよく分かってきました 


日本の森林の市場見直しが静かに

2006-04-05 00:59:28 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 日本の国土の64%以上が森林。戦後の拡大造林政策により、圧倒的に植林された人工林が、採算的な観点でいきずまって、かれこれ10年。森林の管理が多くの箇所で放置されたままです。木材価格も信じられないほど長期低落してしまいました。
 他方で、人工林の杉や桧は、それぞれ生き物として成長を続け、限界的な環境から、種を残す本能をたっぷり刺激されて、杉花粉をふんだんにはき出しています。

 ところが、ここへ来て風向きが少し宛変わり出してきています
1 法律の改正で、木材のもトレサビリティが適応されるようになってきつつあります。手続き上からも、外国からの輸入に歯止めがかかりだしてきた。
2 中国やインドの勃興によって、木材需要がタイトになって、輸入価格がその面からも値上がりしだして、相対的に国産材の方が値段的に安井という逆転
3 これで、国内で木材需要が回復すれば、始めてトレンドとして国内木材の市場再構築画おこってくる。その方向性がはっきりすると、手控えられていた投資が始めて動き出して、市場が形成されだす。

千葉県の里山へ残土・産廃、特に中間処理場の進出

2005-12-04 22:15:46 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
なぜ、千葉県香取郡多古町なのか
今まで、千葉県では市町村がおっとりとしすぎて、個々の農家が、”おれおれサギ”として騒がれているサギ行為と良く似た形で、単に田んぼ1枚にゴミを置くだけ、月に○○円毎月支払いますという甘言に、ひょっと乗ってしまった結果、一晩でものすごい量の残土・産廃を持ち込まれるというケースが圧倒的と聞いています。人が良いのです。同時に、豊かであるが故に、行政との接点も殆ど無く、相談先もない。
 ほかの県では、農家と行政とがかって深刻に争い、そのための農民闘争をへて、農民と行政との間に農協が介入して入るケースが多いのです。現状、JAは問題山積ですが、バッファーとして存在してきたことは確かですその点で、三里塚のごとく成田空港建設の件で、突然行政から立ち退きを要求されると、間に立つひとがいないために先鋒化する。そうなったら、半端ではありません。
 多古町には、町の発足のその原点が染井であり、桜宮とは京都との特別のつながりもあって……。染井地区には、日本で唯一の”慣例水利権”が残っています。日本でここだけしか守れなかった場所です、280年前からの歴史を語った石碑も残されています。日本で最初と言われる、本格的な産直運動体”多古町旬の味産直センター”が20年目前に立ち上がっています。農民達が、自律した方々が立ち上げた農事法人としての組織です。
 しっかりと自律した農家の緊密なチームが形成されています。それがかって日本一にも成り、現在も千葉県ないで一番の”多古米コシヒカリ”を産んでいます。この11月13日に、BRAぶら祭りが、多古町旬の味産直センター主催で開催されます。毎回1,500人を超す都会からの皆様が、13軒の農家の庭先で歓待を受けて食べ歩く祭りです。他にはない農家主体のスローフード的な催しです。BRAとは、イタリアのBRAの町のお祭りから取られています。
 桜宮自然公園は、全部で5haほどありますが、多古町内には、同じ規模で100ヶ所もの里山・谷津田が存在しています。どこまでもうっそうとした樹林帯と里山・谷津田がつながります。トキやコウノトリを放鳥するには、うってつけの貴重な場所でもあります。その里山から絞り出る粘土質と湧き水が、美味しい多古米を産み出していると言われています。法律がどうであれ、数千年の歴史と景観と、ブランド価値等を、地域の歴史をすべて無視して、東京の業者に、しかも東京都から搬入されるゴミの処理のために、汚していく事が許されるとは信じがたいことでもあります。多古町での運動の成果が期待され、千葉県にとっての一つのエポックになります事を支援していきたいと考えております。
 いままで、多古町には、残土・産廃の箇所は1ヶ所もありません。桜宮自然公園をつくる会の所英亮さんや、多古町環境を守る会の椎名さんや秋山さん達、市民達の努力の結果で、作らせなかったという事も聞いています。この多古町ですら、産業廃棄物処理施設が設置されるようであれば、あとはどこで反対運動が行われても、対抗することは困難であると考えられます。

千葉県内へのごみロードが出来上がってしまっています

2005-12-04 22:13:21 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 残土・産廃が千葉県へと、とうとうと流れ込む”シルクロード”ならぬ”ごみロート”がしっかりと出来てしまいました。
 東京都内23区や三多摩の市町村、埼玉県、神奈川などの都市等、から、大きな船に積み込まれて、千葉県内の港へ。待機している大型ダンプにどんどん積み込まれて、千葉県内の内陸部へバラバラに分かれて、吸い込まれていきます。どこかで放置されて(県の管理出来ているゴミは2割までとか)空になったダンプが、また港に戻って、ゴミを積んで、再度里山と谷津田の何処かえ残土・産廃を放棄に向かいます膨大な量の残土・産廃です。
その上に、生活ゴミを満載し、またまた別ルートで、千葉の里山に出来た産業廃棄物処理施設へ搬入され、燃やされ、破砕されます。千葉県内の市町村単位で、それを防ごうという、その戦いはあっても個別の案件として、各個撃破されてしまっているようです。
争いを好まず、いままで豊かすぎて平和であったがために、個々の農家の問題として、残土・産廃等が処理されてきているようです。東京人や埼玉、神奈川県人は、すでにおおっぴらに、千葉の里山にゴミを捨てて何が悪いという感覚が広がっています。それは、千葉県人がなにも発言しないことにも大きな原因があると、最近思うようになりました。どこかで、きちんと歯止めをかけないと、恐ろしいことになると予感がするからです。
それは、前例があって、千葉県内陸部の浅瀬のほぼ90%の埋め立てを行った。三番瀬や木更津周辺に少し残っただけです。内陸部の湿地のほぼ90%を埋め立てて、乾田化してしまった実績。手賀沼や印旛沼の現状が、水質悪化がそれに由来することは明らかです。
この様な極端な動きによって、水郷地帯であった千葉県を地政学的に変質させ、郷土の変質の耐えられない世代が、郷土愛を喪失して、目先に走るそれは、湿地に依存する水鳥の激減→種の消滅にまで影響しています。
かって、トキやコウノトリ、丹頂鶴、シジュウガラガン、サカツラガン…… 数限りない大型の渡り鳥の殆どを絶滅に追い込んでしまった過去の歴史もいま、千葉県内の里山や谷津田が価値がないと見なされ、ゴミの放棄場として位置付けされつつあるのを見ると、かっての湿地と同じ運命をたどっていくのかと、考えられても仕方がありません。
数千年の歴史と豊かな精神文化を構築してきた千葉県の里山や谷津田の保全を真剣に考えれば考えるほど、あと5年、後10年保全出来れば、日本人の思考も変わるのではないかとの淡い期待感をもって、次の世代にまで、この無限の価値ある里山や谷津田を保全していく意味があると考えています。


里山での残土・産廃と外来野生動物の跋扈

2005-12-04 22:11:35 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
この秋の、あらたな現象として、全国的に、野生動物と地域環境との関連から生じた課題や解決策を探るためのシンポジウムが急増しています。
2005年5月開催の、第2回里山シンポジウムで、14分科会の内に、残土・産廃と野生動物の2分科会が開催されました。野生動物は本年度から発足しています。
全国的に、野生の生き物と地域住民との、あつれきが放置出来ないまでに急激に悪化してきているという実感です。一面では、山の中での突然の遭遇による偶発的な事件の急増があります典型的には、ツキノワグマとの、思っても見ない箇所での出現です。次いで、アライグマやキョン、台湾ザル等外来種の激増です。いずれも、中山間地での、農作物被害が深刻です。 
この話しと、必ずセットになる話しが、実は残土・産廃の話しです。いたる所で、残土・産廃の突然遭遇します。被害は甚大ですが、問題解決はとんでもなく困難な状態です。裏と表どころか、広範囲に捉えて、里山そのものの、これが現実だと思います。
日本の自然は、適当に人の攪乱があってはじめて機能する場所として、過去数千年の歴史を刻んできています。そこを日本人はやおよろずの神が宿る場所として、尊重してきた歴史があります。その仕組み全体が壊れかけて(あるいは既に壊れて、野生動物が跋扈し、残土・産廃がはびこる)、様な無惨な箇所に変わってきているとしか、言いようがありません。
一言で言って、
(1) 人がいない、なぜって里山ではお金が稼げないために若者が立ち去る。
(2) 地域への投資がされない。なぜって、バブルの後遺症で大企業が虫食いのママで購入した土地を、もてあまして放置している等のケースが多い。 
(3) 本来、手入れすれば、価値の高まる森林が、価格下落で価値を無くし、山を持っているだけで、赤字を産んでしまう状態に。
(4) 里山も谷津田も、お米を作る立場では採算が取れない。安易に海外からの輸入品で間に合わせてしまう生活習慣が定着して、都市と農村部の相互信頼関係までもが。おかしくなってきています。 
行政組織が、どのようにこの現実を理解しようとしているのか。あるいは、手をこまねいてしまっているのか。現実が先に走ってしまい、現場を見ていないまま理解が及ばす、何事にも対処が出来にくくなっている、まさにそこが最大の課題であり、問題点です。


千葉県多古町で毎年開催のBRAぶら祭り 本年度も楽しみに

2005-10-18 17:37:42 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
BRAぶら祭り!
 本年度は、11月13日(日曜日)に例年通り開催されるそうです。
このメンバーの皆さま方が、今回の多古町での産廃対策でも中心になって
運動を始めています。

主催は
 多古町旬の味産直センター 担当者は 徳益友紀子さん
Tel..0479-75-1265 Fax.0479-75-0358
 なるべくFAXにての、事前申し込みをとのことです。
 会場は、多古町旬の味産直センターに加盟している1村落の農家の庭先で
それはおいしい農家の食べ物を楽しく食べ歩く催しです。
お酒も樽酒がたっぷりです。
会場まで、自家用車、あるいは成田駅から往復専用バスが出ています
一昨年の風景です。 重たーいpdfです。ご了解を

森林法人負債1.2兆円 国産材低迷(1)

2005-10-13 23:14:58 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 日本の国土の67%は森林である。この森林環境は戦後の"生めよ増やせよ"ではないが、森林資源再生のために、杉や桧ばかりを選んで、各県で、地域を巻き込んで子ども達まで動員して植林をした。
 その後、商品化書こうな50年を経過したところで、当初の予想だにしなかった事態として、国産材のかってない低迷に落ちこんでしまった。その結果として市況に負けて、全国45森林組合の打ち合わせで40組合が赤字で、その累計借金が1.2兆円。このため解散が相次いでいるとの話しです。
 赤字を出すことは最悪ですが、市況がここ10年間で実質1/10にまで落ちこめば、赤字は避けられません。
 杉の50年ものを伐採し、山から運び出して、丸太に加工する。それを全部行って1本130円という話しです。ガソリン1リッター。あるいはおにぎり1個分の価格です。どうして、このような価格が成立するのでしょうか。そこに根本的な間違いがありそうです。
 さらに山での伐採、搬出、運搬、丸太加工、市場の管理費用を請求されます。特に運搬費は、重たく扱いにくく、危険です。保険一つでも高く、すべてが当然費用がかかります。何百円も。1本ごとに大赤字となります。
 結果として、山林所有者は、全てをぶん投げて、山毎、放置することになります。手入れされませんから杉もヒノキも密植されたまま、弱っていき。子孫を残そうと杉花粉を大量に散布することになります。


江戸時代の完全リサイクルが一つの見本に

2005-10-01 23:17:47 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 いままで、江戸時代は日本は240年間にわたる完全リサイクル社会を構築出来た、唯一の国であります。それは、国民の90%以上が農民であり、それぞれの場に於いて、生活者として24時間張り付いて、かつ集団で、年間を通じて、里山環境との接点を、じっと観察しながら、年間での自然のリズムを大事にしながら、そこからの産物を徹底的に手入れを行って、多様な手入れ方法や肥料の投入など、人による里山の環境への支援を通じて、多様な収穫を得て生活を成立させてきたわけです。
 この実態は、江戸末期、東京湾に来訪してペルー始め欧米人が、日本の里山の景観を見て、箱庭のように、これほどのすばらしい景観を見たことがないと、絶賛の的となりました。
 いま、日本の、千葉県での里山は、言ってみれば生活者がいなくなり、荒れ放題の様相を呈しだしています。
森のスギの木など木材価格の大暴落によって所得が大幅に低落(10年間で1/10に)
 森林経営では、収入が殆どゼロにまで落ちこんでいます
 所得が得られなくなれば、森林経営そのものが、成り立たない大赤字に。
 さらに田んぼや谷津田での米つくりも、先行きがはっきりしません。
田んぼでも、労力に見合う収入が得られない。他方でほ場整備での負担金、水道料はまったなしで支払わなければならない。
 今の、若い方々の米離れも深刻影響をもたらすことでしょう。
 現実には、これからさらに年間50万人ずつ、人口が減っていくわけですから、中山間地と呼ばれるところは、正に猪と、鹿と猿、そしてあらゆる外来種に脅かされて、ますます生活出来ない場所となってしまっています。
 山が単純林となって、餌がない状態から、秋の収穫物を狙う獣達に破れて、生活の場所を引き渡すような事が日常化していきそうです。
まさに”もののけ姫”の世界です。
 実際、千葉県の里山では、多くの場所では現実には、多くの場所がこのようになってきてしまっています。
 しんとして、人にであうことのできない場所がどんどん増えています。里山から人がどんどん抜け落ちて、生活の糧を得られる場所ではない。地域の人も、殆どサラリーマンとして都市で働いていますから、昼間山には入る人がいない。


日本の森林への資金投入を積極的に行うこと

2005-10-01 23:15:35 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
● 日本の森林への資金投入を積極的に行うこと
 いま、日本の国土の67%を占める、森林をこれからどの様に管理していったらよいのか、大変な問題です。
さらに、田んぼを含む農業全体が、国際化の中で呻吟しています。
 決定的に、森林はまず投資不足です。
それ以上に、国民の価値観が減摩して、現場認識がまるで出来ていない。
 敢えて暴論として言えば、産業界が、輸出をし、外貨を蓄えることが、社会貢献のトップであると確信し、日本の自然環境をバーゲンしていることに問題があると考えています。
  自動車産業のトップが世界一を目指す行為の陰で、国内の森林が(敢えての農業全般がとは言いません)国民の最も大事な資源が、管理されないまま放置されている現状を考慮すべきです。
 森林は生き物です。最低50年、人の一生と同じ、ワン・サイクルが完結しません。まだ戦後の植林の結果が完全には出ていません。
 これから全国民に、国土の67%が、不良債権化し、その重荷が背負っていけるのかが、問われる時代に至っていると思います。



京都議定書とこれからの現実

2005-10-01 23:13:01 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
 京都議定書でも、特に環境省は日本の森林の間伐や伐採によるCO2の排除数値を極めて高く評価していたと聞いています。co2対策での日本の削除数値のなかで大きな計算根拠であったと聞いています。
 しかし、実際にはほとんど間伐のされず、山林は放置されたまま、また、10年後には日本の田んぼを主体とした農地さえ、同じ扱いにすることを決した国です。日本は。日本中の里山、なかんずく中山間地帯を中心にして、これからぼろぼろと人の姿が消えていくことになると思います。
 毎年50万人単位で人口が減っていくことがほぼ確定しているからです。
ますます都市部に集中し、地方では生活しやすく、文化レベルの高い、地価の高い地域に人々が集中して生活することになると思います。まず、同じ市町村での、地域間の競争が激しくなります。市町村が、地方分権化の流れに乗って、諸課題を直接国側とやりとりすることがますます多くなると思います。